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Tenth Chapter...7/28
満生台自治会
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軽い頭痛で目が覚めた。
悪い夢を見ていたような心地だ。
まぶたの裏に浮かび上がってくるのは、昨日の赤い視線。
狂気的な赤き瞳の少女。
「理魚ちゃん、か」
玄人はこの前、理魚ちゃんの病気について貴獅さんから説明されたと話していた。理魚ちゃんは病気のせいで喋ることも難しく、また精神疾患もあるという。
だから、彼女が一言も喋らなかったのは仕方のないことだろうが……あの赤い目だけは、理由が分からなかった。
あれも病気のうちなのかと、私はネットで検索をかけてみたのだが、当てはまりそうな病名は結膜下出血というもの。よくある原因としては寝不足だったり目の使い過ぎだったりで、目に対する疲れが血管に負荷を与えてしまい、血管が破れて目の中に血が漏れ出てしまうらしい。外傷による出血も理由に挙げられているが、理魚ちゃんに関してその可能性はないだろう。
疲れが目に負荷を与え、出血して赤目になる。そのメカニズム自体は納得できるものだ。なら、理魚ちゃんは白目が全て真っ赤になってしまうほど目に負荷がかかっている、ということなのか。……精神疾患で上手く睡眠がとれていないのなら、それは有り得そうだ。
とにかく、見た目は恐ろしかったものの現実にある病気であれば、現実の範疇に押しとどめていられる。これがどう考えても有り得ない現象だったら、私は鬼の祟りでも信じそうなくらいだった。
玄人は、よく理魚ちゃんのことを気にかけている。精神疾患が完治する望みは少ないかもしれないが、『満ち足りた暮らし』を掲げるこの満生台に住んでいるのだ。できる限り良くなってほしいとは私も思う。
「……ふあぁ……」
最近は悪夢によくうなされるせいか、私も寝不足だ。理魚ちゃんほどにはならないだろうが、気を付けないと私も目が赤くなってしまうかもしれないな。
この土日のうちに、ゆっくり休めたらいいけれど。
朝の身繕いを済ませてから、朝食のためリビングへ向かう。今日はお父さんもお母さんも席に座っていて、私のことを待ってくれていた。
「おはようー」
「ああ、おはよう」
挨拶をして、私も席に着く。美味しそうな匂いにようやく目覚めを実感しながら、私は両親とともにいただきますの合唱をして、箸を手に取った。
「雨が続くな」
「そうねえ。嫌な事件も続いて、気持ちが暗くなるわ。ご近所の人もみんな言っているし」
ゆっくりと箸を進めながら、お父さんとお母さんはそんな会話をしている。暗い気持ちは、やはり街中に伝播しているようだ。
ふと、お父さんがいつも座っているソファを見ると、朝に配達されてきた郵便の束が放置されていた。配達物といっても何も特別なものはなく、契約している新聞とそこに折り込まれているチラシだけだ。
ただ、私がそちらに視線をやっていると、
「……嫌なチラシも入っていたしな」
と、お父さんが呟いた。
「嫌なチラシ?」
「ああ。電波塔計画の反対者集会、だそうだ。食事が終わったら、龍美も一応目を通しておくといい」
「反対者集会って……」
意味はそのままだろうが、このタイミングでそんなものが開催されるというのか。
まるで永射さんの死に乗じて、電波塔計画を潰そうとしているかのようだ。
確かに、計画を中止させるのであれば、トップが死亡した今がチャンスなのだろう。
どちらもなりふり構わなくなってきている。そんな風に感じてしまう。
「年配の方が心配になるのも分かるんだけどねえ」
「この情報化社会だ。電波塔も時代の流れと受け入れてほしいものだね」
「まあ、瓶井さんが手強いもの」
「まさにムラ文化というやつかな」
二人の会話からして、集会を提起したのは瓶井さんなのだろうか。反対派のリーダーとしては、確かに彼女はもってこいだが。
