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一章 ワタル一日目

鴇村 ②

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 授業が全て終了し、終礼の時間になる。今日もいつのまにかこんな時間になっていた、と思えるくらいに、あっという間の半日だった。

「じゃあ、明日も元気で来てくださいね。皆さん、さようなら」
「さようなら」

 朝と同じように元気な声を先生に返し、生徒たちは散開する。俺たちはとりあえずこれからどうするかを相談するために、教室の真ん中あたりに集まった。

「日暮れまでは外で遊びたい気分だな、俺は」
「私も」

 ドッジボールの決着がついていないこともあって、俺とクウは遊ぶ気満々だ。
 だが、ヒカルはちょっと心配げな表情で、

「んー、タロウくんも誘いたいけどなあ。今誘っても、かえって迷惑なだけかな」
「一度誘ってみるよ」

 それで気が紛れればいいし、乗り気になれないならきっぱり断るだろう。迷惑になるかも、なんて考える必要はない。俺は鞄を取って帰ろうとしているタロウの所へ歩み寄っていき、

「タロウ、これからちょっと遊ばないか?」

 と、あくまでいつもと変わらぬ調子で声を掛けてみた。

「いや、悪い。今日は遠慮しておくよ。また今度」

 寂しげにはにかむと、タロウは僅かに頭を下げて、俺の前を通り過ぎ、教室から出て行った。遊んで忘れよう、とはいかないようだ。

「駄目だったか」
「みたいだね」
「んー、どうする?」
「僕は帰ろうかなあ……。タロウが元気になったら、五人で遊ぼうよ」
「うーん、そうしよっか?」

 ヒカルの言葉に、ツバサが賛同の意を示す。どうやら帰る方向に気分が進んでいるらしい。

「仕方ないな、あいつが早く元気出すことを祈るか」
「そうだね。ジロウくんが元気になって、心配することが無くなればいいね」
「うんうん」

 ジロウくんがどんな病状なのかは分からないし、クウに聞くのも何となく憚られるが。
 一日でも早く、その病が治ってほしいと、俺たちは願う。
 ヒカルとクウは、帰る方向が違うので、二人で仲良く帰って行った。それじゃあ俺たちも帰ろうか、とツバサを促す。
 そして、歩き出そうとしたときだった。
 大きな影が、俺たちを覆い、一瞬で過ぎて行った。
 何だろう、と空を仰ぎ見る。
 そこには、トキがいた。
 二羽のトキ。

「あっ……!」

 その姿を見た途端、俺はツバサの手を握り、後を追いかけていた。

「ワ、ワタルくん!?」
「ちょっと一緒に来てくれ、ツバサ!」

 詳しいことを言うと恥ずかしくなってしまうので、俺はそれだけを言い、トキの後を追う。
 二羽のトキは、森の中へと入っていった。基本的に、森は未開の地であるため、立ち入ってはならないと言われている。道らしき道は一応あるのだが、途中でそれは獣道へと変わり、やがてなくなる。森はそんなところだ。
 道があるということは、その先に何かがあるということかもしれないが、その何かを見つけたことはないし、見つける気も正直ない。森で迷う恐怖を味わいたくないのだ。
 それでも今日は、その恐怖の森に入っていく。これを逃せばもう、今のようなトキは見られないと直感したから。
 今しかチャンスはないと、そう直感したから。
 森の中を、草を掻き分けて進むこと、五分ほど。
 そこに、少しだけ開けた場所があった。
 獣道の途切れる森の中の小さな空間。
 その奥には、一本の大きな木が聳え立っていた。

「す、……すごい」

 ツバサは、初めて見るその光景に、感嘆の声を漏らす。
 勿論俺だって、こんなものは初めて見た。

「ワタルくん、ひょっとしてここに連れて来たかったの? この木を見せに?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど……」

 どう説明しようかと迷っていると、木の上からバサバサと羽音を立てて、鳥が目の前に下りてくる。
 それは、さきほどのトキたちだった。
 ――

「その……俺が見せたかったのは、このトキたちだよ。つがいのトキ」
「……つがい……」

 仲睦まじく、身を寄せ合う二羽のトキ。少し黒ずんだ羽は、繁殖期の特徴だという。
 トキの棲む村だといっても、人前にトキが降り立つことは滅多にない。ましてや、それがつがいであればなおさらだ。
 トキは、村ではもはや神格化すらされている。
 そして、トキについての古き言い伝えもある。

「私、知ってるよ」

 つばさが、また頬を赤らめながら、こちらに向かってはにかむ。

「だから、ここまで来たんだね」
「……め、珍しいと思ったから……かもしれないぜ?」
「そんなことないよ、ワタルくんなんだから」
「……」

 引っ張ってきておきながら、自分から言い出せないとは、俺も気弱なものだ。
 言いたい言葉は、ツバサの方から言ってくれた。

「つがいのトキを目にした恋人たちは、必ず結ばれる」

 そう。鴇村に伝わる、なんともロマンチックで怪しい言い伝えだ。
 でも、今だけは。
 それを信じたいと、体が動いたのだった。

「本当に、見れちゃうなんてね」
「ああ。……運がいいな」
「それくらい、なのかもよ」
「え?」
「ふふ、何でもない」

 ツバサはにっこりと笑う。
 トキは少しだけこちらに体を向けてから、やがて茜色に染まりつつある空へと飛び立っていった。

「あ……飛んでっちゃった」
「元々人は苦手な鳥だからな、仕方ない」

 トキの後ろ姿を、俺たちは見送る。その姿が見えなくなってから、

「そうそう。ほら、今日の日記」
「あ、ありがと、ワタルくん。じゃあ私も……はい」

 俺は赤のノートを、ツバサは白のノートを取り出して、互いに交換する。
 二人だけの秘密、とまで言うのは恥ずかしいが、要するにこれは、交換日記だ。
 普通交換日記は一冊だろうが、毎日互いのことを知りたいというツバサの提案で、二冊のノートを交互につけあうという形になった。
 始めたのはここ半年のことだけれど、それ以来、俺たちはこれを毎日欠かさず書いている。
 互いのことを、日々理解し合っている。

