神水戦姫の妖精譚

小峰史乃

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サイドストーリー2 海人(アクアマリン)の祈り

サイドストーリー2 海人(アクアマリン)の祈り2

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       * 2 *


「さぁさぁどうぞ。汚いところですみませんが」
「……そうだな」
 薄汚い廊下から事務スペースとなっている部屋に通された俺は、若い男の言葉に同意の返事をしていた。
 確か十数人が所属しているというスフィアロボティクスの伊豆南支所の事務部屋には、人数分の机が一般的な中学高校の教室程度の広さにひしめいてるだけじゃない。
 いまどき電子化が進んでいないのか、書類の束がうずたかく積まれていたり、酸素ボンベやなんだかよくわからない機材が床と言わず机の上と言わずひしめいていて、掃除も行き届いてないらしく、汚いという言葉が控えめなほどの荒れようだった。
「いやぁ、まさかあの槙島猛臣(まきしまたけおみ)さんがこんなところにいらっしゃるなんて、本当に嬉しいですよ」
「仕事だからな」
 高校は夏休みだというのに、俺が伊豆半島の南端もそう遠くないこんな場末の支所に来ているのは、ちょっとした仕事をこなすためだった。
 俺が会社でやってる開発の仕事はそんなに縛りが厳しいものじゃないが、ある程度の期間で成果や結果を出さなければ、予算が削られたり給料が減ったりする。
 学校が夏休みに入って動きやすくなったのもあって、エリキシルバトル関係のことにばかりかまけていた俺は、ここのところ研究所にすら顔を出していなかった。学生アルバイト扱いとは言え、さすがに少しくらい仕事に関係した結果を出さないとならなくなって、わざわざ伊豆くんだりまで足を伸ばしていた。
「それで、所長は?」
「いやぁ、それがですねぇ……」
 済まなそうに頭を掻きながらも、永瀬(ながせ)と名乗った若い男はにこやかな笑みを浮かべていた。
 事務所には俺とこの永瀬の他に、誰の人影はなかった。通ってきた廊下でも、人の気配は感じなかった。
「僕は止めたんですがね? でもなんか、急ぎの仕事だって言ってましてね」
「俺は一昨日、所長のアポイントを取ってここに来たんだが?」
「いやぁ、あの人たち、予定とかには本当ルーズでしてねぇ……」
 乾いた笑い声を立てている永瀬に、俺は盛大なため息を吐いていた。
 元々伊豆南支所は古くから海洋関係の調査機械の開発や販売、メンテナンスをやっていた会社だった。
 それをスフィアロボティクスが海洋関係の開発成果を入手するために買い取ったわけだが、技術を手に入れた後も独立採算でやっていけるということで、社内では珍しい独立性の高い支所として残されている。
 大学院を出て一昨年本社からこの支所への配属を言い渡されたと本人がぺらぺら喋っていた永瀬の他は、昔からの所員が残っている状態だから、放っておいても害はないが、社内の連携もまともに取れやしない。
 俺の仕事はこの伊豆南支所から、しばらく上がってきていない開発成果の情報を直接もらってくること。扱いづらいという話は聞いていたが、いままさにそれを実感しているところだった。
「他の所員もいまは出払っていまして。所長は予定では明日には戻るかと……。ま、まぁ、アイスコーヒーでも飲んでてください」
「――わかった」
 アイスコーヒーを飲んでいても所長が帰ってくるわけでも明日が来るわけでもないが、疲れを感じた俺は、永瀬に勧められた事務スペースの片隅に設けられた応接セットの、くたびれたソファに座った。
「それで、貴方はなんで残ってるんだ?」
「いやぁ、僕はここでは新人ですし、海洋調査機材は専門外なもんで、留守番を言い渡されてしまいました」
 お盆にアイスコーヒーが注がれたグラスを乗せてきた永瀬は、それでもにこやかに笑っていた。
「じゃあ貴方は、ここでどんなことをしてるんだ?」
 年上なのはわかっているが、スフィアロボティクス内での立場は俺の方が上だし、どうも敬意を払うには軽薄さを感じる笑みに少し荒っぽい口調になりながら問うてみる。
「よくぞ訊いてくれました。僕もスフィアドール関係の仕事がしたくて入ったんですがね、開発職になれたのは希望通りなんですが、所長が予算を回してくれなくて。予算がほしければ成果を出せと言われてまして。でも開発のための予算もないんじゃ成果も出ないわけで。参りましたね。はっはっはっ」
「……そりゃあたいへんだな」
 楽しそうに笑ってはいるが、永瀬の置かれた状況はどう考えても手詰まりだ。
 伊豆南支所の開発予算の配分は、他の研究所と違って所長の裁量に任されているとは聞いていたが、思っていたよりも酷いらしい。
「僕もせっかくここにいるんだからスフィアドールで海洋調査に関係する開発をやろうと思っているんですが、少ない予算と申請して手に入ったドールやパーツだけではなんとも。船も所長や他の人が使って乗せてもらえませんし」
 たぶんそんなつもりではないだろうが、笑顔で所内の暴露話を始める永瀬。予算もないためたいしたことはできず、留守番で暇なのだろう、雑談を仕掛けてくる彼の口は止まらない。
 表情や仕草や、性格からか、話の内容に呆れはするが、嫌な感じはしなかった。
「機械いじりは好きなんで、趣味ではこんなものも造ってるんですよ」
 そう言って永瀬が一度ソファから立ち上がって自分の机から持ってきたのは、一体のピクシードール。
「なんだ? こりゃ」
 ドール自体は極々一般的なバランスタイプのバトルピクシーに見えるが、違うのは背中に背負っているもの。
 アニメに出てくるなら推進剤でも噴き出して空を飛びそうなランドセルは、おそらく外部接続の追加バッテリだ。ランドセルの左右には、ケーブルで接続された武器がラッチに固定されていた。
「ピクシーバトルでもやるのか?」
「いえー。弄るのは好きなんですが、ソーサラーの才能は欠片もなくて。開発が進まない原因はそっちの理由もあるんですがね」
「そうかい」
「まぁまぁ。これはですね――」
 楽しそうに自分がつくったオモチャの解説を始める永瀬に、俺はこっそりため息を漏らす。
 ――こりゃもうひとつの用事を先にやっちまった方がよさそうだな。
 伊豆半島まで出張ってきたのは、伊豆南支所の用事もあるが、もうひとつ用事があった。
 本当は社の仕事を終えてから落ち着いてやるつもりだった用事を先に済まそうと、俺は永瀬の話を打ち切るタイミングを計り始めた。


