神水戦姫の妖精譚

小峰史乃

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第三部 第一章 チェイントラブル

第三部 極炎(クリムゾン)の怒り 第一章 3

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       * 3 *


「お前の注文もここんところずいぶん特殊だが、またずいぶんと特殊な客を連れてきたもんだな」
 呆れたような視線を僕に向けてきたのは、PCWの親父。
 いつもと変わらぬ雑多な店内で、最新パーツのカタログを見ていた僕はカウンター越しに親父のさらに向こう、バックヤードの方に目を向ける。
 そこでは作業台の上でフレイとフレイヤを立たせ、灯理がデュオソーサリーによって新しく組みつけたパーツの調子をみるために、二体同時に軽い運動をさせていた。
「まさかデュオソーサラーが本当にいるとはな。噂には聞いていたが、実物を見るのは初めてだよ。いったいどうやったらあんな子と知り合いになれるんだ?」
「まぁちょっと、いろいろあってね」
 本当は百合乃もデュオソーサラーではあったんだけど、いまそれを知ってるのはたぶん僕と平泉夫人、それから夫人に仕えているメイドの芳野さんだけだろう。別にいまさら必要な情報であるとは思えないから、僕がわざわざそのことを話すことはない。
 噂だけならピクシーバトルが認知されるようになった第四世代初期から知られているし、スフィアドールを扱ったアニメ作品なんかでサブキャラの能力として紹介され有名なデュオソーサラーだけど、現実に存在していることは確認されてない。
 現状、もしかしたら唯一のデュオソーサラーかも知れない灯理は、確かに特殊な客だろう。
「あんまり他の人には話さないでよ」
「わかってるって。こう見えても口は硬いからな」
 親父からは意外と他の客の話を聞くことが多い気がするから不安ではあるが、本当に話しちゃいけないことを間違える人ではないだろう、と思う。
 パーツがほしいだけならネット通販でも充分な気がするけど、僕は灯理をPCWに連れてきた。
 以前の戦いの後、とりあえず僕が壊したメインフレームの交換品のためと、それから今回は強化をするためのパーツを取りに来ている。
 灯理本人がピクシーバトルで名を広める気はないようだから、知られるとたぶんニュースレベルの騒ぎの彼女をここに連れてくるのもどうかと思う。でも暗器を仕込む構造のアーマーとか、普通に売ってるものを加工した武器なんかのことを考えると、ここに連れてきて直接親父に相談してもらう方が話が早そうだった。
「しかしあの二体は本当に実用になるのか? あれだけ武器を隠してるが、公式戦じゃあレギュレーション違反だろ? それにピクシーバトルじゃ役に立たなそうな武器も多いしな」
 黒ロリと言うらしい黒を基調にしたフレイと、白ロリの白を基調にした衣装をハードアーマーの上に纏う灯理のピクシードールは、僕のシンシアと負けず劣らず特殊だ。
 衣装だけ見ればバトルピクシーなんて思う人はまずいないし、衣装の各部に隠された武器なんて、普通に考えればわざわざ隠す理由がない。それに短剣くらいまでのサイズならともかく、ナイフ以下のサイズの武器ではピクシーバトルではダメージを与えるには不十分だし、パンチ用マニピュレーターハンドか、ナックルで殴った方がよほど実用的だ。
 フレイヤの髪に隠してある極細のコントロールウィップなんて、もう何のために装備してるのかすら理解不能なものだろう。
 それらは皆、アライズして始めて実用になる武器なのだから、理解できなくても仕方ない。
「まぁ、あれは灯理の趣味だからね。突っ込んでもしょうがないよ」
「そうかも知れないがなぁ」
 組み手のような感じでフレイとフレイヤをゆっくりした動きで戦わせてる灯理の様子を、親父は首だけ振り向かせて眉を顰めながら眺めていた。
「ちなみにどっちが本命なんだ?」
「……何の話だよ」
 口の横に手を添えて潜めた声で言う親父の言葉に、僕は目を逸らした。
「わかってんだろ。夏姫ちゃんと灯理ちゃんのことだよ。やっぱりあれだけ手厚く世話してやった夏姫ちゃんが本命なのか? 灯理ちゃんはなんだか積極的みたいだし、いまはこっちが本命とか?」
