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【幻影綺館 ―Institution of GHOST-】

34.揺れ動く体を

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 東尖塔の螺旋階段。
 さっきまで二階へ上る階段だけだったこの場所に、今は地下へ下りる階段が現れていた。
 さっきの震動は、床が引っ込むときに生じたものだったらしい。
 間口は狭いが、人一人がちゃんと下りていけるだけの間隔はあった。

「……進むしか、ないよな」

 ただでさえ電気が消え、光源のほとんどない館。
 そこから更に光の届かない地下へ続く階段とは。
 正直言えば、さっきまで僅かに残っていた希望も消え去って、今はもう不安だけが心を占めていた。

「気を付けて進もう。ヤバいもんがあったら、すぐに逃げるぞ」
「ええ……もちろんよ」

 ランもシグレくんも、緊張の面持ちで頷く。

「……それにしても」

 尖塔内に生じた変化は、階段だけではなかった。
 こちらは薄々予感していたことだが、現れた代わりに消えていたものもあったのだ。
 爆散し、血飛沫を撒き散らして転がっていた死体。
 そう……アヤちゃんの死体が、テンマくんの死体と同じく無くなっていたのである。

「もしかしたら、全部の死体が無くなってるのかもしれないな」
「チホちゃんの死体も、ですか」
「あくまでも予想だけどな。後で確認しておいた方がいいかもしれない」

 死体が無くなる理由が全く不明なのだが、それも嫌な予感しかしない。
 わざわざ手間をかけてでも、何らかの存在が死体を移動させていることになるのだから。
 或いは……化物の体は消失するのか? 生憎そこまでは分かる由もない。

「……行こう」

 先頭を進む俺とソウヘイがスマホで先を照らし、シグレくんとランが恐る恐るついてくる。
 そんな感じで、俺たちはゆっくりと階段を下っていった。
 下りていく途中で、壁の材質がガラリと変わる。それまでは石壁だったのが、突然人工的なタイル建材に。色も暗めの青らしく、地上階との差が激しい。
 地上階は館全体の雰囲気に合わせているが、地下はまるで別の建築物のよう、と言えばいいのか。とにかくそんな雰囲気だ。
 それから、下りていく内に気付いたが、どうも下りた先には光源があるらしく、進むにつれて視界が明るくなっていった。
 三十段ほどの階段を下りきると、そこからは長い廊下が続いていた。途中折れ曲がったりもしているが、一本道で伸びている。天井にはやはり蛍光灯が規則的に並んでいて、その灯りで廊下を照らしていた。

「……こりゃあ、明らかに怪しい施設って感じだぜ……?」
「ですね……」

 ソウヘイの言わんとしていることは分かる。
 率直に言えば、ここは何らかの研究施設に思えてならなかった。

廊下の端には扉が三つある。左右に一つずつと、突き当たりに一つだ。扉の前にはプレートが取り付けられていて、左は医務室、右は倉庫となっている。
 そして、突き当たりの扉は。

「GHOST研究所……日下分室……?」

 見たくなかった名前が、しかしそこにはハッキリと刻まれていた。
 日下分室。それは、ヒカゲさんをトップとした施設であるという意味。
 GHOSTという名称は組織名なのだろうが、研究所ということは確実に、この場所で何らかの研究を行っていたということになる。
 今までの情報を整理すれば、その研究は明らかに……。

「霊についての研究、か」

 必然的にそれは、命を弄ぶ研究だ。
 テンマくんが遺した、鏡ヶ原の事件のような。
 そう、あの事件もGHOSTとやらが起こしたものという可能性は極めて高かった。

「いよいよヤバい場所に来ちまったって感じだな。……中に入りたいところだが」

 言いながら、ソウヘイはスライドドアの窪みに手を掛けて開こうとする。しかし、ドアは僅かも動いてはくれなかった。

「……自動ドアなんだろうな、多分。電気は通ってるけど開かないか」
「セキュリティがあるんじゃないかしら?」

 ランはそう言って、扉の横にある機械装置を指差す。どうもそれはカードリーダーのようだ。

「ここにカードを通して認証するんだと思うんだけど」
「ぽいな。……そう言えばレイジ、会議室にIDカードが置いてあったんじゃなかったか」
「ああ、一応持ってきたけどさ」

