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第五章 氷狼神眼流編
EP130 おいでなさい
しおりを挟む清也の意識は暗く、深い闇の中を流れに任されるままに進んでいく。いや、流されているだけかも知れない。
前後左右に不規則に動かされた脳が悲鳴を上げ、吐き気が込み上げて来る。それでも、彼は止まれない。
(な・・・なんだこれ・・・。)
朦朧とした意識の中で、清也は暗黒を纏った川に走った一筋の亀裂、その光の中央に吸い込まれた。
フワフワと浮遊していた彼の実感が、不意に現実へと足を着ける。
(こ・・・ここは・・・?)
ボンヤリと霞む視界に焦点を合わせようと、目を凝らす。しかし、ここが何処かは分からない。
ただ、誰がいるのかは分かった――。
(は・・・花・・・ッッ!!??花!?)
思わず二度見してしまう。目前に疼くまる女性、それは間違いなく彼の恋人だった。しかし、何か様子がおかしい。
「うわあぁぁぁぁんっっっっ!!!!!!」
(おわぁっ!?何だ何だ!?)
まるで電話通信の遮断を解除したかのように、脳内へと聴覚の奔流が流れ込んで来る。そして、最初に耳に入ったのは彼女が号泣する声だった。
しかし今の清也には、一切の行動が起こせない。まるでそれは金縛り、前回見た夢と何も変わらない――。
(横にいるのは・・・シン!おい!これはどう言う事だ!)
彼女の横に立っているのは、二ヶ月前に別れた仲間のシンだった。号泣している花を見せられると、行き場の無い怒りが込み上げて来る。
(いや待て・・・落ち着け・・・ダメだ、激怒してはいけない・・・!)
自制心、それだけに集中する。例え今、体が動かないからとは言え、いつ動き出すかも分からない。
その時になって、激情のままにシンを叩き割ってしまうのだけは、絶対に避けたい事態だ。
(怒るな・・・木刀を握るな・・・すぅ・・・はぁ・・・。)
大きく深呼吸し、平常心を呼び戻す。
至極当然だが、人は自分の瞳を直視する事は出来ない。しかし清也は、今の自分が暴走状態に無い事を感じ取った。
(凶狼の瞳・・・あれは使っちゃいけない・・・そもそも、シンは敵ですら無い・・・良し、落ち着いた。)
息を整えた清也は、未だに体の自由が効かない事に気が付く。そして、何も出来ないままに花とシンの動向を見守る事となった。
そして、その後しばらく棒立ちのままで2人の様子を傍観していると、花の様子が更に悪化した。
「清也・・・私の事嫌いになっちゃった?」
花は号泣しながら、シンに対して的外れな質問を行なっている。それを見た清也の中で、怒りが沸々と湧き上がって来る。
(僕はここにいるのに、何でシンに聞くんだよ!・・・まさか、花をたぶらかしたんじゃ無いだろうな!)
またしても、暗黒に飲み込まれそうになる。独占欲とも言うべき人の性が、清也を激情に駆り立てる。
しかし清也は、力強く歯を食いしばり耐える。その代わりとして、自分を取り巻く呪縛を破壊する為、気合を入れる。
(デァァァァァッッッッッッッッッ!!!!!!!)
