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4 真夜中の散歩
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見慣れたボロアパートが見えてきた。少しだけ、足を止める。
ゆっくり深呼吸して、再び歩を進める。駐車場の前を通るが、優子さんの車は無かった。ほっとしたのも束の間、優子さんがいなくても客はいる可能性に気づき、わたしの顔色は悪くなる。
やけに細い階段を上り、とうとう落ち着けない我が家に辿り着く。扉を閉めようとしたその時、誰かに見られたような感覚がした。ドアから顔を出して外を覗く。暗い通路には特に人影はない。
(気のせい、か)
きっと緊張で敏感になりすぎているだけだと自分を納得させ、そっと鍵を閉めた。
玄関には優子さんの散乱した靴があるものの、見知らぬ靴は無かった。
居間のテーブルには「客を迎えに行く。絶対逃げるな」という置手紙があった。
風呂に入り、脱いだ制服をもう一度着る。実家を出る時、私服は全て優子さんが売ってしまったから、わたしが持っている服は制服だけだった。
窓を開けて、冷たい風を浴びながら静かな夜の街を眺める。ここから空に飛び立てたら、どんなに気持ちがいいだろう。
(でも、ここで終わらせたら、お母さん悲しむだろうな)
ぎゅっと、ベランダの柵を握る手に力を込めて――わたしは部屋に戻った。
その晩、不思議な夢を見た。小さな鬼に手を引かれながら、空を歩く夢だ。
真下には夜のとばりに包まれた街並みが広がる。電柱よりもずっと高い所にいるのに、恐怖はなかった。あまりにも非現実的な状況だからだろうか。
(わたしが空を飛びたいって思ったから、こんな夢を見たのかな)
しかも、どうやら自分の意志で動けるようだ。せっかくなので小鬼を観察する。
鬼さまと違って、手に乗りそうなサイズの鬼だ。肌が赤く、黄色い一本角を生やしたそれは、空中をちょこまかと歩いている。触れる手は人形のように小さく、赤子のようにふにふにだ。時折当たる爪がちょっとだけ痛い。
小鬼は何かを探すように、あちこちを歩き回る。
「あ、学校だ。真上から見るのって変な感じ」
屋上をじっと眺めた後、鬼さまがいるはずの山の上に視線を移した。
立ち止まっていたら、急かすように小鬼がぐいぐいと引っ張ってきた。
『ここじゃない。次に行く』
「? ごめん」
小鬼が頬を膨らませているので、わたしはとりあえず謝って、その後ろをついていった。
小鬼は眉を下げ、つぶらな瞳をきょろきょろさせて彷徨う。来た道を戻りだした辺りで、わたしは思わず声を掛けた。
「もしかして、迷っているの?」
『ま、迷ってないやい!』
何を言っているのかは分からないが、ただでさえ赤い顔を真っ赤にして騒ぐところを見るに、図星だったようだ。狼狽える様子がおかしくて笑みがこぼれる。
「いいよ、迷子でも。わたし、もっとこの時間が続けばいいと思うから」
このまま、夢からさめなければいい。
空中散歩を初めてから、どれほど時間が経っただろう。シャッターの閉じた商店街を通り過ぎ、空が白み始めた頃、突然小鬼は叫び出した。
『見つけた!』
「え、何。どう、した……の」
小鬼のはしゃぎように戸惑うわたしの意識は急に薄れて――次に覚醒したのは、耳慣れない目覚ましの音が聞こえた時だった。
「ん……うるさ」
声がいつもと違う。加えて頭もガンガンする。夜風に当たったから、風邪でもひいたのだろうか。
手探りで枕元に置いた目覚まし時計を取ろうとするも、いくら探してもない。よくよく音を聞くと、ベッドから少し離れたところで目覚ましが鳴っている。
寝ぼけ眼でベッドを降り、机の上にある携帯のアラームを止め、違和感に気づく。
いつも朝は店長から譲ってもらった目覚まし時計をかけている。そもそも携帯は持っていないのに、なぜ最新のスマホがあるのだろう。服も制服ではなく、着心地の良いスウェットになっている。くらくらする頭でも、次々とおかしな点が見えてくる。
ここは、どこなのか。
特に無駄な家具のない、小綺麗なワンルーム。ローテーブルの上には、倒れたビール缶が数本と、『映え間違いなし! 女子高生行きつけスポット特集』という見出しのついた、大量の付箋が張られた雑誌が置いてあるが、女性の部屋にしては飾り気が無さすぎる。
もしかして寝ている間に「客」の家に連れて行かれたのかと怯えたが、違った。良いのか悪いのか分からないけれど。
答えは部屋に置いてある姿見に映っていた。
呆然とした顔のその人は、髪が乱れて、髭も少し伸びていたけど、見覚えがあった。
そこにいたのは、わたしではなく、新山さんだった。
「どういうことおおおおおぉぉぉ⁉︎」
叫んだ勢いのままに頬をはたく。痛い。夢ではない。夢であってほしかった。
そしてはたいた手のごつさに涙目になる。完全に男の人の手だ。
もしかして、夜の空中散歩も夢ではなかった? あの小鬼が、わたしの魂を新山さんの体に入れた?
