上 下
76 / 86
Fourteenth Chapter...8/1

八百二

しおりを挟む
 ほとんど獣道のような荒れた道を、慎重に進んでいく。山中を突っ切って池に向かえるといっても、この道を通るのは結構大変だ。
 私ならまだいいけれど、玄人や虎牙だともっとハードルが高いだろうな。
 ただ、ここは流石に当時も道と思われてはいなかったのだろう、道標の碑は一つも立っていない。このことは、行けないような場所に碑は立っていないという証明のように思えて、少し安心できた。

「……あ」

 ちょうど半分ほど進んだところだろうか。道の向こうから、人影が歩いてくるのが見えた。
 間違いない。あの動きにくそうな服装は、八木さんだ。
 元気よく声を掛けようかとも思ったが、疲れているのか良くないものが見つかったのか、彼の表情は曇っている。私は自重して、聞こえるくらいの声量で名前を呼ぶに留めておいた。

「八木さーん」
「ああ、龍美さん。これから池の方へ?」
「はい。……お疲れですね」

 それとなく私が訊ねてみると、

「いや……虎牙くんは流石だ。というより、あんなものがあれば薄々ではあっても気付くものかな」
「収穫、あった感じですか」
「ああ。事件に繋がるかは確証を持てないけれど……三鬼村に眠っていた秘密は、何となく掴めたように思う」

 私たちが探索をした、謎の廃墟。
 そこを八木さんが調査することで、また新たな事柄が判明したわけだ。
 三鬼村に眠っていた秘密、か。私たちはあれを、村役場か何かということで強引に結論付けていたけれど。
 あれはきっと、役場なんかではないのだろうな。

「詳しいことは、龍美さんが帰ってきてからにしよう。でも……」
「でも?」
「……ううん、何でもない。遅くならないようにね」
「あ、はい。数え終わったらすぐ帰りますんで」

 あの日、仲間の前で情けない姿を晒す羽目になった廃墟のことだ。
 その真実を知ることができるなら、すぐにこちらも仕事をこなして帰らねば。

「お昼ご飯、作ってるんで食べてくださいね」
「ああ、ありがとう。……それじゃ、気を付けて」
「はーい」

 そこで八木さんと別れ、私は廃墟のある鬼封じの池へと歩いていく。
 もう私があそこに入ることはないだろうけれど……やはりあの場所に近づくのは、緊張感で胸が詰まりそうだった。
 八木さんがここまで戻ってきたということは、虎牙はもう帰っていそうだ。佐曽利さんの家に戻ったなら、ついでに報告へ上がったりするのもいいかもしれないな。
 道が広くなっていくと、道標の碑も現れ始めた。午後の部最初の碑だ、早速地図に丸を付ける。
 そこからは、進めば進むほどに碑の数が多くなっていった。東側は二、三分に一度見かけるほどだったが、ここだと一分に一度のペースでひょこりと現れる。
 そして、十個ほど丸を付けたところで、私はようやく鬼封じの池に辿り着いた。

「うわあ……」

 道標の碑を意識しながら改めて見てみると、相当に数が多い。
 本当に、池の周り一帯をぐるりと碑が囲んでいるという表現がぴったりだ。
 立ち込める霧が少し視界を悪くしているけれど、それでも数十個の碑がまとめて視界に入る。
 ここがクライマックスになるだろうな。

「うーん、凄い湿気ね」

 地図はただのコピー用紙なので、ずっと出していると湿気を含んでぐにゃぐにゃになってしまいそうだ。
 なるべくポケットにしまっておいて、たとえば十個ごとに記していくとかにした方がいいかもしれない。
 地図をしまって、私は道標の碑を数え始めた。最初の碑の前に目立つよう枝を積み上げてから、時計回りにぐるりと一周。その間十個を区切りとして、まとめて地図に丸を付けていく。
 北側には上流から続く細い川もあったので、そこは水面から飛び出た平たい岩を探し、頑張って飛び移った。……永射さんはここを流れてきたということか。
 作業そのものは案外楽だった。ただ、環境は最悪だ。夏の暑さと高い湿度。そのダブルパンチで、体調がだんだん悪くなっていくのを感じた。
 涼むためにも、早く観測所へ帰りたいものだ。