          *


 なんだかんだで永瀬の話につき合って一時間近くが経ち、どうにか支所を出ることに成功した俺は、外に出て十分で後悔していた。
「暑い……。こんなとこ二度と来るかよ、くそっ」
 夏真っ盛りの南伊豆の陽射しは、昼時を過ぎたくらいのいまの時間、海水浴にはちょうど良いくらいだろうが、俺には暑くて仕方ない。
 車は支所に置いてきたし、荷物も最低限にしているが、地図上ではそう遠くないはずの港町まで、右には海が、左には山が迫ってる、家すらない県道を歩くにはこの陽射しだけで充分に苦行だ。
 信号もなければ車通りもなく、店どころか民家すらない焼けたアスファルトの上を、俺はとぼとぼと歩くしかなかった。
「クソ熱い……。しかし、情報がこれだけとはな」
 手にした携帯端末に表示してるのは、調査会社から送られてきた情報。
 伊豆半島にいるスフィアカップ静岡県大会の準優勝者のものであるそれは、住所と名前の他にほんの少しだけで、現在の写真すらなかった。
 伊豆の南端で調査をしてくれる信頼の置ける調査会社が見つからなかったのだから仕方ないが、割といい金額取られたにしては情報不足甚だしかった。
「まぁ現住所さえわかればどうにかなるがな。こいつは……、青葉、よしたか、か?」
 漁師をやっている父親の名前は青葉貴成(あおばたかなり)だから、その子供の青葉由貴(よしたか)だろう。
 最新の写真や、ローカルバトルにも参加してないらしく最近のバトルに関する情報もないが、スフィアカップのときの記録から中学に上がったばかりの顔は押さえてあった。
「まぁ、行って会ってみりゃどうにかなるだろ。……ん?」
 歩いていて見えてきたのは、路肩に止まった黒い普通車(セダン)。
 釣りができそうなポイントも近くには見えず、一台だけ路肩に寄せて駐まっている愛知ナンバーの車に近づいてみる。
「家族で水遊びってわけでもなさそうだな。それにこいつは……」
 トランクルームの中までは確認できないが、スモークガラス越しに見える車内は後部座席が狭いスポーツ仕様で、家族で乗ってきたものには見えない。
 そして後部座席に無造作に放り出されているセミハードケースは、ヘルメット型スマートギア用のものだったはずだ。
「こりゃ都合がいいかもな」
 車と一緒にイシュタルも置いてきたから、もしこの車の持ち主がエリキシルソーサラーだったとしても、俺の存在がバレる可能性はない。
 近くにいるとしたらどこかと辺りを見回して、見つける。
 海側のガードレールの向こうの、そそり立った岩と岩の間に進んで行けそうなところがあった。
「さて、どうかな」
 岩の隙間のような場所に入っていくと、下まで降りて行けそうな崖よりマシな坂になっている。もう少し進んで岩の上から下を覗き込むと、小さな砂浜に人がふたり、立っているのが見えた。
「よし、ちょうどいい。フェアリーリングも張ってないのは幸運だったな。あっちは青葉だが、もうひとりは……、後で調べておく必要があるな」
 フェアリーリングを張られていたら、レーダーでないと居場所が特定できなかったところだ。
 県道からはもちろん、海側からも岩に阻まれて見えない場所だからか、砂浜に立つふたりが周囲を警戒している様子はない。
 スフィアカップのときよりも成長してるが、面影はそのままの青葉は、暑いのにビジネススーツを着た男と対峙していた。
 音を立てないように担いできた鞄から愛用の黒いヘルメット型スマートギアを取り出した俺は、それを被ってこれから始まる戦闘の様子を記録し始めた。
「さて、どんな戦いを見せてくれるかな」
 自分が戦うことはあっても、克樹の野郎のように仲間を集めてるならともかく、他のエリキシルソーサラー同士のバトルを見学するのは初めてだ。
 バトルを見られること、そしてまだ未調査のエリキシルソーサラーに遭遇できた幸運を噛みしめながら、岩陰に身を隠した俺は、これから始まるバトルを眺めることにした。
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