神水戦姫の妖精譚

小峰史乃

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第六部 第二章 ハードハート・ブレイク

第六部 暗黒色(ダークブラック)の嘆き 第二章 4

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          * 4 *


「それじゃあ克樹さん、また」
「うん。また」
 タクシーに乗り込んだ灯理と挨拶を交わし、手を振る。
 扉が閉じられるのとほとんど同時に、タクシーは発進して行ってしまった。
 残された僕は、すぐ横で顔を見つめてくる夏姫に視線を向ける。
「ゴメン、夏姫。もうひと晩、いいかな?」
「アタシは別にいいけど、それで本当にいいの?」
「ん……。もうひと晩、考えたいんだ」
「そっか。わかった」
 平泉夫人の体調のこともあり、まだ話し足りない気はしたけど、今日は解散となった。
 少し僕と打ち合わせをした後、猛臣はやり残したことがあると言って帰っていった。屋敷にはまだショージさんとリーリエが残っているけれど、先に外に出てきた僕は、夏姫と一緒に帰ることにする。
 いろんなことを聞き過ぎて、さらにフォースステージに到達したリーリエのことを目の当たりにして、もう落ち込んでたりはしないけど、混乱していた。
 もう少しだけ、リーリエとは別のところにいて、考えたかった。
 心配そうな視線を向けてくる夏姫に笑みを返して、僕は駅に向けて歩き始める。
「おぉーい、待ってくれ! ちょっと待ってくれ!!」
 そんな声をかけてきたのは、近藤。
 僕たちの後に屋敷から出てきたらしい近藤は、手を振りながら走り寄ってくる。
「どうしたんだ? 近藤」
「どうしたって……。家近いんだから置いていくなよ。というか、お前は自分の家に帰らないのか? リーリエのことはお前の叔父さんが送ってくらしいが」
「……」
 真剣な目つきの近藤に、僕は視線を逸らす。
 近藤にも心配かけてたのはわかってるけど、真正面から問われると答えづらかった。
「まぁ別にオレにとってはどうでもいいことなんだが、な」
 ちらりと夏姫の方を見た近藤は苦い顔をするけど、気にしないことにする。
「近いうちに、リーリエとはちゃんと話をするよ」
「あぁ。その方がいいだろうな」
 少し安心したような顔を見せて僕に向き直った彼は、表情を引き締めて言った。
「克樹。お前に渡したいものがあるんだ」
「渡したいもの?」
 鞄に手を入れて何かを取り出す近藤。
 握られたものを差し出されて、僕は反射的にそれを受け取っていた。
「近藤! お前、これ……」
 手に触れた瞬間、それが何なのかを僕は理解した。
 金属の質感をした、球体。
 スフィア。
 それもたぶん、近藤が渡してきたのは、こいつのエリキシルスフィアだ。
「近藤? どうしたの? これ、克樹に渡しちゃったら――」
「バトルはどうするんだよっ」
 手の中のスフィアを見て夏姫も言い、僕も近藤に詰め寄る。
 はにかむように笑う彼は、言った。
「さっき話しただろ、前兆現象で、梨里香に会った、って」
「それは聞いたけど……」
「梨里香に久しぶりに会って、言われたんだ。生き返りたいけど、一緒に年老いていけないなら、ダメなんだ、って。あいつは身体が弱かった。亡くなったのもそれが原因だ。復活するだけじゃなくて、身体を強くできないとダメだったんだ。オレは、願いをふたつ叶えられないと、梨里香と一緒に生きていけないんだ」
 必死に戦ってきたときとは違う、晴れやかな顔つきの近藤。
「一緒に生きられないならイヤだって言われて、オレは納得しちまった。だからもういいんだ。梨里香と再会して、一緒に泣いて、別れを言えた。それでオレのエリキシルバトルは終わったんだ」
 笑っているのに、近藤は泣いていた。
 晴れやかな笑顔で、ぼたぼたと涙を流していた。
「だからって、僕に渡されても……」
「オレはお前に一度負けてるからな。お前に渡すのは当然だろ? それにまぁ、一度渡すとそのスフィアは資格を失うらしいけど、克樹自身はまだエリキシルソーサラーの資格は失ってないんだろ? なのにいまはエリキシルスフィアを持ってない状態じゃないか。アリシアはリーリエに取られた形だけど、なんかのときのために、……えぇっと、もう一体の、シンシアに載せておけばいいんじゃないか?」
「まぁ、確かに僕はいま、エリキシルスフィア持ってないけどさ……」
 アリシアをリーリエに取られたことで、それに搭載していたエリキシルスフィアも、僕は取られちゃった格好だ。
 僕のエリキシルバトルの参加資格がどうなっているのかは正直わからない。けれど確かに、使えないとしてもエリキシルスフィアはひとつ持っておくべきかも知れなかった。
「でも、本当にいいのか? このスフィアに椎名さんが現れたってことは、ここには椎名さんの――」
「いいんだ。諦めたのに持っていたら、いつまでも捕われることになる。オレには梨里香と一緒に戦ったときに使ってたスフィアもあるし、すっぱり諦めるためには、手元にない方がいい。それに――」
 流していた涙を手の甲で拭って、近藤はニッカと笑う。
「あいつなら渡せって、絶対に言う。持ってても仕方ないものを持ってるより、何かのときのために役に立つかも知れない奴が持ってる方がいいって、梨里香なら必ず言う。だから克樹、お前に持っていてほしいんだ」
「……わかった。受け取るよ」
 右手のエリキシルスフィアを見つめて、僕はそれを握りしめる。
「お前はこの後、どうするんだ?」
「僕は……」
 まだ涙の跡が残る近藤に問われて、僕はうつむいて考える。
 これからのことなんて、まだ考えられるほど頭が整理されてない。今日知ったことを咀嚼して、しっかり答えを出さないといけない。
 でもたぶん、時間はあまりない。
 リーリエがフォースステージに上がったことがモルガーナの想定外の事態で、もしあいつがそれを知ったとしたら、何らかの方法で接触してくるはずだ。
 リーリエを、倒すために。
 焦って出せる答えじゃないけど、急いで出さないといけないと思っていた。
 顔を上げて、僕のことを見つめてきている夏姫と、近藤のことを見つめる。
 返す言葉は見つからないけど、僕はふたりに、笑みと、頷きを見せた。


