この満ち足りた匣庭の中で 二章―Moon of miniature garden―

至堂文斗

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観測所

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 さて。学校も終わったことだし、そろそろ観測所に行くとしよう。突然お邪魔するときもたまにはあるのだが、今日は予め予約を入れておいたから、そこまで迷惑にはならないだろう。 
 観測所。山の中腹、電波塔より東の方に建っている、小さな箱状の施設だ。そこでは日夜、八木優さんという人が満生台周辺のデータを観測し、研究を行なっている。彼も永射さんと同じように、政府関係の派遣らしいのだが、行政を担う永射さんとは違い、やっている仕事は本当に研究一筋だった。 
 満生台は、昔から地震の頻発する地域らしい。二十年に一度は、建物に被害が出るクラスの地震が発生してきたそうだ。そこで、地震のメカニズムを調べるため、微弱な揺れなどを感知するための観測所が建てられ、八木さんがそこにあてがわれたのである。だから、八木さんはずっと観測所にいて、一日のほとんどをグラフの確認や統計作業に費やしている。いやはや、私には到底真似できない地道な仕事だ。 
 学校を出た私は、街の東……集会所や永射さんの邸宅がある付近から、森の入り口へ入っていく。この森、というか山には入る道が西と東の二つあり、私はその両方を頻繁に通っていた。西には秘密の遊び場があるし、東は今行こうとしている研究所があるから、道を覚えるのは必然なのだ。 
 舗装もされていない土の道。それなりに傾斜があるためか、道は真っ直ぐではなくゆっくりと西へ向かい、斜めに伸びている。それが途中で東にぐるりと方向が変わり、ずうっと進んでいくとようやく観測所に辿り着くのだ。道が百八十度曲がる辺りに完成した電波塔が建っていて、近づけばその大きさに圧倒されるし、細い道へ外れていけば、その先には大きな池があった。街の人たちから、鬼封じの池と呼ばれている池だ。……鬼封じの意味は、誰も知らないようだけど。 
 満生塔が、木々の合間から見えてくる。もうそろそろ中間地点といったところだ。私としては、この塔はすっかり目印になっているし、ひょっとしたら八木さんもそんな風に考えているのかもしれなかった。 
 ちょっとだけ、満生塔に近づいてみる。木陰にかかった部分の鉄骨は、触れると冷たくて心地がいい。特に侵入防止の鉄柵なんかもなく、この塔には誰でも触れることができた。真下から天辺を見上げると、やはりかなりの長さがあることが分かる。鉄骨が不思議な模様を描いているようで、中々面白かった。 
 塔を過ぎ去り、歩き続けて五分。私はやっと、観測所に到着する。小さいながらも、様々な設備が整えられた最先端の施設だ。屋上には大きなアンテナがあるし、望遠鏡用の天窓もある。都会には科学館があるけれど、この観測所の外観は、それをコンパクトにした感じだった。 
 玄関ドアの横についたインターホンを押す。しばらくするとブツリと接続音がして、声が聞こえてきた。

『ああ、こんにちは。今開けるね』 
「はーい」 

 接続が切れると、すぐにドアがスライドして開いた。セキュリティ万全の自動ドアだ。なんでも、八木さんが出入りするときは静脈認証、つまり指でロックを解除するんだとか。ハイテクだ。 
 中へ入ると、玄関の電気が自動で点る。人を感知して作動するのだ。こういう近未来的なシステムがいっぱいの観測所が、私はとても気に入っていた。 
 すぐ奥に扉があり、取り付けられたプレートには『研究室』と刻まれている。私はやや重厚感のあるその扉を押し開け、八木さんのいる研究室内へ入った。 

「よく来たね。久しぶりな方じゃないかな」 
「んー、かもです。一ヶ月ぶりくらい?」 
「一応、学校は試験前だものね」 
「それは別にいいんですけどねー」 

 言いながら、私は八木さんの座っている場所から近いところに置かれていたパイプ椅子に腰を下ろした。初めは折り畳まれて放置されていたのが、私が来るようになってからは、ずっと座れる状態で置いてくれている。 
 私はこうして時折観測所を訪れて、八木さんと大人な会話をするのが一つの楽しみになっているのだ。 

「お仕事は順調ですか?」
「ええ。最近は特に異常も検知しないから、退屈なくらいだ。尤も、そういう時期が一番怖いのだけどね」
「嵐の前の静けさってやつですか」
「そういう諺って、案外侮れないからね」

 八木さんに言わせれば、昔の人の教えには、ある程度の科学的根拠があるそうだ。まあ、昔の人は理由など分かってはいなかっただろうが。
 そっと研究室の奥、カウンターのような仕切りがある向こう側に行った八木さんは、すぐにアイスコーヒーの入ったグラスを二つ持ってくる。向こうは簡素な調理スペースになっているらしく、食料や飲料がある程度ストックされているのだった。

「さ、どうぞ」
「ありがとーございます、八木さん」

 片方のグラスを慎重に受け取って、ゆっくりと口元へ運ぶ。何度もここへ足を運んでいるけれど、案外私は緊張が抜けきらないタイプなのかもしれない。妙に固くなってしまう。……まあ、周りから見れば十分厚かましいんだろうけど。
 暑い夏には、冷たいアイスコーヒーが有難い。ほどほどの微糖が私は一番好きだ。玄人なんかは、不必要なくらいの糖分摂取量なので、たまに見ていて気持ち悪くなる。これは内緒だ。

「そう言えば、面白い話を聞いたよ。龍美さん、幽霊に興味があるんだって」
「誰からですか? ……って、千代さんくらいしかいませんね」
「正解。この前ちょっと買い出しに行ったときにね。……現実主義者だと思っていたのだけど、意外だった」
「別に、現実しか見ないような人間ってわけじゃないですよ、非現実に憧れを感じるときもあります」
「普通の女の子だものね」 

 普通の女の子。そう言われただけなのに、何故か嬉しい気持ちになってしまう。普通であることって、中々難しいからかもしれない。 

「八木さんは、幽霊みたいなオカルトを信じたりしますか?」
「私は、自分の目で見たことだけしか信じないよ。これでも研究者なんでね」
「やだ、格好いい」
「おだてても何も出ません」
「おだててるわけじゃないですよー」

 八木さんは、私の言葉に一つ一つリアクションを返してくれつつも、決して観測装置からは注意を逸らさない。グラフ上に現れる波形の変化を見逃すまいと努めているのだ。仕事熱心だなと尊敬しつつも、もっと気楽でいればいいのに、とも思ってしまう。八木さんにとってはこれでも気楽な方なのかもしれないけれど。 

「最近、鬼の祟りってちらほら耳にするじゃないですか。あれについてはどう思ってます?」 
「そうだなあ。古い言い伝えは、さっき言った諺のように案外侮れないものだと思うよ。取ってつけたような話もあるけれど、多くはその昔起きた何らかの出来事が形を変えて伝わったというパターンじゃないかな。とすれば、妖怪の仕業だと言われていることも、実は現実にあった事故や事件だったり、ね」 
「はあはあ……なるほど」 

 さすが八木さん。安易な考えに流れることなく、自分の見解をしっかり持っている。それに、結構な説得力もあった。 
 ……現実に起きた事故や事件、か。日本各地に鬼の伝承はあるが、それぞれどう言った起源があるのだろうかと、私は興味を覚えた。 
 それから、八木さんは地方に伝わっている妖怪談について、有名どころからマイナーなものまで、自身の考えも織り交ぜながら語ってくれた。私はその話にすっかり聞き入って、気がついた頃には一時間も過ぎているのだった。 
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