この満ち足りた匣庭の中で 一章―Demon of miniature garden―

至堂文斗

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Twelfth Chapter...7/30

捜査状況

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 病院へ着いたとき、僕は家族に付き添われ、足を引き摺りながら立ち去っていくお爺さんとすれ違った。……多分、双太さんが話していたように、入院していた患者さんが、自宅療養にしたいと家族から訴えられて、引き取られたところなのだろう。体調は優れなさそうだが、それよりも鬼の祟りに怯える気持ちの方が強いのか。或いは、病院への不信感が強いのか。
 自動ドアを抜けた先の受付では、ナース服の女性が物思いに耽るように、ぼんやりと遠くを眺めていた。ソファに座っている人はおらず、待合室はがらんとしている。どうやら、診察を受けに来る人も、今日は殆どいないらしい。双太さんと話す時間は十分にありそうだ。

「こんにちは。すいません、双太さんと会う予定になってて」
「あ……こんにちは。真智田くんね。このまま診察室に入るよう、言われてるから」
「分かりました。ありがとうございます」

 僕はお礼を言って、そのまま横にある診察室の扉を開いて中に入った。

「やあ、待ってたよ。はは、想像していたよりも患者さんが来なくてね」
「それは、お待たせしました」
「『満ち足りた暮らし』としては一応、患者さんはいなくなった方が良いことなんだけど、今回の場合はただ来ないだけだからね。色々と、心配になってしまう」
「騒動が収まるまで、待つしかないんですかね……」

 双太さんは、曖昧に頷く。何とかしたいけれど、具体的な方法は思いつかないのだろう。どうすれば良い方向に進むのかなんて、きっと誰にも分からないことだ。

「……さてと。それじゃあ、昨日のことを話そうか」
「良ければ……お願いします」
「うん」

 頷くと、双太さんはカルテのようなファイルを取り出し、眼鏡を一度押し上げてから、そこに書かれた内容を説明し始めた。

「まず、優亜ちゃんの死因なんだけど、頭部に打撲痕があってね。それによる外傷性ショック死だったんだ。腹部を切開されて、あんな酷いことをされたのは、死後ということになる。……それを聞くと、苦しい思いはせずに済んだのかな、なんて思ったりするんだ。ただ、そう思った方が、僕の心が幾分楽だという、ただそれだけのことだけれど。残酷な仕打ちを受けたという事実に、変わりはないのだけれど」
「……双太さん」
「ん……ごめんごめん。えっと、発見現場から凶器らしきものは見つからなかった。死因となった頭部への外傷を与えた物も、腹部を切り開いた物もね。それから、打撲痕は頭部にしかなかったんだけど、切創の方は両腕にも見られた。優亜ちゃんは気絶していただろうから、防御創というわけではなさそうだし、犯人が誤って切ってしまったのか、何らかの意図があったのかはなんとも」
「傷は深かったんですか?」
「それほど深くないし、広くないね。だから、腹部を切ろうとしたときに誤って、という可能性はある」
「鋭利な刃物だったら、有り得るかもですね」

 実際、人の身体を切る、というのがどれほど力の必要な作業なのかは分からないが。切れ味鋭い凶器なら、すんなり切れるものなのだろうか。

「優亜ちゃんの死亡推定時刻は、七月二十八から二十九日、つまりの一昨日から昨日にかけての夜十一時から一時までの間。現場はあの部屋で間違いない。そして、この事件で一番特異なところは、現場の壁一面に、血の手形がべったりと付けられていた点だ。犯人は、優亜ちゃんの腹部を切り裂いて流した血で、手形を幾つも残していったんだよ」

 それは、ついさっき現場の調査をしたから、しっかりとこの目で確認している。双太さんも、あのときは泣き崩れていたけれど、それでも現場の光景は覚えているようだ。

「その手形は、誰の物だったんですか?」
「残念ながら、それは判明してないんだ。ただ、手形は優亜ちゃんのものではなさそうだった。彼女の手には、跡を残したような汚れがなかったし、指紋も彼女のものではなかったんだよ。村人全員の指紋を調べるという手段も無理とは言わないけど、警察が来てない今だと、現実的じゃあないだろうね」
「早乙女さんのものじゃなかった……」

 とすればやはり、犯人はリスクを冒してまで、あんな手形を付けたことになりそうだ。
 余程の自信があったか、或いは……余程恐怖を与えたかったか。

「……解剖をして、判明したことは以上だ。結局、簡単なことしか分かってない。僕らは……生きている人を治す仕事をしているから。こんな風に、解剖をすることになるなんて、それも、一緒に過ごしてきた人をだなんて、想像もしてなかった」
「……当たり前ですよ。そんなの」
「……だよね。はは……」
「警察が来たら、犯人はすぐに分かるんでしょうけど。……早く、分かってほしいですね。それで罪を、償ってほしい」
「…………うん」

 双太さんの悲痛な顔を見るだけで、僕は心からそう願わずにはいられなくなる。
 早く、外へ連絡が取れるようになって。警察を呼んで、犯人を捕まえてほしい。……もし出来るならば、その前に誰かが、……僕が。
 そこまでは、流石に無謀だろうけど。