「……八十二!」

 そこまで数えたところで、最初に置いた木の枝の碑まで戻ってきた。つまり、外周部にある碑の数は八十二個ということだ。今日一日、ここまで数えた合計は実に百二個となる。
 既に地図の中へ落とし込んでいる、街中の碑が六百八十五個だから……七百八十七個か。
 道標の碑が八百二個あると仮定するなら、あと十五個の碑がどこかにある計算になる。確かいつも秘密基地へ行くルートにも碑が立っていたので、向かってみるとしよう。
 さっきよりは比較的通りやすい、なだらかな下り坂。苔の生えた碑は、けれども一部が綺麗なままで、誰かが時折手を触れたりしているような感じもある。
 たとえば道を通る人が、毎回碑に触っていったりしているのだろうか。そんな人がいるというのは考え難いけれど。
 鳥がよく止まり木のようにするせいで、苔が剥げている? それもちょっと無理がある推理か。
 まあ、今は細かいところを気にするより、数える方を優先しよう。気を取り直して、私は丸印を落とし込んでいく。
 ……そして。

「……八百二」

 佐曽利さんの家の前までやってきたところで。
 とうとう道標の碑の数は、八百二個になった。
 ここから先は街の範囲内だし、すぐ近くには昔付けた丸印がある。
 ということは――。

「やっぱり、八百二個なんだ」

 薄々ながら、予感していた結論。
 廃墟の外壁に記された謎の数字と、道標の碑との関連性。
 ただ、それが何を意味するかは判然としない。
 いや、虎牙には予想しているものがあるのかもしれないが……。
 この結果を虎牙に伝えられれば、あいつも仮説を披露してくれるだろうか。
 それは、果たしてどのようなものなのだろうか。
 聞いてみたい気もするし、怖い気持ちももちろんある。
 それは、これまでの事件に関する情報全てに言えたことだけれど。

「……このまま報告に上がるかあ」

 時々飲んではいたが、鞄の中のお茶はすっかり温くなっているし、ちょっと涼んでいきたい気持ちもある。休憩がてらの報告、もとい報告がてらの休憩をさせてもらうとしようか。
 汗の匂いがするのは嫌なので、タオルで最低限汗は拭いておく。気休め程度かもしれないけれど、仕方がない。ぐるりと念入りに拭ってから、私は佐曽利さんの家の戸を叩いた。

「……はい」

 佐曽利さんが、戸を少し開けて顔を覗かせる。訪問者が私だというのが分かった彼は、すぐに表情を緩ませ――とは言えほとんど変わらないが――私を招き入れてくれた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

暗闇の中の囁き

葉羽
ミステリー
名門の作家、黒崎一郎が自らの死を予感し、最後の作品『囁く影』を執筆する。その作品には、彼の過去や周囲の人間関係が暗号のように隠されている。彼の死後、古びた洋館で起きた不可解な殺人事件。被害者は、彼の作品の熱心なファンであり、館の中で自殺したかのように見せかけられていた。しかし、その背後には、作家の遺作に仕込まれた恐ろしいトリックと、館に潜む恐怖が待ち受けていた。探偵の名探偵、青木は、暗号を解読しながら事件の真相に迫っていくが、次第に彼自身も館の恐怖に飲み込まれていく。果たして、彼は真実を見つけ出し、恐怖から逃れることができるのか?

