この欠け落ちた匣庭の中で 終章―Dream of miniature garden―

至堂文斗

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究明編

孤児として歩んだ道のり

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「ここで一度、話を盈虧院に移そう。一九九〇年に運営権を取得した盈虧院は徐々に規模を拡大し、地方ごとに一箇所以上を持つまでになった。身寄りを失った子どもというのは存外多いものでね、表社会においても難しい問題なわけだけど……GHOSTは体よく被験者を確保していけたわけだ。こうして多くの子どもたちを対象に、魂魄の構造等を研究していくうち、信号領域の部門として一つの仮説が証明されることになった。それは、肉体的にでも精神的にでもいい、何か大きな負担がかかった上でそれを受け入れ、或いは乗り越えてきた者は、少なからず魂魄の強度が高いというものだ」

 特に孤児だからこそ、被験者はそうした経験があることが多かったという。ゆえに組織が提唱していた仮説は容易に実証されることになったのだ。

「この説が確立されると、魂魄の強度をある程度数値化した上で、信号領域部門の研究対象として当該部門が優先的に被験者を獲得できるようになった。研究員たちは強度によって領域がどう変化するか、どの程度の差が出るか、そして優劣によって領域にどんな効力が発生するか等を調べ上げていったんだと」
「私は、まるで悪夢のような記憶世界を生み出してしまったことがあります。だから、被験者たちが同じような苦しみを味わったと思うと……辛い」
「……僕も心苦しく思う。最も、組織内部の人間が言っても信じられないかもしれないけどね」
「いえ、そんなことはないです。自らの行いを悔やむ元研究員の方を他に知っていますし……むしろ自身の手が汚れて見えるようになってしまったからこそ、その言葉は重いんだと感じられます」

 魂魄の分割と創造。恐ろしき二つの研究に携わっていた元研究員と、真澄は対話する機会があった。仲介人となった少年――名を桜井という――曰く、元々は死の運命を辿ることになっていたというその人物は、事件の解決によって何とか組織の呪縛から逃れられたようだが、自らの行いを深く懺悔し、今は水面下で組織の悪事を食い止めようと動いているらしい。家族がいるため、目立った行動は出来ないようだが、主に情報の面で桜井少年の役に立ってくれているとか。
 真澄の言葉に少し表情を緩ませた杜村は、話を再開する。

「君たちなら既に調査済みかもしれないけれど、僕も盈虧院で育った一人だ。早乙女優亜という女の子と一緒に、物心ついた頃から施設で暮らしていた。親の顔も名前も勿論知らないし、それはあの子も……当時は同じだったから、自然と家族のように仲良くなっていたんだ。ただ、どこの世界でも似たようなもので、施設で生活しているという事実は普通とは違って捉えられてしまう。僕らは……施設の子は皆、否応なしに冷たい視線を投げかけられていた」
「それは本当に、現代社会の問題ですね。望んでその境遇にいるわけでもない子どもに対して、どうしても差別的な扱いは消えない。然るべき補助は必要ですが、そこに軽蔑や憐憫が入る必要はないはずだ。ただ、他の皆と同じ場所に立つこと。違う立場だと認識しなくていいようにすることが、大事なんだと僕は思います」
「……ふふ、君は素敵な視点を持ってる。良き指導者になれるに違いないよ。まあ、だからこそ君の周りには沢山の仲間が集うんだろうけど」
「僕だけの力じゃないですよ。深央や美衣奈ちゃん、満也くんに春菜ちゃん……一人一人、確りとした意志を持ってる。僕はむしろ、その思いを分け与えてもらってる方だ」

 瞼の裏に仲間たちの顔を浮かばせているのだろう、真澄はゆっくりと目を閉じ、そう語る。
 杜村はそこでまた微笑み、やっぱり流石だ、と呟いた。

「まあ、社会は中々手強いものだ。少なくとも当時の僕らは差別的な扱いを受けて育った。精神的にも肉体的にも苦しむ中で、僕と優亜ちゃんが誓ったのが、必ず成功者になること、だった。逆境を跳ね除け、社会的にちゃんとした地位を確立する。そのために、中学校くらいになる頃には遊ぶ暇もなく勉学に励むようになっていたよ。政治家や公務員、一流企業への入社……考える道は幾つかあったものの、最終的に選んだのは医療だった。実は、高校は一度別々の学校になって、交流が途絶えてしまったんだけど、そこは思考が一致してね。多分、施設で病気になった子たちを診るお医者さんが、ヒーローのように映った経験があったからなんだろうな」
「それで二人とも、医学を志すようになったと」
「何とか志望大学にも合格できてね。……そこで教えを乞うことになったのが、久礼貴獅その人だったわけさ」

 彼の医療技術は、素人同然の二人からみても相当ハイレベルなものだったという。この人の下につけて良かったと鮮烈な印象を受け、二人の大学生活は始まったのだ。
 それはやがて、暗い傾斜を転がり落ちることになるのだが。

