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十四章 ヒカル七日目
終演 ④
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――突然、ミシミシという異様な音が聞こえた。
反射的に上を見ると、ゆっくりと木が傾いていくのがハッキリと見えた。
「い、いけない、逃げろッ!」
コウさんが叫ぶのと、木が倒れてくるのとはほぼ同時だった。
何十メートルもあるだろう木が、周りの木を巻き込みながら、ズズウン、と大きな音を立てて倒れる。
その恐ろしい音に、僕は鳥肌が立つのを実感した。
「あ、あちこちに火が回って、木が倒れそうになってる!」
「や、やばいじゃん! こんな森の中じゃ、一本倒れたら何連鎖すると思ってるの!?」
さっきの一本の影響が、こちら側に連鎖してこなかったのが奇跡だ。もし全ての木が来ていたら、全員押し潰されていたに違いない。
だが、そうならなかったにせよ、危険が続いていることには変わりないのだ。
「しっかりな、ツバサ……俺のせいで、こんなことになって……ごめんな。……みんなも、……本当に、すまない……俺が、こんなことをしなければ……」
「謝ってる場合でもないよ! どこか逃げ道を探さないと!」
非情なようだが、クウの言うことが正論だ。とにかく死なないために、安全な所へ逃げないといけない。だが、一本しかない道はさっきの倒木で塞がれてしまっていた。
「ど、どこに逃げれば……いいの……!?」
「駄目だ、ここは多分島で一番高い場所だから……あの道が塞がれたら、逃げ場がない!」
ワタルとツバサは、きょろきょろと周りを見回すが、もう火の手は全方位を覆い始めている。
どうすればいい? 道は塞がれ、残り三方は全て崖だ。燃え落ちてくる木々を避け、ここから脱出できる方法なんて、あるのか?
いや、考えろ。ここまで諦めずに、やってきたんじゃないか。そうして幾つもの危機を、悲しみを、乗り越えてきたじゃないか。
決して、僕は、僕たちは諦めない。
……そうだ、たった一つだけ、賭けられるとするなら――。
「崖は!?」
「がっ、……崖から飛び降りると?」
「おい、ヒカル! それは危なすぎないか!?」
「でも、他に逃げ道がない!」
僕が叫ぶと、コウさんが、
「……ヒカルくん、いい考えだ。恐らく君の言う通り、他に逃げ道はない。確か、島の構造からして、こちらの崖を下りられれば、海の近くまで出られるはずだ!」
そう言って賛同してくれた。
コウさんが指差すのは、村へ戻る道とは正反対の方向の崖だ。
確かに、この先なら島の反対側に出られるかもしれない。
「……行こう。僕が下りやすい場所を探して、先導する」
そう言うとすぐに、コウさんは崖の向こうへと歩を進め、滑るようにして降りていった。
「……コウさんについて行こう! 怖いけど、この道を行くしかないよ!」
僕の言葉に、全員が頷き、覚束ない足取りながらも、コウさんの降りた道を辿っていった。
コウさんが下りやすい場所を見つけ、先に進んでくれるおかげで、僕らは多少の恐怖を感じながらも、順調に下へ下へと進んでいけた。手を差し伸べ、体を受け止めながら、少しずつ、島の反対側へと向かうことができていた。
……しかし。
「……これは……」
中ごろまで進んだかというところで、コウさんの足がピタリと止まる。それも当然だ。
そこには、進もうとするものを拒絶するかのような光景が広がっていた。
……むき出しの岩肌。その下を覗き込むと、渓流が見える。その渓流までの高さは、見た感じ七、八メートルほどはありそうだった。
「な、……なにこれ……」
「ここ以外に道はないのか……?」
ワタルの問いに、コウさんは首を振り、
