上 下
47 / 176
第一部【霧夏邸幻想 ―Primal prayer-】

四十四話 霧夏邸幻想

しおりを挟む
 霧夏邸の中庭。俺とハルナはそこに生える一本の木と向き合っていた。
 注意して見ると、木の前の地面には掘り返された痕跡が確かに残っている。
 この下に、ナツノの遺体は眠っているのだろう。
 地面を掘るのに必要なスコップは、予め倉庫に行って持って来ていた。
 あとはナツノの遺体が出てくるまで、ひたすらに掘り進むだけだ。
 霊に襲われる危険性はもちろんあるので、作業中はハルナに警戒していてもらうことにした。
 彼女も素直に役割を引き受けてくれたので、俺は安心して地面を掘ることが出来た。
 そして、作業を開始して十分ほどが経ったことだろうか。
 俺の手に、土とは違う感触が伝わってきた。
 そっとスコップの先端を除けると。
 土の中から、布の切れ端が露出していた。
 ……遂に、俺は辿り着いたのだ。
 ナツノの元に。

「ナツノ……待たせてごめんな。俺たちが今、苦しみを終わらせてやるから」

 優しく周囲の土を掘っていき。
 その体がようやく出てきてから、俺は水筒を取り出し、清めの水を振りかける。
 中身が全て遺体に浸透すると。
 これまでとは違い、霧夏邸全体が浄化されていくかのように、光に満ちて。
 俺たちもその光に吸い込まれ。
 意識だけが、ここではないどこかへ飛んでいくのを感じた。

 白と黒が混じり合い、蠢くばかりの空間。
 そこは、ナツノの精神世界のように思えた。
 マヤに殺されてから、俺に会いたいという未練に縛られ、霧夏邸に繋がれて。
 悪霊と化してしまったナツノの、混沌たる心の奥底……。

「ナツノ。約束……守れなくってごめんな。お前が生きているうちに、戻ってやれなくて……」

 遠くの方から、影がこちらへとやって来るのが分かる。……人の姿を失った、ナツノの魂。

「寂しかっただろ……辛かっただろ。最後の瞬間まで、俺の名前を呼び続けていたのに……俺は助けられなかった。遠い場所で安穏と、お前の死を知ることすらなく過ごしていたんだ……」

 助けてと叫ぶ悲痛な声。
 不可能だと言ってしまえばそれまでだけれど。
 俺はずっと、後悔し続けるしかなかった。
 あの日、傍にいられたら。そもそも、引っ越しなどしなければ。
 考えれば考えるほど、自分を呪うばかりだった。運命を呪うばかりだった。

「私だってそう。……ううん、私なんて、一緒にいながらナツノちゃんがいなくなった理由をまるで分かっていなかった。もしかしたら事件が起きる前に異変を感じて、マヤくんの凶行を止めることが出来たかもしれないのに」

 ハルナもまた、後悔の涙を流す。
 彼女にとっても、ナツノは大切な存在だったから。
 降霊術によって、死の真相を明らかにしようとするほどに。
 そしてその真相は、思う以上に残酷なものだった……。

「ナツノ……本当にすまない。来るのがあんまりにも遅すぎたけれど。これでもう、お前の苦しみは終わりだ――」

 俺は――俺たちは微笑み、手を差し伸べる。
 その瞬間、世界は色彩を取り戻して。
 蒼穹の下。
 色とりどりの花が咲き誇る平原。
 絶望から解き放たれた世界の中で、俺たち三人は向かい合っていた。

『――ありがとう、二人とも』

 ……ずっとずっと。
 会いたかった彼女が、そこにいた。
 確かにそこに存在して。
 今、俺たちに語りかけてくれていた。
 ……ナツノ。

『やっと……元に戻れたわ。死の瞬間の怒りと悲しみだけが支配してた世界から、ようやく抜け出すことが出来た……』

 ありがとう、と。
 再びナツノは、俺たちに微笑む。

「……ずっと、悔やんでた。あれからの俺は、ずっとお前のことばかり考えて生きてきたんだ。どうすれば、あのとき駆けつけられなかったことの償いができるのかって」
『そして今日、私の無念を晴らすためにミツヤくんは来てくれたわ。……その方法が中屋敷くんを殺すことで、怒りに憑かれていた私がそれをやりかけたというのは……少し、悲しい話だけれど』
「……ごめん」

