この満ち足りた匣庭の中で 二章―Moon of miniature garden―

至堂文斗

文字の大きさ
上 下
40 / 86
Eighth Chapter...7/26

事件の考察

しおりを挟む
「玄人、何で鬼封じの池なんか行ったのよ」

 早朝の学校。
 玄人と目が合ってからの第一声はそれだった。
 昨日から一日待たされたのだ、問い詰めたって何の問題もあるまい。
 玄人は私の剣幕に驚いて、最初の方は言葉を詰まらせながらも、ちゃんと昨日の経緯を説明してくれた。
 彼は私たちと別れた後、帰り道で傘を差さずに走っていく怪しい人影を見たという。その人影が心配というか気がかりになり、追いかけていくと鬼封じの池まで辿り着き……そこで永射さんの体が浮かんでいるのを発見したそうだ。
 怪しい人影。玄人でなければにわかには信じられないのだが、彼が嘘を吐くような人間でないことは親友として分かっている。だから私は、

「……それ、鬼なんて言わないわよね」

 と、冗談めかしながらその正体を確認した。

「まさか。……多分だけど、あの子だったんじゃないかなって」

 玄人はそう呟くと、視線を私から教室の隅の空席へと向ける。
 その場所は、日ごろから空席がちな、そして最近は全くと言っていいほど主のやって来ない席だった。

「……理魚ちゃん?」

 河野理魚。満雀ちゃんと同様に病弱な身で、学校にも中々来ることができない子だ。
 満雀ちゃんのように、たとえば親が登下校に付き添ってあげたら……などと思わないこともなかったのだが、この街ではあまり他者の健康状態について詳しく聞くのも難しく、納得のいく理由は知らないままだった。
 奇しくも玄人の話は、その理由について知ることのできるものでもあった。

「うん。鬼封じの池に探検しに行った日、帰り道で傘も差さずにあの子が歩いているのを見たんだ。それが引っ掛かっていたんだけど、昨日貴獅さんが、あの子の病気について教えてくれてね」
「そういや、病気については私も何も知らないわ」
「知っている子なんていなかったんじゃないかな。彼女、喋るのが難しい上に、精神疾患もあるらしいから。伝えない方が良いって思ってたのかも」
「……そうなんだ。それって貴獅さん、言っても良かったのかしら」

 満生台は病に罹った人、怪我をした人が、満生総合医療センターを拠り所として集まる場所。だから、複雑な過去を抱えた人が多い。
 私たちですら互いのことは深く打ち明け合っていないのに、病院側が患者のプライバシーを開示するのはあまり良くないことだと感じる。
 まあ、非常事態だったわけだし、玄人にだけは伝えても問題ないと判断したのだろう。貴獅さんもプライバシーの重要性くらいは理解していて当然だし、もうそれ以上のことはないはずだ。

「しかし、危ないわねえ……親御さんも、もっとよく見ててあげないと」
「でも、難しいことだと思うよ。そういうのって」

 玄人は、理魚ちゃんやその家族を庇うような言い方をする。
 やはりどことなく、彼は理魚ちゃんに対して特別な感情――勿論恋愛とかではなく、過敏なほどの配慮といったところか――を持っているようだ。
 いつかは、そういう踏み込んだ事情を語り合えるようにもなるかな。
 玄人や虎牙、満雀ちゃんとも。
 ともあれ、玄人側の話も聞き終えたので、後は互いの情報を元に事件の考察をしたいところだ。そう思っているとチャイムが鳴り、双太さんと満雀ちゃんがやって来た。いつの間にかこんな時間になっていたのか。

「今日も……虎牙くんはいないんだね」
「どこ行っちゃったのかなあ……うゆ」

 二人は虎牙の席に目をやり、寂しげに呟く。そう、この時間に虎牙がいないということは、今日も休みということだ。双太さんの口ぶりからして、未だに彼自身や佐曽利さんからも連絡がないようだし、いよいよ不安は募ってくる。
 あの馬鹿虎牙は、一体何をやっているのだろう。

「今日も、試験は予定通り行うことにしてるから、皆、頑張ってね。昨日のことは、もう知らない子もいないだろうけど、ちゃんと色んな人たちが動いてくれてるから、気にしないように」

 双太さんは先生として、言うべきことをちゃんと言う。生徒側も、心から納得してはいないだろうけど、一応の返事はちゃんとする。
 満生台では珍しい大事件だ。ぎくしゃくしてしまうのは、仕方のないことだった。
 試験の準備をしに、双太さんは一旦職員室へ引き返す。そこから試験が始まるまでの間は、満雀ちゃんを含めて三人で、事件についての考察をして過ごした。
 満雀ちゃんは私と別れた後、ずっと家にいたようだが、事件について聞かされたのは夜になってからで、それもかなりあっさりした内容だったようだ。そこは貴獅さんや羊子さんの配慮なのかもしれない。そういうわけで、彼女は私たちの話に興味津々といった様子だった。
 土砂崩れについては特筆すべきこともなかったけれど、問題は永射さんの死だ。話によれば、玄人は死体の発見後、牛牧さんと事件現場の調査を行ったらしい。探偵染みた行動に羨ましさを感じないわけではなかったが、それはさておき、現場には不可解な点があったそうだ。
 鬼封じの池は、山の上層部に流れる川の終点であり、永射さんの死体は川の上流から流れてきたのだと推測された。そこで玄人と牛牧さんは川を遡っていったのだが、あるところで揃えられた靴を発見したという。
 靴は当然、永射さんのものだった。揃えられているという状況から、最初は川に飛び込んで自殺したのかとも考えたようだが、彼に自殺する理由などなさそうだし、それを否定するとある証拠も残されていたのだ。
 
