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First Chapter...7/19
満生塔の計画
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「ふー、ただいま」
家の玄関を上がると、自動で廊下の電気が点く。それから少し遅れて、お母さんが自分の肩を叩きながら出迎えにやって来た。
「おかえり、龍美。今日も問題なかった?」
「そりゃもう。健康そのものよ」
「そ。なら良かったわ」
母さんはそう言うと、優雅に身を翻してリビングへ戻っていった。自宅だというのに、身だしなみはバッチリ整えられ、隙のない女性といった風だ。……この満生台では、どちらかといえばその努力は逆効果だと思うけど。
手洗いうがいをして向かったリビングでは、黒革のソファにお父さんが沈み込むように座っていて、映画鑑賞を楽しんでいた。そろそろクライマックスのようだったが、邪魔はしたくないので、くるりと回れ右して、自分の部屋で晩御飯を待つことにした。
ベッドの端に腰掛けて、スマートフォンの画面を映す。通知は何も来ていない。程よい疲れがじわじわとやって来て、このまま倒れこみたい誘惑に駆られた。でも、もう十分とせずご飯が出来るだろう。
部屋は綺麗に整頓されている。たまにお母さんがやって来て、散らかっていたら怒られてしまうのだ。まあ、昔と違ってそこまで大げさにではないけれど。
……そう。昔より、とても楽だ。
「ご飯よー」
お母さんの声がした。私も大きめの声で返事をして、リビングへ向かう。お父さんはさっきのソファから、食事用の長テーブルの方へ移動し、お母さんは奥の和室から出てくるところだった。線香を立てていたのだろう。私も席について、三人揃ったところで手を合わせる。
この光景の中に笑顔があるのは、満生台に来たおかげだ。
仁科家は、厳格さを重んじる家庭だった。それは両親の家柄や就いていた仕事が主な理由だ。お父さんもお母さんも、親は所謂エリートというやつで、自分たちの子どもにもその立場を押し付けようと躍起になって、結果二人はともに一流大学を卒業、大手企業に就職して順調に昇進街道を突き進んでいった。
二人は見合い結婚で、どちらの家族も本人たちより真剣にあれこれと考えたらしい。そんなありがた迷惑な遠謀深慮の果てに、晴れて結ばれたわけだ。結婚を機にお母さんは仕事を辞めて専業主婦になり、お父さんは勤めている会社で更に役職を上げていった。
そんな一家にどういうわけか選ばれてしまったのが私だ。面倒臭がりで、どちらかといえば本能に従って行動してしまう星の下に生まれたこの私。どうしてもっと、頭の切れる理知的な子じゃなかったんだろうと何度も思ったが、仁科龍美になってしまったものは仕方がなかった。子は親を選べないのだ、なんて。
だから、満生台に引っ越してくるまでは、両親の厳しい教育をひたすら耐え続けるしかなかった。楽しみなことも少なく、友達とも予定が合わず、軽くノイローゼになりかけるほどには、きっと毎日が灰色だった。あの頃の思い出は、正直思い出そうとしても何も出てこないくらいだ。
ここへ来て、両親は変わった。まあ、私がすっかり変わってしまったことがあったけれど、両親はほとんど全てを捨ててくれたと言ってもいい。築き上げて来たものを全て放り出して、二人は私のために、家族のためにこの満生台を安住の地に選んだのだ。
それは、大正解だったと思う。
相変わらず、両親は身だしなみや勉強について気にかけてくる。ただ、それはもう脅迫めいた命令ではなく、子を思う親の優しさだけがこもったものだった。それゆえに、私は、私たちはこうして笑顔でいられるのだ。あれから、ずいぶんと変わった。
「……そう言えば、電波塔が完成したそうね」
「ああ。ちょっと前の話だったと思うが。一週間ほど前には全作業が終了したと通達されたはずだよ」
