この満ち足りた匣庭の中で 二章―Moon of miniature garden―

至堂文斗

文字の大きさ
上 下
35 / 86
Seventh Chapter...7/25

不穏な朝

しおりを挟む
 鈍い頭痛で目が覚めた。
 まるで二度寝した後のような痛みだったが、むくりと起き上がると、いつの間にやら痛みは消えている。
 昨日の頭痛の名残だろうか。

「……ふう」

 落ち着くために、小さく一度息を吐く。
 軽く頭を振ると、長い髪が頬を撫でていった。
 髪が酷く乱れている。どうやらとても寝苦しかったようだ。
 頭が痛かったのも当然のことだった。

 ――鬼の祟り、か。

 新しい一日が来れば、昨夜のことは悪い夢だったようにも思える。
 喉元過ぎれば何とやら。その瞬間はまずいと感じても、楽になった後だと実感がなくなってしまうのだ。
 ……病院に行ってみたほうがいいのかもしれないが、どうするべきか。定期健診は一週間くらい前に行ったばかりなので、あと三週間ほど次の健診はない。双太さんにあまり苦労はかけたくないのだけれども。
 仮に何らかの疾患があることが判明したら、今までのことは鬼の祟りでなく、病のせいと結論づけられるのかな。どちらがいいのかは難しいところだが。

「……起きよっと」

 私はぽつりと呟いて、ベッドから抜け出した。
 着替えを済ませ、念入りに髪を梳かしてから部屋を出る。洗顔と歯磨きのために洗面所へ向かったが、鏡に映った顔は、活力を失くしてだらしなく見えた。
 おはよう、と挨拶をしてくれるリビングにいた両親に、私も挨拶を返してから、着席する。いつもは美味しく食べる朝食も、この日は何となく味気ないように感じてしまった。
 不穏な予兆。
 まだ開いてもいないページの先を、何故か知っているような――既視感(デジャヴュ)? 馬鹿馬鹿しいとは思うけれど、それに似た予感があったのだ。
 願わくば、そんな予感なんて外れてほしいだけではあるけれど。
 自動筆記。昨日は頭痛の酷さでベッドに倒れ込んでしまったが、もしもあのときペンを握っていたら、今までと同じように何らかの文字が記されていたのだろうか。
 それを悔やむ気持ちが半分、安堵する気持ちが半分。自分でも、自分の気持ちが分からなくなっていた。
 鬼と死。次に現れようとしていたのは――決して良い文字では、ないのだろう。
 意識を切り替えきれないまま、時間が来たので私は学校へ出発する。雨はザーザーと降り続いていたので、大きめの傘を差して通学路を歩いていった。
 学校には、いつものように玄人が先着。ただ、この日の彼は机に突っ伏していて、私が来たところで慌てて顔を上げたようだった。……寝られなかったのだろうか。
 挨拶を交わして話をしてみると、どうも玄人の方も昨夜、異常があったらしい。
 前回私に自動筆記があったとき、彼の方は金縛りが起きていたのだが……今回も、私と同じタイミングで鬼の唸り声を聞いたのだという。
 偶然と片付けていい問題ではないはず、なのだけれど。

「虎牙はどうなのかしらねえ。昨日、説明会には来なかったし」
「あいつの性格からして、当然のことだけどね。来たら、変なことがなかったか聞くだけ聞いてみようか」
「一応、ね」

 ……虎牙。
 玄人も彼は説明会に来ていないと思っているようだ。
 やっぱり、あのとき見た虎牙らしき人影は、何かの見間違いだったのだろう。
 少なくとも、鬼の祟りよりは楽に否定できる。
 わざわざあいつに聞くまでもないことだ。
 しかし、その虎牙は何故か中々登校してこなかった。いつもなら、ギリギリではあっても朝のチャイムが鳴るまでには来るはずだ。高熱を出して起きられなくなったときくらいしか、あいつが来なかったことはない。
 だから、三十分のチャイムが鳴ったとき、私は虎牙が酷い病気に罹ってしまったのだろうかという不安に襲われた。
 扉が開き、双太さんと満雀ちゃんが現れる。もしも虎牙が休むなら、双太さんに連絡がいくわけだし、理由はすぐに分かるだろうと思ったのだが、

「……玄人くんも、龍美ちゃんも、あの子が来てない理由、知ってる?」

 と、双太さんが言うものだから、私の不安は一層大きくなってしまった。

 ――どういうこと?

 私も玄人も、知らないと首を振る。双太さんは困り顔になって、

「どうしたんだろうなあ……後で、佐曽利さんに連絡とってみるか」

 と呟き、溜息を付いてから出欠を取り始めた。
 きっと、連絡が遅くなっているのに違いない。そう考えて、私がざわつく心を抑えようとしていると、ちょうどいいタイミングで電話のベルが鳴り響いた。
 ……ほら、やっぱり連絡が遅れただけなのだ。

「ちょっと、ごめんね」

 双太さんは、電話を取るためすぐ職員室へ駆けていった。彼も勿論、虎牙のことが心配だったのだ。
 連絡があったことは良かったと思うけれど、体調を崩しているのならお見舞いに行ってあげないといけないな。試験期間中だというのに、災難なものだ。

 ――風邪?

