神水戦姫の妖精譚

小峰史乃

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第三部 終章 ピース

第三部 極炎(クリムゾン)の怒り 終章

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終章 ピース


『うううぅぅぅーーっ』
 リーリエのうめき声がスマートギアのスピーカーから聞こえてくるけど、僕はそれに反応する元気もなかった。
 ぐったりとソファに身体を預けて、半開きになってる口を開けてるだけだ。
 僕の右側では灯理が指を当てた唇を震わせていて、左では近藤が僕以上に元気なさそうに項垂れている。
 少し離れている場所のソファでは、黒いヘルメット型のスマートギアを被った猛臣が、苛々してるらしく爪を噛みながら右足を揺すっていた。
 どうにか期末試験を全員追試なしで潜り抜けて夏休みに突入した七月下旬、招待を受けて平泉夫人の屋敷に来ていた。
 何故か猛臣も屋敷にいて、僕たちは夫人からバトルを申し込まれた。
 エリキシルバトルではない、純粋なピクシーバトルを。レギュレーションはエリキシルバトルに準拠した制限なしだったけど。
 そして僕たちは、平泉夫人の強さを知った。
 先鋒で出た近藤は空手技で応戦され、新たに覚えた関節技や寝技を逆に決められてガーベラを脱臼させられて敗退。
 次鋒の灯理はほぼすべての暗器を取り出す前に叩き落とされ、二体一心の連係攻撃も視界の広い夫人には通用しなかった。
 イシュタルの性能を僕と戦ったときより上げてきたという猛臣は、僕とリーリエが使う必殺技と同じリミットオーバセット、スキル「ライトニングドライブ」を最大で使うも、セミコントロールを組み合わせてもどうしても大雑把になる動きのため弄ばれ、すべての武装を削ぎ落とされ二刀で首筋を挟まれて決着。
 この時点で嫌な予感しかしなかったけど、スピード的にはアリシアやイシュタルよりも遅いのに、変幻自在で幻惑するように動く闘妃を、僕とリーリエは風林火山を使ってなお捕らえきれずに敗れていた。
 いま僕たちの前に設置されたリングでは、勝ち抜いてきた闘妃と、ブリュンヒルデが対峙している。
 リングの外に立つ平泉夫人は、シンプルな黒のドレスのような服を着て、ワインレッドのスマートギアを被り、薄く笑みを浮かべていた。
 その反対側に立つ、フリルが多い可愛らしいキャミソールとふわりと広がるミニスカート姿の夏姫もまた、携帯端末を手に微笑んでいた。
 芳野さんが持つゴングの音とともにバトルが開始された。
 でもヒルデも闘妃も、動き出しはしない。
 闘妃に対して半身に構え、開いた左手を突き出して、弓につがえた矢のように長剣を構える濃紺のハードアーマーを纏うヒルデ。
 いつも通り二本の長刀をだらりと垂らして、隙だらけのように見えて一分の隙もない闘妃。着物のように袖口と腰からの布地が垂れている、ハードとソフトが混在したアーマーは、微妙に変化が見える。
 しばらく睨み合っていた二体だったけど、先に動いたのは闘妃だった。
 大きく踏み込みながら両腕を広げて振るような斬撃。
 それをヒルデは正確な突きで撃墜する。
 止まることのない闘妃はもう一本の長刀を掬い上げるように伸ばすけど、ヒルデはこれも突きで応じた。
 長い黒髪と蝶の刺繍のような意匠が描かれた黒い袖をなびかせる闘妃の動きは、まさに舞い。
 風に翻弄される花びらのようなその動きはしかし、刃を備えた剣舞だ。
 見とれてしまうほどの、目で追える速度である舞いは、刃を以て竜巻のようにヒルデに襲いかかる。
 二本の長刀による乱撃を、ヒルデは一本の長剣ですべて打ち落としていた。
 ――なんだ、これ。
 ヒルデと闘妃の戦いを見る僕の感想は、それしか出てこなかった。
 いつの間にか灯理も近藤も、猛臣すらも戦いの様子に注目している。
