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【幻影回忌 ―Regression of GHOST―】
4.憎むべき連鎖
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チズが倒れたとヒデアキに報せが入ったのは、気温も上がり始めた初夏の夕暮れだった。
まだ暑いなと思いながら、研究所の中庭で休憩を取っていたとき、職員の一人が慌てた様子で駆け寄ってきたのだ。
只事でないことは瞬時に察し、恐る恐る訊ねたヒデアキに、職員は告げた。
奥様が倒れ、病院に運ばれた……と。
以降の予定を全てキャンセルし、ヒデアキはチズの運ばれた病院へ駆けつけた。
そして、そこで彼は医師から絶望的な宣告を受けたのである……。
「……嘘、でしょう?」
想定もしていなければ、覚悟も当然あるわけがなかった。
だが、現実は彼の意思と関わりなく進んでいく。
無慈悲に、淡々と。
「残念ながら、それが結論です。チズさんの命は――持って半年だ」
「馬鹿な……そんな、馬鹿な」
「もっと早くに分かっていれば……しかし、ここまで症状が出なかったならご家族が気付けないのも無理はない……」
誰もが発症し得る、癌という病。
その中でもチズは症状の発露が遅かったようだった。
だが、もしかしたら何か予兆に気付けたのではないか。
ここまで発見が遅れたのは、自分が研究に没頭してばかりいたからなのではないかと、ヒデアキは後悔の念に駆られた。
「出来る限りの治療はします。ですが……難しいものと考えていただく方がいいでしょう」
「……お願い、します」
いかに遺伝傾向のある病とは言え。
そんな悲劇的な相似性を、ヒデアキは認めたくなかった。
チズの父親が蝕まれ、命を落とした病が、今度はチズにその牙を剥いている。
そんな連鎖が許されていいのだろうかと、彼は何に対してかも分からぬ怒りが沸き上がって収まらなかった……。
「……何となく、そんな気はしてたわ」
チズは、隠されることを嫌った。
ヒデアキは悩んだ末、彼女に事実を告げることにした。
彼の口から全てを聞いても、チズは終始落ち着いた様子でいたように見えたが、長年寄り添った者には良く分かった。
気丈に振舞うその裏で、本当は胸が張り裂けそうなほどの悲しみをぐっと堪えているのだと。
「……辛くないか。体も、あちこち痛むだろう」
「薬のおかげで、今は大丈夫よ」
微笑むチズに、しかしヒデアキは心配で堪らなくなる。
だから、彼女の手にそっと自分の手を重ねて言った。
「心配するな。ずっと、そばにいるから。研究なんて、いつだって出来るんだから……」
その手を少しだけ握ったチズは、けれどすぐに離して首を振る。
「……ううん、止めちゃだめ」
「だが……」
「どうか、私の夢を叶えて。それが、私の一番望むこと。父さんのためじゃなくて……それはもう、あなたと私の夢だから」
だから、どうか。
チズは繰り返し言いながら、やがて抑えきれない感情を露わにしていった。
声を震わせ、目を潤ませて……ヒデアキに訴えた。
そんな彼女の思いを、無為にするわけにもいかず。
ヒデアキは心が痛むのを感じながらも、研究を続ける決断をしたのだった。
*
「……来たよ、お母さん」
病室の扉がガラリと開き、少女が入ってくる。
アツカはこの一週間ほどでその面影が感じられないほどに気力を失っていた。
彼女らしい明るさは完全に消え失せ、目元には深い隈が出来ている。
髪の毛はボサボサで、年頃の少女にあるまじき姿なのだった。
「まだ、よくならない?」
「ええ。でも、大丈夫だから……」
チズは娘の来訪を喜び、体を起こそうとする。
だが、もうその力も残っていないのだろう、結局は諦めて頭だけをアツカの方へ向けた。
「ごめんね、家のことをアツカに任せて。寂しい思いさせて……」
やつれたアツカの顔を見つめ、チズはそう謝りながら頭を撫でる。
その腕はか細く、ともすればポキリと折れてしまいそうな不安にアツカは駆られてしまうのだった。
「それは全然いいよ。でも…… お父さん、ずっと研究漬けでお見舞いに来ないじゃん」
「いいのよ。お父さんも、私が元気になるために、頑張ってくれてるんだから……」
「……そんなの、おかしいよ。大事な人のそばに、ずっといるべきだよ……」
涙を見せまいと顔を伏せながら言うアツカ。その無防備な頭をチズは優しく撫でる。
「……私の、望みなのよ。だから……それでいいの」
その言葉に、けれどアツカは何一つ納得などできなかった。
――私は、私だけは、お母さんのそばにいる。
病院からの帰路。曇天の黒々とした空を見やりながら、アツカは誓う。
いつか母が病を乗り越えるまで、必ず一緒にいようと。
絶対に諦めない。もしも病気が現代の医学で治らないと言うならば、私自身がその道を進んででも。
必ず母を、救ってみせるのだ……と。
ヒデアキは、以前にも増して家に帰らなくなり、ただひたすら研究に没頭していた。
その研究は最早、アツカにとっては尊敬すべきものではなく、憎むべきものとなっていた。
母の命を救えない研究など、何の意味があるというのだろう?