 そう言えば、昨夜虎牙を見た気がしたあの時間には、もう雨が降り始めていた。
 もし本当に、集会場に虎牙がいたのなら……雨に打たれて風邪をひいてもおかしくは、ないけれど。
 ……いや、そんな事がなくても風邪くらい誰でもひくでしょうがと、私は自分に言い聞かせた。

「……え、ええっと」

 出ていったときとは違い、とぼとぼと戻ってきた双太さんは、何故か戸惑った様子のまま、

「試験、なんだけどね……どうしよう」

 と、半ば独り言のようにそう呟いた。
 煮え切らない言葉に待ちきれなくなって、

「双太さん、どうしたんですか?」

 私が訊ねると、彼はずれた眼鏡を押し上げながら、

「いや、今の電話なんだけど、虎牙くんからではなくて。……どうも、永射さんがいなくなったらしいんだよ」
「え!? 永射さんが?」

 てっきり虎牙か佐曽利さんからの連絡だとばかり思っていたので、その返答は想定外だった。
 ……永射さんが、いなくなった?
 双太さんの言によれば、電話の相手は早乙女さん。所用のため、彼女は今朝永射さんの家を訪ねたのだが、チャイムを押しても誰も出てこず、また玄関の鍵も掛かっていたらしい。アポイントはあったので、わざわざ誰にも言わず出ていくことは考えにくい。奇妙だと思った早乙女さんは、とりあえず主要な人物に連絡をとり、永射さんの姿を見ていないか確認して回っていたのだった。
 永射さん自身は車を所有していない。街の外に仕事があるときも、迎えの車が来ていたくらいだ。なので移動手段は基本徒歩なはずだし、そう遠くまで出かけているわけではなさそうだが。
 外は大雨。誰のところにも行っていないというなら、少し心配にはなる。

「今、何人かの人が永射さんを探しているみたい。予定通り試験はするけど、終わったら僕もそっちに合流しようと思ってるから……申し訳ないけど龍美ちゃん、帰りは満雀ちゃんに付き添ってあげてくれるかな?」
「了解です。まあ、それまでに帰って来るといいですけどね」
「そうだねー……多分そうなると思うんだけど」
 
 永射さんについてはしっかりと物事を考えられる人物、という評価だったのだが、今回のことは良く分からない。とりあえず、すぐに戻ってくれか、連絡をしてくれればいいけれど。

「まあ、それじゃ試験問題を持ってくるから、もうちょっとだけ待っててね」

 先生としての役割に気持ちを切り替えようとする双太さんも、やはり永射さんのことが心配なのか、表情まで変えることは難しいようだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

この欠け落ちた匣庭の中で 終章―Dream of miniature garden―

至堂文斗
ミステリー
ーーこれが、匣の中だったんだ。 二〇一八年の夏。廃墟となった満生台を訪れたのは二人の若者。 彼らもまた、かつてGHOSTの研究によって運命を弄ばれた者たちだった。 信号領域の研究が展開され、そして壊れたニュータウン。終焉を迎えた現実と、終焉を拒絶する仮想。 歪なる領域に足を踏み入れる二人は、果たして何か一つでも、その世界に救いを与えることが出来るだろうか。 幻想、幻影、エンケージ。 魂魄、領域、人類の進化。 802部隊、九命会、レッドアイ・オペレーション……。 さあ、あの光の先へと進んでいこう。たとえもう二度と時計の針が巻き戻らないとしても。 私たちの駆け抜けたあの日々は確かに満ち足りていたと、懐かしめるようになるはずだから。

ARIA(アリア)

残念パパいのっち
ミステリー
山内亮(やまうちとおる)は内見に出かけたアパートでAR越しに不思議な少女、西園寺雫(さいおんじしずく)と出会う。彼女は自分がAIでこのアパートに閉じ込められていると言うが……

【完結】共生

ひなこ
ミステリー
高校生の少女・三崎有紗(みさき・ありさ)はアナウンサーである母・優子(ゆうこ)が若い頃に歌手だったことを封印し、また歌うことも嫌うのを不審に思っていた。 ある日有紗の歌声のせいで、優子に異変が起こる。 隠された母の過去が、二十年の時を経て明らかになる?

魔法使いが死んだ夜

ねこしゃけ日和
ミステリー
一時は科学に押されて存在感が低下した魔法だが、昨今の技術革新により再び脚光を浴びることになった。  そんな中、ネルコ王国の王が六人の優秀な魔法使いを招待する。彼らは国に貢献されるアイテムを所持していた。  晩餐会の前日。招かれた古城で六人の内最も有名な魔法使い、シモンが部屋の外で死体として発見される。  死んだシモンの部屋はドアも窓も鍵が閉められており、その鍵は室内にあった。  この謎を解くため、国は不老不死と呼ばれる魔法使い、シャロンが呼ばれた。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

リモート刑事 笹本翔

雨垂 一滴
ミステリー
 『リモート刑事 笹本翔』は、過去のトラウマと戦う一人の刑事が、リモート捜査で事件を解決していく、刑事ドラマです。  主人公の笹本翔は、かつて警察組織の中でトップクラスの捜査官でしたが、ある事件で仲間を失い、自身も重傷を負ったことで、外出恐怖症(アゴラフォビア)に陥り、現場に出ることができなくなってしまいます。  それでも、彼の卓越した分析力と冷静な判断力は衰えず、リモートで捜査指示を出しながら、次々と難事件を解決していきます。  物語の鍵を握るのは、翔の若き相棒・竹内優斗。熱血漢で行動力に満ちた優斗と、過去の傷を抱えながらも冷静に捜査を指揮する翔。二人の対照的なキャラクターが織りなすバディストーリーです。  翔は果たして過去のトラウマを克服し、再び現場に立つことができるのか?  翔と優斗が数々の難事件に挑戦します!

処理中です...