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5話 痛み
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結局、愛は市瀬との縁を切らなかった。
電話もメールもせず一ヶ月近くが経とうとしていた。市瀬も仕事が立て込んでいるのか、その間は連絡を送ってこなかったし、店にも現れなかった。その間、愛は悶々としていた。この気持ちを消すためにはどうしたら良いのか。市瀬との思い出を忘れればいいのではないか。だが、それが出来ないから困っているのだ。忘れようと思えば思う程、市瀬との記憶が蘇ってくる。市瀬に会いたい。でも会う勇気がない。
そんな毎日が続いたある日、愛はいつも通りバイトへ行ったのだが、運悪く風邪を引いてしまった。愛は熱が出てもあまり顔に出ないため、本人は気付かずに仕事をしていた。
すると、約一ヶ月ぶりに、市瀬が現れたのだ。市瀬は一目見るなり、愛の体調不良を見抜いた。
「……遠坂くん、体調悪いでしょ?」
「えっ? あ、あの」
「今日は帰ってゆっくり休んで」
「でも僕まだ働けますよ?」
「顔も赤いし、ぼーっとしてる。
うん、やっぱり熱があるね。
もう帰った方がいい」
市瀬の額に手をやるなり、有無を言わさぬ態度で、愛の背中を押した。
「愛くん体調悪かったのかい?
気づいてやれなくてごめんよ。
それなら今日はもう帰った方がいい」
店主が言った。店主も市瀬も優しさで言っているのは勿論わかるが、愛にとって大切なのは金だ。数時間分の給料ですら惜しい。だけど、このまま店にいてミスをしたり、誰かに病気を感染したりするのは良くないと愛もわかっていた。
「分かりました。
すみません、今日はもう上がります」
「俺が送っていくよ」
市瀬が言った。正直に言うと、愛は嬉しかった。久しぶりに市瀬に会えただけで嬉しいのに、心配して家まで送る気遣いを見せてもらって、愛の心は満たされていた。ただ、同時に申し訳ない気持ちもあった。
「え、でも」
「大丈夫だよ」
「そう、ですか」
「はい。
愛くん、お疲れ様」
店主が二人を見送る。
「ありがとうございました」
愛はぺこりと頭を下げた。こうして二人は店を後にする。
「遠坂くん、住所教えてくれる?」
「えっと、ここからだと電車で二駅くらいです」
「了解。
行こうか」
愛は家まで送るという市瀬の申し出を断ったが、半ば強引に連れていかれた。道中、電車の中でも市瀬は愛を気遣っていた。愛の住むアパートに着くと、愛の部屋の前で立ち止まる。
「ここです」
「そっか。
じゃあ俺は帰るね」
「はい。
わざわざありがとうございます」
「何かあったらいつでも連絡してね。
また明日」
「あれ?
愛じゃねぇか」
見れば、母親の彼氏である馬場がそこにいた。
────まずい。鉢合わせたくなかったのに。
市瀬は不思議そうに馬場を見つめる。
「お前この時間バイトだろ?」
「体調悪くて……」
「ふーん。
どうせ仮病だろ」
「……僕は本当に──」
「遠坂くん、こちらの方は?」
市瀬が聞いた。仮病と聞いて、明らかに市瀬も不快感を示している。
「あ、えっと……」
「あ?愛の彼氏か?」
「ち、違います!」
なんてことを言うんだと愛は顔を赤くした。
「お前仕事サボって俺らの家に男連れ込もうとしたのか!!」
馬場は激高した。愛は慌てて否定する。
「違うんです!
この人は僕のバイト先の常連さんで、具合が悪い僕を心配してここまで送ってくれただけなんです」
「そうなんですよ。
愛くん、体調が悪いみたいなので、早く休ませてあげてください」
市瀬は突然激高した馬場に驚きつつも、冷静に言った。
「お前のそういう気持ち悪いところ、誰に似たんだろうな?」
馬場は嫌味っぽく言いながら家の中に入っていった。愛はこんなことにはもう慣れている。殴られなかっただけマシだ。そんな愛の頭を市瀬は優しく撫でた。
「遠坂くんのご家族の方?」
「……母親の彼氏の馬場さんです。
こんな僕を育ててくれる父親代わりの人なんです。
言葉はきついけど優しい人なんですよ」
市瀬に痛々しい家庭環境を悟られたくなくて、馬場を良く見せる発言をした。
「そうなんだ」
市瀬は複雑そうな顔をしていた。すると、玄関のドアが勢いよく開いた。
「おい愛!!
いつまでそこにいるつもりだ。
さっさと出てこい」
「今行きます!
市瀬さん、ありがとうございました」
愛は頭を下げる。
「うん、お大事にしてね」
「はい」
愛は急いで家に上がった。すると、馬場が待ち構えていた。馬場は愛の腕を引っ張って、愛の部屋へ連れて行く。
「あの、市瀬さんは違うんです⋯」
「口答えをするな!!」
馬場は大声を上げ、愛を打った。熱でフラフラな愛はその場に座り込む。
「お前の生きている価値なんて、俺らに金を渡すことしかないだろ!!
なのに、仕事をサボって男に色目使うなんて何事だ!!」
「ちが、います……そんなこと……」
すると次は腹に向かって蹴りが飛んできた。愛は蹲って、痛みに耐える。
「あいつとセックスしようとしたんだろ!!