「……靴跡、ね」

 現場には、二人分の靴跡があった。
 玄人は、同行した牛牧さんにも黙っていたその事実を、私たちに暴露してくれた。
 一つは永射さんの残した靴跡と見て間違いない。
 しかし、もう一つの靴跡は。

「それって……永射さんが転落した場所に、他の誰かがいたってことになるわよね……」
「僕も、そうなんじゃないかって。……だとすると、永射さんの死は自殺でも、事故でもない可能性が、出てきちゃうんだ」
「誰かが、永射さんを突き落とした――」

 転落現場に、被害者以外の靴跡がある理由など、そうとしか思えない。
 だって、仮に害意のない相手がいたとして……永射さんが川に転落してしまったら、助けくらい呼ぶだろう。間に合わなかったとしても、誰かに連絡は必ずいれるはず。
 それが全くなかったということは、少なくとも靴跡を残した人物は、永射さんを助ける気がなかったということになる……。

「誰かが永射さんを突き落として、靴を揃えることで自殺に見せかけた、か」
「うゆ……あんな雨の中、わざわざそんなことする人、いるのかな」
「うーん、なんであの日だったのかっていうのは、疑問だけど。もしかしたら、雨が強くなる前だったかもしれないしね」
「そっか、それもそうだね……」

 あれこれと考えてはみるけれど、どうにも思考は事故ではなく、事件の方向にいってしまう。靴跡の問題さえなければ、他殺という可能性は低かったのだが。
 玄人は、このことを他の誰にも告げていない。
 なら、他殺の説が濃厚だというのは、私たちだけにしか分からないことなのか。

「……ま、この辺にしておこうか。もう試験も始まるしね」

 話が重々しくなってしまったので、玄人が切り上げようと口にする。ちょうどそこで、チャイムも鳴った。
 また、同じように試験が始まるけれど、日に日に集中力はなくなってきているなと、私は思う。
 この淀んだ気持ちがすっかり晴れる日は、いつになるというのだろう。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

この欠け落ちた匣庭の中で 終章―Dream of miniature garden―

至堂文斗
ミステリー
ーーこれが、匣の中だったんだ。 二〇一八年の夏。廃墟となった満生台を訪れたのは二人の若者。 彼らもまた、かつてGHOSTの研究によって運命を弄ばれた者たちだった。 信号領域の研究が展開され、そして壊れたニュータウン。終焉を迎えた現実と、終焉を拒絶する仮想。 歪なる領域に足を踏み入れる二人は、果たして何か一つでも、その世界に救いを与えることが出来るだろうか。 幻想、幻影、エンケージ。 魂魄、領域、人類の進化。 802部隊、九命会、レッドアイ・オペレーション……。 さあ、あの光の先へと進んでいこう。たとえもう二度と時計の針が巻き戻らないとしても。 私たちの駆け抜けたあの日々は確かに満ち足りていたと、懐かしめるようになるはずだから。

ARIA(アリア)

残念パパいのっち
ミステリー
山内亮(やまうちとおる)は内見に出かけたアパートでAR越しに不思議な少女、西園寺雫(さいおんじしずく)と出会う。彼女は自分がAIでこのアパートに閉じ込められていると言うが……

【完結】共生

ひなこ
ミステリー
高校生の少女・三崎有紗(みさき・ありさ)はアナウンサーである母・優子(ゆうこ)が若い頃に歌手だったことを封印し、また歌うことも嫌うのを不審に思っていた。 ある日有紗の歌声のせいで、優子に異変が起こる。 隠された母の過去が、二十年の時を経て明らかになる?

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

リモート刑事 笹本翔

雨垂 一滴
ミステリー
 『リモート刑事 笹本翔』は、過去のトラウマと戦う一人の刑事が、リモート捜査で事件を解決していく、刑事ドラマです。  主人公の笹本翔は、かつて警察組織の中でトップクラスの捜査官でしたが、ある事件で仲間を失い、自身も重傷を負ったことで、外出恐怖症(アゴラフォビア)に陥り、現場に出ることができなくなってしまいます。  それでも、彼の卓越した分析力と冷静な判断力は衰えず、リモートで捜査指示を出しながら、次々と難事件を解決していきます。  物語の鍵を握るのは、翔の若き相棒・竹内優斗。熱血漢で行動力に満ちた優斗と、過去の傷を抱えながらも冷静に捜査を指揮する翔。二人の対照的なキャラクターが織りなすバディストーリーです。  翔は果たして過去のトラウマを克服し、再び現場に立つことができるのか?  翔と優斗が数々の難事件に挑戦します!

それなりに怖い話。

只野誠
ホラー
これは創作です。 実際に起きた出来事はございません。創作です。事実ではございません。創作です創作です創作です。 本当に、実際に起きた話ではございません。 なので、安心して読むことができます。 オムニバス形式なので、どの章から読んでも問題ありません。 不定期に章を追加していきます。 2025/3/11:『まぐかっぷ』の章を追加。2025/3/18の朝4時頃より公開開始予定。 2025/3/10:『ころがるゆび』の章を追加。2025/3/17の朝4時頃より公開開始予定。 2025/3/9:『かおのなるき』の章を追加。2025/3/16の朝8時頃より公開開始予定。 2025/3/8:『いま』の章を追加。2025/3/15の朝8時頃より公開開始予定。 2025/3/7:『しんれいしゃしん』の章を追加。2025/3/14の朝4時頃より公開開始予定。 2025/3/6:『よふかし』の章を追加。2025/3/13の朝4時頃より公開開始予定。 2025/3/5:『つくえのしたのて』の章を追加。2025/3/12の朝4時頃より公開開始予定。

処理中です...