上 下
56 / 176
第二部【三神院幻想 ―Dawn comes to the girl―】

五話 救済の太陽(遠野真澄)

しおりを挟む
 夕焼けが、最後の抵抗とばかりに紅い光を町へ落としている。
 雑踏もどこか遠くへ消え去り、ともすれば全てが死に絶えたような静寂が満ちていた。
 半分だけカーテンの開かれた窓から、射し込む紅をぼんやりと眺めながら、少年は短く息を吐いた。

「……もう夕方か。今日は帰ろうかな」

 彼は組んでいた足を戻しておもむろに立ち上がると、同室していたもう一人に視線を投げかける。

「また明日、ね」

 ……しかし、その返事も、或いは見つめ返す視線すらも、相手から得られる事はないのだ。
 この小さな病室のベッドで、少女はもう長い時間を眠り続けていた。

「いつになったら、彼女は目を覚ましてくれるんだろうな」

 もう何度目かの自問。それを口にする度に心は揺らぐ。
 だから考えるべきではないと分かりつつも、極めて自然にその問いは浮かんできてしまうのだ。
 いつになったら、僕は彼女と再会できるのか。

「……駄目だ、彼女にはもう僕しかいない。僕しか、彼女を見舞う人はいなくなってしまったんだから……」

 あまりにも残酷な悲劇の連鎖。
 その鎖は彼女だけでなく、彼女に関わる多くの者たちを貫いていったのだ。

「明日こそ……そう思い続けていれば、きっといつか目を覚ましてくれる。そう信じていよう」

 無理やりに自分へ言い聞かせると、僕――遠野真澄とおのますみは、ふらりと病室を後にするのだった。
 入院患者たちの個室が並ぶこの廊下は、どうしても見た目以上に薄暗く思えた。それは、今の自分の気持ちが重なり合っているからであろうことはなんとなく理解しているのだが。
 陰鬱な気持ちはいつの日も晴れることなく、むしろ次第にその重さを増していくようだった。
 長い廊下。そこにようやく下り階段が現れたとき。
 僕は突如として前方に生じた眩い光に呑まれ、思わず目を瞑ってしまった。
 夕陽の反射加減かとも思ったのだが、光は暗がりからふいに発生した。
 ならば、誰かがライトでも投げ入れたかとすら妄想したのだけど。
 ……事実は小説よりも奇なり、とはよく言ったものだ。
 光が収まったとき、僕の目の前には半透明の人影が、確かに存在していた。

「え――?」

 普通の思考では到底理解の及ばぬ光景に、僕は口をポカンと開けたまま黙り込んでしまう。
 それをおかしいと感じたのか、目の前の彼女はくすりと笑った。

「き、君は……」
「ふふ、良かった。私のことが見えるみたいで」

 何かの冗談ではないのか、と未だに思考は空転を続ける。
 しかし、何度瞬きをしても、やはり半透明の彼女が消え去ることはなかった。

「まさか、こんな奇跡みたいなことが起きるとは思わなかったわ……久しぶりね、マスミくん」
「こ、これは一体、どういう……」

 あり得ない再会。
 あり得ない対話が、確かに成立していて。
 これは悪い……いや、良い夢なのかと疑ってしまいそうだ。
 頬を抓りたくなるような気持ちにすらなったが、流石にそれは止めておいた。

「信じられないだろうけど、マスミくん。私は今、魂だけの存在になってしまっているの。ある人物が行った降霊術の効果で、この三神院みかみいんに……というか、伍横町に現れることができたのよ」
「こ、降霊……」
「こんなことになるなんて、私も想像していなかったわ」

 あのときと変わらぬ屈託ない笑みで、彼女は話す。

「……本当に、君なのか?」
「もちろん。ただ、少し事情があって。私はとある役目を担うためこうして現れたの」
「役目?」

 ええ、と彼女は頷く。

「……私は、救済のために来たの。ずっと待ち続けなければいけない苦痛から、あなたたちを救いに」

 救済。そんなもの、もう訪れることなどないのではと内心では諦めかけていた。
 しかし……現実にこんな、起こり得ぬ奇跡が起きているのだから、その言葉にも不思議な現実味が感じられるのだった。

「はは……そんな希望、本音を言えばもう消えかけていたんだけど。最後の最後でようやく願いが届いたってことかな。……どうすればいい? 僕はどうすれば、あの子の眠りを覚ますことができるんだい?」
「すぐに信じてくれて、嬉しいわ。流石はマスミくんね」

 愛しき女性は、小悪魔的なウインクをこちらに投げかけた。
 昔のように、僕の心はドキリと高鳴る。

「……あの体に魂が戻らないのは、まだ魂が完全に回復していないからなの。だから、ボロボロになった魂を治してあげないといけない。あの子の精神世界でもこっちへ戻るために頑張っているみたいだけれど、その手助けをしてあげたいのよ」
「……抽象的すぎて、その説明は掴み辛いな。まあ、君がこうして現れたように、その治す作業とやらを実際に見れば理解できるんだろうけど」
「すぐに信じてもらえるかは分からないけれど、これからマスミくんにも手伝ってもらいたいの。お願いマスミくん。……あの子のためにも協力してほしい」
「そりゃあもちろん。他でもない君の頼みなんだから」