「あら、そうだったかしら。私、あんまりご近所付き合いがなくて」
そうは言うものの、都会に住んでいた頃よりは、打ち解けた付き合いができている気はする。まあ、他の住民たちが気さく過ぎるから、そう感じてしまうのかもしれないけど。
「八月二日に稼働するそうだ」
「今日が七月十九日だから、だいたい半月後ね」
今日の空は新月だった。これから月が満ち始め、満月になる頃に、電波塔が稼働するわけだ。
「反対する人はまだちらほらいるみたいだが」
「変なものを立てるなっていうことよね。昔の人にとっては、受け入れ辛いものなのかしら」
「電磁波問題を持ち出す人もいるな。健康を第一に考える街が、その問題は考慮しないのかと」
「ああ……。そう言えば、龍美は八木さんと仲が良かったわよね。何か話してなかった?」
突然話を振られ、私は少しドギマギした。おまけに八木さんのことを聞かれるとは。
「えっと、八木さんが言うには、日本は電磁波問題の認識については遅れ気味なんだって。他国では、電磁波過敏症が病気として認定されてるところもあるみたい。ただ、医学的な根拠というものは現段階ではなくて、問題ないという言葉に対して明確な反証がないそうよ」
「永射さんも、関連はないと説明会で言っていたな。マイクロ波は熱を発生させるが、人体に害のないよう基準が定められていて、それは厳守されているとか」
「これからの研究ではっきり害があると言われなければ、ということね」
「電波は案外怖いものかもしれないよ、とは言ってた。八木さんは、研究者として公平な立場でちゃんと考えてるのよね」
「龍美は八木さんみたいな人が好きだからねえ」
「そういうわけじゃありませんー」
どうも私は誤解されやすいようだ。年上の男性とよく話しているせいか、年上好きと思われてしまっている。実際そうだが、それは有意義な話ができることが多いからなだけで、恋愛的な好きではない。ないのだ。
「ごちそーさま」
家族とこう言う話をするのは苦手なので、私はさっさとそう言い残し、食器を下げて自分の部屋へ引きあげることにした。
家の玄関を上がると、自動で廊下の電気が点く。それから少し遅れて、お母さんが自分の肩を叩きながら出迎えにやって来た。
「おかえり、龍美。今日も問題なかった?」
「そりゃもう。健康そのものよ」
「そ。なら良かったわ」
母さんはそう言うと、優雅に身を翻してリビングへ戻っていった。自宅だというのに、身だしなみはバッチリ整えられ、隙のない女性といった風だ。……この満生台では、どちらかといえばその努力は逆効果だと思うけど。
手洗いうがいをして向かったリビングでは、黒革のソファにお父さんが沈み込むように座っていて、映画鑑賞を楽しんでいた。そろそろクライマックスのようだったが、邪魔はしたくないので、くるりと回れ右して、自分の部屋で晩御飯を待つことにした。
ベッドの端に腰掛けて、スマートフォンの画面を映す。通知は何も来ていない。程よい疲れがじわじわとやって来て、このまま倒れこみたい誘惑に駆られた。でも、もう十分とせずご飯が出来るだろう。
部屋は綺麗に整頓されている。たまにお母さんがやって来て、散らかっていたら怒られてしまうのだ。まあ、昔と違ってそこまで大げさにではないけれど。
……そう。昔より、とても楽だ。
「ご飯よー」
お母さんの声がした。私も大きめの声で返事をして、リビングへ向かう。お父さんはさっきのソファから、食事用の長テーブルの方へ移動し、お母さんは奥の和室から出てくるところだった。線香を立てていたのだろう。私も席について、三人揃ったところで手を合わせる。
この光景の中に笑顔があるのは、満生台に来たおかげだ。
仁科家は、厳格さを重んじる家庭だった。それは両親の家柄や就いていた仕事が主な理由だ。お父さんもお母さんも、親は所謂エリートというやつで、自分たちの子どもにもその立場を押し付けようと躍起になって、結果二人はともに一流大学を卒業、大手企業に就職して順調に昇進街道を突き進んでいった。