仮に夢が叶おうと、命を失うことは全ての終わりなのだとアツカは考えていた。
ゆえに、父と娘の距離が離れていくのも当然のことで。
家の中で二人が揃う時間は、いつしか無くなってしまった。
そんな不和が京極家を満たしたまま、月日は無情にも流れ。
医師の宣告の日は着実に迫り、チズの病状も悪化していった。
……そして、冬もその猛烈な寒さを振るい始めていた、十二月三日のことだった。
全ての終わりと始まり――一つの破局が彼女たちに訪れたのは。
まだ暑いなと思いながら、研究所の中庭で休憩を取っていたとき、職員の一人が慌てた様子で駆け寄ってきたのだ。
只事でないことは瞬時に察し、恐る恐る訊ねたヒデアキに、職員は告げた。
奥様が倒れ、病院に運ばれた……と。
以降の予定を全てキャンセルし、ヒデアキはチズの運ばれた病院へ駆けつけた。
そして、そこで彼は医師から絶望的な宣告を受けたのである……。
「……嘘、でしょう?」
想定もしていなければ、覚悟も当然あるわけがなかった。
だが、現実は彼の意思と関わりなく進んでいく。
無慈悲に、淡々と。
「残念ながら、それが結論です。チズさんの命は――持って半年だ」
「馬鹿な……そんな、馬鹿な」
「もっと早くに分かっていれば……しかし、ここまで症状が出なかったならご家族が気付けないのも無理はない……」
誰もが発症し得る、癌という病。
その中でもチズは症状の発露が遅かったようだった。
だが、もしかしたら何か予兆に気付けたのではないか。
ここまで発見が遅れたのは、自分が研究に没頭してばかりいたからなのではないかと、ヒデアキは後悔の念に駆られた。
「出来る限りの治療はします。ですが……難しいものと考えていただく方がいいでしょう」
「……お願い、します」
いかに遺伝傾向のある病とは言え。
そんな悲劇的な相似性を、ヒデアキは認めたくなかった。
チズの父親が蝕まれ、命を落とした病が、今度はチズにその牙を剥いている。
そんな連鎖が許されていいのだろうかと、彼は何に対してかも分からぬ怒りが沸き上がって収まらなかった……。
「……何となく、そんな気はしてたわ」
チズは、隠されることを嫌った。
ヒデアキは悩んだ末、彼女に事実を告げることにした。
彼の口から全てを聞いても、チズは終始落ち着いた様子でいたように見えたが、長年寄り添った者には良く分かった。
気丈に振舞うその裏で、本当は胸が張り裂けそうなほどの悲しみをぐっと堪えているのだと。
「……辛くないか。体も、あちこち痛むだろう」
「薬のおかげで、今は大丈夫よ」
微笑むチズに、しかしヒデアキは心配で堪らなくなる。
だから、彼女の手にそっと自分の手を重ねて言った。
「心配するな。ずっと、そばにいるから。研究なんて、いつだって出来るんだから……」
その手を少しだけ握ったチズは、けれどすぐに離して首を振る。
「……ううん、止めちゃだめ」
「だが……」
「どうか、私の夢を叶えて。それが、私の一番望むこと。父さんのためじゃなくて……それはもう、あなたと私の夢だから」
だから、どうか。
チズは繰り返し言いながら、やがて抑えきれない感情を露わにしていった。
声を震わせ、目を潤ませて……ヒデアキに訴えた。
そんな彼女の思いを、無為にするわけにもいかず。
ヒデアキは心が痛むのを感じながらも、研究を続ける決断をしたのだった。
*
「……来たよ、お母さん」
病室の扉がガラリと開き、少女が入ってくる。
アツカはこの一週間ほどでその面影が感じられないほどに気力を失っていた。
彼女らしい明るさは完全に消え失せ、目元には深い隈が出来ている。
髪の毛はボサボサで、年頃の少女にあるまじき姿なのだった。
「まだ、よくならない?」
「ええ。でも、大丈夫だから……」
チズは娘の来訪を喜び、体を起こそうとする。
だが、もうその力も残っていないのだろう、結局は諦めて頭だけをアツカの方へ向けた。
「ごめんね、家のことをアツカに任せて。寂しい思いさせて……」
やつれたアツカの顔を見つめ、チズはそう謝りながら頭を撫でる。
その腕はか細く、ともすればポキリと折れてしまいそうな不安にアツカは駆られてしまうのだった。
「それは全然いいよ。でも…… お父さん、ずっと研究漬けでお見舞いに来ないじゃん」
「いいのよ。お父さんも、私が元気になるために、頑張ってくれてるんだから……」
「……そんなの、おかしいよ。大事な人のそばに、ずっといるべきだよ……」
涙を見せまいと顔を伏せながら言うアツカ。その無防備な頭をチズは優しく撫でる。
「……私の、望みなのよ。だから……それでいいの」
その言葉に、けれどアツカは何一つ納得などできなかった。
――私は、私だけは、お母さんのそばにいる。
病院からの帰路。曇天の黒々とした空を見やりながら、アツカは誓う。
いつか母が病を乗り越えるまで、必ず一緒にいようと。
絶対に諦めない。もしも病気が現代の医学で治らないと言うならば、私自身がその道を進んででも。
必ず母を、救ってみせるのだ……と。
ヒデアキは、以前にも増して家に帰らなくなり、ただひたすら研究に没頭していた。
その研究は最早、アツカにとっては尊敬すべきものではなく、憎むべきものとなっていた。
母の命を救えない研究など、何の意味があるというのだろう?
仮に夢が叶おうと、命を失うことは全ての終わりなのだとアツカは考えていた。
ゆえに、父と娘の距離が離れていくのも当然のことで。
家の中で二人が揃う時間は、いつしか無くなってしまった。
そんな不和が京極家を満たしたまま、月日は無情にも流れ。
医師の宣告の日は着実に迫り、チズの病状も悪化していった。
……そして、冬もその猛烈な寒さを振るい始めていた、十二月三日のことだった。
全ての終わりと始まり――一つの破局が彼女たちに訪れたのは。
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