この満ち足りた匣庭の中で 二章―Moon of miniature garden―

至堂文斗

文字の大きさ
上 下
7 / 86
First Chapter...7/19

満生塔の計画

しおりを挟む
「ふー、ただいま」 

 家の玄関を上がると、自動で廊下の電気が点く。それから少し遅れて、お母さんが自分の肩を叩きながら出迎えにやって来た。 

「おかえり、龍美。今日も問題なかった?」 
「そりゃもう。健康そのものよ」 
「そ。なら良かったわ」 

 母さんはそう言うと、優雅に身を翻してリビングへ戻っていった。自宅だというのに、身だしなみはバッチリ整えられ、隙のない女性といった風だ。……この満生台では、どちらかといえばその努力は逆効果だと思うけど。 
 手洗いうがいをして向かったリビングでは、黒革のソファにお父さんが沈み込むように座っていて、映画鑑賞を楽しんでいた。そろそろクライマックスのようだったが、邪魔はしたくないので、くるりと回れ右して、自分の部屋で晩御飯を待つことにした。 
 ベッドの端に腰掛けて、スマートフォンの画面を映す。通知は何も来ていない。程よい疲れがじわじわとやって来て、このまま倒れこみたい誘惑に駆られた。でも、もう十分とせずご飯が出来るだろう。 
 部屋は綺麗に整頓されている。たまにお母さんがやって来て、散らかっていたら怒られてしまうのだ。まあ、昔と違ってそこまで大げさにではないけれど。 
 ……そう。昔より、とても楽だ。 

「ご飯よー」 

 お母さんの声がした。私も大きめの声で返事をして、リビングへ向かう。お父さんはさっきのソファから、食事用の長テーブルの方へ移動し、お母さんは奥の和室から出てくるところだった。線香を立てていたのだろう。私も席について、三人揃ったところで手を合わせる。 
 この光景の中に笑顔があるのは、満生台に来たおかげだ。 
 仁科家は、厳格さを重んじる家庭だった。それは両親の家柄や就いていた仕事が主な理由だ。お父さんもお母さんも、親は所謂エリートというやつで、自分たちの子どもにもその立場を押し付けようと躍起になって、結果二人はともに一流大学を卒業、大手企業に就職して順調に昇進街道を突き進んでいった。 
 二人は見合い結婚で、どちらの家族も本人たちより真剣にあれこれと考えたらしい。そんなありがた迷惑な遠謀深慮の果てに、晴れて結ばれたわけだ。結婚を機にお母さんは仕事を辞めて専業主婦になり、お父さんは勤めている会社で更に役職を上げていった。 
 そんな一家にどういうわけか選ばれてしまったのが私だ。面倒臭がりで、どちらかといえば本能に従って行動してしまう星の下に生まれたこの私。どうしてもっと、頭の切れる理知的な子じゃなかったんだろうと何度も思ったが、仁科龍美になってしまったものは仕方がなかった。子は親を選べないのだ、なんて。 
 だから、満生台に引っ越してくるまでは、両親の厳しい教育をひたすら耐え続けるしかなかった。楽しみなことも少なく、友達とも予定が合わず、軽くノイローゼになりかけるほどには、きっと毎日が灰色だった。あの頃の思い出は、正直思い出そうとしても何も出てこないくらいだ。 
 ここへ来て、両親は変わった。まあ、私がすっかり変わってしまったことがあったけれど、両親はほとんど全てを捨ててくれたと言ってもいい。築き上げて来たものを全て放り出して、二人は私のために、家族のためにこの満生台を安住の地に選んだのだ。 
 それは、大正解だったと思う。 
 相変わらず、両親は身だしなみや勉強について気にかけてくる。ただ、それはもう脅迫めいた命令ではなく、子を思う親の優しさだけがこもったものだった。それゆえに、私は、私たちはこうして笑顔でいられるのだ。あれから、ずいぶんと変わった。 

「……そう言えば、電波塔が完成したそうね」 
「ああ。ちょっと前の話だったと思うが。一週間ほど前には全作業が終了したと通達されたはずだよ」 
「あら、そうだったかしら。私、あんまりご近所付き合いがなくて」 

 そうは言うものの、都会に住んでいた頃よりは、打ち解けた付き合いができている気はする。まあ、他の住民たちが気さく過ぎるから、そう感じてしまうのかもしれないけど。 

「八月二日に稼働するそうだ」 
「今日が七月十九日だから、だいたい半月後ね」 

 今日の空は新月だった。これから月が満ち始め、満月になる頃に、電波塔が稼働するわけだ。 

「反対する人はまだちらほらいるみたいだが」 
「変なものを立てるなっていうことよね。昔の人にとっては、受け入れ辛いものなのかしら」 
「電磁波問題を持ち出す人もいるな。健康を第一に考える街が、その問題は考慮しないのかと」 
「ああ……。そう言えば、龍美は八木さんと仲が良かったわよね。何か話してなかった?」 

