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究明編
謎めいた患者
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この欠け落ちた匣庭の中で、私は三日目の朝を迎える。
満雀さんの意思や行動で時間の進みが変化する以上、現実世界の時間経過とリンクしていないことはもう明白だ。
今、真澄さんはどうしているだろう。寝ているのか起きているのか、流石に気にはなる。
最近、あまり長期的に離れたことはなかったのだし……。
「おはよう、というべきかしらね。明乃さん」
「ふふ、寝ているわけでもないですけどね。おはようございます、満雀さん」
七月二十一日の満生台。満雀さんによれば、今日は子どもたちで秘密基地へ向かう日なのだという。
事件解決という重責はあるけれど、秘密基地という言葉にはやはり童心をくすぐられる。
純粋に、どんなものかを見てみたいという気持ちが強かった。
――それにしても。
やはり満雀さんは、自身の気持ちに大きな矛盾を抱えていることが浮き彫りとなった。
昨日、友人の一人である玄人くんが放った言葉は一つの真実を突きつけていたからだ。
借りに来る、という言い回し。それは暗に、彼女自身ではなく彼女の代わりになるモノを持っていくということを示している。
だから、それがカメラなのだという事実にも気が付いてよさそうなものだけれど、至らない。
彼女が無意識の内に目を逸らしているからこそ、出てこない可能性なのに違いなかった。
「秘密基地に行くのはいつ頃なんです?」
「午後からよ。それまでは暇になるわね」
ということは、もう少し時間を早めることになるかもしれない。
カメラを通して重要なことを見たりしない限りは、だが。
「朝の間は玄人たちも家でゆっくりしていたし、見るものはないわね。ああ、でも……興味本位で双太さんの診察に付いていった時間があるわね。そこで入院患者の蟹田さんと話したわ」
「蟹田さんって、昨日も名前が出てきてましたね?」
「ええ、長期の入院患者よ。牛牧さんが前に勤めていた病院で診たことのある人で、こちらに来て療養しないかと転院を勧めた結果来たらしいの」
「そんな人が……」
この街にやって来たということは、その人もどこかハンディキャップを背負っているのだろうかと思い満雀さんに訊ねてみたのだが、
「それが、彼についてはどんな病気なのかもよく知らなくて。実のところ、双太さんもあの人は健康そうに見えるんだけどなっていうくらいだったわ」
病気の詳細が分からない患者……そんなことがあるのだろうか。
どうも、牛牧さんが留めておいてほしいと念押ししたために彼は病院に居座り続けていたようだ。
その状況に怪しさはあるものの、牛牧さん自身はGHOSTに騙された善良な人間のはずなので、立場がよく分からない。
「これは私の推測だけど、彼は満生台で何か調査をしていたのだと思う。というのも、彼は日頃から街で起きることを何でも知りたがっていたし、事件の途中からは虎牙とよく行動するようになるのよ。共に事件を追う協力関係を結んでいたことから、多分GHOSTの悪事を暴こうとしていたんじゃないか、とね」
「私たちのような存在が、当時にもいたということですか……」
けれど、蟹田というその人物は事件解決に至らず、最後には犠牲者の一人となってしまったと。
もし事実ならあまりにも悲しいし、自分たちもそうならないようにしなければと身の引き締まる思いだ。
「その人と会う場面なら、一度観ておきたいですね。お願い出来ますか?」
「お安い御用よ。確か、診察は十時過ぎだったかしら……」
満雀さんのコントロールで匣庭の時間は進行していき、時計の針は午前十時を指し示す。
この間もモニタ越しには街の動きが見えるわけだが、なるほど取り立てて大きな動きはないようだった。
「おはよう、満雀ちゃん。今日の調子はどうかな」
気付けば、地下室の中に杜村さんの姿があった。ただ、これは明らかに歪められた現実だ。
満雀さんが装置に繋がれた後、そう易々とこの場所に侵入することは不可能だったのだし。
恐らく、これはモニタ越しに見た映像。それを満雀さんは現実にみたものだと変換している……。
「おはよう、双太さん。ちょっぴりお腹は空いてるけど、大丈夫だよ」
「そうか……ご飯については貴獅さんにも聞いてみてるんだけどね。まあ、少し我慢していてほしい」
「うゆ……分かった。今日は土曜日だけど、双太さんは忙しい?」
「午前中は入院患者さんを診ていくことになってる。午後からは予定がないけど、満雀ちゃんは皆と遊ぶんだったね」
「うん。楽しみなんだ」
どうも、地下室に連れてこられて以降は食事もとっていないらしい。つまり、点滴か何かで栄養を補給して命を繋いでいたわけか。
信号領域が発動した後には、確かに影響しないことかもしれないが……やはり心情的にも、貴獅さんの行動には賛同できないところばかりだ。
追い詰められた人間の思考は、極端になってしまうものなのか……。
「診察、付添ってもいい?」
「うーん、気難しい人は何人かいるけど、そういう人以外なら何も言われないだろうし、構わないよ」
「やった。じゃあお願いします」
「了解」
杜村さんの承諾が得られると、満雀さんは移動を開始する。
一旦、地上階の診察室にいる杜村さんのところまで向かうのだ。
実際には、杜村さんは最初から診察室にいるのだが、満雀さんは彼が地下室に下りてきて、準備をしてから診察室で合流したという風に認識を歪めているのだろう。
地下室からエレベータの空間を通って地上へ。やや薄暗い廊下を進み、診察室の裏手にあたる扉を開く。
杜村さんは回診に必要な最低限の道具を準備しているところだった。
「……よし、それじゃ行こうか」
手を引かれ――満雀さんにとってその認識というわけだが――階段を上がっていく。三階の、三〇三号室。患者名のところは蟹田郁也と書かれている。