            *


 夕暮れはすっかり終わり、暗くなった国道で、彰次はハンドルを握っていた。
 今日話したことについて、平泉夫人と芳野との打ち合わせをしてから、屋敷を出た。
 克樹が話せなかった理由は納得はできなくても、理解はできる。それよりもピクシードールが巨大化するところを生で見せられても、その事実も、話の内容も腑に落ちるものではなかった。
 ――頭が固くなってるな。
 リアルにファンタジー世界に足を突っ込んでいる状況について行けないのは、歳を取って頭が固くなってきたからだということにしておいた。
 そうでもなければ、理解自体を拒否してしまいそうだったから。
「ゴメンね、ショージさん」
 考え事をしながら空いてる道を流してるとき、そんな声が聞こえてきた。
 しかし助手席には人は座っていない。バックミラーに移る後部座席にも、人影はなかった。
 声をかけてきたのは、助手席で人間のように行儀良く座っているピクシードール、リーリエ。
 行くときも平泉夫人に言われて乗せてきたわけだが、ピクシードールを助手席に乗せているというのは、意外にシュールなシチュエーションに思えた。
 それも行きはただのピクシードールだったのが、いまはこの身体自体がリーリエだ。
 少し前にシステムの更新の話をしたとき、どこか自分のことではないように聞いていたのは、こうなることをそのときに決めていたからかも知れない。
「何がゴメンなんだ?」
「ずっと話せなくて」
「それはまぁ、仕方なかったんだろ。いまでも全部は信じられないしな。それにあれのことを知る前の俺だったら、止められてもバトルのことをどこかに公表しようとしてたかも知れない」
 それぞれの願いはあるにせよ、危険なことは確かなのだから、もし以前だったら知った時点で、どうにか証拠を取って、モルガーナの存在を公表していたかも知れない、と彰次は思っていた。
 けれどエイナのことを知り、平泉夫人が襲撃されたことを考えれば、それがいかに危険なことかがわかる。
 いまのタイミングだったのは、おそらく最適だったのだろう。
「いまはもう、公表する気はないんだ?」
「そりゃあまぁな。さすがにできないさ」
 信号が赤に変わり、彰次はブレーキを踏み車を停める。
「それは芳野さんのことがあるから?」
「おっ?! え? なんで……」
 唐突に言われた言葉に噴き出し、ニッコリと笑ってるリーリエのことを見てしまう。
「ほら、青になったよぉ。――そりゃあさ、気づくよ」
「何でだよ。今日はそういう話、一度もしてないってのに」
「んーとね、何て言うか、距離が違うから、かな? 物理的な距離とかじゃなくて、視線の交わし方とか、そういうのがショージさんと芳野さんの間で通じ合ってたからね。それに芳野さん、凄く表情が出るようになったよね。可愛らしくなったと思うし、綺麗になったよねー。夏姫と灯理は気づいてたみたいだね。おにぃちゃんは微妙かな? 直接言われないと、そういうとこ疎いから、たぶん変わったことは気づいてても、はっきりとはわかってないと思う」
「くそっ。なんでバレるんだ……」
 アクセルを踏み込んで車を発進させながら、彰次は眉根にシワを寄せて悪態を吐いていた。
 平泉夫人が回復したこともあると思うが、確かに芳野は以前の感情を押し殺したような無表情ではなくなり、多少ぎこちなさはあっても、感情を表に出せるようになってきていた。
 それが全面的に自分がいるからだ、と驕るつもりはなかったが、少なくない理由になっていることは意識している。
 元々人工個性であっても女の子であるリーリエ、それに夏姫や灯理に気づかれるのは、これから先のことは保留にしてもらっているとは言え、平泉夫人にキッチリと挨拶をして、認められるようになったいまなら仕方ないと思う。
 平泉夫人など、目覚めて芳野を見た瞬間に気づいたというのだから恐ろしい。それも相手が彰次だと、芳野だけを見た段階でわかっていたというのだから、弁解も反論の余地もなかった。
「結婚するの?」
「話が早すぎるぞ、リーリエ。そこまでの関係じゃあない。だが、俺もいつまでも立ち止まってはいられないからな」
「東雲映奈さんのことは、忘れるの?」
 視線を向けてくるリーリエに、ちらりと視線を走らせる。
