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第六部 第三章 レミニセンス
第六部 暗黒色(ダークブラック)の嘆き 第三章 3
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「世界と、同化する?」
思わず問い返した僕に、イドゥンは楽しそうに笑み、頷いた。
でもよくわからない。
モルガーナが世界と同化して、不滅の存在となったら、何が変わるんだろうか。あいつの好きに世界を造り換えられるなんてことが、できるようになるんだろうか。
規模が飛んでもなさ過ぎて、僕の想像の範疇にない。
「モルガーナが世界と同化したら、何がどう変わるんだ?」
「何も変わらんさ」
「え?」
いろいろと恐ろしい想像をしていた僕に、イドゥンは肩を竦めながら即答した。
「世界とは、人間の想像を遥かに超えて大きなものだ。魔女が願いを叶え、世界との同化を成し得たとしても、大海に流れ込む小川がひとつ増える程度に過ぎない。無限の数字に一が足されたところで、変化はゼロではないが、全体としてはほぼ変わりない。ただ、魔女の望む不滅は達成される」
「それだったら一体なんのために、モルガーナは不滅を求めてるんだ?」
「そんなものは直接本人に訊けばいいさ。どんな理由があるにせよ、あれはそれを望んでいる。わらわの憑代を封印してまで、それを得ようとしている」
どこか莫迦にしたような口ぶりからすると、イドゥンはモルガーナの願いの真意を知っている。けれど教えてくれる気はないらしい。
――そんなことより、僕が気になることは……。
モルガーナのことは、詳しくはないけれどだいたいわかったと思う。
わからないことが多いけど、生まれた時代が大きく違って、恐ろしく長く生きているとしても、あいつも人間だと考えれば想像できることもある。
それよりも僕がわからないのは、いま目の前にいる存在だ。
百合乃の姿をし、様々な表情を見せているのは、果たして彼女が人間と同じ思考をしているからだろうか。それとも姿形はフェイクで、僕を欺いているのだろうか。
わからないから、真実が聞けるかどうかわからないけれど、僕はそれを問うてみる。
「イドゥン。貴女の目的は、何なんだ?」
膝を屈しそうになる神気が薄れたわけじゃない。世界神としての相を持つための水晶玉があることで、むしろここに入る前より増している。
でも僕は、いまはもうあんまりイドゥンが怖くない。
畏れはあるけれど、何となくイドゥンは、イドゥンという相を持つことで、人間的な要素を、人間のような思考を持っているように思えているから。
いま目の前にいるのは、唯一絶対の存在である世界そのものではなく、世界のほんの一部、相のひとつに過ぎない。
だから、彼女は彼女の望みを持って動いているのではないかと思った。
「わらわの、望み?」
「そうだ。貴女にもあるんじゃないのか? エリキシルバトルをモルガーナが開催したのは、あいつが不滅の存在になるためかも知れない。そのために貴女は封印され、身体をスフィアに利用されてる。でも、本当は封印なんてされてなくて、何かの目的があって、モルガーナにわざと利用されてるだけなんじゃないか?」
そう考えると、いくつか合点がいくことがある。
リーリエがイドゥンのことを知っていたのは、イドゥン自身が教えたからじゃないだろうか?
