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第六章 マリオネット教団編(征夜視点)
EP175 覇者の侍従
しおりを挟む「・・・ん。」
征夜は、ホテルにある自室のベッドで目を覚ました。
テセウスの奥義が直撃する直前で、記憶が途切れている。
額にはタオルを掛けられ、肩まで毛布を被っている事から察するに、恐らく看病されていたのだろう。
「僕は・・・変な男・・・テセウス?・・・に襲われて・・・。」
ハッキリとしない意識の中で、周囲を見渡した。
月明かりがカーテンから零れ、薄暗い寝室を神秘的に照らしている。
部屋には他に誰もいない。
だが、誰かに見られている気がする。
<せ・・・おは・・・。>
(なんだ?)
脳内に直接、声が響いた。
女性のキリッとした細い声が、ノイズ混じりに聞こえ始める。次第に鮮明になり、全文が聞き取れるようになった。
<征夜様、おはようございます。>
「・・・誰だ!」
征夜は職業病なのか、瞬時に腰へ手を回した。
しかし、抜こうとした刀はそこに無く、壁に立て掛けられている。
<ご安心ください。私は敵ではありません。>
「なら、どうして僕の名前を知っている?」
臨戦態勢を解いた征夜は、落ち着いて聞き返した。
しかし、女性の声はすぐに答えない。
<・・・屋上に来て下さい。>
「分かった。」
征夜には何故か、女性に敵意が無い事が手に取るように分かった。
不思議な安心を与える彼女の声に導かれ、征夜は屋上に向かった。
~~~~~~~~~~
薄暗い廊下を、燭台で照らしながら進んでいく。
恐らく、既に深夜なのだろう。他の客は就寝し、静まり返っている。
ただ不自然なのは、外が異様に騒がしい。
大声で何かを叫ぶ男や、大通りを駆け回る荷台などでごった返している。
征夜はそれを不審に思いながら、ひたすら屋上を目指した。
彼の泊まる7階は最上階であったので、屋上に続く道は意外に近く感じられた。
「ここを・・・登って・・・よいしょっ。」
梯子を伝い、壁に開けられた円形の扉をくぐる。
風圧が頭上を掠め、冬の寒さを感じさせる。
上り詰めた屋上は、正に"聖域"だった――。
洗濯物が風に旗めき、風車がクルクルと回り続ける。そんな普通の場所なのに、どうしてこうも神々しく思えるのか。
日常の中に秘められた神秘の世界を、征夜は初めて体験した。
星空を見ようと視線を上げると、そこには見渡す限りの銀河が広がっていた。
瞬く星々の合間を縫うように、白く濃い雲が空を満たし、透けるようにして降り注ぐ星の光を強調する。
巨大な満月が煌々と照る中で、夜の街を一望した。
銀色の光に包まれた月世界が街を彩り、ガラス窓に反射した光が、キラキラと宙を舞っている。
「お越しいただき、ありがとうございます。征夜様。」
洗濯竿の影から、先ほどよりも鮮明な声が聞こえた。
その方向を凝視すると、風に揺られるシーツの向こう側に、金色の獣が座っている。
征夜は"この獣"に、確かな見覚えがあった――。
「あなたは・・・もしかして"森獣"ですか?」
数ヶ月前、森の中でナイトハンターに襲われた彼を救った獣に、目の前の動物はよく似ている。というより、完全に同じだ。
「覚えて頂けて光栄です。ただ、それは忘れて頂きたいです。」
金色の獣は嬉しそうに笑った後、少し恥ずかしそうな声を出した。
征夜には分からない。どうして、自分の名前を忘れるように言うのだろうか。
「実を言うと、森獣というのはデタラメなのです。」
「・・・?」
突然、そんな事を言われても理解出来ない。困惑する征夜を確認した獣は、すぐに補足を行う。
「前回、森で出会った時。私は正気を失っていました。」
「えっ!?そうなんですか!?」
そんな気配は全く無かった。
ナイトハンターを軽く追い払った獣の様子に、錯乱の様子などは微塵も感じられなかったのだ。