「客のプライベートに踏み込んで来るなよ」
「そうかも知れないが、お前は身内みたいなもんだろ、克樹」
 店に来たときは親父とは世間話はよくするが、こんなことを突っ込まれる日が来るとは思ってもみなかった。
 興味津々らしく口元を歪ませてニヤけてる親父に、僕はため息を吐くほかない。
「別にどうだっていいだろ」
「そうなんだがな。しかし、あんまり曖昧にしてると、そのうちふたりともから嫌われるぞ」
「それこそ何言ってんだよ。僕はふたりをこの店に紹介しただけだよ。ピクシーバトルやるなら、ここが日本じゃ相談するには一番だと思ってるし、パーツの都合もつきやすいからね。それに結婚もしたことなさそうな人にそんなアドバイスされたくないって」
「うちを高く買ってくれるのはいいんだがな、若い頃はこれでもモテたんだぞ。結婚だってしてるしな」
「嘘っ?!」
 店に来るようになって以来、女性の影なんて見たこともなかった親父に奥さんがいるなんてあんまり信じられなくて、僕は思わず声を上げてしまっていた。
「ほれ。仕事のときは邪魔だから指には着けてないがな」
 言って親父が首元から引っ張り出したチェーンに着けられていたのは、シンプルな銀色の指輪。たぶん結婚指輪だ。
 むさ苦しい店の主の姿しか見たことがない親父が、結婚してるなんて想像もできない。
「うわっ、ちょっと会ってみたいかも……」
「会うのは、無理だな。もう十年も前に、な」
「……そっか」
 口元に笑みは浮かべてはいるが、親父の目にはどこか寂しそうな色が浮かんでいた。僕はなんて声をかけていいのかわからず、少し顔をうつむかせていた。
 ――もし親父がスフィアカップに参加して特別なスフィアを手に入れてたら、奥さんの復活を願っていたのかな。
 そんなことを考えてしまう。
 さっきの言葉の通りなら、十年くらい前に亡くなったと思われる奥さん。でも親父は「結婚してる」と言った。
 たぶんまだ親父はいまも奥さんのことだけが好きなんだろう。
 ――いやでも、参加するとは限らないか。
 平泉夫人の例もある。
 一度死んだ人間が復活するというのは、夫人も言ってたけど、いろんな影響が出る。普通にはあり得ないことなんだから。
 でもエリクサーにはそれが可能になる力がある。モルガーナが嘘を言っていないならば、だけど。
「そんなことより、話は戻るが、灯理ちゃんとはどうやって出会ったんだ?」
「なんでそんなことが気になるんだよ」
 顔を上げて見てみた親父の顔は、真剣な表情をしていた。
「夏姫ちゃんや近藤の奴が連れてきたときにも思ったし、ここのところの注文のときもいつも思ってるが、お前はいったい何をやってるんだろうな、と思ってな」
「知ってると思うけど、ヒューマニティパートナーテックでバイトみたいなことやってるから、それ関係のことだよ」
「本当に、そうなのか?」
 真っ直ぐに見つめてくる親父の視線を、僕は逸らすことができない。
 僕に対する疑いの色、心配をしているような色、そして強く疑問を感じているような色が、その瞳には浮かんでいた。
 ――でも親父に話すわけにはいかないよな。
 ショージさんにも話せていないエリキシルバトルのことを、間接的には関係してるとは言え、親父に話すわけにはいかない。さすがにモルガーナもこんな小さな店の店主まで調べてどうこうするなんてことはないだろうけど、何が起こるかわかったもんじゃない。
 期せる部分の万全は、期しておいた方がいい。
「なぁ、噂なんだが、こんな話を知ってるか?」
「何?」
 考え込んでしまっていた僕に声をかけてきた親父。
「噂なんで場所も正確じゃないんだが、夜の夜中に、エルフドールを使ってバトルしてた奴らがいるって話だ」
「エルフドールを使って? エルフじゃバトルできるほどの運動性はないんだから、アニメのネタが実際にあったみたいに言われてるか、誰かの願望を真実みたいに流してるだけなんじゃないの?」
 適当に返事をしてみるが、たぶんそれはエリキシルバトルのことだ。
 フェアリーリングを張れば外からは見えなくなるが、絶対じゃないし、張らずに戦うことだってある。もしかしたらどこかの誰かが見られて噂になってるのかも知れない。