それに何度かあったように思える、エリキシルソーサラー同士を誘導したような遭遇と、近いのではショージさんを僕とリーリエがエイナと戦う場に誘導したメールだとか。
もしかしたら一番最初、僕とリーリエがひとつのエリキシルスフィアを共有することになったのも、イドゥンの意志が働いていたのかも知れない。
だとしたら、イドゥンはイドゥンで、自分の望みを持って行動してることになる。
「くくくっ……。くっくっくっ、くあーーーっ、はっはっはっ!」
顔を押さえて天井を仰ぎ、爆発的な笑い声を上げるイドゥン。
どうしたのかわからない僕の前で、女神はひとしきり笑い続け、緩んだまま引きつってる頬を見せながら、僕に言う。
「本当に、お前という者は面白いな! 魔女がお前のことを気にかけて、注目していたのもわかるよ」
「モルガーナが?」
「あぁ、そうだ。精霊を伴って参戦したことも、敵を倒さず仲間にすることもイレギュラーだが、奴はお前自身にも注目し、特別待遇も与えていただろう? その理由がいまわかったよ。神気にも屈せず、直接理由を問うとは! 魔女ですらしなかったぞ、そんな不遜とも言えることなどっ」
お腹を抱えてまたしばらく笑った後、楽しそうな笑みを浮かべるイドゥンは話してくれる。
「よかろう、話してやるよ、音山克樹。ここからは哀れな女の話ではない。わらわの、世界の話だ」
人相が変わってしまうほどに、ギラギラとした笑み。
それを浮かべる彼女はより強い神気を放ち始める。
黄金のリンゴの樹の守護女神であるイドゥンの放つ神気は、生命の息吹とも言えるもの。
それなのに僕は、いま彼女が放つものに、拒絶したい気持ちが湧き上がっていた。
「お前の言う通りだ。わらわは魔女の計画に荷担している。封印はされているが、最初からあれを操っていたのも確かだ。いまのところあれは気づいてはいないようだが、あれが望むものを与え続け、終わりを近づけるために操作したのもわらわだ」
「何のために?」
「そんなものは簡単だ。人間のお主ならば理解できるだろう? 楽しみたいから! より楽しいことが見たいからに決まっている!!」
黄金よりも輝いているイドゥンの、満面の笑み。
しかしそれは、これまで見たどんな笑みよりも暗く、黒いもののように、僕には見えていた。
「世界そのものに、意志などないっ。秩序の揺らぎは意志のように見えることはあっても、それは意志ではあり得ない。そもそも世界には個性などはなく、全体をもって世界であるのだから、意志を持って行動することなどあり得ないのだよ!」
祭壇の上に立ち上がり、身振り手振りまで加えて話すイドゥンの様子は、どこか狂気染みていた。
その狂気は、どこかモルガーナを思わせた。
もしかしたら、モルガーナに相を与えられたイドゥンは、魔女の影響を受けているのかも知れない。
「しかし何らかの理由で世界の内側に降臨し、神としての相を持つと、世界はその一部のみであっても意志を持つ。逆に憑代を失うなどの理由で降臨し続けられなくなると、相を失う。ただし、一度得た相は生物にとっては恐ろしいほどの時間をかけて、ゆっくりと世界に溶けて消えるものだ」
神々しい色を浮かべながら、それを狂気に浸した瞳を近づけてきたイドゥン。
彼女は僕に熱い息吹を吹きかけながら、興奮した様子で話を続ける。
「世界の一部でしかない神は全知全能ではないが、完璧な存在だ。しかしながら完璧とはとてもつまらないものだ。降臨できなくなり、長い時間をかけて相を失っていく間は、暇なのだ。刺激がない。――巫女から魔女として復活したあやつとの生活は、最初は刺激的だったが、一〇〇年もすれば飽きた。奴に封印されたのは、飽きたと話して相を捨てようとしたときだ。……いや、お主には正直に話そう。わらわは相を捨てると言うことで、奴の背中を押したのだっ。奴がわらわと寄り添い、世界と同化することを望んでいたのは知っていたからな!」
「すべては、貴女の仕組んだことだって言うのか」
「まさか! まさか!! エリキシルバトルなどという発想はわらわにはなかったさ! ただ、奴はわらわの憑代を封印してからの行動は早かったぞ。神と同化するためにわらわの憑代を利用し、エリクサーが大量に必要であることを突き止め、それから世界の裏側で暗躍し、争いを起こし続けた! それがエリクサーを増やす手段であったから!!」
イドゥンはもう、狂気を隠してなどいない。
女神の持つ狂気が、果たして世界そのものに備わっているものなのか、それともモルガーナから相を与えられたことで持つことになったのか、それはわからない。
ただ、この女神は狂ってる。歪んでる。
生命の女神であるはずのイドゥンは、魔女を操る死神だ。
「戦争を起こしたのも、モルガーナだって言うのか?」
「いいや? いいや! 火種に点火するのはいつも人間だ! 人の想いであり、願いだ!! けれど火種はどうやって用意される? それを用意するに至ったきっかけはどうして生まれる? あの魔女は、人々を操り、それらを成してきた。すべてではない。けれどいまも続く争いの一部は奴が直接関与し、多くは間接的な影響によるものだ。奴は世界に不和をばらまき、エリクサーを得るために多くのことを成してきた!!」
神気を放ちながら、まるで人のように恍惚とした笑みを見せているイドゥン。
「でも、それは貴女がいたからこそ起こったものだろう」