集団を形成して反対運動を行うというのは、どこか彼女の印象と相違している気がする。
ご飯を食べ終えた私は、早速反対者集会のチラシを確認してみることにした。お父さんも見ていて気分を害したのか、新聞の下敷きになったチラシは歪に折れ曲がっている。
『暑い日が続きますが、満生台の皆様方にはご健勝のことと存じます。さて、早速ではございますが、標記の件につきまして、下記の通り行わせていただきますので、此度の計画に反対の意思をお持ちの方は、是非ご参加いただきたく、ご案内申し上げます。皆様の行動が、満生台を良き方向に変えてくださることを、心より願っております。どうぞ、よろしくお願いいたします』
そのような文言が記されたチラシは、稚拙ながらある程度はパソコン作業のできる人間が作成したもののように思われた。……結局文明の利器を頼っているわけだが。ひょっとしたら、家族に作らせたとかはあるかもしれない。
集会の開催日時は八月二日。これは電波塔が稼働するまさに当日だ。稼働式典は夜九時という遅い時間から始まることになっているはずなので、それより前に集会を開き、そのまま強硬手段で式典を潰したりするつもりなのだろうか。
少なくとも、日程を合わせているのは作為的な印象がある。
主催の名称は『満生台自治会』。仁科家が移住してきてから、自治会という名前を聞いたことはなかったが、永射さんの死を機に息を吹き返したのだろうか。
「この自治会って、瓶井さんがやってるものなのかな?」
両親に訊ねてみると、
「そんな話は聞かないな。まず、俺も自治会というのを初めて知ったくらいだ」
お父さんが言う。両親がこれまで世間話などで聞いたことがないのなら、この二年間は全く活動がなかったということに違いない。
ちょっと怪しい集まりだなと思う。
「……八月二日ね。大変なことにならなきゃいいけど」
お母さんの言葉。それは曖昧だけれど、現状を表すのにぴったりなものだ。
この先何が起きるか分からない不安……得体の知れない恐怖が纏わりつくような、朝の一幕だった。
悪い夢を見ていたような心地だ。
まぶたの裏に浮かび上がってくるのは、昨日の赤い視線。
狂気的な赤き瞳の少女。
「理魚ちゃん、か」
玄人はこの前、理魚ちゃんの病気について貴獅さんから説明されたと話していた。理魚ちゃんは病気のせいで喋ることも難しく、また精神疾患もあるという。
だから、彼女が一言も喋らなかったのは仕方のないことだろうが……あの赤い目だけは、理由が分からなかった。
あれも病気のうちなのかと、私はネットで検索をかけてみたのだが、当てはまりそうな病名は結膜下出血というもの。よくある原因としては寝不足だったり目の使い過ぎだったりで、目に対する疲れが血管に負荷を与えてしまい、血管が破れて目の中に血が漏れ出てしまうらしい。外傷による出血も理由に挙げられているが、理魚ちゃんに関してその可能性はないだろう。
疲れが目に負荷を与え、出血して赤目になる。そのメカニズム自体は納得できるものだ。なら、理魚ちゃんは白目が全て真っ赤になってしまうほど目に負荷がかかっている、ということなのか。……精神疾患で上手く睡眠がとれていないのなら、それは有り得そうだ。
とにかく、見た目は恐ろしかったものの現実にある病気であれば、現実の範疇に押しとどめていられる。これがどう考えても有り得ない現象だったら、私は鬼の祟りでも信じそうなくらいだった。
玄人は、よく理魚ちゃんのことを気にかけている。精神疾患が完治する望みは少ないかもしれないが、『満ち足りた暮らし』を掲げるこの満生台に住んでいるのだ。できる限り良くなってほしいとは私も思う。
「……ふあぁ……」
最近は悪夢によくうなされるせいか、私も寝不足だ。理魚ちゃんほどにはならないだろうが、気を付けないと私も目が赤くなってしまうかもしれないな。
この土日のうちに、ゆっくり休めたらいいけれど。
