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究明編
記憶世界と信号領域
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「僕たちが巻き込まれた事件は二〇一四年に起きました。関係者を含めればもっと過去からでしたが。そこから皆で降霊術による悲劇を無くそうという決意を固め、日々調査を重ねてきて……本当に色々なことを知りましたよ。その多くはやはり耳を塞ぎたくなるような悲劇でしたが……明乃も言ったように、無かったことにしてはいけないものでしょう」
「二〇一三年に起きていた鴇島での事件についても、当事者であるコウさんの方から真澄さんに接触してきて、詳しく話してくれました。そもそも、あの人と出会っていなければ私たちはここに間に合っていなかった」
「コウ……というと」
「本名は別にあるんですが、その名前はもう引き継いでしまったというんで。相変わらず不便な生活をしてるみたいですが、まあ、今の繋がりを大事に過ごしているとのことです」
「……そうか、なるほど」
鴇島で展開されたエンケージ計画もまたGHOSTの息がかかったものだ。島全体を舞台装置とした巨大で歪な実験。それはコウを始め島に生きる子どもたちの活躍によって幕を閉じることとなったが、こちらも世間には知られていない物語である。
「僕自身はご存知の通りGHOSTの末端……貴獅さんの部下というだけの存在でね。あまり組織の内情まで知り得る立場ではなかったのだけど、それでも各地で行われている研究のことは断片的に入ってきていた。確か、あちらも島はもう人が住める状況ではなくなってしまったんだったか」
「ええ。それでも、人命は救われました」
「……この満生台も、そうであればどれほど良かっただろう」
その悲痛な吐露に、真澄は申し訳なさげに目を逸らした。
満生台の事件は、これまでとは違う。もう既に、ほぼ決着がついてしまった話なのだ。
せめて最後に出来ることがあるならば。真澄と明乃は、ただその一心でこの地を訪れたのである。
「久礼貴獅――彼の情報を持ち込んでくれたのがコウさんでした。私たちの仲間に、暗号解読なんかが得意な人がいるんですが、コウさんも負けず劣らずで……久礼さんが過去に怪しげな論文をしたためたという事実を掴んだんです」
「その論文の主題は『脳内電気信号の解離後伝達について』。杜村さんもその論文についてご存知なのでは?」
真澄の問いに、杜村はゆっくりと頷いた。
「勿論だ。そも、貴獅さんはその論文を以てGHOSTに認められることとなったんだからね。あの論文は、貴獅さんや久礼一家にとって重要な分岐点に違いなかった」
「GHOSTに至る入門試験……そんな感じですかね」
研究員がどのようにして集まっていくのかは真澄たちにとって曖昧な部分であったものの、内部の人間である杜村の話によってその実情を窺い知ることが出来た。ある程度、予想の付いていた道ではあったが。
「貴獅さんは元々腕の良い医者でね、某医科大学の教授という地位にまで上り詰めていた。特に不祥事もなく、それこそ満ち足りた暮らしを送っていたんじゃないかと思う。そんな生活が一変したのは、娘に――この子に、病が襲ったからだった」
杜村はそこで、ベッドに眠る少女へと視線を落とす。年齢的には既に成人しているはずなのだが、あまりにも体の線が細く、まだ十五、六歳程度にしか見えない。
ただ、彼女は生きているだけでも奇跡的なことだった。六年もの間目覚めることなく、生命維持のために取り付けられた装置で痛ましい姿になりながら、眠り続けているのだから。
仮にその目が開かれても、満足に生きていけるかどうか。望みは……限りなく薄い。
「ALS、という病気を知っているかい。全身の筋肉が萎縮していき、徐々に体を動かすことが困難になっていくという恐ろしい病……それが彼女を襲った。国の指定難病にもなっていて、あの頃から現在に至ってもまだ、治療法は見つかっていない。投薬治療によって進行をコントロールするというのがメジャーだ。筋肉が動かなくなるといっても、原因は脳神経にあって、筋肉に命令を出す運動ニューロンがダメージを受けたことで発症するから、分野としては脳科学に位置する。貴獅さんは、娘を蝕んだこの難病に何とか光明をと、脳についての研究に没頭していったわけだ」
「最初は、娘を想う愛ゆえだったんですね。……誰かに対する強い想いが、良くも悪くも何かを為す原動力になる」
過去に体験した、或いは見聞した事件を思い出しながら、明乃は溜息交じりに呟いた。
