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第一部【霧夏邸幻想 ―Primal prayer-】

四十二話 真相②

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「――あなたのお名前教えてよ!」
「うん。僕の名前はね――」

 その子に、俺は本当の名前を告げた。

って言うんだ」

 ナツノはミツヤという響きにびっくりしていたけれど、すぐに元の笑顔に戻って、

「へえ……いいお名前。でも、まやくんの方が呼びやすいや。なっちゃん、はるちゃん、まやくんって。……まやくんって呼んでもいい?」
「う、うん。なつのちゃんがそう呼びたいなら、僕は大丈夫」
「ありがと! 私のこともなっちゃんって呼んでいいんだよ?」

 気の弱かった俺に出来た、笑顔が眩しくて、底抜けに明るい友だち。
 なっちゃんと気軽に呼ぶことができる、素敵な女の子。
 俺は――そのときから、彼女に惚れていた。

「あう……ありがと、なっちゃん」
「あー! みつやくん照れてるー!」

 もう戻らない、出会いの光景。





 場面はドラマのように転換し、一瞬のノイズの後には成長したハルナとナツノの姿があった。
 小学校の教室。これは、ソウシと一緒に探索していたときに見たイメージ。

「私、あんまり大きい声じゃ言えないけど……まやくんのことが、ね?」

 ハルナに囁きかけるように、小さな声で突然ナツノは告白する。それを聞いたハルナは驚いて、

「え? そ、そうなの?」
「ちょっとハルナ、何よその顔。薄々気付いてたんじゃないの?」

 呆けた顔が面白かったようで、ナツノはニヤニヤと笑った。

「う……まあ、そうなんだけどね。そうかあ、やっぱりそうだったか」

 そう答えるハルナの表情は、どことなく悔しげだ。

「……私、ハルナちゃんが思ってる通り、昔のような底抜けの明るさなんてのは無くなっちゃったわ。だから勇気も出せなくて、自分の口からは言い出せなかったんだけどね」

 愛しい人の表情をまぶたの裏に思い描くように。ナツノはそっと瞳を閉じる。

「いつか、まやくんの方から口にしてくれたら嬉しいなって、そう思い続けてるのよね……」

 あのときは、ここで途切れていた光景。
 しかし、それにはまだ続きがあった。
 
「……ナツノちゃん、僕のことを……?」

 教室の隅。
 独りぼっちで机に伏していた少年が、ふいに顔を上げた。
 マヤだ。

「……ふふ」

 彼は密かな興奮とともに、ひっそりと教室を抜け出す。
 それが、単なる勘違いであるとも知らずに。





 再び世界は遡る。
 幼年期の夏。
 俺たちが霧夏邸に忍び込んだ、あの夏の思い出。
 ナツノが俺とハルナに笑いかけている。

「あはは、だらしないよ二人とも。……でも、中には入れなさそうだから、お庭で遊ばせてもらうだけにしよっか」
「うんうん、それくらいがいいよう……」

 俺たちは、邸内に忍び込むようなことはせずに、前庭で追いかけっこをして遊んだ。
 それを、入口の外壁から覗き込む、子どもの姿があった。

「……楽しそう、だなあ……」

 この子どもが、幼いころのマヤだった。
 ……そう。
 マヤは実際、ナツノのことを昔からよく知っていた。
 好いていた。
 でも――ただそれだけだ。
 マヤの思いは、決して双方向であるはずがなかったのだ。





 ああ――そして。
 ナツノの記憶は、最期の日へと移り変わる。
 幼き頃とは何もかもが変わってしまった霧夏邸の前庭で。
 彼女は怯えながら、魔の手から逃げようとしていた。

「……違うのよ……そうじゃない。まやくんっていうのは、貴方のことじゃないのよッ!」

 石を片手に、ナツノへとにじり寄る人影。
 それは、やはり――マヤだ。

「貴方のことじゃない……? はは、何言ってるのさ、マヤっていったら僕しかいないじゃない。君は学校で、僕のことが好きだって、そう言ってくれてたじゃないか!」

 相思相愛だと勝手に信じ込んでしまった哀れな少年。
 それだけで終われば良かったのに、彼は自身を否定されたショックを、受け止め切れなかった。
 幸福は絶望へすり替わり、愛は殺意へすり替わった。
 その暴走を止められなかったのは、彼が幼過ぎたからなのだろうか。
 考えたところで意味はないのだが。

「そうじゃないのよ……まやくんっていうのは、昔転校しちゃった北村満也くんのことなの。私とハルナちゃんと、三人でずっと一緒に遊んでた……ミツヤくんのことなの!」
「なにそれ? 君は転校しちゃった奴のこと、まだずっと好きでいるわけ? きっともう二度と会えないでしょ。それなのに君はずっと、あの男子のことを好きでいるつもりなの?」
「まやくんはお別れの日……必ず戻ってくるって言ってくれたんだもの。だから、私は信じて待ってる。ずっと、ずっと待ってるのよ!」

 そうなんだ。
 ナツノはずっと、俺のことを待っててくれた。
 両親の仕事の都合で、引っ越しを余儀なくされた俺を涙ながらに見送ってくれた彼女。
 必ず戻るという約束を、信じ続けてくれた彼女。
 俺は……そんな彼女の元に、戻ってやりたかった。
 また……隣で笑いたかったんだ。
 なのに――。

「うるさいうるさいうるさいッ!」

 マヤが吠え猛る。自らを拒絶された屈辱を認めらずに。
 石を掴む手に力を込め、少しずつナツノに近づいていく。

「僕が……君のことをどれだけ思っていたか、知ってるの? 君のことを毎日考えて、夜も眠れないくらいで。君が昔に男の子と仲良くしてたって話を耳にして、死にたくなるほど苦しくなって。そんなときに君が、僕を好いているという言葉を口にしたんだ。そのとき、僕がどれほど嬉しかったか。なのに……なのに君は……!」
「そんなの、ただの勘違いじゃない……! だって、……だって私」

 そこでナツノは……決定的な言葉を叫んだ。

「――!」

 彼女は、本当に知らなかったのだ。
 俺以外に『まやくん』がいたことなど、全く。
 そしてその言葉は、マヤの心にトドメを刺すには十分過ぎるものだったんだろう。
 好きとか嫌いではなく、そもそも自分なんて知られていなかったのだという現実が、マヤの理性を壊した。

「やめて……来ないで……」

 いくら懇願しようと、声は最早、マヤには届かなかった。
 彼はどうしようもない現実を滅茶苦茶にするために、拳を振り上げ。

「助けて……」

 ナツノの涙。
 マヤの右腕。
 全ては永遠のようで、一瞬だった。
 
 鈍い音とともに、世界は赤く染まり――闇に沈んだ。
 ナツノの、最期の記憶だった。
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