この満ち足りた匣庭の中で 一章―Demon of miniature garden―

至堂文斗

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Fourteenth Chapter...8/1

崩れゆく箱庭、切なる願い

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 帰りの道も、いつもよりやや時間をかけて下っていった。陽はまだかなり高いところにある。
 汗を拭う。いつの間にか、白かった腕もほんのり焼けているように見えた。今年はどれくらいまで、気温が上がるのだろうか。残暑も厳しそうだ。
 佐曽利さんの家を通り過ぎる。……虎牙は体調を崩して休んでいるのだと話していた彼も、虎牙が消えた本当の理由を、ある程度は把握しているのだろう。もう聞く必要はないけれど、佐曽利さんも口の堅い人だな、と思った。
 それとは対照的に、龍美の両親は何も知らされていなさそうだ。だからこそ、娘を必死に探し回っているのだろう。何と言うか、彼女の性格的に、きちんと納得のいく説明はしていきそうなものなので、それは意外だった。
 龍美の両親に、彼女は無事なはずだと伝えるべきかとも考えたが、僕が会ったのは虎牙だけだし、ここで下手に伝えても、かえって混乱を招くだけになりそうだ。きっと言わなかったことには理由があるだろうから、彼女が帰ってきて、自分の口で話すまでは、余計な口出しはしない方がいいか。
 だらだらと歩き続けて、中央広場付近まで戻ってくる。双太さんはまだ、明日の準備を続けていた。仮設の式場はもうほとんど完成したようで、パイプ椅子の一つに腰かけて、スポーツドリンクをごくごく飲んでいる。

「おつかれさまです、双太さん」
「ん……ああ、おかえり玄人くん。随分長い寄り道だったね」
「ええ、まあ。でも、して良かったです」
「……そっか」

 タオルで流れる汗を拭きながら、双太さんは微笑んだ。

「僕もようやく、準備が終わったよ。これで明日、式典が行える。人は集まらなさそうだけど、こういうのは形が大事だからね。意味はあると、思うことにする」
「苦労してますね……本当に」
「そういう人間なのさ、仕方ない」

 ……損な性分だな、この人は。

「玄人くんのところは、式典には?」
「まあ、残念ながら来ないとは思います。騒ぎが起きるかもしれないから、危ないって」
「はは……それが良さそうだね。僕も、病院でじっとしてたいくらいだ」
「ですよね……」

 明日も双太さんは、大変なんだろうな。頑張れ、双太さんと、心の中で応援する。

「用も全部済んだので、僕はもう家に帰りますね。双太さんも、今日はさっさと帰って、英気を養ってください」
「了解。素直に従うよ。それじゃ――」

 双太さんが、言いかけたときだった。
 まるで、世界が壊れてしまったのかと錯覚してしまいそうな、轟音。
 耳を劈くような爆音が、響き渡った。
 そして、その音とほぼ同時に、大地が揺れる。
 ビリビリと、強い縦揺れが襲う。

「な……!?」
「地震……!?」

 音は、山の方からした。揺れに耐え切れずしゃがみ込みながらも、僕は山に目を向ける。すると、山頂のあたりから、砂埃のようなものが立ち込めているのが分かった。

「まさか――」

 僕のすぐ隣で、双太さんが息を呑むのが分かった。彼も僕と同じ方向を見つめ、口をあんぐりと開けている。

「……崩れたのか……!?」

 双太さんの言う通り、砂埃の上がる辺りの木々が、まるでスローモーションのように倒れていくのが見えた。轟音は止まず、地響きも、弱くはなりつつあるものの続いている。
 露わになった山肌。そこから、大量の土砂が滑り落ちていく。ここは山からかなり離れているはずなのに、その光景はとても鮮明に映った。

「満生塔が……!」

 その言葉にハッと気付かされる。そうだ、土砂が崩れていく山の中腹あたりには、電波塔がある。そこに土砂が流れ落ちたら、塔が破壊されてしまうかもしれない。
 それだけではない。電波塔の少し東側、その辺りには八木さんの観測所も建っているのだ。あの規模の土砂崩れだと、観測所も危険だ。

「あっ……」

 土砂は、電波塔をほんの僅かに東へ逸れて、下の方まで崩れ落ちていった。ゴロゴロという低音は崩落が終わったあとも、しばらくは耳に残って離れなかった。
 時間にすれば、一瞬のことだった。けれども、気の遠くなるような、長い時間に感じられた。全てが終わるまで、僕と双太さんは、呆然とその現象に、目を奪われているしかなかった。

「……止まった……」
「今のは……地震……?」
「分からないよ。音がして、揺れて……それであの、土砂崩れが」
「ええ……」

 電波塔に、被害はなさそうだった。だが、すぐ隣は抉れ落ちた土砂で酷い状態になっている。あれが直撃していたら……間違いなく、電波塔はポッキリと折れて、山の下まで落ちてきただろう。

「数日前の土砂崩れみたいに、雨で緩んでいた地盤が、耐えられなくなって崩れたのかもしれない。……あれが地震だったなら、引き金になったんだろうね」

 とてつもない音がしたし、抉れた箇所は数十平米規模だろうけれど、山の大きさと比べると、あれで小規模なのだろうか。……もっと大きな土砂崩れが起きたら。考えるだけで、恐ろしくなった。

「観測所が心配だ……」
「ここからじゃ、どうなったのか分かりませんよね……」

 大体の位置は知っているけれど、今崩れたエリアの中に、観測所が建っていたのかどうかまではハッキリしない。

「無事なら、誰かに連絡が入ると思う。八木さんはしっかり者だろうし、大丈夫だよ」
「……ですよね。絶対に、大丈夫……」

 自分に言い聞かせるように、僕は繰り返した。双太さんは、じっと僕を見つめて、頷いてくれた。
 ……これも、一つの災厄なのか。鬼が引き起こした災害なのか。
 土砂崩れが電波塔近くで起きたこともあり、僕ですらそんな風に考えてしまったし、抗議活動を行っている住民たちは、殆ど確信に近いものを感じていそうだ。

「……双太さん」
「何だい」

 僕の目は、ひょっとしたら潤んでいただろうか。

「明日が……何事もなく終わると、いいですね」

 不安に胸を押しつぶされそうになりながらも、僕は静かに、そう投げ掛けた。
 双太さんは無言のまま、山に目を向けていた。





 その日の夜、八木さんから牛牧さんへ連絡があり、観測所は土砂に埋まってしまったものの、何とか逃げ出せたとのことだった。牛牧さんから家に電話が掛かってきてそのことを聞き、僕は胸を撫で下ろした。
 土砂崩れの一件については、原因がはっきりしていない。音の方が、揺れよりも早かったという人もいるし、思い返せば僕もそうだったような気がした。だとしたらどういうことになるのか。それは、流石に分からないけれど。
 僕が危惧した通り、住民の大半は、土砂崩れを鬼の祟りだと決めつけていた。稼働の日が迫っていることに、鬼がとうとう怒り出し、電波塔を壊そうとしたのだと、お年寄りたちは実しやかに囁き合っていた。それを近くで聞いていた母さん曰く、まるで悪いものに取り憑かれているようだったという。言い得て妙だ。
 ……明日。電波塔は稼働を開始する。様々な思いが交錯する中、満生台の発展を掲げ、始動される。
 色々な凶事が、立て続けに起きてきたけれど、どうか。
 明日が無事に終わって、また平穏な日々が戻ってきますようにと。
 僕は願うしかなかった。

 その願いが、たとえどれほど儚いものだとしても。
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