こんな非現実的なこと、普通の人間では対処しようもない。
そう、普通の人間なら。
ゆっくり深呼吸して、再び歩を進める。駐車場の前を通るが、優子さんの車は無かった。ほっとしたのも束の間、優子さんがいなくても客はいる可能性に気づき、わたしの顔色は悪くなる。
やけに細い階段を上り、とうとう落ち着けない我が家に辿り着く。扉を閉めようとしたその時、誰かに見られたような感覚がした。ドアから顔を出して外を覗く。暗い通路には特に人影はない。
(気のせい、か)
きっと緊張で敏感になりすぎているだけだと自分を納得させ、そっと鍵を閉めた。
玄関には優子さんの散乱した靴があるものの、見知らぬ靴は無かった。
居間のテーブルには「客を迎えに行く。絶対逃げるな」という置手紙があった。
風呂に入り、脱いだ制服をもう一度着る。実家を出る時、私服は全て優子さんが売ってしまったから、わたしが持っている服は制服だけだった。
窓を開けて、冷たい風を浴びながら静かな夜の街を眺める。ここから空に飛び立てたら、どんなに気持ちがいいだろう。
(でも、ここで終わらせたら、お母さん悲しむだろうな)
ぎゅっと、ベランダの柵を握る手に力を込めて――わたしは部屋に戻った。
その晩、不思議な夢を見た。小さな鬼に手を引かれながら、空を歩く夢だ。
真下には夜のとばりに包まれた街並みが広がる。電柱よりもずっと高い所にいるのに、恐怖はなかった。あまりにも非現実的な状況だからだろうか。
(わたしが空を飛びたいって思ったから、こんな夢を見たのかな)
しかも、どうやら自分の意志で動けるようだ。せっかくなので小鬼を観察する。
鬼さまと違って、手に乗りそうなサイズの鬼だ。肌が赤く、黄色い一本角を生やしたそれは、空中をちょこまかと歩いている。触れる手は人形のように小さく、赤子のようにふにふにだ。時折当たる爪がちょっとだけ痛い。
小鬼は何かを探すように、あちこちを歩き回る。
「あ、学校だ。真上から見るのって変な感じ」
屋上をじっと眺めた後、鬼さまがいるはずの山の上に視線を移した。
立ち止まっていたら、急かすように小鬼がぐいぐいと引っ張ってきた。
『ここじゃない。次に行く』
「? ごめん」
小鬼が頬を膨らませているので、わたしはとりあえず謝って、その後ろをついていった。
小鬼は眉を下げ、つぶらな瞳をきょろきょろさせて彷徨う。来た道を戻りだした辺りで、わたしは思わず声を掛けた。
「もしかして、迷っているの?」
『ま、迷ってないやい!』
何を言っているのかは分からないが、ただでさえ赤い顔を真っ赤にして騒ぐところを見るに、図星だったようだ。狼狽える様子がおかしくて笑みがこぼれる。
「いいよ、迷子でも。わたし、もっとこの時間が続けばいいと思うから」
このまま、夢からさめなければいい。
空中散歩を初めてから、どれほど時間が経っただろう。シャッターの閉じた商店街を通り過ぎ、空が白み始めた頃、突然小鬼は叫び出した。
『見つけた!』
「え、何。どう、した……の」
小鬼のはしゃぎように戸惑うわたしの意識は急に薄れて――次に覚醒したのは、耳慣れない目覚ましの音が聞こえた時だった。
「ん……うるさ」
声がいつもと違う。加えて頭もガンガンする。夜風に当たったから、風邪でもひいたのだろうか。
手探りで枕元に置いた目覚まし時計を取ろうとするも、いくら探してもない。よくよく音を聞くと、ベッドから少し離れたところで目覚ましが鳴っている。
寝ぼけ眼でベッドを降り、机の上にある携帯のアラームを止め、違和感に気づく。
いつも朝は店長から譲ってもらった目覚まし時計をかけている。そもそも携帯は持っていないのに、なぜ最新のスマホがあるのだろう。服も制服ではなく、着心地の良いスウェットになっている。くらくらする頭でも、次々とおかしな点が見えてくる。
ここは、どこなのか。
特に無駄な家具のない、小綺麗なワンルーム。ローテーブルの上には、倒れたビール缶が数本と、『映え間違いなし! 女子高生行きつけスポット特集』という見出しのついた、大量の付箋が張られた雑誌が置いてあるが、女性の部屋にしては飾り気が無さすぎる。
もしかして寝ている間に「客」の家に連れて行かれたのかと怯えたが、違った。良いのか悪いのか分からないけれど。
答えは部屋に置いてある姿見に映っていた。
呆然とした顔のその人は、髪が乱れて、髭も少し伸びていたけど、見覚えがあった。
そこにいたのは、わたしではなく、新山さんだった。
「どういうことおおおおおぉぉぉ⁉︎」
叫んだ勢いのままに頬をはたく。痛い。夢ではない。夢であってほしかった。
そしてはたいた手のごつさに涙目になる。完全に男の人の手だ。
もしかして、夜の空中散歩も夢ではなかった? あの小鬼が、わたしの魂を新山さんの体に入れた?
こんな非現実的なこと、普通の人間では対処しようもない。
そう、普通の人間なら。
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