【完結】違い、埋まらなくとも。

佐藤朝槻

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過去編

僕がトモと名乗った日 後編

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「風邪薬は持ってますか? 水は?」
「持ってる。ミネラルウォーターもあるから大丈夫だ」
「そうですか」
「風邪が移ると大変だろ。戻ったら?」

 その言葉を聞いた僕は、どかと荒々しく椅子に座って腕を組んだ。

「先輩が寝てから出ていきます」
「他人がいると寝づらい」
「そう言って勉強する気でしょう?」
「この体調じゃ勉強したくてもできない」
「そこまで体調を無視して勉強してたんですか、へぇ?」
「勉強したくてもできないから休むという意味で言っただけで怒らせようと思ったわけじゃ……」
「どうせ明日乗りきれればいいからとコーヒーでも飲んで体調不良を誤魔化そうとしたんでしょう?」
「……」
「ほらやっぱり」

 試験前の風邪ひいた秀才ヒロインは無茶しがち。これオタクの常識。
 しかし現実は漫画みたいに嬉しいイベントはない。何せ先輩は男であり、僕が先輩の可愛いところなんか目の当たりにしたところで心躍らないのである。

 とりあえず観察力に長けた自分を自慢するかのごとくふんぞり返ってみると、先輩は靴を脱ぎながら吐露した。

「初対面が嘘みたいだ。それとも俺、騙されてる?」
「違いますよ! 漫画でそういうキャラいるんでわかるんです!」

 しまった。思わず食い気味に言ってしまった。早口と食い気味のオタクは嫌われる。これまたオタク界隈の常識である。

「そうか」

 焦った僕とは対照的に素っ気なく返された。
 後日、このときの先輩は頭が痛くて聞き流したと気づくまで、僕は複雑な気持ちになっていた。

 オタクと非オタクの温度差に注意しないといけないと重々理解していながら、それでも興味を持ってほしい。そんなジレンマが僕のコミュニケーションを邪魔する。
 深く考えてしまわないよう、その場では嫌われないだけよかったと思うことにした。「オタクはそういうものなんです」と返して強制的に会話を終了させた。

 先輩は風邪薬を飲んで横になった。僕はというと、先輩が気になって自分の部屋から教材を持ってきて静かに読んでいた。
 ……マーカー引きまくったせいで読みづらい。

 文句を飛ばしつつ、ときおり天井を見上げて首を左右に傾けるとゴリゴリと音が鳴った。その音を聞いた途端すべての集中力が切れる。

「受験が人生のすべてじゃないなんて、大人はすぐ嫌なこと言う」

 受験が人生の一部だとしても、大事だから応援するんでしょ? 願掛けがあるのも、そのためでしょ?

 無事合格して下宿生活を始めるか、別の大学を受けるか。
 それとも、浪人。
 いや駄目だ、そんな先が不透明すぎる未来は怖い。そんなこと考えてないで目の前の受験に集中しないと。

 去年の先輩は何を思って浪人を選択したのか、訊いてみたらよかったな。
 僕は手元の古典単語帳から、ベッドのほうへと視線を移す。

「……先輩?」

 彼の瞼の縫い目から涙がこぼれ落ちていた。
 うんざり、か。
 僕は詳しい事情をいっさい知らない。何があったのか。何を思っているのか。
 いつか知る日が来るのだろうか。でも、知ってどうするんだ?

「これだから完璧キャラは駄目だー」

 僕は空を仰いだ。
 絶対ドジっ子のほうが優しくて可愛くて守ってあげたくなるはずなのに、完璧キャラは幸せを逃してばかりいるっていうのに。負けヒロインだと確定するっていうのに。

 裏側を覗いた瞬間、虜にされてしまいそうになる。深淵に引きずり込まれる。
 と考えたところで舌打ちした。

「だから先輩はヒロインじゃない!」

 僕はこの部屋のカードキーを置いて退散した。携帯画面を見ると、明日の天気予報に雪マークがついていた。


 ○


 結局、いろいろなことを考えていたら三時間しか眠ることができなかった。それもこれも僕が急に変なことを考えたせいだ。自業自得なので自分に八つ当たりするほかなかった。

 コンビニで買っておいたパンを食べてホテルを出る。ロビーには先輩がいた。僕の姿が見えると、彼もチェックアウトを始める。

「おはようございます」
「ああ。……おはよう」
「体調はどうですか?」
「まぁまぁ」

 ぶっきらぼうに答えるその顔に近寄って覗く。マフラーとマスクに覆われ、相変わらずよく見えない。

「本当ですか?」
「何。疑うの?」
「疑うでしょ」

 しびれを切らした先輩は鬱陶しいとぼやき、僕を手で押しのけた。「人が心配してるのに!」といっても押しのける力は強かった。
 これが運動部と文化部の差!
 先輩は僕に背を向けると、マスクを取って呼吸を整えていた。