人の家で!!」
暫く暴力を振るわれた後、漸く馬場は満足したのか、部屋から出て行った。愛は体中にできた傷を押さえ、静かに泣いた。愛は馬場が悪いなんて少しも考えていなかった。誤解を生むようなことをした自分が悪い。
だから、こうして殴られるのだ。そう思い込んでいた。
電話もメールもせず一ヶ月近くが経とうとしていた。市瀬も仕事が立て込んでいるのか、その間は連絡を送ってこなかったし、店にも現れなかった。その間、愛は悶々としていた。この気持ちを消すためにはどうしたら良いのか。市瀬との思い出を忘れればいいのではないか。だが、それが出来ないから困っているのだ。忘れようと思えば思う程、市瀬との記憶が蘇ってくる。市瀬に会いたい。でも会う勇気がない。
そんな毎日が続いたある日、愛はいつも通りバイトへ行ったのだが、運悪く風邪を引いてしまった。愛は熱が出てもあまり顔に出ないため、本人は気付かずに仕事をしていた。
すると、約一ヶ月ぶりに、市瀬が現れたのだ。市瀬は一目見るなり、愛の体調不良を見抜いた。
「……遠坂くん、体調悪いでしょ?」
「えっ? あ、あの」
「今日は帰ってゆっくり休んで」
「でも僕まだ働けますよ?」
「顔も赤いし、ぼーっとしてる。
うん、やっぱり熱があるね。
もう帰った方がいい」
市瀬の額に手をやるなり、有無を言わさぬ態度で、愛の背中を押した。
「愛くん体調悪かったのかい?
気づいてやれなくてごめんよ。
それなら今日はもう帰った方がいい」
店主が言った。店主も市瀬も優しさで言っているのは勿論わかるが、愛にとって大切なのは金だ。数時間分の給料ですら惜しい。だけど、このまま店にいてミスをしたり、誰かに病気を感染したりするのは良くないと愛もわかっていた。
「分かりました。
すみません、今日はもう上がります」
「俺が送っていくよ」
市瀬が言った。正直に言うと、愛は嬉しかった。久しぶりに市瀬に会えただけで嬉しいのに、心配して家まで送る気遣いを見せてもらって、愛の心は満たされていた。ただ、同時に申し訳ない気持ちもあった。
「え、でも」
「大丈夫だよ」
「そう、ですか」
「はい。
愛くん、お疲れ様」
店主が二人を見送る。
「ありがとうございました」
愛はぺこりと頭を下げた。こうして二人は店を後にする。
「遠坂くん、住所教えてくれる?」
「えっと、ここからだと電車で二駅くらいです」
「了解。
行こうか」
愛は家まで送るという市瀬の申し出を断ったが、半ば強引に連れていかれた。道中、電車の中でも市瀬は愛を気遣っていた。愛の住むアパートに着くと、愛の部屋の前で立ち止まる。
「ここです」
「そっか。
じゃあ俺は帰るね」
「はい。
わざわざありがとうございます」
「何かあったらいつでも連絡してね。
また明日」
「あれ?
愛じゃねぇか」
見れば、母親の彼氏である馬場がそこにいた。
────まずい。鉢合わせたくなかったのに。
市瀬は不思議そうに馬場を見つめる。
「お前この時間バイトだろ?」
「体調悪くて……」
「ふーん。
どうせ仮病だろ」
「……僕は本当に──」
「遠坂くん、こちらの方は?」
市瀬が聞いた。仮病と聞いて、明らかに市瀬も不快感を示している。
「あ、えっと……」
「あ?愛の彼氏か?」
「ち、違います!」
なんてことを言うんだと愛は顔を赤くした。
「お前仕事サボって俺らの家に男連れ込もうとしたのか!!」
馬場は激高した。愛は慌てて否定する。
「違うんです!
この人は僕のバイト先の常連さんで、具合が悪い僕を心配してここまで送ってくれただけなんです」
「そうなんですよ。
愛くん、体調が悪いみたいなので、早く休ませてあげてください」
市瀬は突然激高した馬場に驚きつつも、冷静に言った。
「お前のそういう気持ち悪いところ、誰に似たんだろうな?」
馬場は嫌味っぽく言いながら家の中に入っていった。愛はこんなことにはもう慣れている。殴られなかっただけマシだ。そんな愛の頭を市瀬は優しく撫でた。
「遠坂くんのご家族の方?」
「……母親の彼氏の馬場さんです。
こんな僕を育ててくれる父親代わりの人なんです。
言葉はきついけど優しい人なんですよ」
市瀬に痛々しい家庭環境を悟られたくなくて、馬場を良く見せる発言をした。
「そうなんだ」
市瀬は複雑そうな顔をしていた。すると、玄関のドアが勢いよく開いた。
「おい愛!!
いつまでそこにいるつもりだ。
さっさと出てこい」
「今行きます!
市瀬さん、ありがとうございました」
愛は頭を下げる。
「うん、お大事にしてね」
「はい」
愛は急いで家に上がった。すると、馬場が待ち構えていた。馬場は愛の腕を引っ張って、愛の部屋へ連れて行く。
「あの、市瀬さんは違うんです⋯」
「口答えをするな!!」
馬場は大声を上げ、愛を打った。熱でフラフラな愛はその場に座り込む。
「お前の生きている価値なんて、俺らに金を渡すことしかないだろ!!
なのに、仕事をサボって男に色目使うなんて何事だ!!」
「ちが、います……そんなこと……」
すると次は腹に向かって蹴りが飛んできた。愛は蹲って、痛みに耐える。
「あいつとセックスしようとしたんだろ!!
人の家で!!」
暫く暴力を振るわれた後、漸く馬場は満足したのか、部屋から出て行った。愛は体中にできた傷を押さえ、静かに泣いた。愛は馬場が悪いなんて少しも考えていなかった。誤解を生むようなことをした自分が悪い。
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