 正直、夏姫とヒルデじゃ軽く揉まれて終わりだと思ってたけど、いまのところ防戦の一方にしろ、闘妃の攻撃は一撃もヒットしていない。
 スピードでは勝ってるアリシアとイシュタルでも敵わなかった夫人と闘妃が持っているものを、僕はこの戦いで気づき始めていた。
 闘妃とヒルデが持っているもののひとつは、行動予測。
 アリシアに搭載したセンサーで実現してる、一瞬先の動きを先読みするとかではない、相手のソーサラーが次にどんな行動に出てくるのか、いまの攻撃の次にどんな攻撃を繋げてくるのかっていう、ソーサラーに対する先読みの力だ。
 それから、何よりあるのは鋭さ。
 ぶれることのない流れるような太刀筋。それを打ち落とす正確無比な突き。
 当てればいい、かすめてもダメージになるっていう感じの、割と大雑把な攻撃をしている僕たちにはない、機械のように正確で、鋭い攻防が目の前で繰り広げられていた。
『流れ、変わるよ』
 僕が感づくよりも一瞬早く、被っているスマートギアのスピーカーからリーリエが指摘した。
 二本の刀による流れるような斬撃を防いだ突きは、三段突き。
 胸元を狙われ舞いの足運びを乱された闘妃は後ろに下がる。
 そこにできた隙に、ヒルデは前に出た。
 追撃の突きを振り払われてからの大振りの袈裟懸け。
 後退して躱す闘妃に踏み込んでの斬り上げ。
 長刀に流されてからの三段突き。
 ――夏姫って、こんなに強かったのか。
 リーリエを含む五人で訓練してたときは、思い返せば必殺技はほとんど使ってなかった。
 リーリエに経験を積ませる意味合いが強かったのはあるけど、訓練中の対夏姫戦の勝率はぼろぼろだった。
 考えてみればファイアスターターを持っていたガーベラを追い詰め、初見の暗器攻撃に対応できていた夏姫の強さの底を、僕はまだ見たことがなかった。
 闘妃もそうだけど、ヒルデの動きも速いようには見えない。けれど肩から先の速度は、剣が閃いているのしかわからない。
 必殺技を使っても、風林火山を使っていても、あの速度を躱し続けられる自信は、僕にはなかった。
 大きく飛んで距離を取った闘妃は、長刀を捨てて短刀を二本抜き放ち、リングのマットを蹴った。
 それに応じたヒルデは、腰の後ろから短剣を抜き左手に構える。
 長剣と長刀の距離だった戦いが、短剣と短刀の距離となり、加速する。
 半身に構えたヒルデが二本の短刀を一本の短剣で裁きつつ、長剣の突きで反撃をする。
 攻撃と攻撃の打ち合いは長く続くかと思ったけど、違った。
 突然マットに長剣を突き刺したヒルデ。
 そこにはいつの間にか伸ばされていた、コントロールウィップの先端があった。
 奇襲に気づかれて身を引こうとする闘妃だったが、そのときヒルデの左手が閃いた。
 ナイフの投擲。
 軽くてピクシーバトルではダメージにならないため、ついぞ使われることのない投げナイフを、ヒルデは闘妃の頭部に向けて放った。
 反射的にか、眼前に迫ったナイフを闘妃は袖で振り払う。
 袖で覆われて視界が遮られている一瞬を夏姫が逃すはずもなく、大きく踏み込み胴体を真っ二つにするような勢いで、長剣を薙ぐ。
 でも、ナイフを振り払った袖の向こうから伸びてきた、闘妃の左手。
 剣を持つ手を取り自分の方に引っ張り込んだ闘妃は、そのまま右足を軸に身体を回転させ背中をヒルデの腹に密着させて、投げ飛ばした。
 うつぶせになったヒルデの右腕を流れるような動きで決め、戦いは決着した。
「はぁ……。参りました」
 深いため息とともに宣言された夏姫の敗北に、芳野さんがゴングを鳴らした。
「……夏姫って、こんなに強かったんだ」
「ん? んー。ローカルバトルでいろんなドールと戦ってたし、それでかなぁ。途中からはヒルデの調子がどんどん悪くなってきてたし、速攻決着を目指した戦い方をしてたしね」
 近藤をソファの隅に追いやるように詰めて、灯理との間に場所を空けてやる。
 僕が驚いてる間に芳野さんがアイスティを持ってきてくれ、夏姫がストローをすすっていると、猛臣が声をかけてきた。
