4 / 15
4 真夜中の散歩
しおりを挟む
見慣れたボロアパートが見えてきた。少しだけ、足を止める。
ゆっくり深呼吸して、再び歩を進める。駐車場の前を通るが、優子さんの車は無かった。ほっとしたのも束の間、優子さんがいなくても客はいる可能性に気づき、わたしの顔色は悪くなる。
やけに細い階段を上り、とうとう落ち着けない我が家に辿り着く。扉を閉めようとしたその時、誰かに見られたような感覚がした。ドアから顔を出して外を覗く。暗い通路には特に人影はない。
(気のせい、か)
きっと緊張で敏感になりすぎているだけだと自分を納得させ、そっと鍵を閉めた。
玄関には優子さんの散乱した靴があるものの、見知らぬ靴は無かった。
居間のテーブルには「客を迎えに行く。絶対逃げるな」という置手紙があった。
風呂に入り、脱いだ制服をもう一度着る。実家を出る時、私服は全て優子さんが売ってしまったから、わたしが持っている服は制服だけだった。
窓を開けて、冷たい風を浴びながら静かな夜の街を眺める。ここから空に飛び立てたら、どんなに気持ちがいいだろう。
(でも、ここで終わらせたら、お母さん悲しむだろうな)
ぎゅっと、ベランダの柵を握る手に力を込めて――わたしは部屋に戻った。
その晩、不思議な夢を見た。小さな鬼に手を引かれながら、空を歩く夢だ。
真下には夜のとばりに包まれた街並みが広がる。電柱よりもずっと高い所にいるのに、恐怖はなかった。あまりにも非現実的な状況だからだろうか。
(わたしが空を飛びたいって思ったから、こんな夢を見たのかな)
しかも、どうやら自分の意志で動けるようだ。せっかくなので小鬼を観察する。
鬼さまと違って、手に乗りそうなサイズの鬼だ。肌が赤く、黄色い一本角を生やしたそれは、空中をちょこまかと歩いている。触れる手は人形のように小さく、赤子のようにふにふにだ。時折当たる爪がちょっとだけ痛い。
小鬼は何かを探すように、あちこちを歩き回る。
「あ、学校だ。真上から見るのって変な感じ」
屋上をじっと眺めた後、鬼さまがいるはずの山の上に視線を移した。
立ち止まっていたら、急かすように小鬼がぐいぐいと引っ張ってきた。
『ここじゃない。次に行く』
「? ごめん」
小鬼が頬を膨らませているので、わたしはとりあえず謝って、その後ろをついていった。
小鬼は眉を下げ、つぶらな瞳をきょろきょろさせて彷徨う。来た道を戻りだした辺りで、わたしは思わず声を掛けた。
「もしかして、迷っているの?」
『ま、迷ってないやい!』
何を言っているのかは分からないが、ただでさえ赤い顔を真っ赤にして騒ぐところを見るに、図星だったようだ。狼狽える様子がおかしくて笑みがこぼれる。
「いいよ、迷子でも。わたし、もっとこの時間が続けばいいと思うから」
このまま、夢からさめなければいい。
空中散歩を初めてから、どれほど時間が経っただろう。シャッターの閉じた商店街を通り過ぎ、空が白み始めた頃、突然小鬼は叫び出した。
『見つけた!』
「え、何。どう、した……の」
小鬼のはしゃぎように戸惑うわたしの意識は急に薄れて――次に覚醒したのは、耳慣れない目覚ましの音が聞こえた時だった。
「ん……うるさ」
声がいつもと違う。加えて頭もガンガンする。夜風に当たったから、風邪でもひいたのだろうか。
手探りで枕元に置いた目覚まし時計を取ろうとするも、いくら探してもない。よくよく音を聞くと、ベッドから少し離れたところで目覚ましが鳴っている。
寝ぼけ眼でベッドを降り、机の上にある携帯のアラームを止め、違和感に気づく。
いつも朝は店長から譲ってもらった目覚まし時計をかけている。そもそも携帯は持っていないのに、なぜ最新のスマホがあるのだろう。服も制服ではなく、着心地の良いスウェットになっている。くらくらする頭でも、次々とおかしな点が見えてくる。
ここは、どこなのか。
特に無駄な家具のない、小綺麗なワンルーム。ローテーブルの上には、倒れたビール缶が数本と、『映え間違いなし! 女子高生行きつけスポット特集』という見出しのついた、大量の付箋が張られた雑誌が置いてあるが、女性の部屋にしては飾り気が無さすぎる。
もしかして寝ている間に「客」の家に連れて行かれたのかと怯えたが、違った。良いのか悪いのか分からないけれど。
答えは部屋に置いてある姿見に映っていた。
呆然とした顔のその人は、髪が乱れて、髭も少し伸びていたけど、見覚えがあった。
そこにいたのは、わたしではなく、新山さんだった。
「どういうことおおおおおぉぉぉ⁉︎」
叫んだ勢いのままに頬をはたく。痛い。夢ではない。夢であってほしかった。
そしてはたいた手のごつさに涙目になる。完全に男の人の手だ。
もしかして、夜の空中散歩も夢ではなかった? あの小鬼が、わたしの魂を新山さんの体に入れた?
