神水戦姫の妖精譚

小峰史乃

文字の大きさ
上 下
105 / 150
第五部 第三章 ヴォーテックス

第五部 撫子(ラバーズピンク)の憂い 第三章 3

しおりを挟む


          * 3 *


「あとは何かあるかな?」
 保存容器に下ごしらえ済みの食材を詰め終えた夏姫は、粗熱を取るために流しの横に並べ、鼻から息を吐き出した。
 ――まったく、克樹は出かけちゃうんだからっ。
 昨日のうちに用事があると連絡があって、今日は不在なのはわかっていた。
 けれど夏姫は今日、克樹の家に来てリーリエに鍵を開けてもらい、以前もしていたように、料理の時間を短縮するための備蓄をつくることにした。
 喫茶店のアルバイトが終わった後に来たけれど、克樹はまだ帰っておらず、夏姫はひとり寂しくキッチンで作業することになった。
「何やってんだろ、あいつ」
 天井を仰いだ夏姫はそうつぶやくが、ここにはいない克樹はもちろん、リーリエからも応答がない。
 来たときすぐにどんな用事かと訊いてみたが、リーリエからは「大事な用事だよっ」としか教えてもらえなかった。
 何となく悪い予感がして、念のため何時に帰ってくるかをメールで訊いていたけれど、いまのところ返事はなかった。
「せっかく、今日はあいつが好きそうな格好にしてきたのになぁ」
 可愛らしい感じのセーターは割と普通だけれど、赤いミニスカートに黒いストッキングは、どうやら脚好きらしい克樹にはクリティカルヒットのはず。これにシンプルなクリーム色のエプロンの組み合わせなら、克樹に対しては無敵と言える。
 それなのに、克樹はおらず、いつ帰ってくるかもわからない。
 見せる相手がいないのでは気合いを入れた意味がないと、エプロンを取りながら夏姫は不満の息を漏らしていた。
 そのとき鳴らされた玄関チャイム。
「あれ?」
 克樹がいないために自動録画モードに入り、テレビに表示された訪問者は、誠。
「リーリエ、開けてもらっていい?」
『うん』
 玄関に向かいながら声をかけると、上の空のようなリーリエの返事とともに、鍵の開く音が聞こえた。
「克樹!」
「ゴメン。克樹はいまいない」
「……そっか」
 なんだか思い詰めた表情だった誠は、深い落胆に表情を染めていた。
「とりあえずお茶くらい用意できるから入って。……何があったの?」
「いや、オレも何が何だかわからないんだが、克樹に話したいことがあったんだ」
「何よ、それ」
 LDKに誠を導きながら、よくわからない彼の言葉に眉を顰める。
 ダイニングテーブルに誠を促してキッチンに入った夏姫は、必要な分だけ水を入れたヤカンをコンロにかけ、手軽に入れられる緑茶の準備を始めた。
「近藤が用事あるみたいなんだけど、克樹は何時くらいに帰ってこられそう? リーリエ」
『んーーっ。夜はけっこう遅くなると思うよ』
 昨日の電話で、隠し事があるような様子で用事があると言われたときから、ずっと思っていた。
 ――大丈夫なのかな、克樹。
 話してみた感じでは、こっそり灯理と会っているという感じでもなかった。もしそういうことなら声の調子でわかると思えた。
 それよりも気になるのは。昨日話していた残りふたりのバトル参加者のこと。
 恐ろしく強いと思われる残りの敵に、もし克樹がひとりのとき出会ったらと思うと、心配だった。
 ――でもまぁ、克樹ひとりって言っても、リーリエも着いてるんだしね。
 感覚的にはわかりにくいが、いまここで話しているリーリエは、克樹の側にもいる。
 もし何かあればリーリエが知らせてくれるだろうと考えれば、いまのところはそんなに心配する必要もなさそうだった。
「あいつはいまどこで、何やってるの?」
 それでもやはり気になることには変わりない。
 誠と一緒に天井を見上げながら、夏姫は問うてみた。
『……いまおにぃちゃんは、お墓参りに行ってるんだ』
「お墓参り?」
 その言葉に首を傾げると、誠も同じように首を傾げていた。
 克樹の身近な人でと考えると、百合乃の命日は近くなく、夏姫の知る克樹の知人の範囲で、墓を参るような相手は思いつかない。
 命日や盆にだけ参るものというわけではないが、買い物の予定をキャンセルして突然行くようなものとは思えず、百合乃の墓であるならそのことを言わずに行くとは思えない。
「ねぇ、リーリエ。克樹は誰のお墓参りに行ってるの?」
『……』
 向こうで話でもしているのか、しばらく待ってみてもリーリエからの返事はなかった。
 不安が膨らんできて、胸元を拳で押さえた夏姫は、眉を顰める。
「オレの用事は、まぁ急ぐようなことじゃない。できればみんながいるときに話した方がいいと思うからな」
「うん。じゃあ、克樹には話しておくね」
「頼んだ」
 来たときの険しい表情を緩め、優しい笑みを浮かべる誠に少し安心するが、不安を拭い去ることはできなかった。
 ――克樹、本当に大丈夫なの?