「今日は、素敵なことが書けるね」
「……うん」

 こういう台詞を言うのに関しては、ツバサの方が大胆だ。どうも常に、俺がリードされているような気持ちになる。
 でも、きっちりと思いを告げるときには、必ず。

「ね、ワタルくん。この大きな木にさ、その……あれ、書こうよ。トキを見ちゃったついで」
「あ、あれって……その。相合鳥、か?」
「それ!」

 その言葉に、嫌でもドキリとしてしまう。正直いって、思いは既に通じているのだ。俺たち二人は、ただきっかけの言葉がないだけで、もう。
 相合鳥。馬鹿みたいだと思われるかもしれないが、それはこの村で派生した、相合傘だ。傘の部分を鳥が羽を広げたような形にして、その下に好き合った二人が名前を書く。そうすることで、その二人は永遠に結ばれるのだという、おまじないだ。
 俺たちは、恐らく森で一番の巨木であろうその幹に、名前を刻んだ。
 赤井渡と、
 真白つばさ。
 そして、その上に鳥の飛ぶ姿を刻む。
 ほんの僅かな時間だったけれど、俺たちは無言のまま、それを彫り上げた。

「……よし」
「できたね、ワタルくん」

 これは、甘酸っぱい青春の証か。
 いつか、これをもう一度目にしたとき、今日のこの日を懐かしめるような、そんな証なのだろうか。
 二人で、懐かしめるような。

「……なあ、ツバサ」
「……うん?」

 伝えたい。ただ伝えさえすれば、それで受け入れられるはずの思い。
 けれど。

「いや、何でもない。暗くなってきたら危ないし、そろそろ帰るか」
「そ、そうだね。危ないね」

 ちょっとだけ不満そうな顔をしながらも、ツバサは同意してくれる。
 こうして俺たちは、森を出た。幸せな光景を、互いの胸の中にしまって。
 一つの言い伝えと、一つのおまじないが、いつか叶うことを、信じて。





 家に帰ると、父さんに遅いと叱られた。夕食を作らなければならない俺は、門限が厳しかったりする。なるべく五時までに帰るよう、父さんに言われているのだ。
 手洗いうがいをすると、すぐに台所に入り、俺は慣れた手つきで野菜や肉を切り、炒める。献立などはその場その場で適当に考える。いちいち決めておくのは面倒臭い。男の料理なんて、こんな感じでもいいだろう。
 父さんよりある程度マシというレベルだが、とりあえず夕食が完成し、テーブルの上に並べる。後は箸などを取り出してから、席に着き、いただきますと合掌して、二人で食べ始めた。
 父さんは相変わらず、ニュースばかり見ている。

「……最近、真白家の子と仲がいいな」
「え、……まあ、よく遊んでくれるから」

 突然ツバサのことを話題にされて、びっくりしてどもってしまう。父さんは何を言い出すのだ。

「誰と仲良くしようが、お前の自由だとは思うが……一つだけ、聞いておいてほしい」
「な、何だよ」

 その声色から、父さんの言わんとしていることが、好意的なものではないことが分かる。できればその先は、言わないでいてほしかった。そんな思いが伝播するはずもないが。

「地主は、それぞれが独立しあってこそ村が保たれる。だから……地主同士で好意を寄せ合うのは、良くない。それに……真白家は、余計に、だ」
「……何だよ、それ。誰がそんなこと決めたんだよ!」
「昔からの伝統だ。村の五つの家は、権力の均衡を保つために、そのままであるべきだと言われている」
「そんなの、村側の勝手な理由じゃねえか。どうしてそんなのに従わなくちゃいけないんだよ」
「村で生きるなら、守るべきものだ。この村は、平和だろう。この平和は、自然にできているものじゃない。それくらい、お前にも分かるだろう」
「だからって、だからって……。どうして、ツバサと……」
「他の地主で、子が一人でなければまだ許したかもしれないが……あの家は、地の家だ。相容れない」

 地の家。それが一体何だと言うのだろう。天の家だとか、地の家だとか。意味の分からない言葉で煙に巻いているような気しかしない。

「意味、分からねえよ。そんな分からねえ理由で、勝手に決められたくなんか、ねえよ……!」

 耐え切れなくなった俺は、そう言い捨てて、食事もそこそこにリビングを飛び出した。

「……そうだな……」

 去り際、父さんのそんな呟きが、聞こえた気もした。
 部屋に閉じこもるとすぐに、俺は布団を被る。

「ツバサ……」

 ――つがいのトキを目にした恋人たちは、必ず結ばれる。
 ――相合鳥に名前を書いた恋人たちは、必ず結ばれる。
 一緒にいられるようにという、ささやかな祈り。
 今日交わしたはずの、ささやかな。

「好きだ、ツバサ……」

 暗い毛布の中で、彼女を抱きしめる、仕草をする。
 いつかそれが、現実のものとなればと思いながら。
 そうだ、必ず俺たちは、結ばれる。
 今日の約束が、ある限り。
 それをいつまでも、信じよう。
 定めに抗っても、信じて生きていこう……。

 交換日記に、約束を記す。
 そして俺の、六月三日が終わった。

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