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十二章 ヒカル六日目
真実 ③'
しおりを挟むツバサちゃんの部屋は、年頃の女の子にしては、少しばかり飾り物が少なく、落ち着いた印象を受ける部屋だった。本棚はきちんと整理され、布団は端に畳まれている。
そんな部屋の真ん中あたりに、長方形の机があり、その上には薄っぺらいノートが広げられていた。
コウさんは、そのノートを手に取って、僕たちに差し出してくる。
「これが、君たちへの『証拠』になると思う」
それを無意識に受け取ったクウは、中身を見て突然、
「うわっ、これ見ちゃいけないやつ!」
そう言って僕にノートを押し付けてきた。
「な、なになにどういうことさ?」
「コウさん! これ、交換日記じゃないですか!」
「……そうだね。それは、ワタルとツバサの交換日記だ」
さも当然のように言うものだから、クウは尚更ムッとして、
「こういうのは、他人が軽々しく見ちゃいけないものなんですよっ!」
「わ、分かってるよ……君は本当に、クウにそっくりだな」
「私はクウです!」
「あ、ああ。ごめん」
緊張感を解れさせる、微笑ましい掛け合い。そんな風に思っていた僕は、けれどその中に、チクリと刺す違和感を抱いた。
「まあ、とにかくそれを承知の上で見てほしいんだよ。それで大体のところは、理解できるはずだから」
「……本当に……?」
訝しくなりながらも、とりあえず僕は交換日記を読み始めてみる。確か、ワタルとツバサちゃんは赤と白の日記を毎日交換しているのだったか。この日記は赤い色だった。
日記の中は、ワタルとツバサちゃんの日常が、順々に綴られていた。日記は半年ほど前、一月頃からつけられており、何ともまあ微笑ましい、見ているのが恥ずかしくて申し訳なくなるものだった。
これが、二人の甘酸っぱい青春、という感じか。
……でも、手に取った瞬間からある違和感があった。
「……あの、この日記、ボロボロすぎません? 始まってるのは半年前のはずなんだけど……」
「……うん。日記が始まっているのは、確かに四月からだ。読み進めて行けば、それについても分かるよ」
いつのまにか、両目を手で隠すようにしながらも、クウも隣でノートを読み始める。
僕らの記憶にもまだ新しい日々。それが、ワタルとツバサちゃん、それぞれの視点から描かれているのは素直に新鮮だ。
もう日記は、六月にさしかかっている。
そして、そこから日記は、甘酸っぱい日常を描いたものから、急にその様相を変える。ジロウくんの急病と、その突然すぎる死というイベントが待ち構えているからだ。
ツバサちゃんはその悲しみを事細かに記し、またワタルは、ジロウくんの死によって色々なことを知ったのだと、曖昧ながら描写している。
そして、六月七日までのページが終わり、なるほど二人も多くの経験をし、様々なことを感じてきたのだな、と思っていると。
……その次のページに、六月八日と記されているのを発見した。
「これ、……今日だよ?」
「今日……だね」
六月八日と題されたページには、既にツバサちゃんの細い字で、事細かに一日の出来事が記されている。
カエデさんの看病をしていたこと、お昼前にワタルから電話があったこと、そしてワタルに呼び出され、河原まで向かったこと。
そして、ワタルに村が買収されると告げられ、一緒に村を出ようと言われたこと……。
ワタルからの告白の言葉、揺れる心、カエデさんへの説得……その日一日を、ツバサちゃんがどのように過ごしたかが、良く分かる内容だった。
「……」
……だが。
分かってはいけないのだ。
これは、書かれていてはいけない内容のはずなのだ。
何故なら……今日がその、六月八日なのだから。
今日のこの時間に、今日一日のことが全て書かれてある日記など、あってはならないのだ……。
「……なんなのよ、これ」
「ま、まさか……妄想日記とかじゃ、ないよね?」
「はは……いや、えと……」
クウも笑うに笑えない、といった体で、僕の方を何度も見つめてくる。
だが、救いを求められても僕だって同じ心境だ。
何かにすがるように、僕はもう一度、ページをめくる。
そこに空白のページを求めるように。
確かに、そのページの最後には、空白があった。
それ以降のページは、もう何も書かれてはいなかった。
けれど、そのページにはやはり。
六月九日と題された、赤井渡の手による日記が、つけられていた。
……そして。
『俺はこの日を決して忘れない』
そのような書き出しで始められた、日記の中で。
僕とクウは、ようやく全てのからくりを理解した。
僕らの人生が、いかに偽りに塗れたものなのかを、理解した。
「……分かったようだね。それが、真実だよ」
コウさんは、哀れみとも同情ともつかぬ目で、僕らを見つめて言う。
「そこに書かれていることこそが、オリジナル。つまり、その当時あった出来事であり……その六月九日の悲劇こそが、本当の鴇村が消滅するに至った、真相なんだ」
*
その昔、村には鳥たちに遺体を食べさせる、鳥葬の風習があったという。
だから、森の墓地には遺体を括り付けるための、磔台があった。
けれどきっと、その台は、一度として使われたことがなく。
その周囲にある墓石も、この村の住民のためにあるものではなかった。
「……そっか、私……クウは……」
墓石に刻まれた名前と、その年を見ながら、クウは呟く。
彼女の目の前に佇む墓石。そこには、こう記されている。
『1985年6月9日 緑川 くう ここに眠る』
「……何だか、虚しくなってきます。この墓石を見ていると」
僕は、隣にやって来たコウさんに、救いを求めるように、掠れた声で言う。
でも、多分救いを求めたいのは、コウさんの方なのだろう。
「……私もだ。あの日救えなかった命のことを思うと……私もあの日に、死んでいれば良かったとすら、思える」
「そんな、ヒカ……、コウさん」
「……すまないね」
浮かぶ涙を拭って、彼は僕らに告げる。
「とにかく、……そういうことだ」
「……本当、なんですね。何もかも……」
馬鹿馬鹿しいと笑い飛ばせれば、良かった。
でも、その妄想は現実のものになった。
そうだ。初めは確かに、妄想だったのだろう。
だけどその人は、……妄想を現実に変えたということなのだろう……。
「この島……鴇島は、二十八年前に火事により消滅した鴇村をコピーし、作られた場所だ。村はたかだか十数年前に作られ、村人たちは各々の役割を振られて生活する、言うなれば演技者であることを義務付けられた。そして、当時赤ん坊だった子どもたちだけは、その理由を知らされることなく生活し、今日に至った。できるだけ自然な日常を、繰り返すことができるように」
「僕らは、平和な村で、自由に、幸せに暮らしているようで、実は囚われていたんですね。二十八年前にあった、オリジナルの鴇村に」
「私たちは皆、二十八年前に死んだ人たちの、代わりの人間。私は『緑川くう』の代わり。ヒカルは『青野光』の代わり……」
僕らは、ただのコピー。
本物に合わせて選び出された、無意識の俳優。
「……ねえ、コウさん。あなたのこと……どこか似ていると、思ってました。違ったんだ、そうじゃない。僕が……あなたに似ていたんだ」
「……本当にね」
本当に、僕らは似ていた。
「そう。私は君。君は私。私は一九八五年に生き、あの地獄の中生き残り。そして今、大切な友を止めようとしている……本物の青野光さ」
そして、僕の六月八日が終わった。
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