 やはり復讐は、ただの自己満足でしかなく。
 ナツノにとっては、何一つ喜ばしいものではなかったのだ。
 だから……。

『ミツヤくんのそばにハルナちゃんがいてくれたのは、とても大きな救いだった。はるちゃんがいなければ……今日の出来事は、きっと救いのない悲劇にしかならなかっただろうから……』
「……そうかな。なっちゃんがそう言ってくれるなら……うん。ありがとね」

 ハルナは、あの頃の呼び名でナツノを呼んだ。それがくすぐったかったのか、ナツノも笑いながら言い返す。

『ふふ、はるちゃんはやっぱり、可愛いわね。小学校に上がりたてのころ、二人を引っ張っていってたのは私だったけど、私達の中心にいたのは実のところ、はるちゃんだったと私は思ってるわ』

 彼女も、思っていたらしい。
 ハルナがいつだって、輪の中心にいるべき人だというのを。
 仲間を大切に思える、優しい心を持った少女であるというのを。
 一緒に生きてきた俺は今日の今日まで意識してなかったのにな。……鈍感なのだろうか。

「……そろそろ、お別れの時間みたい」

 そう言われて驚き、ナツノの方を見ると、彼女の輪郭は少しずつ薄くなっていた。微かに明滅しながら、しかし確実に消え行こうとしている。

『これで私は、何にも縛られずに、あっち側に行くことができるわ』
「ナツノ、俺は……」
『……そうねえ。心残りがあるとしたら、それかな』

 俺が寂しげな顔をするのに、ナツノは苦笑して言う。

『ミツヤくん。私はミツヤくんのことが、今でも好きよ』
「……俺もだよ、ナツノ」

 今の思いを、素直に答える。
 だけど、と彼女は続けた。

『だけど、ミツヤくん。気付いてあげて? ううん、もう気付いてると思う。いつまでも私のことを思い続けたって、寂しいだけだから。今あなたのことを大切に思っている人のそばに、どうかいてあげて』
「……えっと」

 それは――つまり。
 予想していたような、そうでないような……。

『だってはるちゃん。そんなの、遠慮しすぎでしょ? 私のことは気にせずに、自分の思うまま生きていってほしいな』
「あの、そのお……」

 完全に心中を見透かされていたハルナは、まるで追い詰められた政治家のように口ごもった後、

「……もう。こんなときに、言う?」

 怒ったように腕組みをしたけれど、結局おかしくなったのか、すぐに腕を解いて笑うのだった。

『ふふ。こんなときにしか言えないじゃない。これでもう、しばらくは……お別れだもの』
「……そっか。そうだよね」

 長いお別れ。
 今度は三年や四年ではない。
 俺やハルナの命が尽きるまでの別離だ。
 憂うことはないけれど。
 やっぱりそれを、寂しくないとは言えなくて。
 だから、彼女はそっと腕を掴んできたんだろう。
 この寂しさを、一緒に乗り越えていこうと。

『まやくん、はるちゃん。それじゃあ、もう行くわ。どうか二人とも幸せな人生を歩んで』

 そうしてナツノは消えていく。
 俺たちの未来を祝福するように、笑顔を湛えながら。

「ナツノッ!」

 最後に――いや、暫しの別れに、何か言葉を告げたくて、俺は彼女の名を呼んだ。
 あれこれ悩んだけれど、結局出てきたのはとてもシンプルなもので。

「……いつか。また会う日まで」

 また会う日まで。
 そうとも。俺たちはまた、巡り会うことが出来るのだ。
 この世界の先、あちら側に待つ暖かな場所で。
 だから……これで終わりじゃない。

「またね、なっちゃん」
『ええ、またね。必ずもう一度、私たちは会える。そのときまでの、お別れよ――』

 次第に、世界が遠のいていく。
 ナツノは消え、俺とハルナは美しい心象世界から帰ってくる。
 ……少しだけ、意識を失ったような感覚の後。
 再び目を開けると、そこはもう霧夏邸の中庭だった。

「行っちゃったね。なっちゃん」
「……ああ」

 俺が頷いたとき、ふいに眩しい光が降り注ぐ。
 霊が発した光だろうかと思ったけれど、それは違った。
 ハルナが、俺の代わりに答えを呟く。

「……朝陽だ。ようやくこの館に、朝が来たんだよ……」
「朝、か。長かったな……色んなことがあった」
「ミツヤくん……」

 色んな思いが重なり合い。
 鎖されてしまった屋敷の中で、その思いたちはぶつかって、散っていった。
 これが幸せな結末だとはとても言えない。
 けれど……悲劇で終わったわけでもないはずだ。