「夏姫。いまからでもいい。俺様のところに来ないか? 召使いなんてことは言わない。それだけのソーサラーとしての能力があるなら家の奴らも文句は言わないだろう。苦労はさせない。どうだ?」
「てっ――」
 意味を深く考えなくても告白の台詞になってる猛臣の言葉に、僕が立ち上がって叫ぼうとするのを、夏姫は手で制した。
「気持ちは、ちょっと嬉しいかな? 苦労させないってのは魅力だけど……。でもアタシは、ソーサラーじゃなくて、まだはっきりしてるとは言えないけど、やりたいことがあるの。それに、いまはアタシ、ここにいたいから」
 そう言って僕の顔を見て微笑む夏姫。
 夏姫の意図を理解して笑みが零れた僕は、彼女に頷きを返していた。
「そうね。夏姫さんのソーサラーの能力は、セミコントロールとしては日本最強かも知れないわね」
 アイスコーヒーのグラスを片手に近づいてきたのは平泉夫人。
「やっぱりあの春歌さんの娘さんだからかしらね。春歌さんも恐ろしく強いソーサラーだったけれど」
「そうだったんですか?」
「えぇ。ヴァルキリークリエイションのオリジナルヴァルキリーは、春歌さんのソーサラーとしての強さを、完全に発揮できるようにすることをコンセプトに開発されていたくらいよ。技術的にも凄い人だったけれど、あの時点での彼女は、日本最強のソーサラーだったはずよ。私も何度挑んで負けたことか」
「知らなかった……。いろいろヒルデの使い方は教えてもらったけど、ママとバトルはしたことなかったから……」
 呆然としてる夏姫に、夫人は優しく笑む。
 そんなやりとりを聞きながら、僕は遅ればせながら危機感を憶えていた。
 ――もし、夏姫と最初にやりあったときに、ヒルデが完調だったら……。
 終わったことだからいまさらなんだけど、僕とリーリエは夏姫に負けていたかも知れないことを思う。
 それと同時に、僕たちでは一勝すらももぎ取れない平泉夫人のことが怖い。
 もし夫人がエリキシルバトルに参加していたら、誰も勝つことができない最強のエリキシルソーサラーとなっていただろう。
 もう存在しない可能性に、僕は心底安心して、こっそりため息を漏らしていた。
「それで、だけど、少しアルバイトをしてみる気はないかしら? 夏姫さん」
「バイト? でもアタシは、いまは喫茶店でバイトしてて、そこでよくしてもらってますから……」
「無理のない範囲でいいわ。強いソーサラーと言うと、全員フルコントロールソーサラーなのよ。今後バトル以外のいろんな業界でセミコントロールの需要が伸びていくのはわかっているのに、優秀なソーサラーが不足してるの。空いてる週末でも教えてくれれば、そのときにでもセッティングできるから」
「えっと、そう言うことでしたら、大丈夫だと思います」
「お願いするわ」
 手を振って芳野さんの元へと歩いていく平泉夫人の背中を見て、僕は夏姫と笑い合った。


          *


 夕方からは夫人に用事があるということで、解散となったバトル大会。
 家に帰った僕は少し早めに夕食を取り終え、ソファに座って膨れた腹をさすっていた。
 テーブルが置かれたダイニングスペースの向こう、キッチンから聞こえてくる食器を洗う音の主は、夏姫。
 謙治さんが順調な回復を見せる一方で、慈悲もなくやってきたのは、学期末テスト。バタバタしていてまともな勉強をしていなかった僕たちは、大慌てで対策に取り組むことになった。
 僕は別に赤点を取るほどにはならないけど、夏姫と近藤は危険な状態だった。
 その上、たいして勉強しなくても大丈夫なはずの灯理もやってくるわ、夏姫から聞きつけた遠坂まで乱入してくるわで、テストが終わるまで放課後の僕の家は、いままで以上に騒がしい事になっていた。
 そんな頃から僕の家に以前よりも来るようになった夏姫は、夏休みに入ってからは毎日夕食と、日によっては昼食もつくってくれて、一緒に食べるようになっていた。