「……だめだ。申し訳ないけれど、この崖はかなり長く続いてる。むしろ、ここが一番低いし、下に川があるから……安全なはずなんだ」
安全とはいえ、それは他の場所と比べて、というだけだ。もし川に飛び込むことができなければ……大怪我は免れないだろう。
それでも、背後に迫る危機から逃れるために、進むしかないのだ。
「僕から行く」
そう言って、コウさんは躊躇いもせず、崖から身を躍らせる。その数秒後、ドボンという水の音が聞こえた。
「無事ですか、コウさん!」
僕が崖下を覗き込みながら叫ぶと、川の波紋の中から、コウさんは顔を出し、
「問題ない、結構な深さがある! 怖いけど、飛び込んでくるんだ!」
今更ながら、川の深さの問題もあったのだ。コウさんが身を以って証明してくれたおかげで安心できたが、もし浅ければどうなっていたことか。
……コウさんの勇気が、胸に沁みた。
「……よし」
ワタルは自分を奮い立たせるように頷くと、そのまま崖から飛び出した。しばらくして、着水の音。ワタルも無事に下りられたようだ。
「……うー」
ツバサちゃんは、僅かに躊躇ったが、崖下でワタルが両手を広げて待っているのを見て、
「……わー!」
と声を上げながら、崖を飛び出した。水の音で、彼女も無事に下りられたことが分かる。
「……」
ゲンキさんは、しばらく考え込んだあと、隣で不安げにしているカエデさんの体を抱き、
「……大丈夫だ」
彼女の髪を優しく撫でながら、一緒に、飛んだ。
そして、最後に僕とクウが残る。
「……うーー、流石にこれは怖い……」
「……うん。僕も、それは同じだ。でも、一緒なら、大丈夫だよ」
「……そだね」
僕は、手を差し伸べる。
クウは、その手を取ろうと――した。
「きゃあっ!」
そこで、地面が揺れる。近くの大木が倒れた衝撃だろうか、遠くから重い音も聞こえてきた。
そして、それと連動するように、僕らの頭上から、いくつもの枝が、石が、落下してきた。
「うわあっ!」
ガラガラという耳障りな音と、体にぶつかる枝や小石の痛みが、何秒も続いた。
その音と痛みが治まったとき、僕は反射的に、クウの上に自分の体を重ねて、彼女を守っていたことに気付いた。
「……あ、……えと、……あ、ありがと……ヒカル」
「……うん」
……押し倒しているようで恥ずかしくなったので、僕はすぐに体を起こして、枝葉を払った。
「もうちょっとそのままでも……」
「馬鹿、何言ってるのさ」
「……えへへ」
クウも汚れを払い、よいしょ、と声を出して立ち上がった。
「……ホント、ありがとね」
「……いいんだよ。だって、次は絶対に守る……それも、約束の一つだから」
六日前の小さな約束。まさか、こんなにも早く果たすときが来るとは、思っていなかったけど。
今だけじゃない。これからだって、守ってみせよう。だって、これからもずっとクウは、僕のそばにいてくれるのだから。
「……ヒカル、大好きっ」
「ちょ、ちょっと」
勢いこんで、クウが僕に抱きついてくる。
こんなことをしている場合じゃないような気はするのだが、しばらくそのままでいたいと思ってしまった。
「……僕も好きだよ、クウ」
「……うん」
「おーい! 二人とも、無事かー!?」
下の方で、ワタルの声がする。名残惜しいけれど、もう行かなくちゃ、心配をかける。
「……行こうか」
「行きますか」
二人で、崖の先端に立つ。
「……離さないでよ?」
「……ずっと、離さないよ」
「きゃー、照れちゃいます」
「……はいはい」
「……よーし」
「……せーのっ」
掛け声とともに。
僕らは二人、肩を寄せ合い、飛び込んだ。
「……これで全員だね。みんな無事でよかった」
ずぶ濡れになりながらも、僕らは頷き合い、しっかりとした足取りで、再び進み始める。
そして、ようやく。
島の海岸まで、僕らは辿り着いた。
一面に青い海が広がる、海岸。
「……ここから、どうするんです?」