「あの、双太さん。貴獅さんって、どうして警察を呼ばなかったんでしょう」
「ああ……まだあそこにいたんだもんね、聞いてたか。貴獅さんは、事故死でまず間違いないと判断したから呼ばなかったと口にしていたな」
「でも、常識的な人間なら、たとえ事故死に見えても呼ぶだけは呼ぶと思います」
「うん。……本当の理由は、警察が来ることで、八月二日のイベントを潰したくなかったんだと思う」
「電波塔の、稼働式典……?」
「あれは、一大イベントなんだ。永射さんが先導してやっていたことではあるけれど、真にあの満生塔の稼働を望んでいるのは、貴獅さんに他ならないから」
「……どういう?」
「満雀ちゃんだよ。……この街の発展が、医療の発展が。満雀ちゃんの病気を治す……とまでは行かなくても、その進行を止められるようにと、貴獅さんは願ってきたし、頑張ってきたんだ。貴獅さんは自分の手で満雀ちゃんを救おうとしているのさ」
「……ううん、何だか釈然としませんが、医療のレベルを向上させて、満雀ちゃんの治療にあたりたいというのは、共感できます。……僕も、満雀ちゃんのことは、治してあげてほしい」
「僕もだ。満雀ちゃんを、必ず治したい」

 双太さんは、力強く頷く。

「でも、式典なんて潰れてしまっても、いいような気はしますけどね」
「はは……そこは、メンツとやらもあるのかもしれない。少数ながら反対も根強かったし、今は大変なことになっているし……大きな計画を成し遂げたんだと示すことと、これからも前に進んでいくぞという鼓舞、その両方の意味が式典にはあるんだろう。区切りとして、どうしてもやっておきたいんだよ、きっと」
「……事故や事件が起きても、ですか」
「ひょっとしたら、だからこそかもね。仲間の遺志を継いでいるつもりなのかも」
「……なるほど」

 確かに、亡くなったのは貴獅さんの仲間だ。本当の思いはどうあれ、貴獅さんは死んでしまった彼らのためにも、式典をきっちりとやり遂げようとしているのかもしれない。

「何にせよ、早乙女さんの事件が起きたことで、考えを改めたみたいですし……本当に、早く警察が来てくれればいいんですけど」
「そうだね。電波障害はタイミングが悪いよなあ」
「どうして満生台全体でこんなことになってるのか、それも良く分かりませんけどね」
「僕も専門外だから……貴獅さん、今日も塔の点検に向かったし、何とかするとは思う」
「大丈夫なら、いいんですが」

 その辺りはもう、僕らにはどうしようもないことだろう。

「……それから、今の話に関連して、貴獅さんに聞いてほしいことがあるんですが」
「何だい?」
「警察に連絡してないことは、貴獅さんの口から聞いたんですけど……土木業者への連絡は、ちゃんとしているのか気になって」
「……土砂崩れの件か」
「ええ。ここへ来るまでに時間があったんで、現場を見に行ってたんです。でも、雨も止んでいるのに業者の姿がなくて」
「作業開始の連絡は伝え聞いてないし、貴獅さんがスマホで話しているところも最近見ていないな。……どうだろう、確かに聞いたほうが良さそうだね。連絡してないとは思えないけど、不安にはなっちゃうな、警察の一件があると」
「お願いできますか?」
「うん、貴獅さんが戻ってきたら、確認しておくよ」
「ありがとうございます」

 深々と頭を下げると、双太さんは慌てて手を振り、

「いやいや、玄人くんに色々助けられてばっかりだし、お礼にこれくらいはしなくちゃ。……難しいことを沢山考える羽目になってるよね。申し訳ないよ」
「双太さんが謝ることじゃ。犯人が捕まればきっと、次第に落ち着いていきます。……そう、思いましょう」
「……だね。きっとそうなる」

 双太さんは、僕の言葉に笑顔で賛同した。心から、そう思っていることが分かる仕草だった。

「……今日は、ありがとうございました。そろそろ帰ります」
「分かった。夏休みだし、ゆっくり羽を伸ばしてほしいよ」
「そう出来ればいいんですけどね」

 僕は苦笑する。……心配事が綺麗になくなったら、羽も伸ばせるかな。

「えと、帰る前に、満雀ちゃんのお見舞いだけしていってもいいですか?」
「ん……それが、面会は駄目って言われてるんだ。貴獅さんにね。申し訳ないけど、元気になったら連絡を入れるようにするよ。そうしたらまた遊んであげてほしいな」
「そう、ですか。じゃあ仕方ないですね、良くなったらすぐに教えてくださいね」
「約束するよ」

 約束の証にか、双太さんは僕に拳を作らせて、それに自分の拳をこつんとぶつけた。

「じゃあ、気をつけて――」

 双太さんが言いかけた、そのとき。
 突如不穏なブザー音が、院内に鳴り響いた。
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