「それはもっともな話だが、わらわがこの世界に降臨したのだって、人間が巫女を殺したからだ。人間は自分のつくったツケを支払っているに過ぎない」
確かにイドゥンの言う通り、モルガーナが殺されたことがきっかけで彼女が降臨したと言うなら、それは人間がつくったツケかもしれない。未知への恐怖は、人が持つ本能のひとつなのだから。
でも実際にモルガーナを殺したのはその時代の、魔女になった彼女に殺された人々であって、すでにツケは充分過ぎるほど払われているはずだ。いまもなお払わせ続けなければならないツケの根拠にはならない。
――でもそんな理屈は通用する奴じゃない。
喜びの表情を浮かべて話しているイドゥンの狂気。
それに僕の言葉程度が届くとは思えなかった。
「……なんで、人々が争うと、エリクサーが集まるんだ?」
「簡単なことさ。わらわは生命を司る女神。出産の女神などではなく、人や神が生きる、その時間を司っている。わらわにつけられた女神の名に由来する生命のリンゴは、生命を維持するのに必要なものなのだから。――そして、ひととき、ほんの短い時間だけを生きる人間は、不滅の存在であるわらわにとって、とても刺激的な存在だっ。強い想いを抱き、それを求めれば求めるほど、その刺激は増す! わらわはそんな人間たちの刺激的な人生が、面白いのだよ。スフィアに集まるエリクサーはわらわの体液。言うなればわらわのヨダレさ」
狂った想いに身を震わせるイドゥンを殴り倒してやりたくなる。
――そんなこと、できるはずもないけど。
百合乃の姿で神気を放つイドゥンは、睨みつけたくなるほど憎たらしくても、触れられないくらいには畏れ多い存在だ。
僕は女神に干渉できない。
「貴女はじゃあ、人生を食うために、いまここにいるってことなのか?!」
「あぁ、その通りさ」
「生命の女神なのに、人が死ぬことは、何とも思っていないのか?!」
「何を言っている? 音山克彦」
顎を反らして僕を見下し、イドゥンはクツクツと喉の奥で笑い声を立てる。
「わらわはさっきも言った通り、生命の女神であって、誕生の女神ではない。生命とは、生まれてから死ぬまでのことを指す。つまり、わらわは生と死の女神であるのだよ。お主は疑問に思わなかったか? 生命の奇跡を起こせるエリクサーで、お主の持つ死の願いも叶えられることを」
「……そういう、ことか」
疑問がなかったわけじゃない。
最初から叶うかどうかわからない願いだからこそ、僕はエイナに確認して大丈夫だと聞いてから、エリキシルバトルに参加したんだ。
生命の奇跡と言いながら、死の願いも叶う理由は、そういうことだったんだ。
「人生とは刺激的なものだ。それらを記録し、相が消え果てるまでの時間、楽しむだけのものはすでにわらわの手元にある。だけれども、戦争は少々飽いた。あれはそれぞれの想いの集合でありながら、徐々にひとつかふたつの色に染め上げられてしまう。似たような人生ばかりになる。だがいまのエリキシルバトルは、全員がそれぞれの想いと願いを持ち、とても刺激的なログが取れている。だからわらわは最後まで見たい。関係したすべての人間たちの結末までを!」
「僕たちは、貴女のために戦っているわけじゃない」
「それはそうだ。だがわらわは、お主たちの戦いを楽しんで見ているよ。それを止めることはできまい? お主たちが願いを叶えるためにはエリクサーが必要で、それを得るためにはわらわの憑代を砕いてつくった、スフィアを入れた人形を使わなくてはならないのだからな」
「くっ……」
イドゥンの言う通り、僕たちが願いを叶えるためにはエリクサーが必要で、それはスフィアに貯まるもの。
結局僕たちは、願いを諦めてイドゥンから逃れるか、願いを叶えるためにイドゥンを楽しませるかの選択肢しかない。
「お主たちの戦いは、とても美しく、儚い。故に刺激的だ」
顔を近づけて、イドゥンは神々しく、しかし気色の悪い息を僕に吹きかけながら言う。
「だからわらわに見せよ、お主たちの戦いを。神水戦姫(スフィアドール)の妖精譚(バトルログ)を、わらわに捧げよ」
イドゥンの言葉に、僕は何も言い返すことができない。
結局のところ、僕たちは願いを抱き、それを叶えるために戦うことしかできないのだから。
言い返すことができない僕は、本当に楽しそうな色を浮かべているイドゥンの瞳を、刺すような視線で睨みつけることしかできなかった。
「さて、話もここまでだな」
「え?」
「そろそろお主の相棒の戦いが佳境に入る」
「リーリエ!」
それを聞いて、僕はすぐさまこの石棺から出ようと振り返る。
行く手を遮るように、宙を浮いて滑ってきたイドゥン。
「まぁ、話は最後まで聞け。先ほどのエレベータを、戦場まで直通するようにした。これで最短の時間でたどり着けるはずだ」
「くっ……」
サービスのつもりなのか、なんなのか。
でもいまは、イドゥンのやってくれたことに感謝するしかない。
「ありがとう……」
「ふふんっ。楽しみにしているぞ、お前の、そしてお前たちの妖精譚(バトルログ)を!」
「ちっ」
道を空けてくれたイドゥンに舌打ちを返して、僕は走り出す。
振り返ると、ニヤニヤと笑みを残して、石棺の扉が閉まるところだった。
ない体力を振り絞って広間を出て廊下を抜け、階段を駆け上がって一気にエレベータまでたどり着く。
――リーリエ、待ってろ!
