この満ち足りた匣庭の中で 二章―Moon of miniature garden―

至堂文斗

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月と約束

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「……もうこんな時間だね。夏は陽が高いとは言え、山道は危険だから、そろそろお開きにしておこうか」
「ですね。あーあ、時間が過ぎるのって早いですよね」 
「どうだろう。そう思えるのも若いうちなのかもしれないよ」
「八木さんに言われると、真実味があって怖いです」 

 彼は一体どれくらい長い間、研究に身を捧げてきたのだろう。きっと、その時間が長過ぎたから、やりたいことができていても、時間の早さを意識できなくなったんじゃないだろうか。だとすると、ちょっぴり悲しい。
 こういうふとした話に、大人になるのって怖いんだなと思わされてしまったりする。

「でも、月を見るときは一瞬、時間を忘れているのかもしれない」
「月、ですか?」

 急に何をロマンチックなことを言いだすのだろう。そう思っていると、八木さんは相変わらず柔和な笑みを浮かべたまま、部屋の奥にある一回り小さな扉を指差した。 

「あそこにね。狭いけれど、天文台のような空間があるんだよ。望遠鏡があるのは、観測所の外観を見ていたら知っているはずだけど、あれはこの先に置かれているんだ」 

「へえ……それで、月を」 
「そう。月の観測も、必要なことだからね」 
「お仕事なんですか」
「うん。そうだね、次に話すときには、そちらのことも話してあげることにしよう」 
「お。お願いしますよ、八木さん。楽しみにしてますからね」 
「ふふ、期待されると困るけども。がっかりしないでほしいものだな」 
「大丈夫大丈夫。八木さんの話がつまんなかったことなんてないですから」 
「それはありがたい」 

 実際、彼の話はいつだって興味深い。こうして足を運ぶようになったきっかけだって、八木さんと秤屋商店でばったり出くわした際に聞いた話が面白かったからだ。私は多分、好奇心が強い人間だから、自分の知らない何かに惹きつけられてしまうのだろう。まあ、あくまで興味を持ったことに限るけれど。 

「じゃあ、そろそろ失礼します」 
「出口までは行くよ」 

 八木さんは先に立ち上がり、研究室の扉を開けてくれる。私は軽くお礼を行って、研究室を出た。 

「気をつけてね。山道で転ばないように」 
「玄人じゃないから大丈夫ですよ」 

 八木さんが玄人のことをどこまで知っているかは分からなかったが、冗談混じりにそう言っておいた。 
 別れの挨拶をして、私は観測所を後にした。まだ陽は高く、見上げれば満生塔は、陽光を浴びて朱色に輝いている。夏だなあと思いながら、私は雑草だらけの道をゆっくりと下っていった。 


* 
 

 その日の夜、私はお風呂から上がると、昨夜と同じように机に向かい、自動筆記現象が起きないかと試してみた。しかし、待てど暮らせどそんな兆候が現れることはなく、ただ時間が無為に過ぎていっただけだった。 
 自動筆記が起きるときの共通点を考えようともしたが、どうにも浮かんでこない。疲れやストレスが原因なら、昨日も今日も結構歩き回ったし緊張もしていた。病院に行ったことが関係するのかとも思ったが、過去に現象が起きたときは、病院には行っていなかった。 

「うーん、分かんないか」 

 私は早々に諦めて、ベッドに寝転がる。隣にスマートフォンが転がっていたので、何の気なしに手に取った。 

「ああ……そうだ」 

 思い立って、私はチャットアプリを起動する。最近は便利になったもので、友人と気軽に連絡がとれるツールが無料で使えるのだ。私たちはそれを使って、頻繁に何かしら話をしている。 
 唯一残念な点は、満雀ちゃんがこのアプリを、というかスマホそのものを使えないところだ。彼女はこの満生台で治療を受ける身ながら、電波を極力浴びてはならないらしく、電子機器の所持が制限されているのだ。貴獅さん曰く、治療に影響するらしいのだが、詳しいことはよく聞けていない。というか、私がしつこく聞いたから、貴獅さんが根負けして、そこまで教えてくれたのだ。 
 チャットアプリのトーク一覧から、虎牙との会話用に作られたルームを選択し、連絡を入れておく。 

『明日、満雀ちゃんをお願いね!』 

 虎牙がアプリを開いて私の発言を見れば、既読のマークがつくので分かるのだが、あいつはいつ見てくれるか分からない。すぐに返事が来るとは思わなかった。ともあれ、とりあえずこうして念押ししておけば大丈夫だろう。 
 満雀ちゃんは一人で外出できないので、どこかで遊んだりするときは、毎回誰かが迎えにいくことになっている。当番制だ。明日はその担当が虎牙ということになっていた。時間通りに動いてくれるかは、正直微妙なところだな。 
 明日。私たちは久々に集まって、私たちだけの秘密の計画を進めていく。 
 それを楽しみに感じつつ、私は早めに寝る支度をして、ベッドに潜り込むのだった。 
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