 突然話を振られ、私は少しドギマギした。おまけに八木さんのことを聞かれるとは。 

「えっと、八木さんが言うには、日本は電磁波問題の認識については遅れ気味なんだって。他国では、電磁波過敏症が病気として認定されてるところもあるみたい。ただ、医学的な根拠というものは現段階ではなくて、問題ないという言葉に対して明確な反証がないそうよ」 
「永射さんも、関連はないと説明会で言っていたな。マイクロ波は熱を発生させるが、人体に害のないよう基準が定められていて、それは厳守されているとか」 
「これからの研究ではっきり害があると言われなければ、ということね」 
「電波は案外怖いものかもしれないよ、とは言ってた。八木さんは、研究者として公平な立場でちゃんと考えてるのよね」 
「龍美は八木さんみたいな人が好きだからねえ」 
「そういうわけじゃありませんー」 

 どうも私は誤解されやすいようだ。年上の男性とよく話しているせいか、年上好きと思われてしまっている。実際そうだが、それは有意義な話ができることが多いからなだけで、恋愛的な好きではない。ないのだ。 

「ごちそーさま」 

 家族とこう言う話をするのは苦手なので、私はさっさとそう言い残し、食器を下げて自分の部屋へ引きあげることにした。 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

この欠け落ちた匣庭の中で 終章―Dream of miniature garden―

至堂文斗
ミステリー
ーーこれが、匣の中だったんだ。 二〇一八年の夏。廃墟となった満生台を訪れたのは二人の若者。 彼らもまた、かつてGHOSTの研究によって運命を弄ばれた者たちだった。 信号領域の研究が展開され、そして壊れたニュータウン。終焉を迎えた現実と、終焉を拒絶する仮想。 歪なる領域に足を踏み入れる二人は、果たして何か一つでも、その世界に救いを与えることが出来るだろうか。 幻想、幻影、エンケージ。 魂魄、領域、人類の進化。 802部隊、九命会、レッドアイ・オペレーション……。 さあ、あの光の先へと進んでいこう。たとえもう二度と時計の針が巻き戻らないとしても。 私たちの駆け抜けたあの日々は確かに満ち足りていたと、懐かしめるようになるはずだから。

ARIA(アリア)

残念パパいのっち
ミステリー
山内亮(やまうちとおる)は内見に出かけたアパートでAR越しに不思議な少女、西園寺雫(さいおんじしずく)と出会う。彼女は自分がAIでこのアパートに閉じ込められていると言うが……

【完結】共生

ひなこ
ミステリー
高校生の少女・三崎有紗(みさき・ありさ)はアナウンサーである母・優子(ゆうこ)が若い頃に歌手だったことを封印し、また歌うことも嫌うのを不審に思っていた。 ある日有紗の歌声のせいで、優子に異変が起こる。 隠された母の過去が、二十年の時を経て明らかになる?

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【恋愛ミステリ】エンケージ! ーChildren in the bird cageー

至堂文斗
ライト文芸
【完結済】  野生の鳥が多く生息する山奥の村、鴇村(ときむら)には、鳥に関する言い伝えがいくつか存在していた。  ――つがいのトキを目にした恋人たちは、必ず結ばれる。  そんな恋愛を絡めた伝承は当たり前のように知られていて、村の少年少女たちは憧れを抱き。  ――人は、死んだら鳥になる。  そんな死後の世界についての伝承もあり、鳥になって大空へ飛び立てるのだと信じる者も少なくなかった。  六月三日から始まる、この一週間の物語は。  そんな伝承に思いを馳せ、そして運命を狂わされていく、二組の少年少女たちと。  彼らの仲間たちや家族が紡ぎだす、甘く、優しく……そしてときには苦い。そんなお話。  ※自作ADVの加筆修正版ノベライズとなります。   表紙は以下のフリー素材、フリーフォントをお借りしております。   http://sozai-natural.seesaa.net/category/10768587-1.html   http://www.fontna.com/blog/1706/

リモート刑事 笹本翔

雨垂 一滴
ミステリー
 『リモート刑事 笹本翔』は、過去のトラウマと戦う一人の刑事が、リモート捜査で事件を解決していく、刑事ドラマです。  主人公の笹本翔は、かつて警察組織の中でトップクラスの捜査官でしたが、ある事件で仲間を失い、自身も重傷を負ったことで、外出恐怖症(アゴラフォビア)に陥り、現場に出ることができなくなってしまいます。  それでも、彼の卓越した分析力と冷静な判断力は衰えず、リモートで捜査指示を出しながら、次々と難事件を解決していきます。  物語の鍵を握るのは、翔の若き相棒・竹内優斗。熱血漢で行動力に満ちた優斗と、過去の傷を抱えながらも冷静に捜査を指揮する翔。二人の対照的なキャラクターが織りなすバディストーリーです。  翔は果たして過去のトラウマを克服し、再び現場に立つことができるのか?  翔と優斗が数々の難事件に挑戦します!

処理中です...