こんな非現実的なこと、普通の人間では対処しようもない。
そう、普通の人間なら。
ゆっくり深呼吸して、再び歩を進める。駐車場の前を通るが、優子さんの車は無かった。ほっとしたのも束の間、優子さんがいなくても客はいる可能性に気づき、わたしの顔色は悪くなる。
やけに細い階段を上り、とうとう落ち着けない我が家に辿り着く。扉を閉めようとしたその時、誰かに見られたような感覚がした。ドアから顔を出して外を覗く。暗い通路には特に人影はない。
(気のせい、か)
きっと緊張で敏感になりすぎているだけだと自分を納得させ、そっと鍵を閉めた。
玄関には優子さんの散乱した靴があるものの、見知らぬ靴は無かった。
居間のテーブルには「客を迎えに行く。絶対逃げるな」という置手紙があった。
風呂に入り、脱いだ制服をもう一度着る。実家を出る時、私服は全て優子さんが売ってしまったから、わたしが持っている服は制服だけだった。
窓を開けて、冷たい風を浴びながら静かな夜の街を眺める。ここから空に飛び立てたら、どんなに気持ちがいいだろう。
(でも、ここで終わらせたら、お母さん悲しむだろうな)
ぎゅっと、ベランダの柵を握る手に力を込めて――わたしは部屋に戻った。
その晩、不思議な夢を見た。小さな鬼に手を引かれながら、空を歩く夢だ。
真下には夜のとばりに包まれた街並みが広がる。電柱よりもずっと高い所にいるのに、恐怖はなかった。あまりにも非現実的な状況だからだろうか。
(わたしが空を飛びたいって思ったから、こんな夢を見たのかな)
しかも、どうやら自分の意志で動けるようだ。せっかくなので小鬼を観察する。
鬼さまと違って、手に乗りそうなサイズの鬼だ。肌が赤く、黄色い一本角を生やしたそれは、空中をちょこまかと歩いている。触れる手は人形のように小さく、赤子のようにふにふにだ。時折当たる爪がちょっとだけ痛い。
小鬼は何かを探すように、あちこちを歩き回る。
「あ、学校だ。真上から見るのって変な感じ」
屋上をじっと眺めた後、鬼さまがいるはずの山の上に視線を移した。
立ち止まっていたら、急かすように小鬼がぐいぐいと引っ張ってきた。
『ここじゃない。次に行く』
「? ごめん」
小鬼が頬を膨らませているので、わたしはとりあえず謝って、その後ろをついていった。
小鬼は眉を下げ、つぶらな瞳をきょろきょろさせて彷徨う。来た道を戻りだした辺りで、わたしは思わず声を掛けた。
「もしかして、迷っているの?」
『ま、迷ってないやい!』
何を言っているのかは分からないが、ただでさえ赤い顔を真っ赤にして騒ぐところを見るに、図星だったようだ。狼狽える様子がおかしくて笑みがこぼれる。
「いいよ、迷子でも。わたし、もっとこの時間が続けばいいと思うから」
このまま、夢からさめなければいい。
空中散歩を初めてから、どれほど時間が経っただろう。シャッターの閉じた商店街を通り過ぎ、空が白み始めた頃、突然小鬼は叫び出した。
『見つけた!』
「え、何。どう、した……の」
小鬼のはしゃぎように戸惑うわたしの意識は急に薄れて――次に覚醒したのは、耳慣れない目覚ましの音が聞こえた時だった。
「ん……うるさ」
声がいつもと違う。加えて頭もガンガンする。夜風に当たったから、風邪でもひいたのだろうか。
手探りで枕元に置いた目覚まし時計を取ろうとするも、いくら探してもない。よくよく音を聞くと、ベッドから少し離れたところで目覚ましが鳴っている。
寝ぼけ眼でベッドを降り、机の上にある携帯のアラームを止め、違和感に気づく。
いつも朝は店長から譲ってもらった目覚まし時計をかけている。そもそも携帯は持っていないのに、なぜ最新のスマホがあるのだろう。服も制服ではなく、着心地の良いスウェットになっている。くらくらする頭でも、次々とおかしな点が見えてくる。
ここは、どこなのか。
特に無駄な家具のない、小綺麗なワンルーム。ローテーブルの上には、倒れたビール缶が数本と、『映え間違いなし! 女子高生行きつけスポット特集』という見出しのついた、大量の付箋が張られた雑誌が置いてあるが、女性の部屋にしては飾り気が無さすぎる。
もしかして寝ている間に「客」の家に連れて行かれたのかと怯えたが、違った。良いのか悪いのか分からないけれど。
答えは部屋に置いてある姿見に映っていた。
呆然とした顔のその人は、髪が乱れて、髭も少し伸びていたけど、見覚えがあった。
そこにいたのは、わたしではなく、新山さんだった。
「どういうことおおおおおぉぉぉ⁉︎」
叫んだ勢いのままに頬をはたく。痛い。夢ではない。夢であってほしかった。
そしてはたいた手のごつさに涙目になる。完全に男の人の手だ。
もしかして、夜の空中散歩も夢ではなかった? あの小鬼が、わたしの魂を新山さんの体に入れた?