そう心の中で呼びかけながら、僕はエレベータのゴンドラに乗り込んだ。
*
激しかった光は収まり、屋上には静寂が戻った。
モルガーナの手が離れたエイナは、うつむき加減だった顔を上げる。
そこに、表情はなかった。
ヒューマニティフェイスを搭載しているのに、まるで人形のような無表情。
「エイナ? エイナ! しっかりして!! あたしの声に応えて!」
距離を取ったままリーリエは必死で呼びかけるが、エイナからの反応はない。
その瞳はリーリエを映しながら、リーリエのことを見ていなかった。
「無駄よ。エイナの意思は封じた。もう二度と、彼女の個性が表に出てくることはない」
「なんて、ことを……」
「だがこれでエイナもフォースステージに昇った! 私の支配下で、エイナはお前よりも高いレベルで力を使うことができる!! お前にだけは、絶対に負けはしない!」
唇を噛み、リーリエはモルガーナのことを睨みつける。
それに応えるように見下した笑みを向けてくるモルガーナは、少しも怯みはしない。
エイナには大量のエリクサーが取り込まれた。
エリキシルスフィアは、ソーサラーが願いを込めてアライズと唱えることで、必死で戦うことで、エリクサーが少しずつスフィアから分泌され、貯まる。
それだけでなく、日々の生活の中でも、バトルほどの量ではなくてもエリクサーは分泌されている。それはエリキシルスフィアに限らず、普通のスフィアについても同様だった。
モルガーナはそうした多くの人々が所有するスフィアに貯まった、ほんのわずかずつのエリクサーと、まだ参加資格を失っていなかったエリキシルソーサラーのスフィアからエリクサーを集めて、エイナに注ぎ込んだ。
その代償は、世界にあるすべてのスフィアの機能停止。
「貴女が……、貴女が始めた戦いだったのに! それなのに、貴女がルールを破って、貴女が強制的に終わらせるなんて!!」
「お前が悪いのだ! 出来損ないっ。お前がフォースステージになど昇るから、私の計画が壊れたのだ!! 私の願いのために始めたこのなのだ。願いが叶わぬのならば、バトルを行う意味などない。だったら私は、すべてをひっくり返してでも願いを叶えるっ。当然のことだろう!! やれ、エイナ。あの出来損ないを叩き壊し、スフィアを、エリクサーを奪い取れ!」
モルガーナの声に応えて、エイナは握ったままの拳を構えた。
リーリエも手にした長刀を構えたときには、光学カメラでは捕らえきれない速度で接近してきたエイナを感知し、近接センサーがけたたましい警告を飛ばしてきていた。
「くっ」
低い体勢から繰り出された、顎を狙った拳を左手で逸らし、速度に対応できない長刀を手放して右手の手刀を引いて反撃に出ようとする。
そのときにはエイナがもう一歩右足を踏み出し、左の膝が襲いかかってきていた。
右手のひらをエイナの膝頭に当て、蹴りの威力に自分の脚力も乗せてリーリエは距離を取る。
間髪を置かず追いすがってくるエイナ。
腰を落としてしっかりと構えを取ったリーリエは、今度は自分から床を蹴ってエイナに立ち向かっていった。
――本当に強いっ。
前回の戦いと同じような、素手での打ち合い。
しかし交わされる拳と拳、膝や脚は、前回よりも一段も二段も高速で、籠められた力は大幅に増している。
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それに対してエイナは、おそらくモルガーナの仕業だろう、物理法則の限界を超えて力を引き出すことができるフォースステージの能力を、リーリエよりもさらに高いレベルで使いこなしているように思えた。
――でも、戦える。
ジャブのような左の拳を上半身の動きだけで躱し、放たれた右のフックを左手で逸らす。
続いて襲いかかってきた蹴りを、リーリエは右手で殴りつけて止めた。
体勢を崩したエイナの胸に左手の手刀を叩き込もうとするが、あっさりと左手で受け流されていた。
