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Fifteenth Chapter...8/2

狂気の波長

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『この仮説を導くに至って、そのきっかけとなったのは人工地震だ。既に龍美さんには話した通り、地中への電磁波照射によって人為的に地震を引き起こすような装置は、理論的にあり得ないとは言い切れない。この技術を以って病院の人間が人工地震を起こした可能性は考えられた。
 地震を誘発させるほどの電波を照射できる装置。仮にそれを病院の人間――久礼貴獅さんが保有しているとしよう。では、貴獅さんの最終目的は人工地震を引き起こすことなのか。答えは否だ。WAWプログラムは月の満ち欠けを暗喩している。地震も潮汐力が要素になっていると話しはしたけれど、地震と盈虧をイコールで繋ぐのは行き過ぎだと感じる。
 私は以前、龍美さんにこんなことも話したはずだ。月の満ち欠けが人体に影響を与えるというバイオタイド理論のことを。そのとき、ルナティックという言葉も持ち出して、電磁波がルナティックのような影響を与えなければいいものだけど、と冗談めかして言ったのを覚えているだろうか。
 もしもあれが、冗談で済まなかったとしたら。
 そう、それこそがWAWプログラムの最終目的なのだろう――』

 気付けば私は、佐曽利さんの家をふらりと抜け出していた。
 まさかと笑い飛ばしたくなる衝動と、まさかと叫び出したくなる衝動と。そのどちらもが綯交ぜになったぐちゃぐちゃの感情に耐え切れず、家の中に留まっていられなかったのだ。
 心なしか、頭が痛い。
 まるで頭の中で何かが蠢いているかのようだった。
 いや、きっと実際に蠢いているのだろう。
 姿無き存在が、人の思考を壊すために。

「どうすれば……」

 八木さんの仮説が的を射ているとすれば、WAWプログラムは満生台の住民たちを被験者とする人体実験計画だ。街全体に特殊な電磁波を照射することにより、人間の脳に負荷を与えて正常な思考が行えないようにしてしまう、とんでもない実験だった。
 電磁波を街全体に照射できるのか。特殊な電磁波とは何か。それについては八木さんもやや苦しいとは前置きしつつ、具体的にその手法も記してくれていた。

『月面反射通信という、アマチュア無線家の間でたまに使われる通信方法が存在する。貴獅さんはそれを応用し、狂気を誘発する電波――【ルナティック波長】と仮称することにしようか――を一度月へ放ち、それを反射させて満生台へ降り注がせているのではないだろうか。更に言えば、このルナティック波長は実際に月を通すことで何らかのエネルギーを取得しているのかもしれない――』

 月面反射通信がここで出てくるのは予想外だったが、私たちはその仕組みを実践から理解している。月から降り注ぐ波長で人が狂ってしまうというなら、それはまさにルナティックと呼ぶべき事象であった。
 月から降り注ぐ狂気。街全体にその波長が注ぐのだとすれば逃げ場は外部にしかないが、街から出るための道路は土砂崩れで塞がれている。
 あの土砂崩れは、ひょっとしたら連続殺人でなく、今日の実験に向けたクローズド・サークル生成だったのかもしれない。
 恐るべき計画犯罪だ。
 装置を動かせるのは恐らく貴獅さんだろう。なら、計画を阻止しようとするなら病院で彼に会って止めさせることくらいしか思い浮かばない。
 もっと強引な手段も取れなくはないだろうが、こちら側には仲間が少な過ぎた。

「……まさか、ね」

 嫌な考えだけはすぐに閃いてしまう。病院側が先回りして、邪魔者を排除しているという可能性。八木さんも、もしかすると虎牙も、貴獅さんの毒牙にかかってしまったのかもしれない。
 事実、虎牙は一度彼に捕まっている。姿を見られたら次もまた追い回されるに決まっていた。
 何にせよ、力技は不可能に近い。
 心中そんなことを思いながら、私の足は自然と病院へ向かって南下していたらしい。気付けばそこは、秤屋商店に程近い場所だった。
 幸いにして住民とすれ違うことはなかったが、街の現状がどうなっているかは気になるし、住民たちの眼の色は確かめてみたかったのが本音だ。
 遠巻きからでも、誰かを見つけられないものか。そう考えているとき、ふいに近くの方から声が上がった。

「お父さん!」

 聞き馴染みのある女性の声。
 間違えるはずもない、これは千代さんの声だ。
 すぐ目の前にある秤屋商店の上階から、彼女の声は聞こえてきた。どうやら父親に呼び掛けているらしいが、声色には焦りが感じられる。
 何か困ったことになっていそうで様子を見に行きたくなるが、私の立場上易々と出て行っていいものか。しばらく悩んだ末に、私はまず一階の売場から聞き耳を立ててみることにした。

「ねえ、しっかりして!」

 流れからして、どうやら千代さんのお父さんの身に何かがあったらしい。過去の地震で怪我をしてから健康状態は良くないと聞いていたが、体調が急変したのだろうか。

「どうして目が……!」

 ――え?