「帰ろう。全部、終わったんだから。ソウシに言われた通り、俺たちは生き残れたんだから」
「……そうだね、帰ろうか。いつも通りの毎日に、戻っていくために」

 ハルナはニコリと笑いかけてくると、そっと俺の手を取って言った。

 ――二人で、一緒にね。





 それからすぐ、俺達は霧夏邸を抜け出した。
 霧夏邸の外では、警察官が一人、中の様子を窺っていた。
 誰かの親が、子どもの帰りが遅いことを心配して、警察に知らせたようだった。
 俺達が簡単に事情を話すと、警察は怪訝そうな顔をしながら邸内に入り、そして恐怖に叫んだそうだ。

 ……事件はその後、力本発馬によるものだと警察は発表したが、人間業と思えない死体の損壊具合がどこからか広まって、霊の仕業ではないかと噂され始めた。
 しばらくは俺とハルナに、詳しい情報を求めてやってくる者が絶えなかったが、一月ほど経つとようやくそれも途絶え始めた。

 マヤはと言えば、自分の犯した罪を正直に告白し、その場で取り調べを受けてから、警察に連れて行かれた。
 別れ際、彼は俺達にもう一度謝ってから、罪を償ってくると弱々しく笑んで去っていった。
 あれから、彼とは会っていない。

 ……あの日、霧夏邸で起きたことを、明らかにするつもりはなかった。
 たとえ真実を語っても、認める者は極めて少ないだろうから。
 なら、俺達は固く口を閉ざして。
 霧夏邸で起きた全てを、匣の中に封じていようと思う……。
 真実は明かさず。
 ずっと、このままで。

 いつしか伍横町の人たちは、この事件をこう呼ぶようになった。

 霧夏邸幻想、と。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

この満ち足りた匣庭の中で 二章―Moon of miniature garden―

至堂文斗
ミステリー
それこそが、赤い満月へと至るのだろうか―― 『満ち足りた暮らし』をコンセプトとして発展を遂げてきたニュータウン、満生台。 更なる発展を掲げ、電波塔計画が進められ……そして二〇一二年の八月、地図から消えた街。 鬼の伝承に浸食されていく混沌の街で、再び二週間の物語は幕を開ける。 古くより伝えられてきた、赤い満月が昇るその夜まで。 オートマティスム、鬼封じの池、『八〇二』の数字。 ムーンスパロー、周波数帯、デリンジャー現象。 ブラッドムーン、潮汐力、盈虧院……。 ほら、また頭の中に響いてくる鬼の声。 逃れられない惨劇へ向けて、私たちはただ日々を重ねていく――。 出題篇PV:https://www.youtube.com/watch?v=1mjjf9TY6Io

この欠け落ちた匣庭の中で 終章―Dream of miniature garden―

至堂文斗
ミステリー
ーーこれが、匣の中だったんだ。 二〇一八年の夏。廃墟となった満生台を訪れたのは二人の若者。 彼らもまた、かつてGHOSTの研究によって運命を弄ばれた者たちだった。 信号領域の研究が展開され、そして壊れたニュータウン。終焉を迎えた現実と、終焉を拒絶する仮想。 歪なる領域に足を踏み入れる二人は、果たして何か一つでも、その世界に救いを与えることが出来るだろうか。 幻想、幻影、エンケージ。 魂魄、領域、人類の進化。 802部隊、九命会、レッドアイ・オペレーション……。 さあ、あの光の先へと進んでいこう。たとえもう二度と時計の針が巻き戻らないとしても。 私たちの駆け抜けたあの日々は確かに満ち足りていたと、懐かしめるようになるはずだから。

この満ち足りた匣庭の中で 三章―Ghost of miniature garden―

至堂文斗
ミステリー
 幾度繰り返そうとも、匣庭は――。 『満ち足りた暮らし』をコンセプトとして発展を遂げてきたニュータウン、満生台。 その裏では、医療センターによる謎めいた計画『WAWプログラム』が粛々と進行し、そして避け得ぬ惨劇が街を襲った。 舞台は繰り返す。 三度、二週間の物語は幕を開け、定められた終焉へと砂時計の砂は落ちていく。 変わらない世界の中で、真実を知悉する者は誰か。この世界の意図とは何か。 科学研究所、GHOST、ゴーレム計画。 人工地震、マイクロチップ、レッドアウト。 信号領域、残留思念、ブレイン・マシン・インターフェース……。 鬼の祟りに隠れ、暗躍する機関の影。 手遅れの中にある私たちの日々がほら――また、始まった。 出題篇PV:https://www.youtube.com/watch?v=1mjjf9TY6Io