「トキコさんに連絡をとる。もし、船が問題なさそうなら、来てもらいたいんだが」
そう言いながら、コウさんはポケットから携帯を取り出し、カナエさんに電話をかける。
その電話は通じたようで、
「もしもし、トキコさんですか。僕です、はい。今、どんな感じですか? ……え? ……では、もう島からかなり離れてるんですか?」
島から離れている、という言葉に、不安が掻き立てられた。
「……いえ、仕方ないです。……応援は? ……そうですか。分かりました、ありがとうございます」
苦い表情で、コウさんは通話を切り、携帯をしまった。
どうも、その会話から、好ましくない事態になっているのは間違いないようだ。
「……カナエさんは、なんて?」
「うん。……やっぱり、船が相当に傷んでいたらしくてね。おまけに燃料もギリギリだったから、本土に向かうのを優先したらしい。会社に連絡して、ヘリを呼んでくれたらしいけど、何時間で来られるか分からないと……」
「そ、そんな……」
ツバサちゃんの絶望的な声は、この場の全員の思いを代弁したようだった。
海岸とはいえ……火が燃え広がり、木々が倒れ続けている森のすぐ近くであることに違いはないのだ。
さっきと同じように、いやそれ以上の物が降ってくる可能性は十分にあった。
巨岩や巨木が、もし頭上から降り注いだら……そのときは、ひとたまりもない。
「待つしか、ないのか……」
「……それしか、ないようだ」
コウさんの溜息。それに混じり、パラパラという小さな音も聞こえた。
……何だろうと、振り返ってみると、それは上から落ちてくる砂粒の音だった。
「……まずい、な……」
倒木のせいで、地盤が緩くなってしまっているのかもしれない。どうやら少しずつ、落ちてくる砂の量が増えている。
「コウさん。……いつ、崩れてもおかしくないです」
僕が不安げに言うと、コウさんも同じような表情で、
「……最悪、海に飛び込んででも待つしかない。それで済めば、……むしろまだセーフだ」
恐ろしい緊張感に、嫌な汗が噴出すのが分かる。それは、ここにいる誰しも同じことだろう。カエデさんですら、体を震わせてゲンキさんにしがみついている。
先ほどまで、命すら捨てようとしていたゲンキさんも、今は彼女のために、死ぬわけにはいかないという目をしていた。
――そうさ、死ぬわけにはいかない。
……だが、静寂を破ったのは救いの音ではなかった。
「上だ! 避けるんだ、皆!」
ついに均衡が破られたのか、頭上からかなりの量の土砂が流れてきた。僕らは命からがら、左右に分かれて土砂を避ける。
「こ、こんなの続いたら、身がもたないよ!」
ツバサちゃんがそう叫ぶ間にも、新たな土砂が降り注いできた。
「きゃああ!」
「クウ!」
クウの手を引き、その体を抱き寄せる。その瞬間、元いた場所に岩が落下してきた。
早く。……早く、救援は来ないのだろうか。
お願いだ、どうか一秒でも早く、僕らを助けにきてくれ――。
「……あれは……」
落盤が小休止したそのとき。
ふいに、コウさんがそんなことを呟いた。
コウさんは驚いた様子で、海を見つめている。
信じられないものを見ているような、そんな目で。
僕も、その視線を追って、海を見つめた。
「あ……ああ……!」
そこには――確かな救いが、あった。
「ふ、船だ!」
ワタルが叫ぶ。眼前には、彼が言うように船があった。小さなモーターボートは、鴇島へ向かって全速力で走っている。
「あれ、……あれって、ひょっとして!」
「タロウ! タロウーッ!」
感極まって、僕がその名を叫ぶと、船の操縦室から、彼がひょっこりと顔を見せた。
……全く、なんて格好いい登場をする男なんだ。
「大ピンチだな! 待たせてすまなかった! 皆、早く乗り込むんだ。もう何分も持たなさそうだぞ!」
タロウは、僕らの頭上を指差しながら言う。見たくもないが、恐らく上はよほど危ないことになっているのだろう。
