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最終部【伍横町幻想 ―Until the day we meet again―】

十一話 「ごめんね」

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 風の音で、意識が覚醒した。
 まるで自分の記憶がぐちゃぐちゃにかき混ぜられた後のように、思考が判然としなかったが……それでも、私は再び目を覚ました。
 自分は誰で、ここはどこなのか。
 どうして世界は暗く、そして冷たいのか――。

「……ん……」

 冷え切った世界で。
 ただ一点温かかったのが、私の左手だった。
 それがどうしてなのかを確かめようとするのだが、上手く手が動かない。
 それが自分の手だという感覚が、まるでなかった。
 固い。
 石化してしまったかのように、体が固かった。
 もしかすると、地中にでも埋もれてしまったのか。
 いや、それにしては冷たく、ちゃんと空気も感じられている。
 私は一体どうしてしまったのかと、混乱が絶えなかった。

「……ね」

 そこに、声が聞こえた。
 優しく……けれど、悲しげな声。
 ああ、私はこの声を知っている。
 私の大切な人の声だ。

「……マミ?」

 名前を思い出し、私は呼び掛ける。
 世界は相変わらず暗く、視線の先に何があるのかはまだ判然としない。
 けれども、ようやく分かったことがあった。
 私の手は、温かな彼女の手に包まれていた。

「……ごめんね……」
「……マミ……?」

 聞き取れたのは、謝罪の言葉。
 彼女はただ、それを繰り返していた。
 どうして彼女が謝るのかと、首を傾げたい気持ちになったが。
 その首すらもやはり、動こうとはしなかった。
 やがて、私の眼が暗闇に慣れてくる。
 そして、周囲の様子が明らかになってくる。
 目の前にいるのは、私の左手を掴むマミ。
 不自然に倒れ掛かっている彼女の体は……体は。

「え……」

 私は、磔にされていた。
 ボロボロになった暗幕……部屋の奥には、磔台が隠されていたのだ。
 そこに私は、縛り付けられていて。
 マミはそんな私の左手を、力なく掴んでいたのだ。
 けれど、マミは立ったままだった。
 立って、その手を伸ばしてもなお、ようやく私の手を掴めるほどの高さまでしか届かなかったのだ。
 何故なら、彼女の両足は。
 まるで引き千切られたかのように、無くなっていたから……。

「何、で……?」
「ごめ、ん……」

 私は気付く。
 もう、マミの意識は消えかけていた。
 どうしても謝りたいという思いだけが、彼女の口を動かしていたのだ。
 だから彼女は、謝罪以外には何も発することをしなかった。
 彼女は、死んでいるのも同然だった。

「何だよ、これ……」

 カタリと、奇妙な音がする。
 いや、さっきからしていたのだ。
 私が口を動かす度に。
 固いものが打ち鳴らされるような音が、響いていた。
 ……目を動かし、自身の手を見る。
 そこに、繋ぎ目が見えた。
 私の手は、いつの間にか義手のようになっていた。
 いや、手だけではなく、全てが――。

「どう、してだ……?」

 カタカタと動くのは、この口。
 そう、腹話術なんかでよくある、口が動く人形のそれだ。
 有り得ない現実。これは夢に違いないと、信じたくなるけれど。
 繰り返される謝罪と、左手の温もりが……真実を物語っているようだった。
 崩壊した研究室。
 マモルは四肢が吹き飛んで絶命し、テラスも頭から血を流して倒れている。
 取り返しのつかない惨状。取り戻せない日常。
 彼らの真意が分からないままに……全ては悲劇と化し、終わってしまった。

「……マミ、君は……」

 懸命に、木製の手を動かそうと試みる。
 僅かに手は動いてくれたが……代わりに、その手を掴んでいた彼女の手が、するりと落ちて。
 どさりと、大きな音を立て。
 マミは、自らの血の海の中へと……倒れ込んだ。

「……何で、だよ……!」

 どうして、こんなことになったというのか。
 答えは永遠に鎖されたまま……私は、独りになった。
 力任せに縄を解き……マミの体に触れても。
 その体はもう魂を宿さない……冷たい肉塊へと、成り果てていた。
 私の叫びが、研究所の中に轟いて。
 けれども、その声を聞き届ける者など、もうどこにもおらず。
 誰もが予想しなかった悲劇でただ一人、生き残った私は。
 ただずっと、後悔に圧し潰されたままマミの遺体の前に蹲っていた――。

 ――これが、私の記憶。
 私が仁行通から、ドールとなったあの日までの、記憶。
 私の周りの全てが奪い去られ、私という肉体すらも奪い去られて。
 冷たい関節人形として生きていくこととなった、記憶だ。

 私の命が繋ぎ止められたのには、恐らく術式の中途半端な発動が影響していた。
 本来暴走により全員が死ぬ筈だったものが、マミの命をエネルギーとして、私の命が消えずに残ったのである。
 そのため、当初は記憶喪失にも似た症状が起き、ただただ彷徨い歩くのみの人形に成り果ててしまったが。
 自分の記憶と、そして混ざり合ったマミの記憶の一部も思い出し……一つの思いを固くしたのだ。
 ああ、いつか必ず。
 私の大切なマミを、取り戻してみせよう……と。

 そうして私は、風見照の研究を引き継ぎ、降霊術の実験を重ねるようになった。
 それから数十年が経ち、そう、ようやく……今に至るというわけだ……。





「そう……あともう少し」

 磔台に捧げられた人形を見つめながら、私は呟く。
 六月九日は、もうすぐそこに迫っていた。
 あの日と同じ、この場所で。
 私は十分過ぎるほどの準備を重ねて、その時を迎えようとしている。
 この姿となってから、本当に長い時間をかけてきた。
 この伍横町で、君を取り戻すためだけに、私は実験を繰り返してきた。
 それも、もうすぐ終わる。
 必ず君と、永遠に幸せになってみせる。

「さあ、始めよう」

 奇しくも私は、あの時のマモルと同じ台詞を口にする。
 だが、奴のような失敗は、絶対に繰り返したりはしない。

「これが……最後の儀式だ」

 私は最上の愛を以て、永遠の幸せを手に入れる。
 待っていてくれ――マミ。
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