声が届かない事を利用して、ありったけの声量で絶叫する。全身を震わせ、肺の底から細胞を伴う咆哮を上げる。
その叫びは声帯を貫通し、喉からも発せられる。空気を振動させ、表面を覆う湿気のようなオーラを弾き飛ばす。
そして遂に、清也は体の自由を取り戻した。寝起きのような気怠さを感じながらも、清也は爽やかな雰囲気を装って発声する。
「そんなに泣かないでくれよ花。僕が君を捨てるなんて、あるわけないだろう?」
~~~~~~~~~~~~~~
その後、色々な事があった。
シンの掛けた催眠術に掛かった花を助ける為に、口付けを行ったり、再会を喜ぶ花から、延々と頬擦りをされたり。
そんな紆余曲折を経た後に、空腹の清也は"花の手料理"を食べる事となった。そして、料理を待つ間にシンと雑談をする。
「こっちはそこそこ順調だが、お前の修業は順調なのか?」
「う~ん・・・まぁ、進歩はしてるけど・・・。」
シンの問いかけに、清也は口籠る。筋力はメキメキと上昇している。しかし剣術の上達は停滞している。これでは、ただの筋トレと変わらない。
「あんまり身に付いてないかなぁ・・・何て言うか、教えが頭から抜けて行くって言うか・・・。」
「なるほどなぁ、馬鹿の模範例って感じだな。」
「うぐっ・・・。」
シンに悪気は無い。ただ、理解出来ないだけなのだ。
彼は正に天才肌の男であり、教科書に書いてある"1の内容"を10にして記憶出来る。そして何より、覚えた事は忘れない。
「そう言えば、シンも慶田大学だよね!?勉強とか、部活のコツって何かあるの!?」
「う~ん・・・才能かな。」
身も蓋もない。だが、彼に関してはこれも事実である。
微笑むことも無く真顔で答えた返事に、清也は不思議と説き伏せられそうになる。
「才能かぁ・・・」
資正を見ていれば分かる。人間界にはごく稀に、”怪物的な才能”を持った者が生まれる。
努力すれば、どんな事でも上達する。これは世界の真理だろう。しかし、”どこまで努力を続けられるか”と言う観点において、世界は平等では無い。
”努力の才能を持った天才”が300年を超える寿命を与えられて、毎分毎秒を鍛錬に注いだ結果の到達点。それが資正と言う”年老いた怪物”なのだ。
(僕には・・・剣の才能が無いのかなぁ・・・。)
清也の表情は暗く沈む。自分の将来性、その限界を垣間見た気がしたのだ。
尤も、こんなところで限界を迎えているなら、その名を”死神の代名詞”として用いられる未来など、決して来る筈が無いのだ。
彼の剣才は、未だ磨かれていないに過ぎない。資正の教えを受け取るには、そのキャパシティが足りないのだ。
彼の最大の弱点、それは”努力の方法を知らない”という事にある。それさえ分かったなら、彼の可能性は無限大だ。
「お待たせしました~♡」
先ほどまで号泣していたとは思えない様子の花が、満面の笑みを浮かべながら皿を持って来る。
その皿に入っていたのは、オムライスだった。 調味料と共に炒められた赤いご飯の上に、黄色い卵焼きが乗っかり、甘くてスパイシーという両極端な匂いが漂っている。
卵の上には、当然のように「大好き♡」とケチャップで書かれている。
「私の愛情たっぷりオムライス、召し上がれ♡」
エプロン姿の花は、愛嬌に満ち溢れた魅力的な笑顔を浮かべて清也に皿を差し出した。
「僕も大好きだよ♪とっても美味しそうだね!」
清也は何かを隠すように、満面の笑顔を浮かべている。シンはその表情を、明らかに辛そうな味付けに向けられた物だと思った。
しかし、それだけが正解と言うわけでは無い――。
(お、お・・・オムライス・・・うっ・・・。)
それは正にトラウマの象徴。”親の仇”とも言えるだろう。清也はあの日以来、オムライスが苦手になっていた。
しかし、これは大好きな花の手料理だ。食べないと言う選択肢はない。そこで問題になって来るのは、オムライスの味だ。
(これ・・・大丈夫かな?)
(明らかに辛そうやんけ!!)