「まぁ、確かに普通のエルフじゃバトルなんてできないし、もしそんなんで壊れでもしたら飛んでもない損害になるが、噂によるとソーサラーがいて、エルフサイズのドールを使ってピクシーバトルみたいなのをしてたってことらしい。バトルもかなり激しいものだったらしくてな、本物の剣で戦ってるみたいに、腕が斬り飛ばされたりしてたって話だ」
「……へぇ。でもただの噂なんだろ?」
「あぁ、ただの噂だ。しかし、一回だけじゃない。今年に入った辺りから、そんな噂を三度も耳にしてる。それぞれバトルの内容も違うみたいだしな」
「そうなんだ」
 ――やっぱり、僕たちの他にも戦ってる奴がいるってことか。
 たぶん目撃されたのは僕たちじゃないと思うけど、動揺してるのを親父に悟られないようにできるだけ普通に返事をする。
 聞いた限りの内容からすれば、確実にエリキシルバトルが目撃されて流れた噂だ。ネットでは見たことがない噂だったから、たぶん親父と繋がりのある人の間で出てきたものなんだろうと思う。
 どこまで親父がエリキシルバトルのことを把握してるかはわからないけど、やっぱり僕から話をするのはためらわれた。
「もう一度訊くが、お前はいったい何をやってるんだ?」
「何なんだよ。こだわるな。別に話すようなことじゃない。関係ないだろ」
「……そうか」
 何と返事していいのかわからず、心の中で焦った僕は、いつもより素っ気ない返事をしてしまっていた。
 そんな僕を見て、親父は少し悲しげに目を細めていた。


          *


「本当、克樹は何を考えてるんだか……」
 尖らせた口から克樹への文句を漏らしつつ、夏姫はバイト先に向かって、交通量の多い片側二車線の国道沿いの歩道を歩いていた。
 国道から道を一本入り、たどり着いたのは木をふんだんに使った少し古風な感じの喫茶店。
 午後のティータイムを楽しんでいる人が何人かいるのを見ながら、夏姫は建物と建物の間にある裏手の勝手口へと向かった。
「さぁ、今日も頑張ろう、っと」
 克樹へのわだかまりを断ち切るように呟き、勝手口に手をかけようとしたそのとき。
「お前が浜咲夏姫だな?」
「ん?」
 そんな声をかけてきたのは、勝手口のある細道の出口を塞ぐように立っていた男子。
 克樹も髪が立っていたりするが、彼の場合は整えていないというだけだ。目の前の彼の逆立った髪は、しっかりとセットしているようだった。
 背は克樹よりも少し高い程度。肩幅や袖を折り曲げて縮めたジャケットから見える腕などを見る限り、近藤ほどではないががっしりとした身体つきをしている。
 克樹のような根暗っぽかったりオタクっぽい雰囲気とも、近藤のようなスポーツ少年のような感じでもなく、野性味を感じる引き締まった顔立ちは、雑誌に出てくるモデルのような格好良さがあったが、夏姫の好みではなかった。
 おそらく自分と同じか、少し年上かも知れないと思える男子に、夏姫は見覚えがない。
「誰?」
「俺様は槙島猛臣(まきしまたけおみ)」
 そこで言葉を切った猛臣は、唇をつり上げて八重歯を見せながら笑む。
 微かに引っかかるところはあったが、誰なのか思い出せなかった。
 少なくとも知り合いではない猛臣が、自分の名前を知り、声をかけてくる理由を夏姫は思いつけない。
「何の用?」
 正体不明の猛臣に眉根にシワを寄せながらそう訊いてみると、彼は驚いたように目を見開いた後、深くため息を吐いた。
「用がないならこれからバイトだから、また今度にしてほしいんだけど」
「……用ならあるさ」
 呆れたのか、落胆したのか、少しの間うつむいていた猛臣は、顔を上げ、夏姫に言った。
「お前がスフィアカップで受け取ったスフィアを、買い取りに来た」
「どういうこと?!」
 思わず後退った夏姫だったが、建物の間の小道は行き止まりになっている。逃げ道は店の中か、猛臣の向こうにしかない。
 人ふたりがすれ違える程度の道幅はあるが、両腕を広げている彼とすれ違うのは難しそうだった。
 逃がさないようにするためか、勝手口よりも奥に後退ってしまった夏姫に近づき、猛臣は凄みのある笑みを浮かべた。
 ――なんで?