一人ずつ、飛び込むようにして船に乗り込む。船自体は結構な大きさがあったが、人が乗り込めるスペースは思ったより小さかった。
「ちょうど八人乗りだ。狭いだろうが、我慢してくれ」
乗り込んだ皆を、順番に船の中へ導くと、
「……よくやったな、ヒカル」
実にさりげなく、タロウは僕にそう言ってきた。照れ臭くなったので、僕はやんわりと否定する。
「みんなのおかげだよ。……それに、ワタルさんもやっぱり、悩んでたんだ。だから、思いとどまってくれた。……タロウこそ、ありがとう」
「なに、これくらい。……それじゃ、出るぞ」
操縦桿を力強く握り、タロウはアクセルを踏み込む。
駆動音とともに、船はぐるりと半回転した。
「さあ――飛んでいくわけじゃないが、もうこの島ともおさらばだ。……行くぜ!」
その掛け声を合図に、船は勢いよく海へと進みだした。
みるみるうちに、僕らが過ごした鴇島は、その姿を小さくしていく。
炎の侵食で、あちこちが赤く染まった島は、恐ろしいようで、どこか幻想的なものに思えた。
「――さよなら、僕たちの鳥籠」
島からは、棲み処を失った鳥たちが、群れとなって飛び立っている。
その一羽一羽が、僕には何故だか、過去に命を落とした鴇村の人たちのようにも感じられたのだった。
「……ようやく、呪縛を解かれたのかもしれないね」
僕の心を読み取ったような、コウさんの台詞に、僕は静かに頷く。
そう。今ようやく、長く続いてきた過去の呪縛から、あの島は開放されたのだろう……。
「それなら、確かにあの島は、鳥籠だったんだろうね。そして……私たちはもう、自由にどこへでも。飛んでいけるんだ。この海の向こう、この空の、向こうへ……」
クウが言うのに、僕たちは頷きあう。
……見上げた空は、とても綺麗な、青だった。
今日という日を、祝福するかのような、深く、青い空。
「……たとえ、あの場所がなくなっても、僕らの約束は、ずっと胸の中にある」
あの日見た光景も。
あの日刻んだ言葉も。
決して忘れない。
そうだよね、クウ。
「……ふふ」
いつのまにか、疲れきって僕の隣で寝息を立てているクウに、微笑みかける。
……いつまでも、
いつまでも、共に生きていこう。
……クウ。
反射的に上を見ると、ゆっくりと木が傾いていくのがハッキリと見えた。
「い、いけない、逃げろッ!」
コウさんが叫ぶのと、木が倒れてくるのとはほぼ同時だった。
何十メートルもあるだろう木が、周りの木を巻き込みながら、ズズウン、と大きな音を立てて倒れる。
その恐ろしい音に、僕は鳥肌が立つのを実感した。
「あ、あちこちに火が回って、木が倒れそうになってる!」
「や、やばいじゃん! こんな森の中じゃ、一本倒れたら何連鎖すると思ってるの!?」
さっきの一本の影響が、こちら側に連鎖してこなかったのが奇跡だ。もし全ての木が来ていたら、全員押し潰されていたに違いない。
だが、そうならなかったにせよ、危険が続いていることには変わりないのだ。
「しっかりな、ツバサ……俺のせいで、こんなことになって……ごめんな。……みんなも、……本当に、すまない……俺が、こんなことをしなければ……」
「謝ってる場合でもないよ! どこか逃げ道を探さないと!」
非情なようだが、クウの言うことが正論だ。とにかく死なないために、安全な所へ逃げないといけない。だが、一本しかない道はさっきの倒木で塞がれてしまっていた。
「ど、どこに逃げれば……いいの……!?」
「駄目だ、ここは多分島で一番高い場所だから……あの道が塞がれたら、逃げ場がない!」
ワタルとツバサは、きょろきょろと周りを見回すが、もう火の手は全方位を覆い始めている。
どうすればいい? 道は塞がれ、残り三方は全て崖だ。燃え落ちてくる木々を避け、ここから脱出できる方法なんて、あるのか?