「正直言うと本調子じゃない」

 振り返った彼の目と目元は禍々しいと感じさせるほど黒かった。

「一次は終わってるんだし気楽に行けばどうです」
「そうだが、正念場でもあるからな」
「追い詰められてませんか」
「だなぁ」

 あっさり肯定されてしまい、僕は首を捻るも、彼は話を続ける。

「でも逆境のときほど燃えるよ。これ試験当日のモチベ維持のポイントな。……何?」
「あ、いや、先輩の雰囲気が昨日と違うなぁって」
「正直に話さないと顔近づけてくるだろ。俺のせいで風邪を引かれても困る」
「なるほど、すみません。もうしません」
「そうしてくれ。で、合格をもぎとれば結果オーライだろ」
「完璧キャラがフラグを立てるのは危険ですよ。負けます」
「負けない」
「おぉ、主人公みたいなセリフですね」

「それ……」と先輩は口を引き結んでしまった。
 僕は同じ言葉で疑問を投げた。「それ?」

「なんでもない。それより次会ったときは敬語使わないでくれよ」
「どうしてですか」
「大学で同学年になるんだから片方だけ敬語使うの変だろ」
「……」
「何?」
「え、いや、そうなんですけどそうじゃないというか」
「歯切れの悪い返事だな」

 先輩はそう言って、濁りに光が差したように目を細めた。

「合格しよう」

 と彼は僕に笑いかけ、軽く僕の肩を叩いた。
 
 昨日話したばかりの僕に対する馴れ馴れしさに気味悪さを覚えた。
 新入生、新しい環境で、先に仲良くなっておけば後々楽だと都合よく利用されてるとしか思えないんだけど。

 昨日の再会から、昨日の涙、先輩のキスまで思い返される。
 このまま受け入れるのは癪だ。
 人はこれを八つ当たりというかもしれない。ならば、僕は今から八つ当たり大賛成と高らかに宣言しよう。

「落ちたときは先輩のせいにしてもいいですか?」
「急になんだよ」
「別に。同学年扱いされたいなら先輩面するなってだけですよ。都合のいい友達がほしいならよそを当たってください。四年間も先輩の世話係なんてごめんです」
「へぇ?」

 僕が値踏みするように睨んでも、先輩は目を逸らさなかった。

「わかった。落ちたら俺のせいにしていい。俺としては先輩面をしたと受け取られたなら、それは誤解だと説明したいし、謝りたい。けど、このまま断りを入れずに謝るのは嫌だ。だからその話に乗るだけだ」
「どうして嫌なんです?」
「対等でいたいから」
「対等? 難しいと思いますが」
「そうかな?」

 年齢もそうだけど、そもそも住む世界が違う二人が対等に生きるなんて不可能だろう。
 そこまで深く考えないにしても、どうしてそんな重い言葉を選ぶのか。

「簡単じゃないですよ。文化系の僕ならともかく体育会系の先輩が言うなんて変な感じですね。縦社会、シビアじゃなかったんですか?」
「どうだったかな。忘れた」
「ええ……。じゃあ何を意図して対等がいいんです?」
「わからん」
「言ったのは先輩ですよ!?」
「そこまで考えてないんだよ。お前と仲良くしたいと思っただけ」

 呆れて言葉も出ない。
 僕は一歩、飛んでみた。つられてキャリーバッグがガラガラと音をならした。

 目の前には白い雪景色。
 振り返ると、高校で校内一有名だった先輩がいる。
 なぜか浪人してからめちゃくちゃ態度が変わった先輩。
 もしかしたら同学年になるかもしれない先輩。

 高校にいるときは惨めな気持ちになるから嫌いだった。けど今は呆れのほうが強い。

「とりあえず試験会場に向かいましょう。合格すれば僕が先輩を責めることも、先輩が謝罪に悩む必要もなくなります」
「あ、ああ……。それって俺が最初に言ったことでよかったよな?」
「そうとも言います」
「認めるんかい」
「変にフラグ立たなくていいじゃないですか」
「そうなのか?」
「そういうものです」

 僕は歩きだした。わずかに雪を踏む音がする。転倒しないようにゆっくり歩く。

「名前なんていうの?」
「……トモとでも呼んでください」
「トモ。トモね……。うん、覚えた」

 先輩は大事そうに繰り返していた。
 純粋な反応しているところ悪いけど、それ、本名じゃないです。あだ名です。

 だって、今、余裕ないんです。先輩ほど落ち着いていられないんです。受からなければ赤の他人に戻るし気にしていられないです。

 おそるおそる足の速度を早める。
 見慣れぬ土地。昨日覚えた目印は白に移り変わり、覆われ、記憶と合致しない。前方には人影一つなく、向かい風に熱を奪われる。
 このまま目的地にたどり着けずさまよってしまうだろうか。

 それでも雪を踏みしめ、蹴る音が、僕の歩みを止めさせない。
 背後から聞こえるそれだけが、孤独ではないことを教えてくれていた。



(了)
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