 制服の上着のポケットに入っている携帯端末には、エリキシルバトルアプリを常に立ち上げていて、鞄の中にブリュンヒルデを入れてきているいまは、エリキシルスフィアが接近すれば音とバイブレーションで知らせてくれるはずだった。
 逆に猛臣の方も、夏姫を見つけ出そうとするならば、同じようにアプリのレーダーを見ていたはず。
 それなのにアプリの接近警告はなく、それでも猛臣は夏姫に接近してきていた。
 ――もしかして、エリキシルドールを持ってきていない?
 見た限り彼が持っているのはセカンドバックひとつで、ピクシードールが入るサイズではない。名前を知っていたことも考え合わせると、もしかしたら猛臣はドールを持たずに、何らかの方法で夏姫のことを事前に知った上で接近しているのかも知れないと思えた。
「買い取りってどういうことなの? あれは戦って集めるって――」
「やはりお前はエリキシルバトルに参加してたか」
「あ……」
 猛臣に指摘されて、夏姫がバトル参加者という確証なしに近づいてきていたことに気がついた。レーダーを頼りに近づいてきたわけではない彼に、自分から参加者であることを暴露してしまっていた。
 怒りを覚える夏姫に、嫌悪を感じる笑みを口元に貼りつかせながら猛臣は言う。
「参加者だと言うなら話が早い。俺様はエリキシルスフィアを買い取りに来たんだ」
「でも、スフィアは戦って集めるものだってエイナから言われてるでしょ。買い取るのでいいと思ってるの?」
「何、問題はないさ。これが俺様の戦い方だからな」
 スフィアを集めるのに戦う必要があることについては、疑問を感じていた。けれどそこには何か意味があるのだろうとも思っている。
 買い取るという方法が自分の戦い方だと言う猛臣の言葉を、信じることはできなかった。
「とりあえず百万でどうだ?」
「ひゃ、百万?!」
 思ってもみなかった金額に、夏姫は思わず声を上げてしまっていた。
 ――それだけあれば、食事とか、服とか、いろいろ……。って、違うっ。
 一瞬誘惑に駆られそうになった夏姫だったが、首を振って考えを頭の外に追いやる。
「売れるわけないでしょ。お金のためにバトルに参加したんじゃないんだから!」
「そうか? なら、三百万でならどうだ?」
「え……」
 言いながら猛臣は、小脇に抱えたセカンドバッグに手を入れ、中身を取り出した。
 帯で纏められた一万円札の束が三つ、彼の手の中にあった。
 何故そんな大金を持ち歩いているのかと思ったが、買い取るという言葉が嘘ではなく、本当であることを夏姫は悟っていた。
 ――三百万もあれば、アタシは……。
 決して楽ではない生活。
 父親からの少ない仕送りと、バイト代でやりくりをして、どうにか保ってはいられる。大学にも行きたいとは思っていたが、おそらく無理だろうと思っている。少なくとも一年はアルバイトをしてお金を貯めなければならないだろうと。
 けれど三百万あれば、大学に行くこともできるようになるだろう。四年間の学費には足りないかも知れないが、その分はアルバイトをしながらであればどうにかなると思えた。
 ――違うっ。そうじゃない! アタシの願いは、お金なんかで買えるものなんかじゃない!!
