アプリコット家の末裔

夢邑とむ

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プロローグ

0-1「手紙」

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 ふいに書斎の扉がノックされ、僕は読んでいた書物から顔を上げた。室内に足を踏み入れたのは、妹のローサだ。彼女は封筒を差し出しながら、「お兄さま、これ……」

「なんだ、手紙だったら使用人に持ってこさせればよかったのに」

「だって……」

「まあ、いいさ」

 僕は妹から封筒を受け取り、裏側をたしかめた。

 薔薇を形どった赤い蝋。
 隅には懐かしい名前が記されている。


「ネロ=ローゼンブルク、か……」

 僕の親友だ。




「ねえ、読んでくださらない?」

 妹は昔から敏感な性質で、悪い予感は大概あたる。
 今回も何かを感じたのだろう。
 実はこっそり目を通したい気持ちもあったが、こういう時の彼女は、手紙を読むまで頑として動かない。心配してくれているのは有難いが、ときに困ったものだ。

 僕は小さくため息を吐き、ペーパーナイフで封筒をあけた。



・*・*・*・*・*・*・


親愛なるジュリアン



 君がこの手紙を読んでいる頃、私はもうこの世にいないだろう。

 今回、私が筆をとったのは、私の知人であるベルベット=アプリコットの城館へと足を運んでほしかったからだ。噂によれば、彼は自室に引きこもったきり、食事も拒んでいるという。私はそんな彼のことが心配でならない。

 もちろん、出来ることなら自ら彼の元を訪ねていきたい。しかし、数年前から私の身体も病に蝕まれ、ベッドから出ることさえ出来ない状態。
 医師によれば、もうその時期も近いようだ。

 だから私は君に手紙を書くことにした。


 どうか、ベルベット=アプリコットに会って話をするなり、お茶をするなりして、私の代わりに彼の心の支えとなってほしい。アプリコット家最後の当主を助けられるのは、君だけだ。けっして悪い人間ではないよ。彼の人柄はまわりの使用人たちがよく知っているから、尋ねてみるといい。

 これが私の最期の頼みだ。



 君の健闘を祈って。



ネロ=ローゼンブルク

・*・*・*・*・*・*・





 手紙を読み終えたとたん、妹はため息まじりに「……やっぱり」

「何がだい?」

「アプリコット家といえば、昔は有名な貴族でいらっしゃったから、私も存じ上げておりますわ。けれど、ずいぶん前に新聞に載ったじゃありませんか……"アプリコット家の城館が全焼"って。もう存在しないではありませんこと?」

「ああ、たしかに……」

 僕は腕を組みながら、過去の新聞を思い起こした。記事によれば数年前、アプリコット家の城館は全焼しており、跡形もなく、現在は廃墟のはずだ。火元は当主・ベルベット=アプリコットの寝室--彼の遺体からは毒物の反応があり、何者かに毒殺されたあと、火を放たれた--そのように書いてあった。

 つまり、親友の手紙の内容は真っ赤な嘘--あるいは、妄想としか言えないことになる。一般論で片付ければ、の話だ。


「もしかしたら……」

「お兄さま?」


 僕は同封されていた地図を机にひろげた。埃っぽかったが、地名が読めないほどではない。アプリコット家の城館がある位置はすぐにわかった。親友は丁寧にも、僕の邸からの道のりまで記してくれていたのだ。

「まさか、行かれるの?」

「………………」

 僕は地図を折りたたんで上着のポケットにしまいながら、「他ならぬ親友の頼みだからね」

「ば、馬鹿げているわ。だって、アプリコット家の城館は存在しないのよ!」

「わからないよ」

 僕は単純に親友の言葉を信じたかったのかも知れない。


「もしかしたら、世間的に"存在しないことにされている"のかも知れないだろう? 実際に行ってみないとね」

「でも……ひとりで行くのは、あまりにも危険だわ。アプリコット家の城館のまわりは、それは深くて、昼間でも真っ暗な森に覆われているのよ」

「大丈夫さ。今日はさいわい嵐じゃないからね。なに、一時間あれば往復できる距離なんだ……すぐに帰って来れるよ」

「でも…………心配なのよ。なんだか悪い予感がして……私の予感ってけっこう当たるの、ご存知でしょ?」

「ああ、信じてるよ」

「だったら!」

「でも、たまには僕のことも信じてくれ……親友の最後の頼みなんだ。無視するわけにはいかないよ。ほら、帰りには、お前の好きな花を買ってきてあげるからさ」

「………………」

 妹は納得いかなそうに、それでも少しは安心したように小さくため息をもらしたあと、「……わかったわ、お兄さま。くれぐれもお気をつけて」

「ああ、行ってくるよ」


 こうして僕は、アプリコット家の城館へと向かうことになった。新聞では焼失したことになっていたけれど、かけがえのない親友が嘘をついているとも思えない。何より、今は亡き彼の最後の望みを叶えてあげたい--それが僕にできる唯一のことだ。

 妹や使用人らに見送られながら、僕はひとり、住み慣れた邸をあとにした。



 これが最後になるとも知らずに。





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