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十四章 ヒカル七日目

終演 ④

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 ――突然、ミシミシという異様な音が聞こえた。
 反射的に上を見ると、ゆっくりと木が傾いていくのがハッキリと見えた。

「い、いけない、逃げろッ!」
 コウさんが叫ぶのと、木が倒れてくるのとはほぼ同時だった。
 何十メートルもあるだろう木が、周りの木を巻き込みながら、ズズウン、と大きな音を立てて倒れる。
 その恐ろしい音に、僕は鳥肌が立つのを実感した。

「あ、あちこちに火が回って、木が倒れそうになってる!」
「や、やばいじゃん! こんな森の中じゃ、一本倒れたら何連鎖すると思ってるの!?」

 さっきの一本の影響が、こちら側に連鎖してこなかったのが奇跡だ。もし全ての木が来ていたら、全員押し潰されていたに違いない。
 だが、そうならなかったにせよ、危険が続いていることには変わりないのだ。

「しっかりな、ツバサ……俺のせいで、こんなことになって……ごめんな。……みんなも、……本当に、すまない……俺が、こんなことをしなければ……」
「謝ってる場合でもないよ! どこか逃げ道を探さないと!」

 非情なようだが、クウの言うことが正論だ。とにかく死なないために、安全な所へ逃げないといけない。だが、一本しかない道はさっきの倒木で塞がれてしまっていた。

「ど、どこに逃げれば……いいの……!?」
「駄目だ、ここは多分島で一番高い場所だから……あの道が塞がれたら、逃げ場がない!」

 ワタルとツバサは、きょろきょろと周りを見回すが、もう火の手は全方位を覆い始めている。
 どうすればいい? 道は塞がれ、残り三方は全て崖だ。燃え落ちてくる木々を避け、ここから脱出できる方法なんて、あるのか?
 いや、考えろ。ここまで諦めずに、やってきたんじゃないか。そうして幾つもの危機を、悲しみを、乗り越えてきたじゃないか。
 決して、僕は、僕たちは諦めない。
 ……そうだ、たった一つだけ、賭けられるとするなら――。

「崖は!?」
「がっ、……崖から飛び降りると?」
「おい、ヒカル! それは危なすぎないか!?」
「でも、他に逃げ道がない!」

 僕が叫ぶと、コウさんが、

「……ヒカルくん、いい考えだ。恐らく君の言う通り、他に逃げ道はない。確か、島の構造からして、こちらの崖を下りられれば、海の近くまで出られるはずだ!」

 そう言って賛同してくれた。
 コウさんが指差すのは、村へ戻る道とは正反対の方向の崖だ。
 確かに、この先なら島の反対側に出られるかもしれない。

「……行こう。僕が下りやすい場所を探して、先導する」

 そう言うとすぐに、コウさんは崖の向こうへと歩を進め、滑るようにして降りていった。

「……コウさんについて行こう! 怖いけど、この道を行くしかないよ!」

 僕の言葉に、全員が頷き、覚束ない足取りながらも、コウさんの降りた道を辿っていった。
 コウさんが下りやすい場所を見つけ、先に進んでくれるおかげで、僕らは多少の恐怖を感じながらも、順調に下へ下へと進んでいけた。手を差し伸べ、体を受け止めながら、少しずつ、島の反対側へと向かうことができていた。
 ……しかし。

「……これは……」

 中ごろまで進んだかというところで、コウさんの足がピタリと止まる。それも当然だ。
 そこには、進もうとするものを拒絶するかのような光景が広がっていた。
 ……むき出しの岩肌。その下を覗き込むと、渓流が見える。その渓流までの高さは、見た感じ七、八メートルほどはありそうだった。

「な、……なにこれ……」
「ここ以外に道はないのか……?」

 ワタルの問いに、コウさんは首を振り、

「……だめだ。申し訳ないけれど、この崖はかなり長く続いてる。むしろ、ここが一番低いし、下に川があるから……安全なはずなんだ」

 安全とはいえ、それは他の場所と比べて、というだけだ。もし川に飛び込むことができなければ……大怪我は免れないだろう。
 それでも、背後に迫る危機から逃れるために、進むしかないのだ。

「僕から行く」

 そう言って、コウさんは躊躇いもせず、崖から身を躍らせる。その数秒後、ドボンという水の音が聞こえた。

「無事ですか、コウさん!」

 僕が崖下を覗き込みながら叫ぶと、川の波紋の中から、コウさんは顔を出し、

「問題ない、結構な深さがある! 怖いけど、飛び込んでくるんだ!」

 今更ながら、川の深さの問題もあったのだ。コウさんが身を以って証明してくれたおかげで安心できたが、もし浅ければどうなっていたことか。
 ……コウさんの勇気が、胸に沁みた。