朝の身繕いを済ませてから、朝食のためリビングへ向かう。今日はお父さんもお母さんも席に座っていて、私のことを待ってくれていた。
「おはようー」
「ああ、おはよう」
挨拶をして、私も席に着く。美味しそうな匂いにようやく目覚めを実感しながら、私は両親とともにいただきますの合唱をして、箸を手に取った。
「雨が続くな」
「そうねえ。嫌な事件も続いて、気持ちが暗くなるわ。ご近所の人もみんな言っているし」
ゆっくりと箸を進めながら、お父さんとお母さんはそんな会話をしている。暗い気持ちは、やはり街中に伝播しているようだ。
ふと、お父さんがいつも座っているソファを見ると、朝に配達されてきた郵便の束が放置されていた。配達物といっても何も特別なものはなく、契約している新聞とそこに折り込まれているチラシだけだ。
ただ、私がそちらに視線をやっていると、
「……嫌なチラシも入っていたしな」
と、お父さんが呟いた。
「嫌なチラシ?」
「ああ。電波塔計画の反対者集会、だそうだ。食事が終わったら、龍美も一応目を通しておくといい」
「反対者集会って……」
意味はそのままだろうが、このタイミングでそんなものが開催されるというのか。
まるで永射さんの死に乗じて、電波塔計画を潰そうとしているかのようだ。
確かに、計画を中止させるのであれば、トップが死亡した今がチャンスなのだろう。
どちらもなりふり構わなくなってきている。そんな風に感じてしまう。
「年配の方が心配になるのも分かるんだけどねえ」
「この情報化社会だ。電波塔も時代の流れと受け入れてほしいものだね」
「まあ、瓶井さんが手強いもの」
「まさにムラ文化というやつかな」
二人の会話からして、集会を提起したのは瓶井さんなのだろうか。反対派のリーダーとしては、確かに彼女はもってこいだが。
集団を形成して反対運動を行うというのは、どこか彼女の印象と相違している気がする。
ご飯を食べ終えた私は、早速反対者集会のチラシを確認してみることにした。お父さんも見ていて気分を害したのか、新聞の下敷きになったチラシは歪に折れ曲がっている。
『暑い日が続きますが、満生台の皆様方にはご健勝のことと存じます。さて、早速ではございますが、標記の件につきまして、下記の通り行わせていただきますので、此度の計画に反対の意思をお持ちの方は、是非ご参加いただきたく、ご案内申し上げます。皆様の行動が、満生台を良き方向に変えてくださることを、心より願っております。どうぞ、よろしくお願いいたします』
そのような文言が記されたチラシは、稚拙ながらある程度はパソコン作業のできる人間が作成したもののように思われた。……結局文明の利器を頼っているわけだが。ひょっとしたら、家族に作らせたとかはあるかもしれない。
集会の開催日時は八月二日。これは電波塔が稼働するまさに当日だ。稼働式典は夜九時という遅い時間から始まることになっているはずなので、それより前に集会を開き、そのまま強硬手段で式典を潰したりするつもりなのだろうか。
少なくとも、日程を合わせているのは作為的な印象がある。
主催の名称は『満生台自治会』。仁科家が移住してきてから、自治会という名前を聞いたことはなかったが、永射さんの死を機に息を吹き返したのだろうか。
「この自治会って、瓶井さんがやってるものなのかな?」
両親に訊ねてみると、
「そんな話は聞かないな。まず、俺も自治会というのを初めて知ったくらいだ」
お父さんが言う。両親がこれまで世間話などで聞いたことがないのなら、この二年間は全く活動がなかったということに違いない。
ちょっと怪しい集まりだなと思う。
「……八月二日ね。大変なことにならなきゃいいけど」
お母さんの言葉。それは曖昧だけれど、現状を表すのにぴったりなものだ。
この先何が起きるか分からない不安……得体の知れない恐怖が纏わりつくような、朝の一幕だった。
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