「実は私の"半身"が、その場から逃走を図りまして・・・。パニックになった半分を、もう半分で抑え込むのに必死でした・・・。
その結果、あなた様を認識する事が出来なくなってしまい、口から出任せを言って離脱する事になりました・・・非礼をお詫び致します。本当に、申し訳ありませんでした。」
そう言うと獣は、静かに頭を下げた。
「半身がパニック・・・?」
「分かりにくい説明で申し訳ありません。」
獣はそう言うと、再び深々と頭を下げた。
征夜は、相手に何度も頭を下げさせてある状況が、どうにも居心地が悪い。
「えぇと、ではあなたのお名前は・・・。」
「"雷夜"と申します。最高神・オデュッセウスの従者を務めさせて頂く者です。」
雷夜は頭を下げたまま、ゆっくりと自己紹介を行なった。
その姿はまるで、心からの平伏と恭順の意思を示すかのように、"畏敬と崇拝の念"に満ちたものであった――。
~~~~~~~~~~
「えぇっ!?あ、あの人の従者・・・。」
思わず身構えてしまう。名前を聞いただけで、わずか数時間前に圧倒された記憶が蘇る。
「ご安心ください。私には、あなた様を攻撃する意思は一切ございません。」
「そ、そうですか・・・雷夜さんと言うんですね。よろしくお願いします。」
征夜は雷夜と名乗る獣に対し、深々と頭を下げた。これには、彼女に対して身構えた非礼を詫びる意味もある。
しかしどうやら、雷夜は頭を下げて欲しくないらしい。
「呼び捨てで構いません。征夜様は、私に対して敬語を使う必要など無いのですから。」
「いや、初対面の相手にタメ口は・・・分かった。」
訝しむような視線で見上げる雷夜を前に、征夜は遂に折れた。どうやら、敬語を使う方が失礼な場合もあるらしい。
「君には沢山の事を聞きたいんだけど・・・そもそも雷夜、君は僕に何を言いたいんだ・・・?」
「まずは謝罪をさせて下さい。私のマスター・・・”オデュッセウス様”による襲撃は、あなた様に心身ともに大きな傷を与えたと思います。
本当に申し訳ありませんでした。ですが、マスターにも伝えたい事が有ったのだと、知って欲しいのです・・・。」
確かに征夜は、テセウスの襲撃で恐ろしい目に遭った。
これまでに感じたことのない恐怖を、今でも眼が記憶している。
だがそれ以上に、多くのことを学ばされた。
武道の心得や、人生の指針、そして何よりも大きいのは"鍛錬の目標"だ。
「あの人の言う事は正しかった・・・強くなければ・・・大切な人を守れない・・・。」
断言出来る。自分よりも強い人間、例を挙げればテセウスに人が襲われたら、自分では絶対に守れない。
それがたとえ、"大切な友"や”花”であったとしても、蹂躙されてしまうだろう――。
「ご安心ください。マスターは決して、花様に危害を加える事はありません。勿論、あなた様から奪う事もありません。
あの方はむしろ、花様を全身全霊で守るつもりです。・・・その為に、どれほどの人を犠牲にしても。」
「人を・・・犠牲に・・・何だって!?」
征夜は頭を殴られた気分になった。
花を守ってくれるというのなら、それは嬉しい事だ。そして何より心強い。ただ、”何から”守ってくれるというのだろうか。
これまでの旅で、自分たちは多くの危機に瀕して来た。
しかしどれも、乗り越えられないものでは無かった。それに対し、テセウスが自分たちを庇護する必要性は感じない。
何よりも不穏なのは、"人を犠牲にする"と言う文言だ。
彼女に対し、彼がどう思っているのか知る術はない。
ただし、他人を犠牲にしてでも彼女を守ろうとする執念には、些かの狂気を感じずにはいられない。
「どう言う意味だ!人を犠牲にするって!」
「・・・百聞は一見にしかず。ご自身の目で確かめる方が、あなた様にとっても良いかと・・・。」
そう言うと雷夜は、屋上の縁までトコトコと歩いて行った。四本の足を小さく折り畳み、可愛らしい姿勢で座っている。