 愛する人のために。残された人を救う。
 それはとても当たり前のことだと思えた。

「ふふ……ありがと。もうすぐ日が暮れる時間なのに申し訳ないけど、早速行ってもらえるかしら?」
「何処へかな?」

 何となくの予想を抱きつつ、僕は彼女に訊ねる。
 彼女が返す口の動きは、その予想と違わぬものだった。

「最も思い出の詰まった場所――光井家に、よ」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

この満ち足りた匣庭の中で 二章―Moon of miniature garden―

至堂文斗
ミステリー
それこそが、赤い満月へと至るのだろうか―― 『満ち足りた暮らし』をコンセプトとして発展を遂げてきたニュータウン、満生台。 更なる発展を掲げ、電波塔計画が進められ……そして二〇一二年の八月、地図から消えた街。 鬼の伝承に浸食されていく混沌の街で、再び二週間の物語は幕を開ける。 古くより伝えられてきた、赤い満月が昇るその夜まで。 オートマティスム、鬼封じの池、『八〇二』の数字。 ムーンスパロー、周波数帯、デリンジャー現象。 ブラッドムーン、潮汐力、盈虧院……。 ほら、また頭の中に響いてくる鬼の声。 逃れられない惨劇へ向けて、私たちはただ日々を重ねていく――。 出題篇PV:https://www.youtube.com/watch?v=1mjjf9TY6Io

この欠け落ちた匣庭の中で 終章―Dream of miniature garden―

至堂文斗
ミステリー
ーーこれが、匣の中だったんだ。 二〇一八年の夏。廃墟となった満生台を訪れたのは二人の若者。 彼らもまた、かつてGHOSTの研究によって運命を弄ばれた者たちだった。 信号領域の研究が展開され、そして壊れたニュータウン。終焉を迎えた現実と、終焉を拒絶する仮想。 歪なる領域に足を踏み入れる二人は、果たして何か一つでも、その世界に救いを与えることが出来るだろうか。 幻想、幻影、エンケージ。 魂魄、領域、人類の進化。 802部隊、九命会、レッドアイ・オペレーション……。 さあ、あの光の先へと進んでいこう。たとえもう二度と時計の針が巻き戻らないとしても。 私たちの駆け抜けたあの日々は確かに満ち足りていたと、懐かしめるようになるはずだから。

この満ち足りた匣庭の中で 三章―Ghost of miniature garden―

至堂文斗
ミステリー
 幾度繰り返そうとも、匣庭は――。 『満ち足りた暮らし』をコンセプトとして発展を遂げてきたニュータウン、満生台。 その裏では、医療センターによる謎めいた計画『WAWプログラム』が粛々と進行し、そして避け得ぬ惨劇が街を襲った。 舞台は繰り返す。 三度、二週間の物語は幕を開け、定められた終焉へと砂時計の砂は落ちていく。 変わらない世界の中で、真実を知悉する者は誰か。この世界の意図とは何か。 科学研究所、GHOST、ゴーレム計画。 人工地震、マイクロチップ、レッドアウト。 信号領域、残留思念、ブレイン・マシン・インターフェース……。 鬼の祟りに隠れ、暗躍する機関の影。 手遅れの中にある私たちの日々がほら――また、始まった。 出題篇PV:https://www.youtube.com/watch?v=1mjjf9TY6Io

反映

kuro-yo
ホラー
 同居しているパートナーに誘われ、先月オープンしたばかりの居酒屋でサシ飲みしていた私たち。  トイレに行こうと中座しかけた私にパートナーは言った。 「気を付けてね。ここのトイレは趣味が悪くて、しかも怖いから。」

怖い話短編集

お粥定食
ホラー
怖い話をまとめたお話集です。

カラーメモリー『Re・MAKECOLAR』

たぬきち
ファンタジー
 とある町に住む少女、色野灯(いろのあかり)とその周りで巻き起こる様々な人達との日々を少しの魔法で彩る、人と人との繋がりを描く、ちょっとフシギなほのぼの日常魔法コメディ。

境界の扉

衣谷一
ホラー
『境界の扉』。 今年の文化祭の部誌に載せる題材として、新入生の石田拓郎が選んだもの。 聞いたこともないネタに首をかしげる高畑と浦。 聞いたこともないネタに激昂する先輩、石田孝之。 「ネタにしてはならない、使ってはダメだ」 それでも石田拓郎はそれを題材に追った。 追い続けて、ときは夏休みの直前。彼は消えた。異世界に消えた。 異変は、それから始まった。

ラビリンス~悪意の迷宮~

緑ノ革
ホラー
少年、空良が目を覚ますと、そこは不思議で不可解な迷宮だった。 迷宮から生きて出ること。 それが空良に与えられた唯一の目的だった。 果たして空良は、悪意ある存在から逃れ、無事に迷宮から出ることはできるのか……? 注意・主人公はマイナス思考のメンタル激弱引きこもりです。精神的に弱い主人公が苦手な方は読まないことをおすすめ致します。

処理中です...