清也とシンは、心の中で同じ反応をした。
どう見ても激辛にしか見えないその料理を、慎重に吟味しているのだ。
「さぁ、口開けて♡」
花は何故か、清也が使うはずのスプーンを握っている。
彼女は、自分で清也に食べさせる気満々だ。断るという選択肢は、そこに無かった――。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
美味しかった。いや、極上の味だった。
様々なシェフを家に招く吹雪家の食事。その食卓に混ざっていても、何の違和感も無いほどの味だった。
食事を終え、花から渡されたミルクを飲んだ清也は、二人との雑談を開始する。
「さっき二人で話してたけど、何の話をしてたの?」
「あぁ、コイツが雑魚いまま、んぐぐぅっっ!!!???」
「修業の進捗度合いについてだよ!」
「・・・?」
真実を暴露しようとするシンの口を押さえつけ、花への体裁を保つ。
当然である。一カ月も剣術の稽古を受けて、未だに踏み込みすら下手。そんな格好悪い事を恋人に知られるわけにはいかない。
「ただ、剣道の上達につながるかと思ってシンに勉強のコツを聞いても、教えてくれないんだよね・・・。」
まるで愚痴のように、シンに対する的外れな批判をこぼす。それを聞いた花は、少しふくれっ面になった。
「むぅ・・・!」
声を上げ、大げさに立腹を示す。しかし清也は、その合図に気付かない。
「修業の効率を上げる為に、どうにかコツを教えて貰いたいんだけど・・・どうすれば教えてくれるかな?」
「・・・ふんっ!」
「えぇっと・・・どうしたの?」
そっぽを向き、清也と顔も合わせないと言う、やや大げさなアクションを起こした所で、清也の関心はやっと彼女に向いた。
「私・・・大学は主席です!」
「・・・ええぇぇぇっっっっ!?」
「何で驚くのよ!」
花は憤慨する。清也は、彼女を侮っていたわけでは決してない。
薬学部は難しい学部だ。留年しないで卒業するのも、同様に難しい。しかし、まさか主席レベルだとは思っていなかったのだ。
シンも、かなりの高学歴ではある。しかし努力の合計値においては、彼女に軍配が上がる。
”優秀な恋人を差し置いて、そこら辺の男に頼るのは何事か!”それが、彼女の言い分であった。
「何か言う事は?」
「勉強のコツを教えてください!」
「うむ!素直でよろしい!」
花は険しい顔のまま、前で腕を組み顎を持ち上げた態勢で考え込む。それは、彼女が何かを考える時のルーティンであった。
彼女にしてみれば、それはカッコよく見えるポーズなのだろう。しかし馬鹿どもから見れば――。
(おっぱいが・・・寄せられて・・・。)
(すげぇなアイツ・・・。)
たくし上げられた花の巨乳が、清也とシンの視界に移り込む。その破壊力は、まさにヘビー級だ。
「あっ、分かった!あなた、ノートを取ってないでしょう!」
「ノート・・・?いや、黒板は無いよ。」
「・・・重症ね、これは。」
清也にとってノートとは、板書を写す為の紙に過ぎない。しかし秀才たちにとって、ノートとは”叡智の結晶”なのだ。
(コイツ・・・ノート取らねぇのか!!!マジで馬鹿なのか!?)
シンは、ナチュラルに清也を見下す。さすがの彼も、ノートだけは取っていた。
「教えられた事を、その日寝る前に全て書き出しなさい。そして、翌日の朝に見直すの。それでだけで、効率は大きく変わるわよ。」
「なるほどぉ!ありがとう花!」
「ウフフ♡どういたしまして!」
少年のような笑顔を浮かべる清也に対して、花も自然と笑顔になる。
(あぁ・・・笑ってる清也、なんて可愛いの♡こんな事で喜んじゃうなんて、まるで子供みたい♡
頭撫でたい♡撫でてもいいかな?良いよね?だって、恋人だもんね?いや駄目よ、子供じゃ無いんだから・・・!)
湧き上がって来た変な感情を、必死で抑え込む。しかし口元の緩みと頬の紅潮は、隠しようの無い段階に来ていた――。
「ま、まぁ、もう”三カ月”になるんだし!修業は効率良く行わないと駄目よ!」
「うん!そうだよ・・・ね?」
にやけた顔を隠す為に、花はわざと厳しい一言を発した。しかし清也には、何かが引っ掛かる。
「どうしたの?」
「う、ううん!何でもないよ!」
ボーッと考え込む清也に対して、花が声をかけて来る。清也はそれに元気よく返事した。
しかしその内心で、大きな疑問が湧き上がっていた――。
(三カ月・・・?まだ、二カ月じゃないのか?)
