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第一部【霧夏邸幻想 ―Primal prayer-】
二十六話 過去の傷
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俺とソウシは、三人と別れて食堂を出る。袋小路の部屋に籠るよりは、厨房からも逃げられる造りになっているのでそこに留まるのは正解だろう。最初から食堂を拠点にしていればと思ったが、今更悔やんでもそれは仕方ない。
タカキの遺体がある102号室へ向かおう。そう思って歩き始めたところで、ソウシに呼び止められた。
「……すまん、ちょっと気になることがあるんだよ。タカキのところに行く前に、寄ってってもいいか?」
「ああ、構わないけど」
霊の浄化より先にしておきたいことだというなら、俺に止める理由はない。素直に従って、俺はソウシの後を追う。
ソウシはホールの階段を上り二階へ行くと、そのまま西廊下へと歩いていき、203号室へ入った。……ここはユリカちゃんに割り振られた部屋だ。
「ここにどんな用が?」
一応、俺が聞いてみると、
「あいつ、几帳面に日記をつけてたからな。そこに何か書かれてないかと」
その何かについて、ソウシはある程度見当をつけているようだ。でなければ、いくら死んでしまったからとはいえ、こうも躊躇なくユリカちゃんの日記を覗き見たりはしないだろう。
「……あった!」
最後のページを開いたとき、ソウシが大声を上げた。見てもいいのか迷ったが、どうやら最初から俺にも見せるつもりだったようで、彼は俺に見える位置まで手帳を近づけてくれた。
ユリカちゃんがつけていた日記。最後のページはこの屋敷に来てから書かれたもので、そこにはこんなことが記されていた。
『……さっき、サツキちゃんとタカキくんが言い争っているのを盗み聞きしてしまった。あんまり大きい声でサツキちゃんが怒っているから、気になってしまったのだ。だけど、それがまさか、私に関わることだったなんて。ショックでミツヤくんが見ていることにも気がつかなかった。
……力本と言えば、私のお母さんに大怪我を負わせた少年のことだ。捕まってからの消息は知らないけれど、出来ることなら少年院から出てきてほしくない。私はそう思っていた。でも、サツキちゃんは彼のことを、確かに力本と言ったのだ。非難するような口ぶりで。
……じゃあ、つまり彼は、力本ってことなのか。私の母親を二度と歩けないようにした、あの力本発馬だというのだろうか……』
全文を読み終えたとき、ソウシが小さく息を吐いた。
「……やっぱり、か。薄々、そうなんじゃないかと思ってたんだ」
「……知ってたのか?」
「まあ、あの事件のことは俺も気にかかってたからな」
あの事件。それは、手帳の中にしまわれていた新聞記事の切り抜きに記載されていた事件だ。
四年前、河南一家に襲いかかった悲劇。
「……ユリカの母親が、十一歳という若さの子どもに斬りつけられ、車椅子生活を余儀なくされた事件。逮捕された力本発馬は、金持ち一家の一人っ子で、ワガママに育った挙句、あんな事件を起こしたんだ。何でも、親と喧嘩して、包丁を手に家を飛び出し、偶然視界に入った女性にいきなり斬りかかったんだと。それが、ユリカの母親だったんだと……」
力本。それはサツキがタカキとの喧嘩中、口にしていた名前だ。
非難するような、軽蔑するような口振りで。
そしてタカキは途方に暮れた様子で部屋から出てきた……。
「……力本は少年院に入れられてから、親から見捨てられて孤独な院内生活を送っていたらしい。意外にも刑期は短かったんだが、そこから出たところで身を寄せる所はなかったみたいだ。すっかり反省しきったのか、或いは絶望しきったのか。とにかく昔の傲慢さなんかまるで見られなくなったそのとき。力本を引き取りたい、という男が現れたそうなんだ。……名前は、山口雄一と言った」
「山口……」
「そう。そうしてあいつは、力本発馬から山口貴樹になったんだろうな」
大切なユリカちゃんの母親が襲われた事件だ。ソウシは幼いながらも、その事件を自分なりに調べていたのだろう。そして、ある程度のところまでは辿り着けていたのだ。力本発馬という犯人の素性について、彼がその後どうなったかについて……。
「引き取り手の名前しか分からなかったから、俺は山口貴樹イコール力本発馬という確証はなかった。山口なんて名前は、珍しくもないしな。だから、ほんの少しの疑いくらいでしかなかったんだが……その疑いは結局、当たってたわけだ」
「……当たってほしくない疑いだったんだろうけどな。タカキが、身近な人に大怪我を負わせた犯人だなんてことは……」
「……まあ、な」
ひょっとしたら、ギリギリのところで怖くなったのかもしれない。仲良くなってしまった友人が、自分の追っていた犯人だと確定してしまうことが。
事実が明らかになったとき、もうそれまでの日常には戻れなくなってしまうから……。
「でも、これで一つ分かったことがある。タカキが俺たちの中の誰かに殺される動機はあったわけだ」
「ユリカちゃんの母親にケガを負わせたことへの復讐。そんなところか……」
「ああ」
「でも、それだと一番怪しいのはユリカちゃんになるんじゃないか? そのユリカちゃんは霊に殺されてるわけだけど……」
「ユリカがタカキを殺し、その後タカキが悪霊になってユリカを殺した……ということがないとも言い切れない」
確かに、ユリカちゃんを殺した霊を俺たちは視認していない。あれがタカキの霊だった可能性は十分にあるのだ。
ただ、そうだとすればタカキの霊は『人殺しに罰を』という目的を達成したことになるが……。