「忘れられるわけがないだろ。俺の中で、先輩の存在は大き過ぎる。それでも、俺は死んだ人間より、いま生きてる人間のことの方が大事なんだ。先輩のことは、どういう形になるかはわからないが、俺なりの決着をつける。それが綾――」
 無意識にここのところ芳野を呼んでいるときの呼び名を口にしてしまい、彰次は口を閉じる。
 横目にリーリエのことを見てみると、お腹を抱えて声を押し殺しながら笑っていた。
「……芳野さんにも、ちゃんと決着をつけるように言われてるからな。何かあるにしても、俺はちゃんと過去を清算してからじゃないと、前に進めない」
「ん、そっか。わかった」
 そんな話をしている間に、克樹の家に到着した。
 人工個性ではなくなっても、スフィアの機能を使ってホームオートメーションシステムに接続できるリーリエにガレージのシャッターを開けてもらい、この時間ならば駐車違反を取られることはまずないが、念のため車を入れた。
「あっ、らぁいずっ!!」
 シャッターが閉まりきったのと同時に、リーリエがそう唱え、光を纏った。
 光が弾けて消えたとき、二〇センチしかなかったピクシードールは、一二〇センチのエリキシルドールとなっていた。
 見るのは二度目だが、たぶん何度見ても現実感がなさ過ぎて、戸惑ってしまうような光景だった。
「ちょっと待ってて。渡したいものがあるから」
 後部座席に手を伸ばして持ち帰ってきた荷物を取ったリーリエは、そう言って車を降りて小走りに家に向かっていった。
「なんだ?」
 何なのか予測もできなくて、彰次は言われた通り車の中でしばらく待っていた。
「ショージさん、これを」
 戻ってきたリーリエが手渡してきたもの。
「スフィア? これはエリキシルスフィアって奴か?」
「んーとね、一応エリキシルスフィアの、予備。バトルへの参加資格はないんだ」
「なんでまた、こんなものを?」
 エリキシルドールの姿で、リーリエは助手席に座ってスフィアを彰次の手に握らせる。
「これはね、エイナがアイドル活動してるときにエルフドールで使ってたスフィアなの」
「……あいつが?」
 エイナの名を聞いて眉がつり上がってしまうが、リーリエはそれでもスフィアを握らせ、離さないようにしている。
「エリキシルバトルに使えるわけでも、これで願いを叶えられるようになるわけでもないんだ。それでも、エイナが使ってたから、あたしが使ってるスフィアみたいに、ほんの少しだけエイナが入ってるの」
 手に落としていた視線を上げると、真っ直ぐにリーリエが見つめてきていた。
 少し悲しそうに、少しつらそうに、そして祈るような瞳で、彰次のことを見つめている。
 元々ピクシードールであったはずなのに、その瞳は人間のそれよりも、豊かな感情を宿しているように見えた。
「できればショージさんに持っていてほしい、って。ショージさんに渡してほしって、エイナから頼まれたんだ。だからショージさん、あたしからもお願い。エイナの心を、持っていてあげて」
 エイナのことは、抵抗があった。
 東雲映奈の脳情報から生み出された人工個性。
 リーリエと同じように、エイナは東雲映奈とは別人格で、人工個性であってもひとりの女の子として存在している。
 だがやはり抵抗があるのは否めなかった。
 それでも真っ直ぐに見つめてくるリーリエの瞳に、拒否はできなかった。
「わかった。俺の家のエルフドールにでも入れて使ってみる。性能は変わらないんだろうがな。しかし、心を持っていてほしいってのは、なんだか形見分けみたいだな」
「……そうなるかも知れないんだ」
「なに?」
 受け取ったスフィアを見つめながら言うと、リーリエにそんな風に返された。
「これからの戦いの結果次第では、それはエイナの形見になるかも知れない」
「そうか。もしお前がエイナを倒したら、最後にはそうなるかも知れないのか」
「うん」
 リーリエとは協力しているエイナは、それでも互いにエリキシルバトルに参加している、敵。
 いつになるかはわからないが、これから先、おそらく戦うことになるだろうし、その結果負けることになれば、エイナはモルガーナによって破棄される可能性だって考えられる。
 いま手元にあるスフィアは、リーリエの言う通り、エイナの形見になるかも知れないものだった。
「わかった。あいつの心、確かに受け取った」
「ありがとう、ショージさん」
 まるで自分のことのように笑みで応えるリーリエに、彰次も笑みを返していた。