             *


 暗くなっていく空の下、僕がエイナに連れてこられたのは、繁華街からそう遠くない場所だった。
 墓地。
 繁華街から三〇分と歩いていないのに、広大とも言える霊園があった。エイナはそこに、迷うことなく足を踏み入れる。
 陽の傾きが大きくなって、震えるほどの風が立ち並ぶ墓石の間を吹きすさぶ。
 いまは僕たちの他に人影はなく、もう少し暗くなったら肝試しに来たみたいになりそうな寂しさだった。
 途中で買った小さな花束を持つエイナは振り向くことなく、細い道の真ん中に生えてる葉の落ちた木を避け、枯れた雑草を踏みしめて奥へと向かって行く。
 その後ろを歩く僕は、さっきまで楽しそうだったのと違って、悲しそうな、つらそうな表情をしているエイナの顔をこっそり眺めていた。
 たどり着いたのは、何の変哲もないお墓のひとつ。
 刻まれている名は、東雲(しののめ)家。
 決して新しいものではなく、古びた感じはないが、新しさもない。両隣と違って小さな敷地には雑草もなく、墓石も綺麗に清められていて、たぶん今日の早い時間か、昨日辺りに参った人がいたんだと思われた。
 何も言わずに、エイナは少し萎れた感じのある花瓶の花を取り、僕が持たされていた桶を受け取って水を入れ替えてから、買ってきた花を供える。
 背負っていた鞄の中にあった線香に火を点けて立て、帽子とサングラスを取ってしゃがんだエイナは、目を閉じて墓石に手を合わせた。
 僕はそんな彼女を、ただ見ているだけだった。
 少なくとも僕の知り合いに、東雲という姓の人はいない。
 知り合いでもない家にお墓に手を合わせていいものなのかどうかわからず、僕は立っていることしかできなかった。
「今日は本当に、おつき合いいただいてありがとうございます。一度は、来ておきたかったんです」
 立ち上がり、僕に向き直ったエイナはそう言いながら、東雲家と刻まれた墓石を細めた目線で見る。
「エルフドールの身体があっても、ひとりでは遠くに出かけられませんから、克樹さんにおつき合いいただいて本当に助かりました」
 長い時間、無言で墓石に手を合わせていたエイナはそう言って、笑んだ。
 どこか寂しそうなその笑みは、ここに彼女にとってそんな顔をさせる人物が眠っていることを示してる。
「誰を参っていたの?」
「……わたしにとって、とても、とても大切な人です」
 具体的な名前を言わず、風にピンク色の髪を揺らしながら、儚げに笑む。
 ――好きな人だろうか。
 人工個性は、人の手によって食欲などの欲求は抑えられていたり、身体がないことの不都合を消していたりしていても、ちゃんとものを考え、思い、判断が可能な脳、ひとつの個性だ。
 視覚や聴覚センサーを接続し、人と出会うことができたなら、恋をすることだってあるはずだ。
 ――あのライブで歌ってた人のことかも?
 一年前にエイナのライブ会場で聴いた歌。
 僕は途中までしか聴くことができなかったけど、あのときエイナは前口上で、とても大切な人が遺した、その人の好きな人への想いを綴った歌だと語っていた。そしてそのとき、その大切な人は死んでしまっていると。
 エイナは語らない。
 ただ優しげに、悲しげに、微笑んで見せるだけだ。
 ピンク色のロングヘアを風に揺らし、わずかに首を傾げて、彼女は僕に微笑みかけてきてる。
 僕はそんな彼女に、何もかけられる言葉がなかった。
「さて、次の場所に行きましょう」
「まだ何かあるの?」
 桶を押しつけてきたエイナは、気持ちを入れ替えたのか、元気そうにいたずらな笑みを見せる。
「えぇ、もちろん、今日の一番の目的は、これからなんです」
 言って彼女は帽子を被って髪を綺麗に納め、サングラスをかけて僕の右腕に自分を腕を絡めてきた。
 そしてエルフドールにしては柔らかい、小柄な身体を密着させてくる。
「近くに、部屋を取ってあるんです」
「……え?」
「今日はとことんつき合ってもらいます。克樹さんが尽き果てるまで!」
 にっこりと笑ってみせる可愛らしいエイナに、僕はさっきとは別の意味で、立ち尽くすことしかできなかった。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