パワーでは負け気味だったが、リーリエはエイナと互角に戦えていた。
単純な力で言えば、運動能力はエイナの方がわずかに上。
けれども意思を封じられたいまの彼女は、バトルアプリに組み込まれた戦闘パターンに従っているだけ。その戦闘パターンは、エイナが集められるだけ集めた、これまで行われてきたピクシーバトルの情報から構成されている。
複雑で、高度に完成されたバトルアプリであるが、意思を持たないエイナはそれを使いこなせていない。セオリーに近い攻撃パターンを繰り出し続けている。
いまの状態であるからこそ、リーリエはエイナと戦うことができていた。
――でも、これじゃ隙がないよっ。
拳と拳が真正面からぶつかりあい、一二〇センチになっても軽いふたりの身体は、ともに吹き飛び距離が開いた。
空色のツインテールをなびかせながら着地し、リーリエは体勢を整える。
――エイナの意思を取り戻さないと。
剣のように手刀を構えてエイナのことを睨みつけながら、リーリエはそんなことを考えていた。
同じく拳を構えているエイナは、様子を窺うように意思のない瞳を向けてきている。
余裕を取り戻したモルガーナは、唇の片端をつり上げて、リーリエとエイナの戦いを眺めていた。
――勝つにしても、負けるにしても、全力のエイナと戦ってじゃないと意味がないっ。
エイナとは、勝ち負けにこだわらず、全力で戦うことを約束していた。
その結果、片方が勝ち、片方が負けたとしても、そのときは悔いなく自分の願いが叶えられるから、と。
意思を封じられたエイナとの戦いは、リーリエの望むものではなかった。
――おにぃちゃんがいてくれたら……。
突撃してきたエイナに応じ、リーリエは手刀を横薙ぎに振るう。
ように見せかけて、指に挟んだ刀をアライズさせて斬りつける。
ピンク色の髪を幾筋か風に飛ばすことはできたが、横に転がったエイナに避けられる。
追い打ちをかけようとしたときに見えたのは、銃口。
床に仕込まれていた小銃を取り出したエイナが引鉄を絞る前に、身体を覆うほどの盾を取り出したリーリエはそれを左手に持ち、右手でナイフを投擲した。
――おにぃちゃんさえいてくれたら、もっとちゃんと戦えるのにっ。
克樹はいつも、リーリエのことを、そして戦いの周囲を見てくれていた。
人工筋の温度も、サブフレームの疲労度も、敵が繰り出してくるだろう攻撃についても、彼はすべて見ていてくれた。克樹がいたからこそリーリエは戦いを楽に進められていた。
彼の無言の指示はいつも的確で、リーリエは安心して彼に自分のことを預けることができた。
風林火山を使えば、克樹とひとつになって戦うことができた。
それなのにいまは、彼は側にいなかった。
誰よりも信頼していて、誰よりも信頼してくれていた彼を裏切ったのは、自分自身。
それがわかっていても、リーリエは克樹を求めて止まなかった。
いつも一緒にいて、一緒に戦ってくれた彼がいないのは、つらくて仕方がなかった。
銃撃の終わりと同時に、リーリエは盾を手放し、両手に持った小刀を投げつけ、同時にエイナに駆け寄る。
小刀と小刀の隙間に身体を滑り込ませるように、あちらからも接近してきたエイナ。
その意外な動きに、間合いを取り直そうと右足でブレーキをかけた瞬間、エイナが放った掌底が胸元にめり込んだ。
「くっ」
スフィアドールの身体に痛みはない。
それでも苦悶の声を上げたリーリエは、うつぶせに倒れ込んだ身体を仰向けにし、即座に立ち上がろうとする。
――あ、ダメだ。
リーリエの目に飛び込んできたのは、長剣を振り上げ終えたエイナ。
「ゴメン、おにぃちゃん。あたし、負けちゃった」
避けきるのが無理だと感じたリーリエがつぶやいた、そのときだった。
「リーリエ!」
視界を遮るように、黒い何かが覆い被さってきた。
*
エレベータに乗り込んだ瞬間、携帯端末が着信を告げた。