二人は見合い結婚で、どちらの家族も本人たちより真剣にあれこれと考えたらしい。そんなありがた迷惑な遠謀深慮の果てに、晴れて結ばれたわけだ。結婚を機にお母さんは仕事を辞めて専業主婦になり、お父さんは勤めている会社で更に役職を上げていった。
そんな一家にどういうわけか選ばれてしまったのが私だ。面倒臭がりで、どちらかといえば本能に従って行動してしまう星の下に生まれたこの私。どうしてもっと、頭の切れる理知的な子じゃなかったんだろうと何度も思ったが、仁科龍美になってしまったものは仕方がなかった。子は親を選べないのだ、なんて。
だから、満生台に引っ越してくるまでは、両親の厳しい教育をひたすら耐え続けるしかなかった。楽しみなことも少なく、友達とも予定が合わず、軽くノイローゼになりかけるほどには、きっと毎日が灰色だった。あの頃の思い出は、正直思い出そうとしても何も出てこないくらいだ。
ここへ来て、両親は変わった。まあ、私がすっかり変わってしまったことがあったけれど、両親はほとんど全てを捨ててくれたと言ってもいい。築き上げて来たものを全て放り出して、二人は私のために、家族のためにこの満生台を安住の地に選んだのだ。
それは、大正解だったと思う。
相変わらず、両親は身だしなみや勉強について気にかけてくる。ただ、それはもう脅迫めいた命令ではなく、子を思う親の優しさだけがこもったものだった。それゆえに、私は、私たちはこうして笑顔でいられるのだ。あれから、ずいぶんと変わった。
「……そう言えば、電波塔が完成したそうね」
「ああ。ちょっと前の話だったと思うが。一週間ほど前には全作業が終了したと通達されたはずだよ」
「あら、そうだったかしら。私、あんまりご近所付き合いがなくて」
そうは言うものの、都会に住んでいた頃よりは、打ち解けた付き合いができている気はする。まあ、他の住民たちが気さく過ぎるから、そう感じてしまうのかもしれないけど。
「八月二日に稼働するそうだ」
「今日が七月十九日だから、だいたい半月後ね」
今日の空は新月だった。これから月が満ち始め、満月になる頃に、電波塔が稼働するわけだ。
「反対する人はまだちらほらいるみたいだが」
「変なものを立てるなっていうことよね。昔の人にとっては、受け入れ辛いものなのかしら」
「電磁波問題を持ち出す人もいるな。健康を第一に考える街が、その問題は考慮しないのかと」
「ああ……。そう言えば、龍美は八木さんと仲が良かったわよね。何か話してなかった?」
突然話を振られ、私は少しドギマギした。おまけに八木さんのことを聞かれるとは。
「えっと、八木さんが言うには、日本は電磁波問題の認識については遅れ気味なんだって。他国では、電磁波過敏症が病気として認定されてるところもあるみたい。ただ、医学的な根拠というものは現段階ではなくて、問題ないという言葉に対して明確な反証がないそうよ」
「永射さんも、関連はないと説明会で言っていたな。マイクロ波は熱を発生させるが、人体に害のないよう基準が定められていて、それは厳守されているとか」
「これからの研究ではっきり害があると言われなければ、ということね」
「電波は案外怖いものかもしれないよ、とは言ってた。八木さんは、研究者として公平な立場でちゃんと考えてるのよね」
「龍美は八木さんみたいな人が好きだからねえ」
「そういうわけじゃありませんー」
どうも私は誤解されやすいようだ。年上の男性とよく話しているせいか、年上好きと思われてしまっている。実際そうだが、それは有意義な話ができることが多いからなだけで、恋愛的な好きではない。ないのだ。
「ごちそーさま」
家族とこう言う話をするのは苦手なので、私はさっさとそう言い残し、食器を下げて自分の部屋へ引きあげることにした。
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