もしもし、お母さんだけど

歩芽川ゆい
ミステリー
ある日、蒼鷺隆の職場に母親からの電話が入った。 この電話が、隆の人生を狂わせていく……。 会話しかありません。

【連作ホラー】伍横町幻想 —Until the day we meet again—

至堂文斗
ホラー
――その幻想から、逃れられるか。 降霊術。それは死者を呼び出す禁忌の術式。 歴史を遡れば幾つも逸話はあれど、現実に死者を呼ぶことが出来たかは定かでない。 だがあるとき、長い実験の果てに、一人の男がその術式を生み出した。 降霊術は決して公に出ることはなかったものの、書物として世に残り続けた。 伍横町。そこは古くから気の流れが集まる場所と言われている小さな町。 そして、全ての始まりの町。 男が生み出した術式は、この町で幾つもの悲劇をもたらしていく。 運命を狂わされた者たちは、生と死の狭間で幾つもの涙を零す。 これは、四つの悲劇。 【魂】を巡る物語の始まりを飾る、四つの幻想曲――。 【霧夏邸幻想 ―Primal prayer-】 「――霧夏邸って知ってる?」 事故により最愛の娘を喪い、 降霊術に狂った男が住んでいた邸宅。 霊に会ってみたいと、邸内に忍び込んだ少年少女たちを待ち受けるものとは。 【三神院幻想 ―Dawn comes to the girl―】 「どうか、目を覚ましてはくれないだろうか」 眠りについたままの少女のために、 少年はただ祈り続ける。 その呼び声に呼応するかのように、 少女は記憶の世界に覚醒する。 【流刻園幻想 ―Omnia fert aetas―】 「……だから、違っていたんだ。沢山のことが」 七不思議の噂で有名な流刻園。夕暮れ時、教室には二人の少年少女がいた。 少年は、一通の便箋で呼び出され、少女と別れて屋上へと向かう。それが、悲劇の始まりであるとも知らずに。 【伍横町幻想 ―Until the day we meet again―】 「……ようやく、時が来た」 伍横町で降霊術の実験を繰り返してきた仮面の男。 最愛の女性のため、彼は最後の計画を始動する。 その計画を食い止めるべく、悲劇に巻き込まれた少年少女たちは苛酷な戦いに挑む。 伍横町の命運は、子どもたちの手に委ねられた。

リモート刑事 笹本翔

雨垂 一滴
ミステリー
 『リモート刑事 笹本翔』は、過去のトラウマと戦う一人の刑事が、リモート捜査で事件を解決していく、刑事ドラマです。  主人公の笹本翔は、かつて警察組織の中でトップクラスの捜査官でしたが、ある事件で仲間を失い、自身も重傷を負ったことで、外出恐怖症(アゴラフォビア)に陥り、現場に出ることができなくなってしまいます。  それでも、彼の卓越した分析力と冷静な判断力は衰えず、リモートで捜査指示を出しながら、次々と難事件を解決していきます。  物語の鍵を握るのは、翔の若き相棒・竹内優斗。熱血漢で行動力に満ちた優斗と、過去の傷を抱えながらも冷静に捜査を指揮する翔。二人の対照的なキャラクターが織りなすバディストーリーです。  翔は果たして過去のトラウマを克服し、再び現場に立つことができるのか?  翔と優斗が数々の難事件に挑戦します!

秋月真夜は泣くことにしたー東の京のエグレゴア

鹿村杞憂
ミステリー
カメラマン志望の大学生・百鳥圭介は、ある日、不気味な影をまとった写真を撮影する。その影について謎めいた霊媒師・秋月真夜から「エグレゴア」と呼ばれる集合的な感情や欲望の具現化だと聞かされる。圭介は真夜の助手としてエグレゴアの討伐を手伝うことになり、人々、そして社会の深淵を覗き込む「人の心」を巡る物語に巻き込まれていくことになる。

【一話完結】3分で読める背筋の凍る怖い話

冬一こもる
ホラー
本当に怖いのはありそうな恐怖。日常に潜むあり得る恐怖。 読者の日常に不安の種を植え付けます。 きっといつか不安の花は開く。

Mary Magdalene~天使と悪魔~

DAO
ミステリー
『私は血の様に赤い髪と赤い目が大嫌いだった。』『私は真っ赤に染まる姉さんが大好きだった』 正反対の性格の双子の姉妹。 赤い髪のマリアは大人しく真面目。 青い目のメアリは社交的なシスコン。 ある日、双子の乗船した豪華客船で残虐非道な殺人事件が起きるのだった。

処理中です...