「脳というブラックボックスに挑んだ貴獅さんは、そのあまりの堅牢さに何度も挫けかけたそうだ。そして、あるとき自分の中で何かが崩れたんだと。それは恐らく常識だったのだとあの人は言ったが、本当は倫理の方だったのかもしれない。いずれにせよ貴獅さんは、通常の研究に行き詰ってからは科学の範疇を超えた先に光明を求め始めた」
「その答えが、魂魄だったと……」
そうだね、と杜村は返答する。
「俗に残留思念と呼ばれるオカルト現象を、脳内電気信号によるものだとする仮説。これを取っ掛かりとして貴獅さんは理論を組み立てた。流石に実名では肩書に傷がつくかもしれないと、偽名で著した論文がすぐGHOSTに認められ、そこからあの人はどっぷりと裏の世界へ浸かることになった」
「私も、あの論文を発見したときは驚きました。まさか十年以上も前に、私が記憶世界と名付けたあの現象を説明するものがあったなんて」
「それも、貴獅さん自身は研究だけでそこまで辿り着いている。GHOSTが迎え入れたのも頷けるというものだね」
元々名の知れた医者だったというのだから、そこから超常現象に鋭いメスを入れる転身ぶりに、組織も素質を感じたのだろう。
「記憶世界――現在GHOSTでは信号領域と呼んでいるんでしたか。久礼氏が論文を出す以前から、組織もある程度研究はされてたんですよね」
「ああ。だからこそ記憶世界という言葉が存在していた。明乃さんが同じ名前を付けたのは、本当に偶然のことだ」
「嫌な偶然ですけどね」
ただ、脳というある種メモリのような機能を備えている器官が創り出す世界ならば、そのような呼称となるのも自然な話ではある。
信号領域とは、それをいかにも専門的に言い換えた言葉だ。
「僕は、久礼氏の研究は結果的に、GHOSTによって捻じ曲げられてしまったのではと考えています。正直言って、脳の病の治療から記憶世界の解明へ研究の主軸がシフトしているように思えますし、それが最良の道だったとは……とても」
「そこについて、僕からは何とも言えないよ。現代医療ではとても太刀打ちできない病に対して、治療という解法そのものを諦めるしかないと、少なくとも貴獅さんはそう結論づけたんだろう。GHOSTの意思が働いたにせよ、あの人は……この実験に全てを掛けることに、決めてしまったんだ」
「WAWプログラム……科学と非科学を撚り合わせたような、途方もない実験」
事実、それは真澄の評するように馬鹿げた規模の構想だった。
だが、GHOSTは相応の見返りがあると確信して計画を実行したのだし、最終的に半ば以上の成果は得られたのだろう。
長い年月、膨大な資金を投じて行われたプログラム。
現実世界に重ね合わせるようにして霊の世界を構築するという、恐るべき構想……。
「二〇一三年に起きていた鴇島での事件についても、当事者であるコウさんの方から真澄さんに接触してきて、詳しく話してくれました。そもそも、あの人と出会っていなければ私たちはここに間に合っていなかった」
「コウ……というと」
「本名は別にあるんですが、その名前はもう引き継いでしまったというんで。相変わらず不便な生活をしてるみたいですが、まあ、今の繋がりを大事に過ごしているとのことです」
「……そうか、なるほど」
鴇島で展開されたエンケージ計画もまたGHOSTの息がかかったものだ。島全体を舞台装置とした巨大で歪な実験。それはコウを始め島に生きる子どもたちの活躍によって幕を閉じることとなったが、こちらも世間には知られていない物語である。
「僕自身はご存知の通りGHOSTの末端……貴獅さんの部下というだけの存在でね。あまり組織の内情まで知り得る立場ではなかったのだけど、それでも各地で行われている研究のことは断片的に入ってきていた。確か、あちらも島はもう人が住める状況ではなくなってしまったんだったか」
「ええ。それでも、人命は救われました」
「……この満生台も、そうであればどれほど良かっただろう」
その悲痛な吐露に、真澄は申し訳なさげに目を逸らした。
満生台の事件は、これまでとは違う。もう既に、ほぼ決着がついてしまった話なのだ。
せめて最後に出来ることがあるならば。真澄と明乃は、ただその一心でこの地を訪れたのである。
「久礼貴獅――彼の情報を持ち込んでくれたのがコウさんでした。私たちの仲間に、暗号解読なんかが得意な人がいるんですが、コウさんも負けず劣らずで……久礼さんが過去に怪しげな論文をしたためたという事実を掴んだんです」
「その論文の主題は『脳内電気信号の解離後伝達について』。杜村さんもその論文についてご存知なのでは?」
真澄の問いに、杜村はゆっくりと頷いた。
「勿論だ。そも、貴獅さんはその論文を以てGHOSTに認められることとなったんだからね。あの論文は、貴獅さんや久礼一家にとって重要な分岐点に違いなかった」