 ――同棲、まではいかないけど、なんかもうそれに近い状態になってるよなぁ。
 毎日家に帰ってて泊まってはいかないけど、ここのところの連絡は、家にいるかとか時間が空いてるかとかじゃなくて、夕食に何が食べたいかだったりする。
 なんかもうすっかりつき合ってる状態の僕と夏姫だけど、実はまだ、あのとき振られてから、夏姫が僕のことをどう想ってるのか聞いていなかった。
「はい、克樹」
「ありがとう」
 洗い物を終えた夏姫が、いつも使ってる保温マグカップに牛乳入りのコーヒーを持ってきてくれる。
 すっかり定位置になってる隣に座って、一緒にコーヒーを飲む僕たちは、視線を交わし、微笑み合う。
 こうして夏姫と一緒に過ごす時間が当たり前になって来つつあるのを、僕は感じていた。
『あーあ。ついにおにぃちゃんのこと取られちゃったかぁ』
 そんなときに割り込んで声を降らせてきたリーリエは、少し拗ねたような声音だった。
「ゴメンね、リーリエ」
『いいんだけどねっ。もう最初のころからそうなるだろうなぁー、って思ってたしー』
「そう、なんだ……」
 恥ずかしそうに頬を染めてる夏姫。
 僕でさえはっきり気持ちを伝えようと決心したのは今回の件があってからなのに、リーリエには見透かされていたらしい。
 僕の方も恥ずかしくなって、顔が熱くなるのを感じていた。
『それでも、おにぃちゃんはあたしのおにぃちゃんなんだからね! あたしが一番大好きで、一番大切なおにぃちゃんだよっ』
「うん。僕も、リーリエのことが大好きだよ」
『うんっ! 夏姫だって、ちゃんとしてないと、そのうちあたしがおにぃちゃんの心を取り返しちゃうんだからねっ』
「望むところだよ、リーリエ」
 そんなやりとりを聞いていて、僕は改めて自分の側にいるのが夏姫でよかったと思う。
 リーリエは誰とでも仲良くなれた百合乃と違って、人見知りが激しいところがある。
 以前夏姫に説明したときみたいに、適当な言い訳は考えてるわけで、リーリエの存在は積極的に隠してるわけじゃない。でも馴染みのない人が来ると、リーリエは途端に喋らなくなる。
 ある程度馴染めばそうでもなくなるけど、どうしても一線を引いてる感じがあって、灯理にはあんまり深いところまで話をしようとはしてないようだし、回数的にはもうけっこうになる遠坂がいるときにはひと言も喋ったことがない。
 それが夏姫とだと、僕に接してるのに近い距離感を感じる。
 リーリエのためにも、夏姫の存在はプラスになると思えた。
「そう思えば、ちょっと訊きたかったんだけどさ」
「何?」
 リーリエと割と不穏なことを話してた夏姫が、突然僕に向き直って訊いてくる。
「克樹、アタシのことを好きだ、って言ってくれたじゃない?」
「う、うん」
「それって、いつからだったの?」
「そっ、それは、その……」
「それは?」
 僕の太股に手を着いて、顔を近づけてくる夏姫。
 僕のことをいじめて楽しんでいるようでいて、でも顔がうっすら赤くなってる彼女は、やっぱり可愛いと思う。
「けっこう、前からだよっ」
「前からって、いつ?」
「それは、えぇっと……」
 夏姫から目を逸らして、僕は返事を回避しようとする。
 それでも夏姫は諦める気がないらしい。
「アタシはね、ヒルデの修理のことを手伝ってくれたときから、ちょっと気になってたかな。リーリエの話を聞いたときとかも、最初の印象と違うな、って思った。それから、近藤を追いかけるとき、すぐに駆けつけるって言ってくれて、克樹はこういう人なんだ、って感じたんだ」
 逸らしていた目を戻すと、夏姫は嬉しそうに、少し恥ずかしそうに、笑っていた。
「克樹は、いつからなの?」
「うっ……。僕は、その、けっこう前からだよ」
「前からって、いつ? もしかして、アタシを最初に押し倒したときとか?!」
「違うっ、違う。それよりも前だよっ!」
「それより前って、アタシが克樹にバトルを申し込んだ辺りとか? その前だと、同じ学校なんだからすれ違ってたりはしてたけど、克樹の視線って感じたことなかったと思うけど」