「……よし」

 ワタルは自分を奮い立たせるように頷くと、そのまま崖から飛び出した。しばらくして、着水の音。ワタルも無事に下りられたようだ。

「……うー」

 ツバサちゃんは、僅かに躊躇ったが、崖下でワタルが両手を広げて待っているのを見て、

「……わー!」

 と声を上げながら、崖を飛び出した。水の音で、彼女も無事に下りられたことが分かる。

「……」

ゲンキさんは、しばらく考え込んだあと、隣で不安げにしているカエデさんの体を抱き、

「……大丈夫だ」

 彼女の髪を優しく撫でながら、一緒に、飛んだ。
 そして、最後に僕とクウが残る。

「……うーー、流石にこれは怖い……」
「……うん。僕も、それは同じだ。でも、一緒なら、大丈夫だよ」
「……そだね」

 僕は、手を差し伸べる。
 クウは、その手を取ろうと――した。

「きゃあっ!」

 そこで、地面が揺れる。近くの大木が倒れた衝撃だろうか、遠くから重い音も聞こえてきた。
 そして、それと連動するように、僕らの頭上から、いくつもの枝が、石が、落下してきた。

「うわあっ!」

 ガラガラという耳障りな音と、体にぶつかる枝や小石の痛みが、何秒も続いた。
 その音と痛みが治まったとき、僕は反射的に、クウの上に自分の体を重ねて、彼女を守っていたことに気付いた。

「……あ、……えと、……あ、ありがと……ヒカル」
「……うん」

 ……押し倒しているようで恥ずかしくなったので、僕はすぐに体を起こして、枝葉を払った。

「もうちょっとそのままでも……」
「馬鹿、何言ってるのさ」
「……えへへ」

 クウも汚れを払い、よいしょ、と声を出して立ち上がった。

「……ホント、ありがとね」
「……いいんだよ。だって、次は絶対に守る……それも、約束の一つだから」

 六日前の小さな約束。まさか、こんなにも早く果たすときが来るとは、思っていなかったけど。
 今だけじゃない。これからだって、守ってみせよう。だって、これからもずっとクウは、僕のそばにいてくれるのだから。

「……ヒカル、大好きっ」
「ちょ、ちょっと」

 勢いこんで、クウが僕に抱きついてくる。
 こんなことをしている場合じゃないような気はするのだが、しばらくそのままでいたいと思ってしまった。

「……僕も好きだよ、クウ」
「……うん」
「おーい! 二人とも、無事かー!?」

 下の方で、ワタルの声がする。名残惜しいけれど、もう行かなくちゃ、心配をかける。

「……行こうか」
「行きますか」

 二人で、崖の先端に立つ。

「……離さないでよ?」
「……ずっと、離さないよ」
「きゃー、照れちゃいます」
「……はいはい」
「……よーし」
「……せーのっ」

 掛け声とともに。
 僕らは二人、肩を寄せ合い、飛び込んだ。

「……これで全員だね。みんな無事でよかった」

 ずぶ濡れになりながらも、僕らは頷き合い、しっかりとした足取りで、再び進み始める。
 そして、ようやく。
 島の海岸まで、僕らは辿り着いた。
 一面に青い海が広がる、海岸。

「……ここから、どうするんです?」

「トキコさんに連絡をとる。もし、船が問題なさそうなら、来てもらいたいんだが」

 そう言いながら、コウさんはポケットから携帯を取り出し、カナエさんに電話をかける。
 その電話は通じたようで、

「もしもし、トキコさんですか。僕です、はい。今、どんな感じですか? ……え? ……では、もう島からかなり離れてるんですか?」

 島から離れている、という言葉に、不安が掻き立てられた。

「……いえ、仕方ないです。……応援は? ……そうですか。分かりました、ありがとうございます」

 苦い表情で、コウさんは通話を切り、携帯をしまった。
 どうも、その会話から、好ましくない事態になっているのは間違いないようだ。

「……カナエさんは、なんて?」
「うん。……やっぱり、船が相当に傷んでいたらしくてね。おまけに燃料もギリギリだったから、本土に向かうのを優先したらしい。会社に連絡して、ヘリを呼んでくれたらしいけど、何時間で来られるか分からないと……」
「そ、そんな……」

 ツバサちゃんの絶望的な声は、この場の全員の思いを代弁したようだった。
 海岸とはいえ……火が燃え広がり、木々が倒れ続けている森のすぐ近くであることに違いはないのだ。
 さっきと同じように、いやそれ以上の物が降ってくる可能性は十分にあった。
 巨岩や巨木が、もし頭上から降り注いだら……そのときは、ひとたまりもない。