雷夜のそばに歩み寄った征夜。その眼下に広がる光景は正に、"圧倒的な力の爪痕"だった――。
「森が・・・切り倒されて・・・!」
ソントの路地裏。丁度、征夜がテセウスに襲われた場所の向こう側には、巨大な森林が広がっていた。
ところが、先日まで生い茂っていた森林は、路地裏を中心として完璧な"扇状"に薙ぎ倒されている。
征夜はやっと、外が大騒ぎになっている理由を理解できた。林業を営む人にとって、これは大惨事なのだろう。
「あなたに向けて放たれた、"三源斬"による余波です。
ご安心ください。切られたのは森林だけです。その他には、虫一匹たりとも傷付いていません。・・・あなた様に限っては、胴体が両断されていましたが・・・。」
どうやら征夜は、あの攻撃で致命傷を負ったらしい。それも、確実に即死級の大怪我を。
だが雷夜か、もしくはテセウスの手によって、現在の姿にまで回復してもらったようだ。
「これが、奴の全力・・・。どんな魔法を使って、あんなに多くの木を・・・。」
征夜はテセウスの脅威的な力を目の当たりにして、思わず恐怖した。
それに対して雷夜は、どこか誇らしげに彼の言葉を捕捉する。
「あの方は魔法を殆ど使えません。
剣に込められた魔力を解放出来ますが、刀を抜いた戦闘で用いる事はあり得ません。矜持が許さないのです。」
「えっ!?何の魔法も使わずに・・・この威力の斬撃を・・・。」
「これは決して、マスターの全力ではございません。
あの方が本気を出せば、斬撃の衝撃波が地表を抉りながら、世界を際限なく周回し続けるでしょう。
恐らく、世界を破壊し尽くすまでエネルギーが残存し、跡形もなく大地を吹き飛ばす結果になるでしょうね。」
雷夜の思い描く光景が、全く頭に浮かばない。
ただ一つ分かる事。それは巨大な台風のような物が、この世界を破壊するまで収まらず、進行し続けると言う事。
「それが・・・本当に魔法抜きで・・・。」
「はい。一切の魔力を使わずに、あの方なら可能です。
それに、森に住むトカゲや虫が傷付かなかったのも、あの方が手加減した証拠でしょう。」
もしそれが本当なら、"超絶技巧"と言わざるを得ない。
征夜を両断し、森林を扇状に薙ぎ倒しても、他の生物は傷付けない。そんな離れ技が、人間に出来るはずがない。
しかし征夜からすれば、その言葉は異様な説得力を持っていた。あの男ならあり得ると言う、不思議な自信がある。
「三源斬だけではありません。"時流之宮城"や"威封結界"も、決して魔法や超能力ではありません。あくまで、努力により会得した体術です。」
「自力で時を遅くした!?」
魔法も使わずに、そんな事が可能なのか。
征夜には、どんな方法なのか全く想像もつかない。
話の軸が逸れている事を感じた雷夜は、強引に話題を元に戻す。
「マスターは、無益な殺傷を決して行わない方です。しかし、手段を選ばない方でもあります。
今回は冷静でしたが、激昂した状態で本気を出せば、敵対者に命は無いでしょう・・・。」
雷夜は消え入るような細い声で、征夜に訴える。
その様子は"助けを乞う"ようでありながら、"憐れむ"ようでもある。
それは、何に向けられた物なのか。主人か征夜か、それとも両方だろうか。
そんな事さえ、誰にも分からない――。
「マスターによる被害を減らすためにも、征夜様には強くなっていただく必要があります。」
雷夜は真面目な顔をしながら、かなり横暴な要求を述べた。確かに正論だが、倫理的な観点で考えれば、"論外"と言わざるを得ない。
「テセウスは、君の主人は何をする気なんだ?
花を守って・・・楽園を作ると言っていた・・・!その真意はなんだ!」
「時が来れば、あなた様にも分かります。」
雷夜は穏やかな口調で征夜に諭す。しかし彼には、聞きたい事が山積みだ。
不安と無力から来る焦燥は、彼の興奮を最高潮にまで高める。
「花を守る気なら、どうしてこれまで出て来なかった!
