神水戦姫の妖精譚

小峰史乃

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第一部 第四章 モルガーナ

第一部 天空色(スカイブルー)の想い 第四章 3

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       * 3 *

 会場は静かな熱気に包まれていた。
 埋め尽くされた四千人規模の、ライブ会場としてはけっこう大きいホールは、全席指定で立ち見の人はなく、曲の構成も激しいリズムのものは少ないため立っている人もいない。
 それでも一番外に近い通路を歩く僕は、何とも言えない圧力のようなものを感じていた。
 ステージではこの距離からじゃハッキリ見えないけど、エイナが操るエルフドールが立ち、その後ろの超大型モニターでは黒いステージ衣装を身に纏い、マイクを持たずにピンク色の飾り立てられた髪を揺らしながら、観客に笑顔を振りまく様子が映し出されていた。
『これから歌う曲は、わたしの大切な人の想いを綴ったものです。その人はある人への想いを抱き、けれど伝えることができず、……亡くなってしまいました。その人が残した想いと記憶は、わたしにとっても大切なものです』
 ――人工個性にとって大切な人って、いったいなんなんだ?
 注目を集めないように通路灯しか灯っていない中を足音を忍ばせて歩く僕は、耳に入ってくるエイナの言葉にそんなことを思う。
 人工個性であるエイナは開発、研究のために造られたものであって、好きな人への想いを語るような日常会話をするような相手がいるんだろうか。
 でもAHSの開発のためにリーリエのデータを解析してるショージさんから聞いたことがある。
 リーリエはネットで情報収集をしたり、データをまとめたりしてるときよりも、僕と話をしたりして人とやりとりしてるときの方が経験値は多く、擬似的な脳に流れる情報量も多いんだと言う。
 エイナもリーリエと同じタイプの人工個性なのだとしたら、経験を積むためにそうした日常会話を誰かとしているのかも知れない。
 またリーリエはその才能がないのか、やったことがないからわからないけど、曲をつくったり詩を書いたりすることはない。でもたまに指示をしてないのにも関わらず、幼稚なものだけど絵を描いたりしてることがあった。
 曲をつくったり詩を書いたりしてるのは本当は人間で、あの歌声の正体は誰だなんて話が絶えることのないエイナだけど、彼女の疑似空間に構築された脳は、確かに想いを持ち、それを歌に込めているのかも知れない。
 ――本当にエイナがモルガーナのつくった人工個性なら、だけど。
『わたしのオリジナルの新曲です。タイトルは「想いの彼方の貴方へ」。あの人が残した想いが、あの人の愛した人へ伝わることを祈りつつ、歌います。聴いてください』
 ――え?
 エイナと、目が合った気がした。
 ふと顔を向けたステージに立つエイナが、真っ直ぐに僕を見ている、気がした。
 そんなはずはない。
 たとえ暗視機能のあるエルフドールの目だったとしても、この距離で人を判別するのは簡単なことじゃない。
 あのとき僕の前に現れたのは確かにエイナの姿をしていたけど、エイナ本人とは限らない。通話用アバターとしてエイナの姿は販売されていたし、結局痕跡を見つけることはできなかったけど、通話ウィンドウから飛び出すなんてのは魔法を使わなくても、クラッキングでもスマートギアの中だけでなら可能だ。
 通話の相手が本当にエイナで、彼女が僕を知ってるなんてことはさすがに思ってない。
 落ち着いた感じのメロディが流れ始め、エイナがその透き通るような、そして伸びやかな声で歌い始める。
 伝えたいけれど言えなくて、伝わっていないけれどその距離が愛おしく感じている女性の歌。いつかは伝わってほしいと、伝えたいと願いながら、けれどもそのときどんな答えが返ってくるのか、関係がどうなってしまうのかが怖くて日々を過ごしている少し切ない歌詞に、観客からはため息が聞こえてくるような気がした。
 胸に染み込んでくる歌声に聞き惚れてしまいそうになりながらも、僕はステージ近くにある左右のスタッフ用出入り口に目を向ける。
 両方とも警備のスタッフが立っていたけど、右手の扉に立つスタッフはエイナの歌に聴き入ってしまっているように見えた。
 ――よし。
 会場のほとんどすべての人がステージに釘付けになる中を、僕は素早くその出入り口に向かう。気づかれないように扉を開けて、身体を滑り込ませた。
 扉一枚隔てただけなのに、エイナの歌声はほとんど聞こえなくなった。
 ちょっと惜しい気はしたけど、ステージの静かな熱気とは違う、騒がしさを感じる舞台裏に続く通路に立って、追ってくる人がいないのを確認してから移動を開始した。
 ――さて、どこに行ったらいいのか。
 無事侵入はできたけど、魔女のいる場所がわかってるわけでも、当てがあるわけでもない。
 ADの人が羽織っていそうな上着を着てきたからか、それとも何かトラブルでもあったのか、スーツだったりラフな格好だったりと統一感のない人々が雑多に置かれた機材や移動式の棚を避けて小走りに行き交う中を歩いても、僕を見とがめる人はいなかった。