~~~~~~~~~~~~~~~
その後も、テンションの高い花に振り回される清也。腕の力だけで持ち上げ、肩車をする。
楽しそうにはしゃいでいた花は突然、電池が切れたおもちゃのように眠り込んでしまった。
眠り込んでしまった花を抱きかかえた清也は、彼女を寝室へと連れて行った。
そして彼女をベッドに寝かしつけた時、事件は起きた――。
(う、うわ・・・なんだこれ・・・眠気が・・・。)
突如襲い来る強烈な眠気。清也の意識は、瞬く間に掌握されてしまう。
ぼやけていく視界の代わりに脳内へと直接、光景が流れ込んで来る。
最悪だ。こんなことがあるか。死にたい。それでも死ねない。もう一度、彼女に会いたい。それだけだ。
無責任なのは分かってる。それでも、こんな所にはいられない。すべてを変える。すべてを救う。自分にしか出来ない。
ただ一人、何もない空間を進み続ける。暗闇の地平線には、星の輝きも見えない。
進み続けた先で、大きく剣を振るう。それはまるで、何かをかき混ぜるかのようだ。
どれほどの未来が、この一太刀で生まれたのか。それすらも理解できない。
どことも知れない民家の軒下で酒を飲み、見ず知らずの少年が剣を振るう様を、ぼうっと眺めている。美しい銀色の剣、早く取り戻したい。だが、彼を見続けるのは懐かしい。
金髪の少女が、少年と共に笑っている。幸せそうだ。途絶えていない。それだけが、彼女と共に生きた証になる。
すべてを失った。竜巻に巻き上げられた幸福は、もう二度と戻ってこない。いや、何があっても取り戻す。たとえそれが、終わらない旅の始まりでも。
幸せを取りこぼした。彼女といられるだけでよかったのに。
多くの者を殺した。この先に正義は無い。いや、王としての責務を果たした。聖剣に選ばれた。たとえそれが幻想でも、世界は騎士王を求めていた。
赤く染まった荒野に、幾万の剣が突き刺さっている。その時初めて気が付いた。周囲には、誰も立っていない。
ここはどこだ。分からない。いや、知っている。ここはビルの目前だ。多くの人間が、互いの命を懸けて鉄砲を撃ち合っている。
何故、そうも争うんだ。いやきっと、悪いのは一人のはず。それでも、新世界はまだ産声を上げてない。
人生で最高の瞬間の後に、最悪の体験をした。この冒険はバッドエンドかも知れない。
握りしめた手は冷たい。無力さが、血流を通して全身に広がって行く。もっと力が欲しい。
皆殺しだ。誰にも邪魔はさせない。協力しない者は全て敵だ。排除する。
多くの人を救った。幾千の刃で、命を掬い取った。英雄だ。勝利だ。だけど何か、釈然としない。
何故、戦っていたんだ。生きるためか。憎悪の清算か、それでは復讐に過ぎない。
まだまだ、戦いは続くだろう。だけど、今は幸せだ。戦いが終わっても、この幸せをかみしめていたい。
<おいでなさい。コスモエイジの織り成す、究極の運命の内に・・・。>
((((((ううううわわわわわわわわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっっっっっっっっっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!))))))
不快感が、後悔が、憎しみが、苦痛が、孤独感が、ありとあらゆる負の感情が、清也の中に流れ込んで来る。そのどれもが、清也には理解できない。
しかし全身が痛い。激痛だ。心の痛みが質量を以って、全身の細胞を破壊していく。拒んで拒んでも、激痛は収まらない。
招かれている。更なる暗闇が、こちらを深淵に引きづり込もうとしている。
正に絶望だ。他に何もない。一筋の光が見え隠れするが、それさえも握り潰される。永劫の虚無、それこそが今見たすべての光景に共通する概念だった――。
パチーンッ!
「はっ!」
突如響いたフィンガースナップの音。清也はそれを聞いて我に返る。そして、先程の光景がまるで嘘のように、体を取り巻いていた絶望の闇が消えた。
「う~ん・・・あれ?私、寝ちゃってた?」
花は目を覚ますと大きく伸びをした。のんきにも、眠たそうに目をこすっている。
その様子を見た清也は、先程見た絶望との落差で、止めどない安堵に包まれた――。
応援ありがとうございます!
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