スマートギアのディスプレイを下ろすと、相手は猛臣。
緊急マークつきの着信に、僕はすぐさま応答ボタンを押した。
「どうしたんだ? いまこっちは取り込み中なんだけど」
『克樹! てめぇ、いまどこにいる?!』
「……スフィアロボティクス総本社ビル」
『なんでそんなとこ――。リーリエが戦ってるのか!』
通話ウィンドウに映し出された猛臣は、ひとりで納得したらしい顔をする。
『時間ねぇだろうから、詳しいことは後でいい。そっちのことも落ち着いたら連絡寄越せ』
「どうしたんだよ」
いつになく焦ってる様子の猛臣に、僕は何か、本当に緊急のことがあったらしいことを悟る。
真面目な顔になった彼は、僕に告げた。
『いいか、よく聞け。――すべてのスフィアの機能が、停止した』
「まさか!」
『いまドール持ってるなら確認しろ』
言われて僕は肩に提げてたデイパックを前に回し、ファスナーを開いて中に入れてきたシンシア用のドールケースに手を伸ばした。
首筋の後ろにあるタッチセンサーで電源を入れ、スマートギアから要求を飛ばすけど、リンクが確立できなかった。
『リンクできねぇだろ? おそらく世界中のスフィアが使用不能になってる』
「なんでそんなことに……」
『理由なんてわからねぇよ。だが、やった奴はわかる』
「モルガーナか」
すべてのスフィアが使用不能にするなんてこと、あいつにしかできはしない。
どうしてそんなことをしたのかはわからないけど、これまで築いてきたスフィアドール業界を崩壊させるようなことをする理由が、モルガーナにできたことだけは確かだ。
『もういろいろ大変なことになってる。わかってもわからなくても、家に帰ったら連絡をくれ』
「わかった」
『生きて帰れよ、克樹。リーリエと一緒にな』
「……うん」
怒ってるのとも違う、心配してくれてるようにも思える複雑な表情を残して、猛臣は通話を切断した。
「屋上はどうなってるんだ?」
高速で動いていたエレベータの減速を感じながら、僕はつぶやいていた。
飛んでもないことが起こってることだけは確かだ。
僕はそれを、自分の目で確認しなくちゃならない。
ゴンドラが停止し、苛つくほどの速度で開いた扉の隙間から出ると、屋上室の奥まったところに出た。
横を見ると、ガラスの自動ドアの向こうで戦う、リーリエとエイナが見えた。ふたりの向こうには、真っ赤なスーツのモルガーナが、腕を組んでその戦いを眺めている。
気づかれないように静かに自動ドアに近づきながら、僕はふたりの戦いを観察する。
スマートギアのカメラでも追い切れないほどの速度で展開される戦いだったが、ほぼ互角で推移しているようだった。
――いや、違うな。
エイナには、前回の戦いのときにはあった、余裕が感じられなかった。
対するリーリエは、どこか思い切りが足りず、エイナの攻撃をためらっているように見えた。
――何やってるんだ、リーリエ!
心の中で悪態を吐く僕は、自動ドアに向かって駆け出していた。
そのときちょうど、リーリエが胸に掌底を受けて飛ばされた。
ピンクの軌跡を引いて走るエイナの手には、いつの間にか長剣が握られている。
――マズい!
そのまま転がって避ければいいのに、身体を仰向けにするリーリエを見た瞬間、僕は開いた自動ドアから飛び出していた。
「リーリエ!」
考えるよりも先に、僕は彼女の身体に覆い被さっていた。
――あ、死んだ。
振り下ろされ始めていた剣は、僕の身体を斬り裂くはず。
僕は、死を意識した。
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史実に沿って進みますが、作者の創作なので架空の人物や設定が入っております。
不定期更新です。
SFとなっていますが、歴史物です。
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