 揺らぎそうになる心に活を入れ、夏姫は猛臣を睨みつける。
「売るなんてこと、できない。アタシの願いはお金で買えるものじゃないんだから」
「母親の復活か? お前の願いは」
「そうだよ。お金でママを生き返らせられるなら、バトルに参加する必要ないから。でも無理だから、アタシは戦ってるの」
「ふんっ。そうかよ」
 顔に笑みを貼りつかせたまま、猛臣は札束を鞄の中に仕舞い込む。
「もし、アタシのエリキシルスフィアがほしいって言うなら、戦って奪えばいい」
「いまはドールを持ってきていないからな。今度来るときはそうさせてもらうよ。まぁでも、もし気が変わって売る気になったら、連絡してくれ」
 言って猛臣は鞄のサイドポケットから名刺を取り出し、夏姫の前に差し出してきた。
「いらない。売るなんてことあり得ないから」
「そう言うな。お前から戦いを仕掛けたいときも連絡してくればいい」
 猛臣は名刺を夏姫の鞄のポケットに無理矢理押し込んだ。
 即座に取り出して手の中で握りつぶす夏姫に、彼は鼻を鳴らして笑う。
「また会おう。どうせエリキシルバトルに参加してる限りは、いつか会うことになるんだからな」
「もう二度と会いたくないから!」
 背を向けた猛臣にそんな言葉を叩きつけて、夏姫は去って行く彼を見送った。
 名刺を捨ててしまおうかと思ったが、店の裏にゴミを捨てるわけにもいかず、諦めの息を吐きながらスカートのポケットに乱暴に突っ込む。
「克樹に連絡しておいた方がいいか……。って、もうこんな時間!」
 名刺の代わりに取り出した携帯端末に表示された時間を見て、夏姫は勝手口の扉を開けて建物の中に入る。
 入ってすぐのところにある更衣室の扉を開けて入り、ロッカーから制服として与えられている濃紺のエプロンドレスを取り出して着替え始める。
「克樹には家に帰ってから連絡するか……」
 すぐにでも連絡をしておきたかったが、アルバイトの出勤開始時間が迫っていた。
 仕事時間中は携帯電話の仕様は一応にしろ禁止されていたし、まだ早い時間だったが、もうしばらくしたら夕食時間となり、悪く言えば古びた感じの、良く言えば落ち着いた雰囲気の店は、思いの外に多い常連客でごった返すことになる。
 仕事が終わってからしか、克樹に連絡するのは難しかった。
 上着をハンガーに掛け、ファスナーを下ろしたスカートを脚から外しブラウスも脱いで水色の下着姿となる。出しておいたワンピースを頭から被り、背中のファスナーを上げて、真っ白なエプロンを身につけた。
「――本当にあいつ、何者なんだろ」
 エリキシルソーサラーだろう槙島猛臣。
 どこかで聞いたことがあるような名前であったが、夏姫は思い出すことができなかった。



 メイドのような格好で愛想良く接客している夏姫を、猛臣は煤けたガラス越しに少し離れた場所から眺めていた。
 距離が離れているため、店の外にいる猛臣には詳しい様子はわからなかったが、客と軽いやりとりをしては他のテーブルに呼ばれていく夏姫は、どうやら人気者らしいことはわかった。
 笑うと細かく震え、動き回るときには大きく揺れるポニーテールが、夏姫の元気の良さを象徴しているかのように動いている。
 国道と歩道を隔てるガードレールに腰を預けて何気ない振りをして、猛臣はそんな彼女の様子を注視していた。
 ――まぁ、あいつのことはまた今度でいい。
 通行人に一瞬視界を遮られて我に返った猛臣は、上着の内ポケットから携帯端末を取り出す。
「次はドールを持って行くか……。こいつはほぼ確実だしな」
 携帯端末に表示されているのは、名前や現住所、本人の特徴や家族構成といった身上調査に関する報告書。さらにわかっている限りのピクシーバトルに関するデータだった。
 かなりの量になっているデータをスクロールさせて眺めていく猛臣は、一番下に貼りつけられている写真を見る。
 短い髪を角刈りのようにしている少年の顔写真が、そこにはあった。
「いや、先にあっちがいいか? あっちこそ、持っていくしかないだろうな。さて、どちらにするか」
 そう呟いた猛臣は、店内で忙しく動き回っている夏姫に一瞥をくれてから、駅の方に向かって歩き始めた。
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