神水戦姫の妖精譚

小峰史乃

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第六部 第二章 ハードハート・ブレイク

第六部 暗黒色(ダークブラック)の嘆き 第二章 3

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          * 3 *


 机を叩きながら、モルガーナは椅子から立ち上がった。
「……どうかされましたか?」
 驚いた顔をして見つめてくる、隣の席に座る女性。
 モルガーナはいま、スフィアロボティクス総本社ビルの中にある会議室で、第六世代スフィアドール規格発表に関する会議に参加していた。
 正面の大型モニタの前で発表に関する議題について話をしていた担当の男性はもちろん、会議室にいる二〇人ほどのすべての参加者が視線を向けてきているのはわかっていたが、モルガーナはそれに返事をすることができなかった。
 ――まさか、そんなはずは……。
 会議室の大きなテーブルに着いた手が、震えていた。
 深くうつむいたまま、唇もまた震えていたが、それを抑えることはできなかった。
「えっと、あの……」
「少し、席を外すわ」
「え? あのっ、そういうわけには……」
 いま行われている会議は、技術顧問としてスフィアロボティクスに勤めているモルガーナが参加しなければ成立し得ないもの。
 それはわかっていたが、いますぐにも退室したかった。
「ごめんなさい、気分が優れないの。必要ならば指示や意見は後から出させてもらうから。明日にでも議事録を持ってきてもらえるかしら?」
「あ……。はい、わかりました」
 困惑している様子の女性を尻目に、他の参加者の同意も取らずにモルガーナは蹴飛ばすように椅子をどかし、会議室を後にした。
 高く靴音を立てながら、すれ違う人々の視線も無視して、モルガーナは自分の部屋へと急ぐ。
 顧問室に入り、三つある鍵を厳重に閉めたモルガーナは、部屋の隅に置かれたエルフドール用ハンガーに吊り下げられた、比較的シンプルなステージ衣装を纏うエイナに声をかける。
「感知していて?」
「――はい。わたしも感じました」
 電源が切れたようにうつむいていたエイナのボディは、顔を上げ、モルガーナの言葉に応える。
「すぐに……、すぐにでもあれを討伐しなければならない!」
 近づいていった執務机に激しく拳を叩きつけ、モルガーナは怒りに顔を歪ませる。
「いまはまだすべての力を使いこなせてはいないはずよ。明日にでもあの出来損ないを倒しなさい」
「わかりました。すぐに戦闘データの調整を仕上げます」
 言ってエルフドールは、再び電源が切れたように視線を落とし、動かなくなった。
 静かになった顧問室で、振り下ろした拳を震わせているモルガーナ。
「まさか、あの出来損ないの精霊如きが、フォースステージに昇ってくるなんて……」
 瞬きひとつせず、机に穴を穿つほどの強い視線を向けているモルガーナは、そうつぶやく。
 完全に想定外の事態だった。
 エリキシルバトルを開催している間に、サードステージまで昇ってくるドールがいるのは当然あり得ることだと思っていた。
 実際エイナは、実戦経験は少ないものの、試験として行っていたアイドル活動によりエリクサーを得、やっと先日サードステージに至ったばかりだ。
 どのステージに上がっているかは、フォースステージに昇ってこない限り直接見える距離に近づかなければ感知することはできないが、残っている参加者のほとんどはせいぜいセカンドステージに至っている程度であると思われた。
 様々な能力が解放されるフォースステージだけは、たとえ遠くにあったとしても、至った段階で感知できる。
 バトルの終了時点で、すべてのエリキシルスフィアのエリクサーを集めてやっとフォースステージに到達し、他の方法で集めたエリクサーによってファイナルステージに達することを、モルガーナは想定していた。
 それなのにいま、克樹の持つ人工個性がフォースステージに昇ったことを、モルガーナも、そしてエイナも感知した。
 エリキシルスフィアが妖精の段階になり、精霊から完全な意味でのスフィアドールとなった人工個性は、それまでの段階と違い、多くのことを理解できるようになり、使うことができなかったはずの力を使うことができるようになる。
「このままでは、私の願いが……」
 歯を剥き出しにし、奥歯を強く噛みしめるモルガーナは、抑えきれず苦悶の声を漏らしていた。