いや、考えろ。ここまで諦めずに、やってきたんじゃないか。そうして幾つもの危機を、悲しみを、乗り越えてきたじゃないか。
決して、僕は、僕たちは諦めない。
……そうだ、たった一つだけ、賭けられるとするなら――。
「崖は!?」
「がっ、……崖から飛び降りると?」
「おい、ヒカル! それは危なすぎないか!?」
「でも、他に逃げ道がない!」
僕が叫ぶと、コウさんが、
「……ヒカルくん、いい考えだ。恐らく君の言う通り、他に逃げ道はない。確か、島の構造からして、こちらの崖を下りられれば、海の近くまで出られるはずだ!」
そう言って賛同してくれた。
コウさんが指差すのは、村へ戻る道とは正反対の方向の崖だ。
確かに、この先なら島の反対側に出られるかもしれない。
「……行こう。僕が下りやすい場所を探して、先導する」
そう言うとすぐに、コウさんは崖の向こうへと歩を進め、滑るようにして降りていった。
「……コウさんについて行こう! 怖いけど、この道を行くしかないよ!」
僕の言葉に、全員が頷き、覚束ない足取りながらも、コウさんの降りた道を辿っていった。
コウさんが下りやすい場所を見つけ、先に進んでくれるおかげで、僕らは多少の恐怖を感じながらも、順調に下へ下へと進んでいけた。手を差し伸べ、体を受け止めながら、少しずつ、島の反対側へと向かうことができていた。
……しかし。
「……これは……」
中ごろまで進んだかというところで、コウさんの足がピタリと止まる。それも当然だ。
そこには、進もうとするものを拒絶するかのような光景が広がっていた。
……むき出しの岩肌。その下を覗き込むと、渓流が見える。その渓流までの高さは、見た感じ七、八メートルほどはありそうだった。
「な、……なにこれ……」
「ここ以外に道はないのか……?」
ワタルの問いに、コウさんは首を振り、
「……だめだ。申し訳ないけれど、この崖はかなり長く続いてる。むしろ、ここが一番低いし、下に川があるから……安全なはずなんだ」
安全とはいえ、それは他の場所と比べて、というだけだ。もし川に飛び込むことができなければ……大怪我は免れないだろう。
それでも、背後に迫る危機から逃れるために、進むしかないのだ。
「僕から行く」
そう言って、コウさんは躊躇いもせず、崖から身を躍らせる。その数秒後、ドボンという水の音が聞こえた。
「無事ですか、コウさん!」
僕が崖下を覗き込みながら叫ぶと、川の波紋の中から、コウさんは顔を出し、
「問題ない、結構な深さがある! 怖いけど、飛び込んでくるんだ!」
今更ながら、川の深さの問題もあったのだ。コウさんが身を以って証明してくれたおかげで安心できたが、もし浅ければどうなっていたことか。
……コウさんの勇気が、胸に沁みた。
「……よし」
ワタルは自分を奮い立たせるように頷くと、そのまま崖から飛び出した。しばらくして、着水の音。ワタルも無事に下りられたようだ。
「……うー」
ツバサちゃんは、僅かに躊躇ったが、崖下でワタルが両手を広げて待っているのを見て、
「……わー!」
と声を上げながら、崖を飛び出した。水の音で、彼女も無事に下りられたことが分かる。
「……」
ゲンキさんは、しばらく考え込んだあと、隣で不安げにしているカエデさんの体を抱き、
「……大丈夫だ」
彼女の髪を優しく撫でながら、一緒に、飛んだ。
そして、最後に僕とクウが残る。
「……うーー、流石にこれは怖い……」
「……うん。僕も、それは同じだ。でも、一緒なら、大丈夫だよ」
「……そだね」
僕は、手を差し伸べる。
クウは、その手を取ろうと――した。
「きゃあっ!」
そこで、地面が揺れる。近くの大木が倒れた衝撃だろうか、遠くから重い音も聞こえてきた。
そして、それと連動するように、僕らの頭上から、いくつもの枝が、石が、落下してきた。
「うわあっ!」
ガラガラという耳障りな音と、体にぶつかる枝や小石の痛みが、何秒も続いた。
その音と痛みが治まったとき、僕は反射的に、クウの上に自分の体を重ねて、彼女を守っていたことに気付いた。
「……あ、……えと、……あ、ありがと……ヒカル」
「……うん」
……押し倒しているようで恥ずかしくなったので、僕はすぐに体を起こして、枝葉を払った。
「もうちょっとそのままでも……」
「馬鹿、何言ってるのさ」
「……えへへ」
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「……いいんだよ。だって、次は絶対に守る……それも、約束の一つだから」