渓谷に落ちた時や、試験で殺し合った時も、彼女は危機に瀕したはずだ!」
自分の弱さを指摘する事は構わないし、仕方ないだろう。だが、テセウスはこれまで何をやっていたのか。
彼女の危機を救うなら、何度でもその機会はあった。だが、テセウスはそれをしていない。
いや、正確には多くのピンチを救っている。
花は征夜と離れて以降、幾度となくテセウスによって命を救われていた。
雷夜からすれば、征夜の主張は見当違いも甚だしい。
だが彼女は、狼狽える征夜に対しても丁寧に返答する。
「人の運命は、誰しも軌道に沿って進んでいく物。
逆巻く波を荒立てれば、軌道を逸れた運命は予測不能という"迷宮"へと、迷い込んでしまう。あの方には、それが出来ないのです。」
「・・・?」
何を言っているのか、征夜には全く分からない。
ただ一つ分かる事は、男が自分たちの旅に"積極的な介入をする事はない"と言う事。
「マスターは、常に花様を守る事は出来ません。
ですから、代わりに私があなた様たちを護衛いたします。」
「えっ!?君が!?」
目の前にいる存在が、これからの旅に同行するというのか。
その事自体は別に嫌ではないが、果たしてそれで良いのだろうか。
「ご安心ください。私は高難度な戦闘魔法を多数習得しています。必ずや、あなた様のお役に立つでしょう。」
「いや、ちょっと待ってくれ・・・。
君にも、自分の生活があるはずだ。その中で僕たちを守らせるのは、あまりに申し訳ない・・・。」
自分たちの護衛とは、即ち24時間を共に過ごすという事。彼女にとっては、日常を犠牲にする覚悟を強いられる。
仕事や休暇、私生活の全てを自分たちを差し出す事になるだろう。そんな事を強いては、あまりに申し訳ない。
暗に"拒否"の意思を示した征夜に対し、雷夜は敏感に反応した。即座に提案を取りやめ、別の案を出す。
「そうですか、残念です・・・。それでは、こう致しましょう。」
雷夜は突然、星空に向けて咆哮した。
大気を震わせ、心を打つような力強い声が、町全体を包み込み響き渡る。
その直後、天から何かが降りて来た。降って来たのではなく、舞い降りて来たというのが正しいだろう。
それは白の金の紙で包まれた、一枚の薄い木の板。雷夜は魔法で浮遊させながら、それを征夜に向けて差し出した。
「これは?」
「式神召喚の"御札"です。
それを読み上げ、天に向けて掲げれば、私が即座に馳せ参じます。」
暗がりでよく見えないが、御札には確かに何かが書かれている。雷夜はどうやら、これを使えば呼び出せるらしい。
「ありがとう!大切に使うよ!」
何か分からないが、凄く大切な物を貰った気がした。
乱用する気はないが、必要な時は遠慮なく使うつもりだ。
キラキラとした視線を札に浴びせる征夜を見て、雷夜は安心したようだ。自分の任務が終わった事を悟り、静かに後退りする。
「それでは征夜様。私はそろそろ下がらせて頂きます。
貴重なお時間を頂いてしまい、大変申し訳ありませんでした。」
「えっ!?もういくの!?待ってくれ!最後に聞きたい事が!」
「何でしょうか?何なりとお聞きください。」
聞きたい事は山積みだ。だが、これ以上の時間を取らせてしまうのは、流石に申し訳ない気がする。
「君は・・・どうして僕たちを助けてくれるんだ?」
「"大切な人を救いたい"からです。あなた様も同じであると考えます。
"完璧"とは決して言えない式神ですが、それでも粉骨砕身・全身全霊・誠心誠意の心で、あなた様を助けます。・・・征夜様は、私を信頼できますか?」
初対面の相手に、普通は信頼など無い。
だが征夜は、不思議と雷夜に親近感が湧いた。特に理由は無いが、絶対の信頼と安心感を持っているのだ。
「もちろんさ!」
「・・・ありがとうございます。必ずや、あなた様の信頼に応えます。」
雷夜は大きくお辞儀すると、その場から去った。
立ち去る寸前、その眼には一粒の涙が光っていた――。
応援ありがとうございます!
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