あっちの自分とこっちの自分。あっちのあいつとこっちのあいつ

マフィン
SF
ある日、突然現れた男。その男は、そこを自分の家だと言い張る。  ある日家に帰ると、部屋に見知らぬ男たちが住み着いていた。 それぞれは一体何者たちなのか?彼らに何が起きているのか?登場人物一人一人の目線で語られるSFファンタジー。

どうぞ二人の愛を貫いてください。悪役令嬢の私は一抜けしますね。

kana
恋愛
私の目の前でブルブルと震えている、愛らく庇護欲をそそる令嬢の名前を呼んだ瞬間、頭の中でパチパチと火花が散ったかと思えば、突然前世の記憶が流れ込んできた。 前世で読んだ小説の登場人物に転生しちゃっていることに気付いたメイジェーン。 やばい!やばい!やばい! 確かに私の婚約者である王太子と親しすぎる男爵令嬢に物申したところで問題にはならないだろう。 だが!小説の中で悪役令嬢である私はここのままで行くと断罪されてしまう。 前世の記憶を思い出したことで冷静になると、私の努力も認めない、見向きもしない、笑顔も見せない、そして不貞を犯す⋯⋯そんな婚約者なら要らないよね! うんうん! 要らない!要らない! さっさと婚約解消して2人を応援するよ! だから私に遠慮なく愛を貫いてくださいね。 ※気を付けているのですが誤字脱字が多いです。長い目で見守ってください。

動物に好かれまくる体質の少年、ダンジョンを探索する 配信中にレッドドラゴンを手懐けたら大バズりしました!

海夏世もみじ
ファンタジー
 旧題:動物に好かれまくる体質の少年、ダンジョン配信中にレッドドラゴン手懐けたら大バズりしました  動物に好かれまくる体質を持つ主人公、藍堂咲太《あいどう・さくた》は、友人にダンジョンカメラというものをもらった。  そのカメラで暇つぶしにダンジョン配信をしようということでダンジョンに向かったのだが、イレギュラーのレッドドラゴンが現れてしまう。  しかし主人公に攻撃は一切せず、喉を鳴らして好意的な様子。その様子が全て配信されており、拡散され、大バズりしてしまった!  戦闘力ミジンコ主人公が魔物や幻獣を手懐けながらダンジョンを進む配信のスタート!

求めていた俺

メズタッキン
SF
聖川東学園に通う自称「平凡な少年」桐生はクラスメイトの敷島悠斗、白石茜、栗山マナトと共につまらない日常を送っていた。そんなある日、学内トイレにて翠色のコートを羽織った謎の男に出会う。一ノ瀬佑太郎と名乗る男はどういう意図からか桐生に 『他人に触れるとその一切の動きを封じる能力』を与える。桐生はこの能力を駆使して、学園界隈で多発している学生襲撃事件の真相の解明及び事件解決に乗り出すことになる。こうして少年桐生の戦いの伝説は始まったのだ。

オンライン・メモリーズ ~VRMMOの世界に閉じ込められた。内気な小学生の女の子が頑張るダークファンタジー~

北条氏成
SF
 黒髪ロングに紫色の瞳で個性もなく自己主張も少なく、本来ならば物語で取り上げられることもないモブキャラ程度の存在感しかない女の子。  登校時の出来事に教室を思わず飛び出した内気な小学4年生『夜空 星』はズル休みをしたその日に、街で不思議な男性からゲームのハードであるブレスレットを渡され、世界的に人気のVRMMOゲーム【FREEDOM】を始めることになる。  しかし、ゲーム開始したその日に謎の組織『シルバーウルフ』の陰謀によって、星はゲームの世界に閉じ込められてしまう。 凄腕のプレイヤー達に囲まれ、日々自分の力の無さに悶々としていた星が湖で伝説の聖剣『エクスカリバー』を手にしたことで、彼女を取り巻く状況が目まぐるしく変わっていく……。 ※感想など書いて頂ければ、モチベーションに繋がります!※ 表紙の画像はAIによって作りました。なので少しおかしい部分もあると思います。一応、主人公の女の子のイメージ像です!