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今だけじゃない。これからだって、守ってみせよう。だって、これからもずっとクウは、僕のそばにいてくれるのだから。
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「……うん」
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「……行こうか」
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「……離さないでよ?」
「……ずっと、離さないよ」
「きゃー、照れちゃいます」
「……はいはい」
「……よーし」
「……せーのっ」
掛け声とともに。
僕らは二人、肩を寄せ合い、飛び込んだ。
「……これで全員だね。みんな無事でよかった」
ずぶ濡れになりながらも、僕らは頷き合い、しっかりとした足取りで、再び進み始める。
そして、ようやく。
島の海岸まで、僕らは辿り着いた。
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「……ここから、どうするんです?」
「トキコさんに連絡をとる。もし、船が問題なさそうなら、来てもらいたいんだが」
そう言いながら、コウさんはポケットから携帯を取り出し、カナエさんに電話をかける。
その電話は通じたようで、
「もしもし、トキコさんですか。僕です、はい。今、どんな感じですか? ……え? ……では、もう島からかなり離れてるんですか?」
島から離れている、という言葉に、不安が掻き立てられた。
「……いえ、仕方ないです。……応援は? ……そうですか。分かりました、ありがとうございます」
苦い表情で、コウさんは通話を切り、携帯をしまった。
どうも、その会話から、好ましくない事態になっているのは間違いないようだ。
「……カナエさんは、なんて?」
「うん。……やっぱり、船が相当に傷んでいたらしくてね。おまけに燃料もギリギリだったから、本土に向かうのを優先したらしい。会社に連絡して、ヘリを呼んでくれたらしいけど、何時間で来られるか分からないと……」
「そ、そんな……」
ツバサちゃんの絶望的な声は、この場の全員の思いを代弁したようだった。
海岸とはいえ……火が燃え広がり、木々が倒れ続けている森のすぐ近くであることに違いはないのだ。
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「……それしか、ないようだ」
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……何だろうと、振り返ってみると、それは上から落ちてくる砂粒の音だった。
「……まずい、な……」
倒木のせいで、地盤が緩くなってしまっているのかもしれない。どうやら少しずつ、落ちてくる砂の量が増えている。
「コウさん。……いつ、崩れてもおかしくないです」
僕が不安げに言うと、コウさんも同じような表情で、
「……最悪、海に飛び込んででも待つしかない。それで済めば、……むしろまだセーフだ」
恐ろしい緊張感に、嫌な汗が噴出すのが分かる。それは、ここにいる誰しも同じことだろう。カエデさんですら、体を震わせてゲンキさんにしがみついている。
先ほどまで、命すら捨てようとしていたゲンキさんも、今は彼女のために、死ぬわけにはいかないという目をしていた。
――そうさ、死ぬわけにはいかない。
……だが、静寂を破ったのは救いの音ではなかった。
「上だ! 避けるんだ、皆!」
ついに均衡が破られたのか、頭上からかなりの量の土砂が流れてきた。僕らは命からがら、左右に分かれて土砂を避ける。
「こ、こんなの続いたら、身がもたないよ!」
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「きゃああ!」
「クウ!」
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……全く、なんて格好いい登場をする男なんだ。
「大ピンチだな! 待たせてすまなかった! 皆、早く乗り込むんだ。もう何分も持たなさそうだぞ!」
タロウは、僕らの頭上を指差しながら言う。見たくもないが、恐らく上はよほど危ないことになっているのだろう。
