上 下
11 / 86
究明編

最後の二週間

しおりを挟む
「簡単に事情を説明した上で、電波塔や関連する設備をざっと見ていった日下さんは、一つの仮説を立てた。信号領域の主である満雀ちゃんを含めた構成員のほとんどが、変わらない日常を求めており、細かな要素の一つ一つは補えたとしても、人ひとりを創造して補うことまでは出来ないために、領域をスタートさせる条件が満たされないままでいるのではないか……と」
「換言すれば、一つの魂魄が領域に入ってしまえば、条件が整うため領域は始動する。その魂魄とはずばり、災害を生き残った杜村さん自身だった」
「そうだ。僕が信号領域に入れば世界は動き出す。後は彼女が目覚めるべく、中で発生している問題を洗い出して解決すればいい……はずだった。実際、日下さんもその筋立てには同意してくれて、魂魄分割で『半心』を送り込み、片割れが生命維持に努めながらもう片方が心を救うのがいい、と背中を押してくれたんだ」

 これでようやく、長い苦難の日々が終わる。杜村はそこで一先ず安堵したという。
 ……ところが、信号領域は予想外の事態に陥った。

「僕は魂魄分割の施術を受け、無事に分かたれた魂魄を領域内へ送り込むことに成功した。そして、領域に動きが発生するのも観測出来たんだ。後は頑張るんだよとエールをくれて、日下さんはまた旅立った。だけど……満雀ちゃんはずっと眠り続けたままだった」

 一体全体、問題はどこにあるのか。自分は何を見落としているのか。杜村は苦悩した。そこで、領域の状況を観測する装置を調べて、はたと気付いたのだ。
 領域が、一定の間隔で同じ動きを繰り返していることを。

「事ここに至って、僕は確信した。起動した領域が全く変わらない日々を繰り返している事実を。周期は二週間……そうさ、この小さな匣庭は、貴獅さんが装置を起動して、満雀ちゃんを主と定義した七月十九日から、信号領域を発生するスイッチが押された八月二日までの、記録された二週間を繰り返すようになってしまったんだ」

 通常、信号領域内の魂魄は、強度こそ主に劣るものの、思考を操作されることまではない。主が創り出した領域を、散歩するように動き回ることが可能であった。明乃自身、家族が記憶世界の中で各々の意思の下、行動していくのを見守っていたことがある。
 だが、満生台に形成された信号領域は訳が違った。WAWプログラムによって極限まで精度を高められた上、主従関係の魂魄ほぼ全てが、共通する思想を持っていた。
 それが『満ち足りた暮らし』。彼らはこの場所での変わらない日々を大なり小なり望んでおり、増幅された願いはルールとして領域を閉ざしたのだ。
 杜村の分かたれた魂は、分かたれていたからこそ主従に取り込まれ、世界のルールにもまた取り込まれてしまったようだった。

「恐らく、装置がもっと早くに起動していれば……もっとまともな、平穏そのものの日々が選定されて繰り返されていたのかもしれない。いや、完璧な成功だったなら、過去を繰り返すことすら無かったのかも。何にせよ、領域は装置起動後の二週間をループさせた。日常が非日常へ、平和が混沌へ転がり落ちていく、あの二週間をね」
「満生台最後の二週間、ですか。僕たちはまだ連続殺人があった、としか聞かされていませんが……とても一息には説明できないことでしょうね。自分たちの事件だってそうだ」

 杜村は頷く。あの二週間に起きた数々の事件は、それこそ伝えようとしても上手く伝えきれない、辛く苦しい、光無き道のりだった。
 そして匣庭は今も、その出口の見えない二週間を無限に続けている。

「でも……解法もそこにあると、僕は考えている。領域を構成する人々の望みによって、ループは引き起こされているわけだけど、満ち足りた暮らし、変わらない日常という望みの他に、事件の解決もまた定義されているのではないか。あの日何が起き、自分たちはどうなったのか。分からないものをハッキリとさせて、綺麗な形で二週間の先を迎えたい……少なくとも満雀ちゃんはループを抜け出すべく頑張っているだろうし、操り人形状態の人たちにだって、どこかで感じるものはあるはずなんだ」

 真実を知り、受け入れて、先へ進むこと。
 何事にも、その段階はきっと必要だ。
 多くの人に、その『先』が残されていないにせよ……このままで在ることの歪さを、おかしいと感じる瞬間もあるのではないか。
 世界がそれをすぐさま修正するとしても。