 俺が胸ポケットからIDカードを取り出すと、それだとばかりにランが引ったくる。

「これで開くに違いないわ!」

 ニヤリと笑い、ランはゲスト用と記載されたそのカードを機械に通す。これで認証されるなら、扉は自動的に開かれるはずだが。
 鳴り響いたのは認証の音ではなく、エラーを示すビープ音だった。

「……えっ?」

 瞬間、だった。
 まさしく一瞬にして、世界は完全な闇に包まれる。
 電気が消えたのだと理解するのに数秒を要した。
 ひょっとしたら魂を抜かれたんじゃないかとすら思ってしまったほどだ。

「認証エラーで電気系統が切れるのか……!?」
「くそ、軽率だった!」

 地下空間で明かりが無くなるのは致命的過ぎる。
 視界の喪失は混乱をもたらし、慌てた俺たちは互いに体をぶつけあってしまう。
 狭い空間だ。まぼろしさんを呼んだときもそうだったが、不安が押し寄せて堪らなくなる。
 こんなとき、誰かに腕でも掴まれたりしようものなら、心臓が止まりそうなほどに。

「明かりを点けましょう!」

 シグレくんの声がして、ゴソゴソとポケットをまさぐる音もする。
 焦って失念していたが、今まで通りスマホで明かりをとればとりあえずは凌げるのだ。一番冷静だったのはシグレくんだったか。
 と思ったが、シグレくんも流石に不安でならなかったか、明かりを点けようとしてスマホを取り落としてしまう。ガシャン、という音が廊下内に響いた。

「あ、すいませんっ」
「いや、大丈夫だ」

 シグレくんが先に動いてくれたおかげで、俺も落ち着くことができた。ポケットからスマホを取り出して、ライトを点灯させる。
 そして、まずは床に落ちたシグレくんのスマホを照らす。

「ありがとうございます……」

 その間に、ソウヘイもスマホのライトを点けていた。それからシグレくんもライトを点け、周囲は割合明るくなる。

「ふう、明るくはなったな。しかし認証エラーで電気系統が消されるとは……」
「ですね、びっくりしました……」

 全く、心臓に悪すぎる。
 予想はしてなかったが、少しくらい身構えていた方が良かったか。

「……まったく、ランの思いつきはアテに」

 ならないな、という言葉は口から出てこなかった。
 それよりも前に、気付いてしまったから。

「……あいつ」

 スマホのライトを、周囲にかざす。
 けれど……この狭い廊下には今、俺とソウヘイと、シグレくんだけしか存在しなかった。

「どこ行った?」

 ランの姿が、忽然と消えていた。





 全速力で地上へと戻った俺たち。
 けれど、そのときにはもう全てが終わっていた。
 玄関ホールまで走ってきた俺たちを待っていたのは……絶望的な光景だった。

「……あ……ああ……」

 情けない声が、口から漏れ出す。
 それを抑えることも、この目から溢れるものを抑えることも不可能だった。
 激情が込み上げ、なのに体から力が抜けていく。
 俺はまともに立つことすらできなくなって、がくりと頽れた。
 でも……視線だけは。
 ずっと、彼女から離すことはできなかった。

「……ラン……」

 おかしいだろ?
 ついさっきまで、俺の隣にいて笑っていたあいつが。
 必ず生きて出ようって、強く決意していたあいつが。
 どうしてこんなことにならなくちゃいけないんだ?
 あの一瞬の暗闇に沈んで、こんな結末を迎えなくちゃいけないんだ……?

「どうして、だよ……」

 彼女の体は、規則的に揺れ続けている。
 俺はその体に、縋りつこうと手を伸ばし続ける。
 けれど、それは叶わず。
 中空に伸ばした手は、虚しく空振ってしまうのみだった。
 ランは、玄関ホールの天井から吊り下げられ。
 その縄は首を絞め。
 額にはべっとりと赤いものが流れ。
 もう、俺たちに何の表情も浮かべてはくれなかった。

「うわああぁぁああああッ!」

 止め処ない涙と絶叫の中で。
 俺は喪ったものがとてつもなく大きな存在だったことを……理解した。
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