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「みんなのおかげだよ。……それに、ワタルさんもやっぱり、悩んでたんだ。だから、思いとどまってくれた。……タロウこそ、ありがとう」
「なに、これくらい。……それじゃ、出るぞ」
操縦桿を力強く握り、タロウはアクセルを踏み込む。
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「さあ――飛んでいくわけじゃないが、もうこの島ともおさらばだ。……行くぜ!」
その掛け声を合図に、船は勢いよく海へと進みだした。
みるみるうちに、僕らが過ごした鴇島は、その姿を小さくしていく。
炎の侵食で、あちこちが赤く染まった島は、恐ろしいようで、どこか幻想的なものに思えた。
「――さよなら、僕たちの鳥籠」
島からは、棲み処を失った鳥たちが、群れとなって飛び立っている。
その一羽一羽が、僕には何故だか、過去に命を落とした鴇村の人たちのようにも感じられたのだった。
「……ようやく、呪縛を解かれたのかもしれないね」
僕の心を読み取ったような、コウさんの台詞に、僕は静かに頷く。
そう。今ようやく、長く続いてきた過去の呪縛から、あの島は開放されたのだろう……。
「それなら、確かにあの島は、鳥籠だったんだろうね。そして……私たちはもう、自由にどこへでも。飛んでいけるんだ。この海の向こう、この空の、向こうへ……」
クウが言うのに、僕たちは頷きあう。
……見上げた空は、とても綺麗な、青だった。
今日という日を、祝福するかのような、深く、青い空。
「……たとえ、あの場所がなくなっても、僕らの約束は、ずっと胸の中にある」
あの日見た光景も。
あの日刻んだ言葉も。
決して忘れない。
そうだよね、クウ。
「……ふふ」
いつのまにか、疲れきって僕の隣で寝息を立てているクウに、微笑みかける。
……いつまでも、
いつまでも、共に生きていこう。
……クウ。
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主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
あいみるのときはなかろう
穂祥 舞
青春
進学校である男子校の3年生・三喜雄(みきお)は、グリークラブに所属している。歌が好きでもっと学びたいという気持ちは強いが、親や声楽の先生の期待に応えられるほどの才能は無いと感じていた。
大学入試が迫り焦る気持ちが強まるなか、三喜雄は美術部員でありながら、ピアノを弾きこなす2年生の高崎(たかさき)の存在を知る。彼に興味を覚えた三喜雄が練習のための伴奏を頼むと、マイペースであまり人を近づけないタイプだと噂の高崎が、あっさりと引き受けてくれる。
☆将来の道に迷う高校生の気持ちの揺れを描きたいと思います。拙作BL『あきとかな〜恋とはどんなものかしら〜』のスピンオフですが、物語としては完全に独立させています。ややBLニュアンスがあるかもしれません。★推敲版をエブリスタにも掲載しています。
青天のヘキレキ
ましら佳
青春
⌘ 青天のヘキレキ
高校の保健養護教諭である金沢環《かなざわたまき》。
上司にも同僚にも生徒からも精神的にどつき回される生活。
思わぬ事故に巻き込まれ、修学旅行の引率先の沼に落ちて神将・毘沙門天の手違いで、問題児である生徒と入れ替わってしまう。
可愛い女子とイケメン男子ではなく、オバちゃんと問題児の中身の取り違えで、ギャップの大きい生活に戸惑い、落としどころを探って行く。
お互いの抱えている問題に、否応なく向き合って行くが・・・・。
出会いは化学変化。
いわゆる“入れ替わり”系のお話を一度書いてみたくて考えたものです。
お楽しみいただけますように。
他コンテンツにも掲載中です。
パラダイス・ロスト
真波馨
ミステリー
架空都市K県でスーツケースに詰められた男の遺体が発見される。殺された男は、県警公安課のエスだった――K県警公安第三課に所属する公安警察官・新宮時也を主人公とした警察小説の第一作目。
※旧作『パラダイス・ロスト』を加筆修正した作品です。大幅な内容の変更はなく、一部設定が変更されています。旧作版は〈小説家になろう〉〈カクヨム〉にのみ掲載しています。
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