            *


「音山……、は今日も休みか」
 クラス担任の教師は、諦めたようにそう言い、点呼を続けた。
 克樹の机は、今日も空席。
 頬杖をついてそこを眺めている夏姫は、毎日吐いていたため息を、今日は漏らさない。
 ――克樹は、もう大丈夫。
 昨日、リーリエと会って話してから、克樹はそれまでと違ってきた。
 平泉夫人の意識が戻ってから少しマシになっていたけれど、昨日はさらに変わった。
 夜はそれまで切断していたネットに接続して何か調べ事をやっていたようだし、朝は夏姫よりも早く起きて、スマートギアを使って作業をしているようだった。
 ごろごろと寝転がって、何もしないでいた克樹はもういない。
 瞳に意志の光りが宿り、以前の彼が戻ってきつつあった。
 対して夏姫は、克樹のことでため息を漏らすことはなくなったが、昨日話を聞いて以来、頭がぐしゃぐしゃになりそうになっていた。
 これまでもエリキシルバトルにまつわる不思議なことはいろいろとあったが、昨日聞いた話と、リーリエがアリシアを自分の身体として、涙を流していたりするのを見て、訳がわからなくなった。
 ――神様、か。
 昨日の話が事実なのだろうということは、頭では理解していたが、実感は湧かなかった。
 どう扱っていいのかわからなくて、夏姫は混乱するばかりだった。
「今日も克樹の奴、休みなの?」
「え? あぁー、うん。そうなんだよね」
 いつの間にか朝のホームルームが終わって、授業開始までの時間に夏姫のところに近づいてきたのは、遠坂明美(とおさかあけみ)。
 眉を顰めて克樹の机の方を睨んでいる彼女は、ため息を吐きながら夏姫に問うてくる。
「本当に、いったい何があったの? もう二週間だよ? 病気とかじゃないってのは聞いたけど、大変なことがあったんじゃないの?」
「えぇっと……」
 克樹とは幼馴染みで、世話焼きの明美は、度々彼がどうしたのかを訊いてきていた。
 怪我や病気じゃないと、嘘ではない適当な言い逃れで凌いできた。本当はもう少し詳しいことが話せればよかったが、明美は超能力かと思うほど勘が良いことがあるのは、夏姫も知っていた。
 ヘタに口を滑らせて、エリキシルバトルのことを感づかれるのは問題になりそうだった。関係者でなければ具体的なことはわからないにしても、明美が動く動機を与えたくなかった。
 だから夏姫は、あまり多くのことを話さずにいた。
「ちょっと……、克樹にとって大切な人が大変なことになって……。でも、もう大丈夫だから」
「それって、平泉夫人のこと?」
「明美、知ってるの?」
 詳細は話していないし、夫人の名前もこれまで言ってなかったのに、一発で明美に指摘されて、夏姫は目を丸くしていた。
「うん。面識はないんだけど、……百合乃ちゃんから話は聞いたことあったから、ね。それに克樹が休み始めたとき、あの人が銃で撃たれたってニュース、流れたから。――そっか、大丈夫になったんだ」
「ずっと意識不明だったんだけど、意識戻ったんだ。もうしばらくは入院してないといけないみたいなんだけど、なんか急に傷の治りが早くなったんだって。今月中には退院できるかもって話だったよ」
「よかった……」
 心底安心したように、明美は深く息を吐く。
 これまでもずっと問われてきたけれど、やっと平泉夫人のことを説明できて、夏姫は胸を撫で下ろす。
 何かと克樹のことを心配する明美からの追求は、一週間を過ぎた辺りから、逃げるのが大変なほどに厳しくなっていたから。