こんな非現実的なこと、普通の人間では対処しようもない。
そう、普通の人間なら。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
お父さんの相続人
五嶋樒榴
キャラ文芸
司法書士事務所を舞台に、一つの相続から家族の絆を垣間見る摩訶不思議な物語。
人にはいつか訪れる死。
その日が来てしまった家族に、過去の悲しい出来事に終止符を打たなければならない日が来てしまった。
受け入れられない母と、そんな母を心配する娘。
そしていつも傍に寄り添う猫。
猫に対する故人の思いと、家族の美しい思い出。
猫は本当に、息子の生まれ変わりなのだろうか。
でも、この猫こそが、とんでもない猫だった。
パラダイス・ロスト
真波馨
ミステリー
架空都市K県でスーツケースに詰められた男の遺体が発見される。殺された男は、県警公安課のエスだった――K県警公安第三課に所属する公安警察官・新宮時也を主人公とした警察小説の第一作目。
※旧作『パラダイス・ロスト』を加筆修正した作品です。大幅な内容の変更はなく、一部設定が変更されています。旧作版は〈小説家になろう〉〈カクヨム〉にのみ掲載しています。
サラシ屋
雨宮 瑞樹
キャラ文芸
恨む相手を、ネットで晒し、社会的制裁を加えるサラシ屋に舞い込む事件は……
前作と繋がりはありますが、独立して読めます。
前作『サラシ屋0』はこちら。
https://www.alphapolis.co.jp/novel/531799678/181860727
御伽噺のその先へ
雪華
キャラ文芸
ほんの気まぐれと偶然だった。しかし、あるいは運命だったのかもしれない。
高校1年生の紗良のクラスには、他人に全く興味を示さない男子生徒がいた。
彼は美少年と呼ぶに相応しい容姿なのだが、言い寄る女子を片っ端から冷たく突き放し、「観賞用王子」と陰で囁かれている。
その王子が紗良に告げた。
「ねえ、俺と付き合ってよ」
言葉とは裏腹に彼の表情は険しい。
王子には、誰にも言えない秘密があった。
華村花音の事件簿
川端睦月
キャラ文芸
【フラワーアレンジメント×ミステリー】
雑居ビルの四階でフラワーアレンジメント教室『アトリエ花音』を主宰する華村花音。彼はビルのオーナーでもある。
田邊咲はフラワーアレンジメントの体験教室でアトリエ花音を訪れ、ひょんなことからビル内同居を始める。
人生に行き詰まった咲がビルの住人達との交流を通して自分を見つめ直していく、ヒューマンドラマ……ときどきミステリーです。
猫の私が過ごした、十四回の四季に
百門一新
キャラ文芸
「私」は、捨てられた小さな黒猫だった。愛想もない野良猫だった私は、ある日、一人の人間の男と出会った。彼は雨が降る中で、小さく震えていた私を迎えに来て――共に暮らそうと家に連れて帰った。
それから私は、その家族の一員としてと、彼と、彼の妻と、そして「小さな娘」と過ごし始めた。何気ない日々を繰り返す中で愛おしさが生まれ、愛情を知り……けれど私は猫で、「最期の時」は、十四回の四季にやってくる。
※「小説家になろう」「ノベマ!」「カクヨム」にも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる