神水戦姫の妖精譚

小峰史乃

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第五部 第三章 ヴォーテックス

第五部 撫子(ラバーズピンク)の憂い 第三章 1

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   第三章 ヴォーテックス


          * 1 *


 ――どうしてこんなことになったんだ……。
 昔から縁の深い秋葉原でも、夏姫につき合って行く中野でもない、池袋の街に立ち、僕は額に手を当てて深いため息を吐いた。
 昨日あの後、結局エイナのログはほとんど取れておらず、リーリエに話したら『エイナみたいなアイドルとデートなんていいなぁ』と言われ、なんかよくわからない間に行く流れになっていた。
 今日も昼くらいには来る予定だった夏姫には不在の連絡を入れ、いそいそと準備をして池袋くんだりまで出張ってきた。
 夏姫とは一緒に買い物に行く約束だったから、悟られないかとちょっと冷や冷やしたけど。
 どうやら僕がいなくても、彼女は僕の家に来て細かいことをやるつもりらしい。ありがたいことだけど、なんか申し訳ない。
 ――まぁ、リーリエに声かければ家に入れるけどさ。
 思うところがいっぱいあって、ため息ばかりが漏れてくる。
 友達や恋人と待ち合わせをしてるらしい老若男女でごった返す、池袋の有名な待ち合わせ場所。
 地下にあって、乾燥注意報が出るようになったこの時期でも若干ジメッとしてるそこで、僕はカビのように壁に貼りついて待ち合わせの人物を待っていた。
 本当に来るのだろうか。
『今日はあたしは邪魔しないから、いっぱい楽しんでねっ』
「おい、リーリエ!」
 基本的には僕の邪魔をしないリーリエだけど、夏姫たちと過ごしてるときは茶々や突っ込みは入れてくるのが常だ。
 それなのに、今日はそんなことをするつもりはないらしい。
 耳に引っかけたカメラ内蔵のイヤホンマイクに潜めた声で呼びかけても、返事をしてくれなかった。今日こそは茶々を入れてくれた方が楽だと思うのに。
 ――本当に、どうなるってんだ。
 エイナとデートなんて、不安を抱えきれなくなりそうだ。
 彼女はモルガーナの手先。
 油断をしていたらどんなことになるのかわかったもんじゃない。それと同時に、僕は彼女に聞きたいことが数え切れないほどあった。
 そして、認めたくはないけど、ほんの少しだけ期待があるのも、確かだった。
 ここに来てため息の数がふた桁を数えた頃、待ち合わせの時間ぴったりにそれは現れた。
「ごめんなさい、お待たせしてしまいましたね」
 地味で野暮ったい大きめのダッフルコートを羽織り、しかし焦げ茶のミニスカートから伸びる、黒タイツに包まれた長い脚はなかなかの引き締まり具合を見せる。
 髪と一緒に正体を隠しているハンチング帽を目深に被り、厚底の靴で灯理よりもちょっと背が高く感じる彼女は、濃いめのサングラスをズラしてすまなそうな表情とともに、瞳の模様が描かれたカバーに覆われたカメラアイを僕に向けた。
「なんでそんな格好なんだ」
 いくらなんでも野暮ったすぎるエイナの格好に、僕は思わずそう指摘してしまっていた。
「せっかく生まれて初めてのデートなんですから、今日はステージ用に開発された試作型のエルフドールで来たんですよ? さすがに克樹さんと歩くのに、一二〇センチや一三〇センチのボディでは釣り合わないですから。実体としてはわたしはエレメンタロイドですけど、このボディは目立ちますからね、仕方ないです」
 言われてよく見てみると、帽子から少しだけ覗いてるほつれ髪は綺麗なピンク色。そんな髪をしてる現実の人間なんていないわけで、帽子を取ったらアッという間に注目を集めそうだ。
「はい、これ持ってください」
 不満そうに頬を膨らませるエイナは、そう言って僕にけっこう大きなトートバッグを押しつけてくる。
 肩に掛けてみると、ずっしりというレベルを超えて、はっきり言って重い。
「……何が入ってんだ、これ」
「予備の給電用バッテリですよ。これがなければわたしは長時間の活動ができませんからね。わたしの正体を知り、それでも一緒に街を歩いてくれる人は希少なんです。今日は克樹さんとしっかりデートしたかったですから、ちゃんと準備してきたんですっ」
 言って視線で示す彼女の背のリュックにも、その重そうな動きからすると、予備バッテリが入ってるらしい。
 ――でも、僕を今日呼び出したのは、それだけが理由じゃないよな。
 これまでの数少ない接触のときの様子を考えると、違うような気も若干するけど、敵の手下であるエイナはやはり敵だ。それを忘れちゃならない。
 眉間にシワを寄せ、うつむきながらそれを心に刻みつけた僕は顔を上げる。
 目の前にあったのは、満面の笑顔。
「さ、行きますよ、克樹さん。今日は一日、わたしにつき合ってもらいますからね!」
 いつの間にか顔を近づけてきていたエイナにウィンクされ、僕の心臓は大きく脈打つ。
 ――彼女は、エルフドールだっ。
 そう自分に言い聞かせて、僕はまだ早い鼓動と背中にかいた冷や汗を押さえようとする。
 ――でもあの笑みは、エイナがつくったものだよな。
 サングラス越しのカメラアイには僕は映っていなくても、その可愛らしい笑みは、リーリエが見せるのと同じように、人工個性のエイナが見せたもの。
 なんだか僕は、エイナのことがこれまで以上にわからなくなっていた。
「早くしてください、克樹さん。時間は有限なんですよっ」
 これまで知らなかったけど、どうも夏姫以上に口うるさそうなエイナは、地上へと上がる階段に足を掛けながら、その愛らしい頬を膨らませている。
 ――今日一日一緒にいれば、少しはわかることもあるか……。
 そんなことを考えながら、僕は予備バッテリの入った鞄を肩に掛け直し、エイナの後を追って階段を上り始めた。