「えぇっと、その……」
 僕の姿が映る瞳でじっと瞳を見つめてくる夏姫に、言い逃れることができないことを悟る。
「一番最初、夏姫のことを知ったときだよっ」
「一番最初って、高校に入学する前? アタシは克樹のこと知らなかったし、会う機会なかったはずだけど」
「……ヒルデのフェイスは、僕がつくったって前に説明しただろ。あのとき、春歌さんに写真とか、動画とかもらって、そのとき……、夏姫のことが可愛いって思ったんだよっ!」
 もうやけくそになって、最後は一気に吐き出してしまった。
 夏姫に似たフェイスパーツをつくってくれと依頼されて、写真とかを送ってもらったとき、まだ中学生の夏姫のことが可愛いと思った。可愛い顔で笑う女の子なんだな、って思った。
 同じ高校に通ってるなんて気づかなくて、それを知ったのはエリキシルバトルを申し込まれたときだったけど、そのときには僕は彼女のことを本格的に意識し始めていた。
 今回の件がなければ、たぶん僕はずっと夏姫への気持ちを隠し続けていたと思うけど、最初に彼女の顔を知ったときから、僕は女の子として意識していた。
「そうだったんだ……。じゃあ、アタシと克樹は、ママが繋いでくれた縁だったんだね」
「そうかも知れないな」
 言う気がなかったことを言ってしまった僕は、少し疲れてソファに身体を預けた。
「それからさ、克樹の告白に、アタシって返事してなかったよね」
「思えばそうだったな」
 そんなことはもちろん憶えていたけど、僕の方から夏姫に訊くことなんてできなかった。
 拒絶されて、離れると言われて、事件は解決したけど、改めてそれを問う勇気なんて、僕にはなかった。
「ね? 克樹?」
「ん? ん?!」
 呼ばれて夏姫に顔を向けた瞬間、僕の唇に柔らかいものが触れた。
 目の前にあるのは、微かに甘い香りを漂わせる夏姫の髪。
 何が起こったのかを理解したとき、夏姫は僕から離れていた。
「これがアタシの克樹への気持ち。あのとき約束した、キス」
 耳まで真っ赤にしながら、夏姫は可愛らしく笑む。
 驚きと、抱き締めてしまいたくなる愛おしさと、ためらいとで、僕はどうしていいのかわからなくなってしまっていた。
「ね、改めて聞かせて。克樹は、アタシのことどう想ってるの?」
「僕は、その、夏姫のことが、好き、だよ」
「うん。アタシも、克樹のことが好きだよ」
 さっきの比じゃないほどに、顔が熱くなってるのを感じる。耳の先っぽまで熱くなってる僕は、同じように顔を真っ赤にしてる夏姫と見つめ合う。
「克樹はさ、アタシに、何がしたい?」
 僕を見つめてくる夏姫が何を求めてるのかは、わかる。
 リップでも塗ってるのか、艶めかしく光る夏姫の唇が、眩しく見えた。
 唾を飲み込んで、僕は覚悟を決めた。
 夏姫の肩に手を回し、目をつむった夏姫の顔に、自分の顔を近づける。
『うぅーんとさ、あたしも、見てるんだけど、ね? さすがに見えちゃうと恥ずかしいよーっ。するならプライベートモードにしてよーっ』
 そんなリーリエの訴えに、僕と夏姫は慌てて身体を離した。
 すっかり忘れてたけど、もうしてしまった最初のキスは、リーリエに見られていた。
 それを思うと、嬉しさとか、夏姫への愛おしさとかは吹き飛んで、恥ずかしさばかりが残る。
 夏姫の方を見ると、彼女も同じみたいで、視線を彷徨わせながらももじもじと身体を動かしていた。
 でも、目が合うと笑ってくれた。
 僕も彼女に笑みを返す。
 その後は、迷う必要なんてなかった。
「リーリエ、プライベートモード」
 指示を出した僕は、夏姫の手を取って自分の元に引き寄せる。
 腰に腕を回して、目をつむった彼女の唇に、自分の唇を近づけていった。


             「極炎(クリムゾン)の怒り」 了
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