「医学生としての数年間も、それはそれは死に物狂いだったよ。ほとんど生活の全てが勉強だ。学内でも座学に実習、寮に戻れば予習復習……まあ、本当の医師と違って緊急の呼び出しがないのは救いだっただろうけど。呼び出されても手が出せないしね。とにかく毎日疲労困憊ながら、優亜ちゃんと二人でしぶとくしがみ付いて……なのにある日突然、恩師である貴獅さんが退職するという話を聞いたんだ」

 他の医学生もショックは大きかったようだが、久礼を希望の糸だと考えていた杜村と早乙女にとっては更に大きな衝撃だった。
 二人は直接久礼に詰め寄って、理由を尋ねたという。

「僕らはそのとき初めて、満雀ちゃんの病気について知った。プライベートなことはあまり話さなかった人だから、家庭の事情なんかほとんど口にしていなくてね。だから、とても驚いた」
「もしかしたら、自分はいずれ表社会から姿を消すのだと覚悟していたのかもしれませんね」
「うん、有り得るよ。医学生になりたての頃はもう少し気さくだったし、だけど一年もしない間に物静かになったから……これが素の貴獅さんなのか、と思うようにはなったけど」

 満雀が病に冒されたのを機に、彼は自分の全てを投げ打ってでも娘を助けると決意したのだろう。
 強い意思。GHOSTはそれすらも、組織の構成員としての適性に含めているのかもしれない……技術を生み出す原動力として。

「貴獅さんは、自分たちの問題だからと頑なでね。きっと、不愛想にすれば諦めるだろうという考えもあったんだろうけど……僕らはしつこく食い下がってしまったのさ。すると観念したあの人は、本当の事情を零してしまった。自分を必要とする組織に就き、ある街で医師として働きながら娘の治療にあたるのだとね」

 杜村と早乙女は、それから何度か貴獅に詳細を聞いた。当然ながら彼が打ち明けたのは表向きの計画、つまり満生台を医療特区としてニュータウン化するというものだ。最先端の技術を導入し、重病や大怪我による後遺症等で苦しむ人たちが心身とも穏やかに過ごせる素晴らしい街。その部分だけを聞いた二人が心躍らせるのも無理からぬことだった。

「なんていい話だ、と僕らは思ったよ。だけど当時人口がようやく二百人ほどになった街だ、計画が描いた通り軌道に乗るかは不明だった。貴獅さんの目的は満雀ちゃんの治療にあったけど、僕らは自分たちの将来を考えている。決して確実な道ではなかった」

 でもね、と彼は続ける。

「最後の一言で、僕らの心は固まった。それはまるで、運命みたいに聞こえてしまったんだよ。そう……満生台は盈虧院と提携し、ハンディキャップを持つ子どもたちも救っていくつもりだという言葉がね」
「ああ……」

 幸せな未来を思い描いていた二人。そこに映し出されたのは自分たちの過去だった。
 二人は至る。自分たちだけが成功するのではなく、もっと多くの人に幸せになってほしいと。
 それが過去、世話になった場所にいる子どもたちならば、自分たちにとってもまた幸せなことじゃないかと。

「僕らは、強く願い出た。満生台に連れて行ってほしいと」

 困惑し、初めのうちは拒絶していた久礼も、二人の熱量にやがては折れ、組織に掛け合ってみると約束した。
 そして二人の入組は認められ……久礼が満生台に移った少し後、彼らもまた満生台入りを果たしたのである。

「ここでは見様見真似で教師も兼任してたから、教え子たちに街へ来た経緯を聞かれることもあったんだけど、今言った通りの複雑な事情だ。だから人員不足を補うために久礼さんから呼ばれたんだよ、なんて尤もらしいことを言って躱していたな」
「普通、医大卒業後すぐにこんな場所へは来ないですもんね。久礼氏との関係は絡めつつ、ピントをずらして話すのが確かに無難だったでしょう」
「ただ、あの二週間で多くのことが暴かれてしまったけれど」

 本来なら良くはないことだったのだろうが、杜村はそれを懐かしむように口にする。
 その日々も、人々も、決して還らないものだと分かっているから。

「……ここまでで、僕の昔語りもようやく終わりだ。後はこの満生台を舞台に、大掛かりな実験は進められていく。組織が選別した人々がぽつりぽつりと移住してくる中、永射さんと貴獅さんの主導によってどんどん設備が建設されていった。そして……転換点となったのは、二〇一二年七月十九日のことだった。貴獅さんは自身が再構築したWAWプログラムの最終段階として、一つの装置を起動させるに至ったんだ――」

 長きに亘って練られた計画の果て。
 メビウスの輪の起点となる二〇一二年七月一九日、その夕刻に世界は模られた。
 欺瞞と謀略に満ちた匣庭は、産み落とされたのである――。
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