この満ち足りた匣庭の中で 一章―Demon of miniature garden―

至堂文斗

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Eighth Chapter...7/26

雨中の出会い

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 雨は強く、傘を差していても膝から下はどんどん濡れていく。気持ちの悪い感触。急いで帰りたいと、足は自然と早歩きになる。

「うわっと」

 焦りのせいか、転びそうになって、僕は思わず道路脇に立つ道標の碑に手をついた。……これが無ければ、派手にこけていただろうな。この年で、雨の日に転んで泥だらけ、なんてのはみっともない。雨は嫌いだが、龍美にも言われた通り、気をつけて帰らなくては。
 道標の碑から手を離す。触れていた部分の近くにヒビが入っていた。この碑は相当古くから立てられているから、ヒビが入ったり苔が生えたり、年月を感じさせる佇まいになっている。病院や電波塔の建設で、鬼の祟りが起きてしまうなら、もしもこの碑が壊されたり、撤去されたりするようなことがあったら、一体どんな恐ろしいことが起きてしまうのだろうな、などと考えて、ちょっと怖くなった。

「……?」

 街の中央広場が見えてきたとき、そこに立つ記念碑の前に、赤い唐傘を差した誰かがいるのを目にした。傘に隠れてはいるものの、あんな特徴的なものを差すのは、瓶井さん以外にいないだろう。
 ――何をしているのだろう。
 普段なら、興味こそ持っても、話しかけようとまでは思わないのだが、連日の異常事態と、瓶井さんが何度も口にした祟りのことがあって、僕は彼女に声を掛けてみたくなり、広場の方へ足を向けた。
 中央広場。街が再興に踏み出した記念にと、数年前に記念碑が立てられたという、円形の広場だ。実際のところ、直径二十メートルほどのこの広場が利用されることはあまりないのだが、それでも冬場になると、お年寄りが朝早くに集まってラジオ体操をしているのは何度か見かけたことがある。
 だが、こんな雨の日に、こんなところに用があるわけでもないだろうに。

「こんにちは、瓶井さん」

 僕が声を掛けると、瓶井さんはゆっくりと振り返り、

「……こんにちは。あんたは、確か……真智田さんのところの」
「玄人です。こんな雨なのに、どうかしたんですか?」
「ああ、心配させてしまったかい。それはすまないね。別段、用と言うほどのことでもないんだが、来ておきたくなってしまってねえ」

 そう言いながら、瓶井さんは記念碑を見上げる。小さな傘は雨を防ぎきれずに、彼女の顔にポツリポツリと雨がかかるけれど、気にする様子はない。

「最近は移住者もいないから、あんたのところが一番の新参者だったか。知ってるかい、この碑が何を記念して作られたか」
「人口が減少していた満生台を再興していこう、という思いで立てられた碑、ですよね。永射さんや医療センターの人たちが主導したんでしょうか」
「永射さんがやって来たのは、五年前のことさ。この碑は病院が出来た、平成十年……今から十四年前に作られたものなんだよ。そのとき主導していたのは、牛牧さんだ」
「牛牧さんが」

 考えてみれば、永射さんはまだ三十歳過ぎだったはずだ。病院が出来たころだと、成人すらしていない。ずっと昔から、永射さんが行政に携わって来たイメージがあるけれど、彼はまだ五年しか、この街を治めてはいなかったのか。

「道標の碑は、流石に知っているね? 牛牧さんは、それに倣ってこの記念碑を立てたんだよ。災いを鎮め、人々を繁栄に導く。そんな願いが、この記念碑には込められているのさ」
「災いを鎮め、繁栄に導く……ですか」
「ああ。わざわざ私にお伺いを立てに来てね。道標の碑をモチーフにしてみたのだがどうだろう、と困ったように聞いてきた。あの人は、私に気を遣いすぎだったよ。あの人らしいがね」
「とても長い付き合いなんですね」
「知っている人はもう少ないかもしれないがね……牛牧さんは、もう二十年以上前から、ここに住んでいるんだよ。だからそう、長い付き合いになる」
「二十年、ですか……?」

 それは初耳だった。てっきり、病院が出来てから移り住んだものとばかり思っていたが。

「お子さんの療養のために、移住してきたのが始まりさ。それがきっかけで、この長閑な場所に病院を建てる計画が進んでいったんだ。……牛牧さんにもね、色々とあったんだよ」
「……そうなんですね」
「知りたければ、牛牧さんに聞いてみれば、教えてくれるかもしれないね。尤も、老いぼれの長話としか思えないかもしれないが」

 瓶井さんはそう言ってくすくすと笑う。彼女が、牛牧さんに対しては一定の信頼を置いている理由。それは、その昔話にあるのだろう。彼女は下らない話のように言うが、あの病院のお世話になっている身として、いやそうでなくとも、一度聞いてみたいな、と思った。

「……何か他に、聞きたそうな顔をしているね」
「え……っと」

 最初から、目的があって話しかけたことは分かっていたらしい。それが見透かされていたことに、僕は少しだけ慌てたけれど、

「実は、瓶井さんに教えてほしいことがあったんです。もう殆ど忘れられてしまった、三鬼村の言い伝えのことを」
「……なるほど」

 瓶井さんは、僅かに頷くと、僕の方をじっと見つめる。

「永射さんを見つけたのは、君だったね。あの場にもいて……私の言葉が、気になったのかい」
「……ええ、まあ」

 それ以外にも、気になる要因は数多くあったのだが、言わないことにした。言い出せないような内容なのだし。

「……この雨の中長話をしちゃ、君は平気かもしれないが、私が風邪をひいてしまう。一度家に帰って、お昼ご飯でも食べてから、私の家に来るといい。どうせ年寄りだ、何も用事はないからね」
「いいんですか?」
「暇よりはましさ。私の家は分かるかい?」
「はい、大丈夫です。……じゃあ、お言葉に甘えて」
「待っているよ。寒くなってきた。また後で」
「ええ、また」

 瓶井さんは、手で二の腕の辺りを擦りながら、寒い寒いと呟きつつ、去っていった。

「……」

 存外簡単に、話を聞かせてもらえることになり、驚いたと言うか、拍子抜けではあったけれど、これで鬼の伝承について詳しく知ることが出来る。知って何になるかと言われれば、それはまだ分からないけれど、少なくとも知っているのと知らないのとでは、向き合い方も大きく変わるというものだ。
 僕らはもう、何か良からぬことに巻き込まれてしまっているのだろうから。

「……ふう」

 僕は、緊張を解くために一つ、小さな溜息を吐いて、中央広場を後にした。
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