             *


「食事も用意してありますので、どうぞご歓談をお楽しみください」
 舞台に立った司会の男性は笑顔でそう言い、深く礼をした。
 それを合図に控えていたボーイたちは、お盆に乗せたドリンクを会場に集まった人々に配り始める。中央に準備された料理の蓋が次々と開けられ、香ばしい匂いとともに立食パーティが始まった。
「少しお腹が空いたわね」
 平泉夫人はそうつぶやき、アルコールの入ったグラスを勧めてきたボーイに手を振って断って、食事のあるテーブルへと向かった。
 発表会を兼ねたパーティとしては珍しい、休日の開催。イレギュラーであるためか開催時間は早く、窓から見える外はまだ明るい。
 スフィアドール関係で、ロボット関連企業としても老舗が主催した関係者向けの会は、昼には遅く、夕食には早い時間に始まった。
 談笑しながら色とりどりの、様々な食事の大皿が並ぶテーブルを回っていく人々の列に加わり、夫人は白い皿を手に取って、肉やパエリヤなどの少し重めの料理を盛る。
 二〇〇人を超えているだろう参加者は、思い思いの場所で楽しそうに会話を弾ませ、かなり奮発したらしく素材も味つけも申し分のない料理に舌鼓を打つ。
 知り合いと軽く挨拶や話をして過ごす平泉夫人は、しかし早々に会場の端に寄り、壁の花となった。
 いま、平泉夫人はひとりであった。
 いつもならばこうした場には芳野を連れてくるが、想定よりも参加率が高かったパーティには、直接の招待客以外は入れなくなっていた。
 ――そろそろ、あの子もこうした場に正式にデビューさせなくてはね。
 甘いカクテルの入ったグラスを傾けながら、夫人はそんなことを思う。
 芳野はそうしたことを望んでいないかもしれないが、彼女には素質があり、夫人は彼女が自分とともに立つことを望んでいた。
 いまの芳野に望むのは難しいことであるのは、わかっていたが。
 ――でも未来はわからない。
 つらい過去を持ち、頑なだった芳野にも変化はある。
 けっしていつまでも出会った頃の彼女ではないことを、夫人は側にいて気づいていた。
 口元に笑みを浮かべた夫人は、会場の熱気とアルコールで火照りを感じる身体を冷やすため、壁から離れる。
 こうしたパーティを開く場所としては珍しく、会場から出られるテラスがあり、夫人は自分に注目している人がいないのをちらりと確認してから、扉となっている大きな窓を小さく開けて外に出た。
 日が傾き始めた外は、まだ早い冬の寒さに曝されているが、胸元の開いた黒のドレスであっても、火照った身体にはちょうど心地いいくらいだった。
 ここでも談笑ができるようテーブルや椅子が置かれているが、肌寒さのためかいまは人影はなく、夫人はテラスの端までゆっくりと歩を進める。
 ――早く終わらないかしらね。
 空になったグラスを幅広い桟の上に置き、夫人は苦笑いを浮かべる。
 なんだか芳野の顔を見たくて仕方がなかった。
 いま彼女はいつものようにメイド服を着、行き交う人々の好奇の視線を受けつつも、会場の入り口の前で夫人が出てくるのを静かに待っていることだろう。
 もしかしたらスマートギアを被り、情報収集や雑務をしているかも知れない。
 頭の中に浮かんでくる芳野の様子に笑みを浮かべる平泉夫人は、晴れ渡る空を仰いでいた。
 そんなとき、もうひとりテラスに人が出てくる音がした。窓の開閉。
 ヒールの足音からして、出てきたのは女性。
 空から視線を落とした夫人は、近くまで寄ってきた足下の主に目を向けた。
「お邪魔だったかしら」
「いいえ。そろそろだとは思っていたけれど、ここでとは思っていなかっただけよ」
 努めて冷静に、夫人は近づいてくる赤いビジネススーツの女性を見る。
 血のように紅で彩られた唇の片端をつり上げて笑む女性は、夫人の隣に立ち、ウィスキーのグラスを差し出してくる。
 受け取って笑みを返す平泉夫人は、心の中で気持ちを引き締めた。
「なんと呼べばいいかしら?」
「どうとでも。最初の名前など、遥か昔に失われているわ」
 ひと目でわかった。
 初対面であるにも関わらず、平泉夫人は自分のグラスを大きく傾けている女性の正体を、一瞬で理解した。
 彼女の放つ雰囲気は、輝かしいばかりの熱を持った紅。
 そして同時に、深淵の底から汲み上げてきたかのように昏い。
 人の姿をしているのに、纏う雰囲気は人間のものと思えないほどエネルギーをはらんでいた。
「お目にかかれて嬉しいわ、モルガーナさん」
 笑みを浮かべているのに、モルガーナの肌からピリピリと感じるのは、敵意。
 それに気圧されないよう目に力を込め、夫人はそう挨拶した。
 実際の年齢よりも若いと言われ、黒真珠と字名される夫人だったが、モルガーナの姿はそんなことはどうでもいいことのように思える。
 本当の年齢はわからず、少なくとも数百歳である魔女は、二〇代半ばほどにも、三〇を超えているようにも、そして一〇〇歳を超えていても不思議ではないくらいに思えた。
 身体つきだけならば、性的な魅力を赤いスーツで覆うだけでは隠しきれないほどだったが、しかし彼女が放つ空気はそれを打ち消すほどに紅く、昏い。
 敵意を向けてきつつも楽しそうに笑むモルガーナは言う。
「嬉しいのはこちらも同じよ。お目にかかれて光栄だわ、平泉夫人」
 にっこりと笑み、彼女は言葉を続ける。
「私のことを知りながら、この私に宣戦布告を突きつけてきたのは、ここ百年では貴女が初めてよ」
 笑みの形につり上げられた紅い唇に、平泉夫人は背筋に冷たいものを感じていた。


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