「GHOSTに至る入門試験……そんな感じですかね」
研究員がどのようにして集まっていくのかは真澄たちにとって曖昧な部分であったものの、内部の人間である杜村の話によってその実情を窺い知ることが出来た。ある程度、予想の付いていた道ではあったが。
「貴獅さんは元々腕の良い医者でね、某医科大学の教授という地位にまで上り詰めていた。特に不祥事もなく、それこそ満ち足りた暮らしを送っていたんじゃないかと思う。そんな生活が一変したのは、娘に――この子に、病が襲ったからだった」
杜村はそこで、ベッドに眠る少女へと視線を落とす。年齢的には既に成人しているはずなのだが、あまりにも体の線が細く、まだ十五、六歳程度にしか見えない。
ただ、彼女は生きているだけでも奇跡的なことだった。六年もの間目覚めることなく、生命維持のために取り付けられた装置で痛ましい姿になりながら、眠り続けているのだから。
仮にその目が開かれても、満足に生きていけるかどうか。望みは……限りなく薄い。
「ALS、という病気を知っているかい。全身の筋肉が萎縮していき、徐々に体を動かすことが困難になっていくという恐ろしい病……それが彼女を襲った。国の指定難病にもなっていて、あの頃から現在に至ってもまだ、治療法は見つかっていない。投薬治療によって進行をコントロールするというのがメジャーだ。筋肉が動かなくなるといっても、原因は脳神経にあって、筋肉に命令を出す運動ニューロンがダメージを受けたことで発症するから、分野としては脳科学に位置する。貴獅さんは、娘を蝕んだこの難病に何とか光明をと、脳についての研究に没頭していったわけだ」
「最初は、娘を想う愛ゆえだったんですね。……誰かに対する強い想いが、良くも悪くも何かを為す原動力になる」
過去に体験した、或いは見聞した事件を思い出しながら、明乃は溜息交じりに呟いた。
「脳というブラックボックスに挑んだ貴獅さんは、そのあまりの堅牢さに何度も挫けかけたそうだ。そして、あるとき自分の中で何かが崩れたんだと。それは恐らく常識だったのだとあの人は言ったが、本当は倫理の方だったのかもしれない。いずれにせよ貴獅さんは、通常の研究に行き詰ってからは科学の範疇を超えた先に光明を求め始めた」
「その答えが、魂魄だったと……」
そうだね、と杜村は返答する。
「俗に残留思念と呼ばれるオカルト現象を、脳内電気信号によるものだとする仮説。これを取っ掛かりとして貴獅さんは理論を組み立てた。流石に実名では肩書に傷がつくかもしれないと、偽名で著した論文がすぐGHOSTに認められ、そこからあの人はどっぷりと裏の世界へ浸かることになった」
「私も、あの論文を発見したときは驚きました。まさか十年以上も前に、私が記憶世界と名付けたあの現象を説明するものがあったなんて」
「それも、貴獅さん自身は研究だけでそこまで辿り着いている。GHOSTが迎え入れたのも頷けるというものだね」
元々名の知れた医者だったというのだから、そこから超常現象に鋭いメスを入れる転身ぶりに、組織も素質を感じたのだろう。
「記憶世界――現在GHOSTでは信号領域と呼んでいるんでしたか。久礼氏が論文を出す以前から、組織もある程度研究はされてたんですよね」
「ああ。だからこそ記憶世界という言葉が存在していた。明乃さんが同じ名前を付けたのは、本当に偶然のことだ」
「嫌な偶然ですけどね」
ただ、脳というある種メモリのような機能を備えている器官が創り出す世界ならば、そのような呼称となるのも自然な話ではある。
信号領域とは、それをいかにも専門的に言い換えた言葉だ。
「僕は、久礼氏の研究は結果的に、GHOSTによって捻じ曲げられてしまったのではと考えています。正直言って、脳の病の治療から記憶世界の解明へ研究の主軸がシフトしているように思えますし、それが最良の道だったとは……とても」
「そこについて、僕からは何とも言えないよ。現代医療ではとても太刀打ちできない病に対して、治療という解法そのものを諦めるしかないと、少なくとも貴獅さんはそう結論づけたんだろう。GHOSTの意思が働いたにせよ、あの人は……この実験に全てを掛けることに、決めてしまったんだ」
「WAWプログラム……科学と非科学を撚り合わせたような、途方もない実験」
事実、それは真澄の評するように馬鹿げた規模の構想だった。
だが、GHOSTは相応の見返りがあると確信して計画を実行したのだし、最終的に半ば以上の成果は得られたのだろう。
長い年月、膨大な資金を投じて行われたプログラム。
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