「それで夏姫は、克樹と一緒に、何をやってるの?」
「え? 何をやってる、って?」
 安心したのもつかの間、明美からの鋭い視線に、夏姫は言葉を詰まらせる。
「克樹も前に話せないとか言ってたこと。去年、近藤が起こした事件も、平泉夫人のことも、克樹がいまもソーサラーをやってることも……」
 そこまで言った明美は、頬をさすりながら考え込む。
「もしかして夏姫が克樹と仲良くなったことも、他にもなんか細かいいろんなことも、全部関係してる、ひとつのことに繋がってるんじゃないの?」
「それは……、あの、あのね……」
 どう言い逃れるかを考えるけれど、言葉が見つからない。克樹ならばその辺は適当にやり過ごすこともできるのだろうけれど、夏姫はその辺りはあまり器用ではない自覚があった。
 明美が当てずっぽうで言っているだけならば、言い訳もできるだろう。
 けれど彼女の場合、勘が鋭いだけではなく、細かいところまで観察して、それを憶えている上での推測。結論に達する過程が超能力染みた鋭さを発揮することがあって、半端な説明でも、言い逃れの言葉でも、推測の材料になってしまう。
 だから隠したいことがあるときは何も言わないのが一番だと、彼女とつき合う中で学んでいた。
 ――それに、話すわけにはいかないよね。
 モルガーナという人物が、夏姫の常識の外にいるくらい恐ろしい存在であることは、平泉夫人を襲撃したことからも明らかだ。
 明美のような普通の人にまですぐに危害を加えるようなことにはならないと思うけれど、話さない方が安全なのも確かだった。
 夏姫は、彼女の安全を考えて、何も話さないことを選択する。
「夏姫が克樹たちとやってることは、平泉夫人が襲われたみたいに、命に関わるようなことなの?」
「……ゴメン、明美。アタシは何も言えない」
 その答えに、目尻をつり上げて睨みつけてくる明美。
 彼女が怒ろうとも、話すわけにはいかなかった。
「そろそろ先生来るぞ」
 明美の鋭い視線から逃れられないでいるとき、近づいてきて声をかけてきたのは、近藤だった。
 視線を移して彼のことを睨みつける明美には、諦める様子はない。
 机に身体がくっつくほど近づいてきた近藤は、ふたりにしか聞こえない潜めた声で言う。
「遠坂。お前は関係者じゃない。関係者以外が口を挟むな」
「何よ? それ。確かに関係ないかも知れないけど、それでも心配くらいはするんだよ?」
 しばらく睨み合った後、近藤は明美に答えず、肩をひとつ竦めて見せてから、自分の机に向かっていった。
 大きなため息を吐き出した明美は夏姫に向き直る。
「ありがと、明美。でも本当に大丈夫だから。たぶんもうすぐ、終わると思うし」
 心配してくれる彼女に、心からありがたいと思った夏姫は、そう言って微笑みを浮かべた。
 それでも不満そうな顔を見せている明美だったが、扉を開けて入ってきた教師に、何も言わないまま自分の机に戻っていく。
 ――ゴメンね、明美。
 彼女が純粋に心配してくれているのはわかっている。それでも話すわけにはいかなくて、夏姫は感謝の言葉を口にすることしかできなかった。
 ――全部終わって、話せるようになったら、話すよ。
 親友と呼べる友達にすら話せないことを心苦しく思いながら、夏姫は心の中で明美の背中に呼びかけていた。


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