「目的を達成したから霊が元に戻るってわけでもないだろ。ユリカを殺しても、あいつは悪霊のまま徘徊してやがるんだ、きっと……」
「……そうかもしれないな」
全てがその通りかは怪しいが、尤もらしい推測ではあった。
まあとにかく、タカキの霊を鎮めることさえ出来れば、全てはハッキリするはずだ――。
タカキの遺体がある102号室へ向かおう。そう思って歩き始めたところで、ソウシに呼び止められた。
「……すまん、ちょっと気になることがあるんだよ。タカキのところに行く前に、寄ってってもいいか?」
「ああ、構わないけど」
霊の浄化より先にしておきたいことだというなら、俺に止める理由はない。素直に従って、俺はソウシの後を追う。
ソウシはホールの階段を上り二階へ行くと、そのまま西廊下へと歩いていき、203号室へ入った。……ここはユリカちゃんに割り振られた部屋だ。
「ここにどんな用が?」
一応、俺が聞いてみると、
「あいつ、几帳面に日記をつけてたからな。そこに何か書かれてないかと」
その何かについて、ソウシはある程度見当をつけているようだ。でなければ、いくら死んでしまったからとはいえ、こうも躊躇なくユリカちゃんの日記を覗き見たりはしないだろう。
「……あった!」
最後のページを開いたとき、ソウシが大声を上げた。見てもいいのか迷ったが、どうやら最初から俺にも見せるつもりだったようで、彼は俺に見える位置まで手帳を近づけてくれた。
ユリカちゃんがつけていた日記。最後のページはこの屋敷に来てから書かれたもので、そこにはこんなことが記されていた。
『……さっき、サツキちゃんとタカキくんが言い争っているのを盗み聞きしてしまった。あんまり大きい声でサツキちゃんが怒っているから、気になってしまったのだ。だけど、それがまさか、私に関わることだったなんて。ショックでミツヤくんが見ていることにも気がつかなかった。
……力本と言えば、私のお母さんに大怪我を負わせた少年のことだ。捕まってからの消息は知らないけれど、出来ることなら少年院から出てきてほしくない。私はそう思っていた。でも、サツキちゃんは彼のことを、確かに力本と言ったのだ。非難するような口ぶりで。
……じゃあ、つまり彼は、力本ってことなのか。私の母親を二度と歩けないようにした、あの力本発馬だというのだろうか……』
全文を読み終えたとき、ソウシが小さく息を吐いた。
「……やっぱり、か。薄々、そうなんじゃないかと思ってたんだ」
「……知ってたのか?」
「まあ、あの事件のことは俺も気にかかってたからな」
あの事件。それは、手帳の中にしまわれていた新聞記事の切り抜きに記載されていた事件だ。
四年前、河南一家に襲いかかった悲劇。
「……ユリカの母親が、十一歳という若さの子どもに斬りつけられ、車椅子生活を余儀なくされた事件。逮捕された力本発馬は、金持ち一家の一人っ子で、ワガママに育った挙句、あんな事件を起こしたんだ。何でも、親と喧嘩して、包丁を手に家を飛び出し、偶然視界に入った女性にいきなり斬りかかったんだと。それが、ユリカの母親だったんだと……」
力本。それはサツキがタカキとの喧嘩中、口にしていた名前だ。
非難するような、軽蔑するような口振りで。
そしてタカキは途方に暮れた様子で部屋から出てきた……。
「……力本は少年院に入れられてから、親から見捨てられて孤独な院内生活を送っていたらしい。意外にも刑期は短かったんだが、そこから出たところで身を寄せる所はなかったみたいだ。すっかり反省しきったのか、或いは絶望しきったのか。とにかく昔の傲慢さなんかまるで見られなくなったそのとき。力本を引き取りたい、という男が現れたそうなんだ。……名前は、山口雄一と言った」
「山口……」
「そう。そうしてあいつは、力本発馬から山口貴樹になったんだろうな」
大切なユリカちゃんの母親が襲われた事件だ。ソウシは幼いながらも、その事件を自分なりに調べていたのだろう。そして、ある程度のところまでは辿り着けていたのだ。力本発馬という犯人の素性について、彼がその後どうなったかについて……。
「引き取り手の名前しか分からなかったから、俺は山口貴樹イコール力本発馬という確証はなかった。山口なんて名前は、珍しくもないしな。だから、ほんの少しの疑いくらいでしかなかったんだが……その疑いは結局、当たってたわけだ」
「……当たってほしくない疑いだったんだろうけどな。タカキが、身近な人に大怪我を負わせた犯人だなんてことは……」
「……まあ、な」
ひょっとしたら、ギリギリのところで怖くなったのかもしれない。仲良くなってしまった友人が、自分の追っていた犯人だと確定してしまうことが。
事実が明らかになったとき、もうそれまでの日常には戻れなくなってしまうから……。
「でも、これで一つ分かったことがある。タカキが俺たちの中の誰かに殺される動機はあったわけだ」
「ユリカちゃんの母親にケガを負わせたことへの復讐。そんなところか……」
「ああ」
「でも、それだと一番怪しいのはユリカちゃんになるんじゃないか? そのユリカちゃんは霊に殺されてるわけだけど……」
「ユリカがタカキを殺し、その後タカキが悪霊になってユリカを殺した……ということがないとも言い切れない」
確かに、ユリカちゃんを殺した霊を俺たちは視認していない。あれがタカキの霊だった可能性は十分にあるのだ。
ただ、そうだとすればタカキの霊は『人殺しに罰を』という目的を達成したことになるが……。
「目的を達成したから霊が元に戻るってわけでもないだろ。ユリカを殺しても、あいつは悪霊のまま徘徊してやがるんだ、きっと……」
「……そうかもしれないな」
全てがその通りかは怪しいが、尤もらしい推測ではあった。
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