【恋愛ミステリ】エンケージ! ーChildren in the bird cageー

至堂文斗
ライト文芸
【完結済】  野生の鳥が多く生息する山奥の村、鴇村(ときむら)には、鳥に関する言い伝えがいくつか存在していた。  ――つがいのトキを目にした恋人たちは、必ず結ばれる。  そんな恋愛を絡めた伝承は当たり前のように知られていて、村の少年少女たちは憧れを抱き。  ――人は、死んだら鳥になる。  そんな死後の世界についての伝承もあり、鳥になって大空へ飛び立てるのだと信じる者も少なくなかった。  六月三日から始まる、この一週間の物語は。  そんな伝承に思いを馳せ、そして運命を狂わされていく、二組の少年少女たちと。  彼らの仲間たちや家族が紡ぎだす、甘く、優しく……そしてときには苦い。そんなお話。  ※自作ADVの加筆修正版ノベライズとなります。   表紙は以下のフリー素材、フリーフォントをお借りしております。   http://sozai-natural.seesaa.net/category/10768587-1.html   http://www.fontna.com/blog/1706/

牛の首チャンネル

猫じゃらし
ホラー
どうもー。『牛の首チャンネル』のモーと、相棒のワンさんです。ご覧いただきありがとうございます。 このチャンネルは僕と犬のぬいぐるみに取り憑かせた幽霊、ワンさんが心霊スポットに突撃していく動画を投稿しています。 怖い現象、たくさん起きてますので、ぜひ見てみてくださいね。 心霊写真特集もやりたいと思っていますので、心霊写真をお持ちの方はコメント欄かDMにメッセージをお願いします。 よろしくお願いしまーす。 それでは本編へ、どうぞー。 ※小説家になろうには「牛の首」というタイトル、エブリスタには「牛の首チャンネル」というタイトルで投稿しています。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

グリーン・リバー・アイズ

深山瀬怜
ホラー
オカルト雑誌のライターである緑川律樹は、その裏で怪異絡みの事件を解決する依頼を受けている。緑川は自分の能力を活かして真相を突き止めようとする。果たしてこれは「説明できる怪異」なのか、それとも。

紺青の鬼

砂詠 飛来
ホラー
専門学校の卒業制作として執筆したものです。 千葉県のとある地域に言い伝えられている民話・伝承を砂詠イズムで書きました。 全3編、連作になっています。 江戸時代から現代までを大まかに書いていて、ちょっとややこしいのですがみなさん頑張ってついて来てください。 幾年も前の作品をほぼそのまま載せるので「なにこれ稚拙な文め」となると思いますが、砂詠もそう思ったのでその感覚は正しいです。 この作品を執筆していたとある秋の夜、原因不明の高熱にうなされ胃液を吐きまくるという現象に苛まれました。しぬかと思いましたが、いまではもう笑い話です。よかったいのちがあって。 其のいち・青鬼の井戸、生き肝の眼薬  ──慕い合う気持ちは、歪み、いつしか井戸のなかへ消える。  その村には一軒の豪農と古い井戸があった。目の見えない老婆を救うためには、子どもの生き肝を喰わねばならぬという。怪しげな僧と女の童の思惑とは‥‥。 其のに・青鬼の面、鬼堂の大杉  ──許されぬ欲望に身を任せた者は、孤独に苛まれ後悔さえ無駄になる。  その年頃の娘と青年は、決して結ばれてはならない。しかし、互いの懸想に気がついたときには、すでにすべてが遅かった。娘に宿った新たな命によって狂わされた運命に‥‥。 其のさん・青鬼の眼、耳切りの坂  ──抗うことのできぬ輪廻は、ただ空回りしただけにすぎなかった。  その眼科医のもとをふいに訪れた患者が、思わぬ過去を携えてきた。自身の出生の秘密が解き明かされる。残酷さを刻み続けてきただけの時が、いまここでつながろうとは‥‥。

処理中です...