 とりあえず矢印で示された控え室の方に来てみたけれど、芸能人の公演とは違うからか、磨りガラス越しに灯りが点いてたり点いていなかったりするのが見えるいくつもの扉には、誰用の部屋かの表示はなかった。
 手当たり次第に探すしかないか?
 そんなことを考えていたとき、さすがにスマートギアを被るわけにはいかずイヤホンマイクだけの僕の耳に、リーリエの声が響いた。
『なんかレーダーにヘンな反応があるよ』
「ヘンな反応?」
『うん。この前のエリキシルスフィアのときと違って、よくわかんない』
「距離は?」
『直線距離で四メートルくらい』
 部屋の中であることを考慮して、僕は灯りの点いてるひとつの部屋の前に立った。
 ――間違いだったりしないでくれよ。
 微かに人の気配がするような気がする部屋の扉に手をかけて、祈りながらも僕は開いた。
「誰ですか? 貴方は。この部屋には誰も入らないよう言っておいたはずです」
 部屋にふたりいた女性のうちひとりが、持ち込んだものだろう三面のモニターから顔を上げて鋭い言葉を投げかけてくる。
 小柄で眼鏡をかけ、地味なスーツを着たショートカットの女性は、僕に言葉以上の鋭い視線を向けてきていた。
「ここは社内の機密に関わる情報があります。例え会場スタッフと言えどここに入ることは許されません」
 言って僕を外に出そうと近づいてきた女性に声をかけたのは、もうひとりの女性だった。
「ごめんなさい。その子は私の客よ。言いそびれていたわね。席を外してもらえるかしら?」
 部屋の照明の光を吸収しているような漆黒の髪を揺らして顔を上げたその女性。
 穴が空いているような黒い瞳の周囲の白目は、それ自体が光を放っているかのごとく白く、笑みの形につり上げられた唇は、鮮やかな紅色をしていた。
 ――モルガーナ!
 叫び出したくなる気持ちをぐっと抑え込み、歯を食いしばる。
 ズボンのポケットの中にあるナイフに伸びそうになる手を、必死に抑える。
 SR社かエイナプロダクションの社員らしい小柄な女性は、僕とモルガーナに不審そうな目を交互に向けながらも、それ以上何も言わずに退室していった。
 改めて僕のことを見たモルガーナは、クツクツと喉の奥で笑い声を上げた後、言った。
「二年ぶりかしら? 音山克樹君。お元気そうでなにより」
「貴女こそ。魔女は相変わらずご健勝のようで」
 僕の皮肉を込めた挨拶を気にした風もなく、モルガーナはさらに笑みを深くする。
「さて、前置きはなしにしましょう。これでも私は忙しいのよ。でも私を見つけ出し、ここまでたどり着いた貴方には、ご褒美をあげないといけないわね。私に訊きたいことがあるのでしょう? 克樹君」
 椅子から立ち上がったモルガーナは、両手を広げながら笑みを浮かべる。
 その吐き気をもよおすような顔に思わず目を逸らしそうになるけど、僕はいまその人を欺く瞳と、真実を語らない言葉から逃げるわけにはいかない。
「さぁ、何でも訊いてみるといいわ」
「だったら――」
「でも、質問はひとつだけよ。そして私の口は、貴方の訊きたいことそのものを語るものではないわ」
「くっ」
 僕の言葉を遮るように続けられたモルガーナの声に、僕はうめき声を漏らしていた。
「ふふっ。貴方が質問する前に教えておいてあげるわ。エイナを造ったのは私よ。そして貴方の前に現れたのは、本物のエイナ。さらに私が造ったのはエイナだけではない。エリキシルスフィアを含む、すべてのスフィアコアは、私が提供しているのよ」
 サービスとでも言うつもりだろうか。でも余裕の笑みを浮かべているモルガーナの気まぐれのおかげで、訊きたいことの半分ほどは知ることができた。
「さぁ、克樹君。何が訊きたいのかしら?」
 残っている質問で、どうしても訊きたいことはふたつ。
 ひとつは通り魔の件について。
 たぶん僕は、犯人を特定できたと思う。
 でも確信はない。
 夫人の家を出た後、残っている要素を調べていてそうだろうと思う人物はわかったが、ひとつだけ要素が欠けていた。
 それからもうひとつは、モルガーナの目的。
 魔女と呼ばれる彼女は、僕が最初に出会った二年前と、それからショージさんと付き合いのあった十数年前と、話を突き合せてみた限り外見が全く変わった様子がない。
 若く見えるだけだという可能性もあったけど、彼女が魔女と呼ばれる由縁は、その外見もひとつの要素なのだと思う。
 外見が変わらない理由は、過去に彼女は一度、エリクサーを得ているんじゃないかと僕は考えていた。
 エリクサーを得てなおエリキシルバトルなんかを主催する真の理由を、僕は訊かなければならなかった。
「さぁ、どうするの?」
 喉の奥に笑い声を含ませながら、モルガーナは僕を見下ろしてくる。
「僕が……、僕が訊きたいのは――」
 迷い、口にすべき言葉を喉のところで選んでいるとき、胸元で振動を感じた。
 わずかに頷いたモルガーナに、僕は胸ポケットに入れておいた携帯端末を取り出し、音声着信の相手を確認する。
 表示されていた名前は、夏姫。
 嫌な予感がした。
 何かすごく嫌な予感が。
 モルガーナに視線を飛ばすと、彼女は何かを知っているかのように、凄みのある笑みを浮かべて大きく頷いた。
 壁の方を向いて、僕は応答ボタンをタッチした。
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