「私自身も過去の事件で、迷いの中領域が生み出されてしまって、わがままを押し通したせいで家族を傷つけてしまった。でも……その家族の優しさで、最後には自分なりの『答え』を見つけることができて、長い眠りから目覚められたんです。領域は、それがもう必要ないと認識された瞬間に、役目を終えて消えていくものでもあるんじゃないでしょうか」

 まるで、シミュレータを終わらせる終了ボタンのように。
 もうこれで大丈夫、と前に踏み出せたのなら……領域はシャットダウンする。
 その表現はなるほど言い得て妙かもしれない、と真澄は思った。

「六年前、満生台で起きた事件の真相は何なのか。……難題ですが、この三人で解決できることを、僕は信じています」
「……真澄くん」

 杜村は声を詰まらせ、それを隠すように小さく咳をした。そして照れ笑いを浮かべてから、

「僕も、君たちになら全幅の信頼を置ける。いや、もう君たちにしか頼れないんだ。どうか、匣庭の中に囚われ続けている彼女を……救い出してほしい」
「……はい、必ず」

 真澄と明乃は、杜村の目を真っ直ぐに見つめ、頷く。
 それは杜村が歩んできたこの六年間で、最も胸の熱くなる瞬間であった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

この満ち足りた匣庭の中で 二章―Moon of miniature garden―

至堂文斗
ミステリー
それこそが、赤い満月へと至るのだろうか―― 『満ち足りた暮らし』をコンセプトとして発展を遂げてきたニュータウン、満生台。 更なる発展を掲げ、電波塔計画が進められ……そして二〇一二年の八月、地図から消えた街。 鬼の伝承に浸食されていく混沌の街で、再び二週間の物語は幕を開ける。 古くより伝えられてきた、赤い満月が昇るその夜まで。 オートマティスム、鬼封じの池、『八〇二』の数字。 ムーンスパロー、周波数帯、デリンジャー現象。 ブラッドムーン、潮汐力、盈虧院……。 ほら、また頭の中に響いてくる鬼の声。 逃れられない惨劇へ向けて、私たちはただ日々を重ねていく――。 出題篇PV:https://www.youtube.com/watch?v=1mjjf9TY6Io

ARIA(アリア)

残念パパいのっち
ミステリー
山内亮(やまうちとおる)は内見に出かけたアパートでAR越しに不思議な少女、西園寺雫(さいおんじしずく)と出会う。彼女は自分がAIでこのアパートに閉じ込められていると言うが……

雨の向こう側

サツキユキオ
ミステリー
山奥の保養所で行われるヨガの断食教室に参加した亀山佑月(かめやまゆづき)。他の参加者6人と共に独自ルールに支配された中での共同生活が始まるが────。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

俺が咲良で咲良が俺で

廣瀬純一
ミステリー
高校生の田中健太と隣の席の山本咲良の体が入れ替わる話

隘路

重過失
ミステリー
貧困でも裕福でもない、普遍的な一家。 周りの人は皆、一家を幸せそうだと言った。 だけど、一家にはそれぞれの悩みが渦巻いていた。 無分別に振りかざされる、"多数派の正義"という名の差別を相容れない一家は、"少数派の悪者"となるのだろうか? ─── ミステリーというよりも、ヒューマンドラマに近いです。恐らく。 毎週の火曜・土曜日に更新。

この満ち足りた匣庭の中で 三章―Ghost of miniature garden―

至堂文斗
ミステリー
 幾度繰り返そうとも、匣庭は――。 『満ち足りた暮らし』をコンセプトとして発展を遂げてきたニュータウン、満生台。 その裏では、医療センターによる謎めいた計画『WAWプログラム』が粛々と進行し、そして避け得ぬ惨劇が街を襲った。 舞台は繰り返す。 三度、二週間の物語は幕を開け、定められた終焉へと砂時計の砂は落ちていく。 変わらない世界の中で、真実を知悉する者は誰か。この世界の意図とは何か。 科学研究所、GHOST、ゴーレム計画。 人工地震、マイクロチップ、レッドアウト。 信号領域、残留思念、ブレイン・マシン・インターフェース……。 鬼の祟りに隠れ、暗躍する機関の影。 手遅れの中にある私たちの日々がほら――また、始まった。 出題篇PV:https://www.youtube.com/watch?v=1mjjf9TY6Io

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

処理中です...