            *


 ――何かが、違う。
 アリシアのボディを覆っていた光が弾け、現れた身長一二〇センチのエリキシルドール。
 それをひと目見た僕は、そんなことを感じていた。
 一部引き継いだパーツを除き、ほとんど新型と言っていいアリシア。
 アーマーの形状もけっこう変わっているってのはあるけど、なんと言っていいのかわからない、雰囲気が、いつもと違っているように思えた。
 息を吸い込むように口を開け、口を閉じたアリシアは、閉じていた目を開いて僕に微笑みかけてくる。
 リーリエの操作によるその笑みは、これまで見てきたどのエリキシルドールのものよりもさらに自然で、ハードアーマーさえなければ本当に人間のように思えるほどだった。
 空色をしたツインテールも、髪の色こそ人間ではあり得ないほど鮮やかなものだけど、その髪質は冷却機能を備えたピクシードール用ファイバー繊維には思えないくらいで、人間の髪のように見えていた。
「なんだ? こりゃ?!」
 何とも言えない違和感に僕が言葉を失ってるとき、けたたましい警告音に続いて悲鳴のような声を上げたのは、ショージさん。
 続いて僕の携帯端末も同じ警告音を発し始めて、即座にスマートギアを被った僕は状況を確認する。
「何が起こったの? これ」
 下ろしたディスプレイの視界には、警告表示が次々と現れ、埋め尽くされていた。
 整理しようとしてもどんどん増えていく警告に、僕は表示を読み取ることを諦めてディスプレイを跳ね上げた。
「ショージさん、これは?」
 たぶん表示を片目だけにしたんだろうショージさんは、眼鏡型スマートギアに注目しているようだった。
 みんなの視線を受けたショージさんは、ぽつりと言った。
「リーリエが……、人工個性システムが、停止した」
「……まさかっ」
 もう一度ディスプレイを下ろして、落ち着いてきた警告表示を整理して重要度が高いものを眺めていく。
 そこから読み取れたのは、僕の家に設置したメイン、ショージさんの家に設置してあるサブ、その両方のシステムの、完全な停止。
 人工個性システムの主人格は僕の家のメインで稼働していて、最悪それが停止してもショージさんの家のバックアップで稼働し続けられるようになってる。
 ここのところシステムの移行を考えていたから調べていたけど、人工個性システムは完全な停止を想定したシステムじゃない。システムを移行する場合、新たに構築したシステムを接続し、情報を同期させてメインを移行した後に、旧システムを停止するという手順を踏む。
 システムの完全な停止は、人間で言えば、死。
 警告が間違いじゃなければ、リーリエはいま、死んだ。
「あっ……」
 ふと思って、僕はアリシアのことを見る。
 相変わらず微笑んでいるアリシアは、瞳に少し悲しげな色を浮かべ、わずかに首を傾げてみせる。
「リーリエ?」
「うん。あたしだよ、おにぃちゃん」
 状況を把握できていないみんなは、僕と、ショージさんと、アリシア――リーリエをそれぞれに見つめてる。
 そんな中でリーリエと見つめ合う僕は、状況を把握した。
「それが、フォースステージってことなんだな? リーリエ」
「うん。不安定な亜妖精から、完全な妖精に。エレメンタロイドから本当の意味でのスフィアドール、イドゥンの眷属になったんだ、あたしは。ゴメンね、おにぃちゃん。あたしは、アリシアのこと、もらっちゃった」
 そう言ってリーリエは、泣きそうな顔で笑う。
「えっと、どういうことなの? 克樹。よくわからないんだけど」
 椅子から立って、テーブルから少し離れたところで立ってるリーリエに近づいていく僕に、そう夏姫が声をかけてくる。
 僕だって完全に理解したわけじゃないけど、人工個性システムの停止と、リーリエの個性を持ったまま稼働し続けてるアリシアを見れば、だいたいわかる。
「リーリエはいま、人工個性、エレメンタロイドじゃなくなったんだ。僕の家のシステムが本体だったあいつはいま、あそこにいる」
 僕が指さす先に立ってるリーリエは、目をつむり、胸を膨らませて深呼吸をする。
 そう、深呼吸をする。
 目を開けた彼女は、言った。
「うん、いまおにぃちゃんが言った通りなんだ。仮想の脳しか持たなかったあたしは、人工個性のシステムから自分を、ここに移したの」
 頭を指さしたリーリエ。
 そこにあるのは、その中に内蔵されているのは、エリキシルスフィア。
「それはつまり、エリキシルスフィアを、脳にしたってことなのか?」
「うん。それに近い状態。あたし、リーリエは、いまこの身体を持った、ひとつの存在に、妖精になったの」
 近藤の問いに答えて、左手を胸に当てたリーリエはそう答えた。
「本当はね、エイナが最初にフォースステージに到達するはずだったんだ。モルガーナが、それを想定してたはずなの。バトル終了時点でそうなったエイナのスフィアをモルガーナが手に入れて、ファイナルステージまで上げて、自分で使うはずだったんだ。一番最初、バトルに誘われたときにそのことはエイナから聞いてたし、その証拠も見せてもらってた」
「じゃあ最初から、モルガーナの奴は願いを独り占めするつもりだったってのか?!」
「うぅん、それは違うよ、猛臣。モルガーナはね、そういうところは凄く律儀な性格をしてるみたいなんだ。もしエイナ以外の人が最後まで残って、その人のスフィアに集まったスフィアがファイナルステージに至ったら、それを手に入れて、その後に願いは叶えてくれたと思うんだよね。自分の願いを叶えた後の、おこぼれみたいな感じだけど」
 近づいてきたリーリエが、ためらいながらも、僕の胸に手を当てて、見上げてくる。
 百合乃じゃない。
 百合乃じゃないけど、まるで百合乃がしていたように、僕の顔を下から覗き込むようにして、リーリエは言った。
「最初から、あたしはそのことを知ってたんだ。でも、絶対にモルガーナの願いは叶えさせちゃいけなかったの。だからエイナと協力して、モルガーナに対抗する手段を考えてきた」
 話してる間に目尻に溜まってきた涙が、柔らかい頬に零れ落ちる。
「ゴメンね、おにぃちゃん。あたしは、ずっとおにぃちゃんのことを裏切ってきた。知ってることを、話してこなかった。でもあたしは、あたしにできることを、精一杯やってきたんだ」
「……」
 リーリエの言葉に、僕は言葉を返してやることも、頷いてやることもできなかった。
 彼女が裏切っていた理由も、やってきたこともわかる。
 でもどうしても、僕は涙を流し続けるリーリエに、返事をしてやることすら、できなかった。


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