「待つしか、ないのか……」
「……それしか、ないようだ」

 コウさんの溜息。それに混じり、パラパラという小さな音も聞こえた。
 ……何だろうと、振り返ってみると、それは上から落ちてくる砂粒の音だった。

「……まずい、な……」
 倒木のせいで、地盤が緩くなってしまっているのかもしれない。どうやら少しずつ、落ちてくる砂の量が増えている。

「コウさん。……いつ、崩れてもおかしくないです」

 僕が不安げに言うと、コウさんも同じような表情で、

「……最悪、海に飛び込んででも待つしかない。それで済めば、……むしろまだセーフだ」

 恐ろしい緊張感に、嫌な汗が噴出すのが分かる。それは、ここにいる誰しも同じことだろう。カエデさんですら、体を震わせてゲンキさんにしがみついている。
 先ほどまで、命すら捨てようとしていたゲンキさんも、今は彼女のために、死ぬわけにはいかないという目をしていた。
 ――そうさ、死ぬわけにはいかない。
 ……だが、静寂を破ったのは救いの音ではなかった。

「上だ! 避けるんだ、皆!」

 ついに均衡が破られたのか、頭上からかなりの量の土砂が流れてきた。僕らは命からがら、左右に分かれて土砂を避ける。

「こ、こんなの続いたら、身がもたないよ!」

 ツバサちゃんがそう叫ぶ間にも、新たな土砂が降り注いできた。

「きゃああ!」
「クウ!」

 クウの手を引き、その体を抱き寄せる。その瞬間、元いた場所に岩が落下してきた。
 早く。……早く、救援は来ないのだろうか。
 お願いだ、どうか一秒でも早く、僕らを助けにきてくれ――。

「……あれは……」

 落盤が小休止したそのとき。
 ふいに、コウさんがそんなことを呟いた。
 コウさんは驚いた様子で、海を見つめている。
 信じられないものを見ているような、そんな目で。
 僕も、その視線を追って、海を見つめた。

 「あ……ああ……!」

 そこには――確かな救いが、あった。

「ふ、!」

 ワタルが叫ぶ。眼前には、彼が言うように船があった。小さなモーターボートは、鴇島へ向かって全速力で走っている。

「あれ、……あれって、ひょっとして!」
「タロウ! タロウーッ!」

 感極まって、僕がその名を叫ぶと、船の操縦室から、彼がひょっこりと顔を見せた。
 ……全く、なんて格好いい登場をする男なんだ。

「大ピンチだな! 待たせてすまなかった! 皆、早く乗り込むんだ。もう何分も持たなさそうだぞ!」

 タロウは、僕らの頭上を指差しながら言う。見たくもないが、恐らく上はよほど危ないことになっているのだろう。
 一人ずつ、飛び込むようにして船に乗り込む。船自体は結構な大きさがあったが、人が乗り込めるスペースは思ったより小さかった。

「ちょうど八人乗りだ。狭いだろうが、我慢してくれ」

 乗り込んだ皆を、順番に船の中へ導くと、

「……よくやったな、ヒカル」

 実にさりげなく、タロウは僕にそう言ってきた。照れ臭くなったので、僕はやんわりと否定する。

「みんなのおかげだよ。……それに、ワタルさんもやっぱり、悩んでたんだ。だから、思いとどまってくれた。……タロウこそ、ありがとう」
「なに、これくらい。……それじゃ、出るぞ」

 操縦桿を力強く握り、タロウはアクセルを踏み込む。
 駆動音とともに、船はぐるりと半回転した。

「さあ――飛んでいくわけじゃないが、もうこの島ともおさらばだ。……行くぜ!」

 その掛け声を合図に、船は勢いよく海へと進みだした。
 みるみるうちに、僕らが過ごした鴇島は、その姿を小さくしていく。
 炎の侵食で、あちこちが赤く染まった島は、恐ろしいようで、どこか幻想的なものに思えた。

「――さよなら、僕たちの鳥籠」

 島からは、棲み処を失った鳥たちが、群れとなって飛び立っている。
 その一羽一羽が、僕には何故だか、過去に命を落とした鴇村の人たちのようにも感じられたのだった。

「……ようやく、呪縛を解かれたのかもしれないね」

 僕の心を読み取ったような、コウさんの台詞に、僕は静かに頷く。
 そう。今ようやく、長く続いてきた過去の呪縛から、あの島は開放されたのだろう……。

「それなら、確かにあの島は、鳥籠だったんだろうね。そして……私たちはもう、自由にどこへでも。飛んでいけるんだ。この海の向こう、この空の、向こうへ……」

 クウが言うのに、僕たちは頷きあう。

 ……見上げた空は、とても綺麗な、青だった。
 今日という日を、祝福するかのような、深く、青い空。

「……たとえ、あの場所がなくなっても、僕らの約束は、ずっと胸の中にある」

 あの日見た光景も。
 あの日刻んだ言葉も。
 決して忘れない。
 そうだよね、クウ。

「……ふふ」

 いつのまにか、疲れきって僕の隣で寝息を立てているクウに、微笑みかける。
 ……いつまでも、
 いつまでも、共に生きていこう。

 ……クウ。
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