 一瞬、自分の耳を疑ったが、恐らくは間違いない。
 千代さんは目という単語を口にしたはずだ。
 まさかという思いが一気に湧き上がってくる。
 そうなると流石に、我慢したままではいられなかった。

「千代さん!」

 私は立入禁止になっている二階へと駆け上がった。細長い廊下の両側に扉があって、その左側は開け放たれている。
 千代さんのスカートがその隙間から覗いたので、私はそこまで近づいていった。

「え……た、龍美ちゃん!?」

 行方不明だった私が突然現れたのだ、千代さんの驚きも当然のこと。
 しかし私はその反応に構っていられなかった。
 私は私で、千代さんのお父さんに生じている異常を見て驚いてしまったからだ。

「赤目――」

 千代さんのお父さんと、それほど面識があるわけではない。
 だが、一目みただけでもそれは正常なものではなかった。
 苦しげに呻く彼の目は赤く充血していて。
 脚には微かな痙攣が起きていたのだ。

「ど、どうしてここに」
「千代さんの声が聞こえたんです、目がどうとか言うのも。お父さん、やっぱり目が……」

 千代さんは四つん這いになり、父親の顔を覗き込むようにしている。もうほとんど閉じかけたその目はやはり、白い部分全体が赤く染まっていた。
 部屋には千代さんとお父さんだけでなく、お母さんもいた。隅の方で怯えながらも、視線は自身の夫に注がれている。

「お父さん、いつから?」
「ほんの少し前。いつも通りお店番をしてるとき、上から呻き声が聞こえたの……そうしたら、こんな感じで」
「体が弱い人はやられやすいのかしら……」

 WAWプログラムによる精神の錯乱。そこには外部からの強い負荷がかかる。
 八木さんはその負荷が脳や目に悪影響を与え、結果として眼球に這う血管が破裂することで赤目になってしまうのでは、と仮定していた。
 私もその仮定は正しいものだと思っている。
 千代さんのお父さんは、過去の地震で足を怪我してからというもの、あまり健康状態が良くなかった。千代さんと彼女のお母さんはまだ正常な目の色をしているし、体調によって効きやすさが違うというのもありそうだ。

「……寝ちゃったみたい」

 父親を見守っていた千代さんがぽつりと零す。見ると、なるほどお父さんの目は閉じられていた。
 あの赤い目も、眠ってしまえば分からない。問題は解決していないが、千代さんも彼女のお母さんも、ほんの少しだけ不安が和らいだようだった。

「ごめんなさい、龍美ちゃん。驚かせちゃって」
「いえ、私の方こそ。ずっと隠れて過ごしてましたし」

 えへへと苦笑いしながら私は答える。

「……詳しくは話し辛いんですけど、今この街では千代さんのお父さんみたいに、目が赤くなる病気のようなものが増えてきてるんです。街で起きた殺人事件も、その病気に関係してるっぽくて……私、その問題を解決するために、少し姿を晦ませてたんですよね」
「ううん、言われてもすぐには信じられない話だわ……」

 全くだ。私が千代さんの立場だったらむしろ貴方が病気じゃないかと言いたくなるほどの内容だろう。これでもまだ、事実を薄めたものなのだから恐ろしい。

「問題の解決に動いてくれてる大人の人も何人かいます。でも、問題は想像以上に大きくて……きっと今日、千代さんのお父さんみたいに赤い目の人が沢山出てしまうはずなんです。私、それを食い止めないと」
「龍美ちゃん……」

 私の言葉を、千代さんは真剣に受け止めてくれたらしい。難しい表情をしているけれど、ゆっくりと頷いてくれた。
 多分、それには私自身の目を見たこともあるだろう。

「龍美ちゃんも、目が」
「ええ、赤くなり始めてます」

 私もまた、千代さんほど健康な身とは言い難い。
 赤目の進行に個人差があるのなら、間違いなく早い方だろう。

「この問題は私たちが何とかしますから、千代さんたちはお父さんを診ててあげてください。今は、病院も信用ならないでしょうし」
「信用ならないというか、閉鎖しちゃってるものねえ……」

 と、千代さんは溜息を吐いた。

「あと、問題が落ち着くまで私のことは秘密で。親が心配してるのは分かってるんですけど、必ずもうすぐ解決しますから」
「同じ街の住民として、そういうのを放ってはおけないけど……必ず、すぐに戻ってあげられる?」
「はい。約束します」

 仮に事件が万事解決といかずとも、いずれは道路の土砂も撤去される。
 そうなれば、素人ではなくプロの捜査が入るのだ。無実の私たちが隠れる必要もなくなるだろう。いっそ保護してもらえばいい。
 目下のところ一番の懸念材料は、これまでの事件など比にならない大きな事件が起きてしまうこと。
 とりあえずこの八月二日を、無事に乗り切らなくては。
 私にできることがどれほどあるかは分からなくても。

「すいません、いきなりお邪魔して。それじゃあ私はこれで」
「あ、いやいや。心配してくれてありがとうね、龍美ちゃん」

 こちらもいやいやと首を振ろうとしたのだが、そこでふいに意識が遠のく。
 遅れて、軽い頭痛がじわりと襲ってきた。

「だ、大丈夫?」
「な、何とか。やっぱり影響あるのかな……」

 早乙女さんが殺されたあの夜にも、私の目は充血していた。脳への負荷が大きくなり過ぎると、意識が途切れてしまうのかもしれない。
 それどころか、お年寄りは脳出血を起こして死んでしまう危険性だってあるに違いない。

「少しだけ休憩していったらどう?」
「いやあ、迷惑でしょうし……」

 と言いかけたところで、ぐうう、と気まずい生理現象が起きる。
 ……そう言えば、今日はまだ朝ご飯を食べていなかった。

「こんなときだからこそ、体調は万全じゃなきゃ駄目でしょ?」
「……えへへ、そうですね」

 そこまで言ってくれるなら、断るのもかえって申し訳ないか。
 私は千代さんの厚意に甘え、しばらくの間秤屋家で休ませてもらうことにしたのだった。
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