特殊装甲隊 ダグフェロン『廃帝と永遠の世紀末』 遼州の闇

橋本 直
SF
出会ってはいけない、『世界』が、出会ってしまった これは悲しい『出会い』の物語 必殺技はあるが徹底的な『胃弱』系駄目ロボットパイロットの新社会人生活(体育会系・縦社会)が始まる! ミリタリー・ガンマニアにはたまらない『コアな兵器ネタ』満載! 登場人物 気弱で胃弱で大柄左利きの主人公 愛銃:グロックG44 見た目と年齢が一致しない『ずるい大人の代表』の隊長 愛銃:VZ52 『偉大なる中佐殿』と呼ばれるかっこかわいい『体育会系無敵幼女』 愛銃:PSMピストル 明らかに主人公を『支配』しようとする邪悪な『女王様』な女サイボーグ 愛銃:スプリングフィールドXDM40 『パチンコ依存症』な美しい小隊長 愛銃:アストラM903【モーゼルM712のスペイン製コピー】 でかい糸目の『女芸人』の艦長 愛銃:H&K P7M13 『伝説の馬鹿なヤンキー』の整備班長 愛する武器:釘バット 理系脳の多趣味で気弱な若者が、どう考えても罠としか思えない課程を経てパイロットをさせられた。 そんな彼の配属されたのは司法局と呼ばれる武装警察風味の「特殊な部隊」だった そこで『作業員』や『営業マン』としての『体育会系』のしごきに耐える主人公 そこで与えられたのは専用人型兵器『アサルト・モジュール』だったがその『役割』を聞いて主人公は社会への怨嗟の声を上げる 05式乙型 それは回収補給能力に特化した『戦闘での活躍が不可能な』機体だったのだ そこで、犯罪者一歩手前の『体育会系縦社会人間達』と生活して、彼らを理解することで若者は成長していく。 そして彼はある事件をきっかけに強力な力に目覚めた。 それはあってはならない強すぎる力だった その力の発動が宇宙のすべての人々を巻き込む戦いへと青年を導くことになる。 コアネタギャグ連発のサイキック『回収・補給』ロボットギャグアクションストーリー。

グラッジブレイカー! ~ポンコツアンドロイド、時々かたゆでたまご~

尾野 灯
SF
人類がアインシュタインをペテンにかける方法を知ってから数世紀、地球から一番近い恒星への進出により、新しい時代が幕を開ける……はずだった。 だが、無謀な計画が生み出したのは、数千万の棄民と植民星系の独立戦争だった。 ケンタウリ星系の独立戦争が敗北に終ってから十三年、荒廃したコロニーケンタウルスⅢを根城に、それでもしぶとく生き残った人間たち。 そんな彼らの一人、かつてのエースパイロットケント・マツオカは、ひょんなことから手に入れた、高性能だがポンコツな相棒AIノエルと共に、今日も借金返済のためにコツコツと働いていた。 そんな彼らのもとに、かつての上官から旧ケンタウリ星系軍の秘密兵器の奪還を依頼される。高額な報酬に釣られ、仕事を受けたケントだったが……。 懐かしくて一周回って新しいかもしれない、スペースオペラ第一弾!

コスモス・リバイブ・オンライン

hirahara
SF
 ロボットを操縦し、世界を旅しよう! そんなキャッチフレーズで半年前に発売したフルダイブ型VRMMO【コスモス・リバイブ・オンライン】 主人公、柊木燕は念願だったVRマシーンを手に入れて始める。 あと作中の技術は空想なので矛盾していてもこの世界ではそうなんだと納得してください。 twitchにて作業配信をしています。サボり監視員を募集中 ディスコードサーバー作りました。近況ボードに招待コード貼っておきます

処理中です...