さっそく目的の人物に会えるようだ。
満雀さんの意思や行動で時間の進みが変化する以上、現実世界の時間経過とリンクしていないことはもう明白だ。
今、真澄さんはどうしているだろう。寝ているのか起きているのか、流石に気にはなる。
最近、あまり長期的に離れたことはなかったのだし……。
「おはよう、というべきかしらね。明乃さん」
「ふふ、寝ているわけでもないですけどね。おはようございます、満雀さん」
七月二十一日の満生台。満雀さんによれば、今日は子どもたちで秘密基地へ向かう日なのだという。
事件解決という重責はあるけれど、秘密基地という言葉にはやはり童心をくすぐられる。
純粋に、どんなものかを見てみたいという気持ちが強かった。
――それにしても。
やはり満雀さんは、自身の気持ちに大きな矛盾を抱えていることが浮き彫りとなった。
昨日、友人の一人である玄人くんが放った言葉は一つの真実を突きつけていたからだ。
借りに来る、という言い回し。それは暗に、彼女自身ではなく彼女の代わりになるモノを持っていくということを示している。
だから、それがカメラなのだという事実にも気が付いてよさそうなものだけれど、至らない。
彼女が無意識の内に目を逸らしているからこそ、出てこない可能性なのに違いなかった。
「秘密基地に行くのはいつ頃なんです?」
「午後からよ。それまでは暇になるわね」
ということは、もう少し時間を早めることになるかもしれない。
カメラを通して重要なことを見たりしない限りは、だが。
「朝の間は玄人たちも家でゆっくりしていたし、見るものはないわね。ああ、でも……興味本位で双太さんの診察に付いていった時間があるわね。そこで入院患者の蟹田さんと話したわ」
「蟹田さんって、昨日も名前が出てきてましたね?」
「ええ、長期の入院患者よ。牛牧さんが前に勤めていた病院で診たことのある人で、こちらに来て療養しないかと転院を勧めた結果来たらしいの」
「そんな人が……」
この街にやって来たということは、その人もどこかハンディキャップを背負っているのだろうかと思い満雀さんに訊ねてみたのだが、
「それが、彼についてはどんな病気なのかもよく知らなくて。実のところ、双太さんもあの人は健康そうに見えるんだけどなっていうくらいだったわ」
病気の詳細が分からない患者……そんなことがあるのだろうか。
どうも、牛牧さんが留めておいてほしいと念押ししたために彼は病院に居座り続けていたようだ。
その状況に怪しさはあるものの、牛牧さん自身はGHOSTに騙された善良な人間のはずなので、立場がよく分からない。
「これは私の推測だけど、彼は満生台で何か調査をしていたのだと思う。というのも、彼は日頃から街で起きることを何でも知りたがっていたし、事件の途中からは虎牙とよく行動するようになるのよ。共に事件を追う協力関係を結んでいたことから、多分GHOSTの悪事を暴こうとしていたんじゃないか、とね」
「私たちのような存在が、当時にもいたということですか……」
けれど、蟹田というその人物は事件解決に至らず、最後には犠牲者の一人となってしまったと。
もし事実ならあまりにも悲しいし、自分たちもそうならないようにしなければと身の引き締まる思いだ。
「その人と会う場面なら、一度観ておきたいですね。お願い出来ますか?」
「お安い御用よ。確か、診察は十時過ぎだったかしら……」
満雀さんのコントロールで匣庭の時間は進行していき、時計の針は午前十時を指し示す。
この間もモニタ越しには街の動きが見えるわけだが、なるほど取り立てて大きな動きはないようだった。
「おはよう、満雀ちゃん。今日の調子はどうかな」
気付けば、地下室の中に杜村さんの姿があった。ただ、これは明らかに歪められた現実だ。
満雀さんが装置に繋がれた後、そう易々とこの場所に侵入することは不可能だったのだし。
恐らく、これはモニタ越しに見た映像。それを満雀さんは現実にみたものだと変換している……。
「おはよう、双太さん。ちょっぴりお腹は空いてるけど、大丈夫だよ」
「そうか……ご飯については貴獅さんにも聞いてみてるんだけどね。まあ、少し我慢していてほしい」
「うゆ……分かった。今日は土曜日だけど、双太さんは忙しい?」
「午前中は入院患者さんを診ていくことになってる。午後からは予定がないけど、満雀ちゃんは皆と遊ぶんだったね」
「うん。楽しみなんだ」
どうも、地下室に連れてこられて以降は食事もとっていないらしい。つまり、点滴か何かで栄養を補給して命を繋いでいたわけか。
信号領域が発動した後には、確かに影響しないことかもしれないが……やはり心情的にも、貴獅さんの行動には賛同できないところばかりだ。
追い詰められた人間の思考は、極端になってしまうものなのか……。
「診察、付添ってもいい?」
「うーん、気難しい人は何人かいるけど、そういう人以外なら何も言われないだろうし、構わないよ」
「やった。じゃあお願いします」
「了解」
杜村さんの承諾が得られると、満雀さんは移動を開始する。
一旦、地上階の診察室にいる杜村さんのところまで向かうのだ。
実際には、杜村さんは最初から診察室にいるのだが、満雀さんは彼が地下室に下りてきて、準備をしてから診察室で合流したという風に認識を歪めているのだろう。
地下室からエレベータの空間を通って地上へ。やや薄暗い廊下を進み、診察室の裏手にあたる扉を開く。
杜村さんは回診に必要な最低限の道具を準備しているところだった。
「……よし、それじゃ行こうか」
手を引かれ――満雀さんにとってその認識というわけだが――階段を上がっていく。三階の、三〇三号室。患者名のところは蟹田郁也と書かれている。
さっそく目的の人物に会えるようだ。
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