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第五章 氷狼神眼流編

EP128 勇気の遺伝 <キャラ立ち絵あり>

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親が子に継ぐ魂は、不死鳥の如し輪廻を描く。
そこに信念がある限り、不滅の灯火は暗闇を許さない。

――――――――――――――――――――――――――

「起きて、風邪引いちゃうよ?」

「う、うん・・・?」

 コンクリートの床に寝そべった清也は、ゆっくりと目を覚ます。視界を覆う鮮やかな青空が、清也の瞳に眩しい陽光を注ぎ込む。

「あっ、起きた。おはよう清也くん。」

「うん、おはよう・・・あれ?おねえちゃん、だれ?」

 壮大な青空のキャンバスを割り裂いて、少女の顔が映り込む。その表情はどこか、優しくも儚い。
 歳は清也より少し上、"おねえちゃん"と呼べるくらいには、大人びた雰囲気を醸し出している。
 彼女が靡かせる天然の茶髪と、透き通るような桃色の瞳に、清也は心を奪われてしまった。

「私・・・あなたに言わなくちゃいけない事があるの・・・。」

「なぁに?」

 ハキハキと喋っているのに、その表情にはかげりが見える。言いにくい事を伝えるときに、人が見せる表情を少女は既に知っていた。

「・・・今、ここで寝てたけど何かあったの?」

 いきなり本題に入るのが厳しいのか、少女は茶を濁すように当たり障りのない話題を振る。そして、純真な清也は彼女の言葉に従った。

「えぇっとねぇ・・・ぼくと、ぼくがたたかってるの。
 片っぽは、わるくてよわいぼく。もう片っぽは、つよくてカッコイイの!」

「へぇ、面白い夢を見たのね・・・。」

 少女は清也をあやすように、無理に作った笑顔を見せる。その姿は、まるで母親のようだ。とても同年代とは思えない。

「それでね!つよいぼくが、二刀流して、その後すごい剣をだすの!」

 少年の語りに、覇気が乗り始める。段々と、話す事自体が楽しくなって来たようだ。

「そっか、楽しい夢を見てたんだ・・・。」

「おねえちゃんは、何を見てるの?」

「私はね・・・あの人と同じ景色を見てるの・・・。」

 清也を覗き込むのをやめた少女は、金網に顔を近付けて眼下に広がる現世うつしよを眺める。それはまさに、"天国から見た光景"だ。

「あのね・・・清也くん・・・。」

 言いにくい事を、遂に切り出そうとする少女。しかしその時、背後で大きな音がして、扉が開かれた。

「あぁ良かった!清也!ここにいたのか!」

「ぱぱ?」

 開け放った扉を蹴り飛ばして、強引にストッパーを掛ける。そして悠王は、そのまま清也の元に駆け込んで来た。
 膝を地面に着き、目線を合わせた状態で力強く抱きしめる。

「さっきはすまなかった!許してくれ!清也!」

 悠王は大声で叫ぶ。その声は、悔悟と贖罪の意に満たされて、少しだけ震えている。

「・・・?」

「お前は悪くなかったのに!俺がどうかしてた!いや、俺が悪かったんだ!お前の事も、家の事も、全て冷奈に任していた!
 買い出しなんて、俺がやれば良い事だった!なのに、お前と冷奈に甘えてしまった・・・!本当は、俺が悪かったのに!許してくれ清也!」

 あれほどに激怒した悠王を、清也は生まれて初めて見た。
 しかし、それと同じくらい悠王が泣くのは珍しい。そして、謝罪の言葉を口にするのはもっと珍しい。

 彼は、決して亭主関白な男では無かった。しかし、家庭の事を深く見る余裕も無かった。
 週2日の休日も満足に取れるとは言い難く、清也と違い有能だった彼は、父である盛充郎せいじゅうろうからも、期待を込めて酷使されていたのだ。

「これからは、俺も良い父親になる!だから、許してくれ清也・・・!」

「ぱぱ・・・痛いよ・・・。」

 力強く抱きしめ過ぎた。悠王の腕力は、彼が思っているよりも強靭で、全力で抱き締めれば骨が軋んでしまう。
 加減をしているつもりでも、無意識に強く抱きしめ過ぎていた。

「す、すまない・・・。」

 申し訳なさそうに手を離す。しかし清也は、不快な顔をしてはいない。

「清也・・・何かしたい事とか、行きたい場所はあるか?」

「う~ん・・・ゆうえんち!」

「よし!来週末は遊園地に行こう!」

 ある程度の仲直りが済んだ悠王は、罪悪感に歪んだ表情から解放された。それは笑顔とは言い難い表情だったが、先刻の凶悪な表情よりは遥かに優しい。



「やくそく!」

 清也はそう言って、悠王に対して小指を突き出す。そして彼もそれに応じた。

「約束する!」

 指切りの儀式を終えた悠王は、不意に我に帰った。
 そして、恥ずかしそうに顔を赤らめながら、少女の方に向き直る。

「あぁ・・・えと・・・見苦しいところを見せたな・・・。」

「いえ、仲直りが出来て良かったですね。」

 少女は優しい微笑みを浮かべる。しかし清也には、現状がうまく理解できない。

「ぱぱ、このおねえちゃん誰?」

「あれ?まだ自己紹介してなかったのか?」

 悠王は首を傾げる。後ろめたそうに体を揺らす少女は、悠王の問いに無言で首を振る。

「大丈夫、清也も分かってくれる。ほら、言ってごらん・・・。」

 

「わ、私は・・・あなたの・・・お母さんに、助けてもらったの・・・。」

「うん・・・?」

 清也には、少女の言う事が分からない。声は小さく、舌足らずな少女の発言は、清也の理解力では及ばない。

「冷奈はあの日、買い物の帰りでその子を庇って車に轢かれたんだ。そして、死んでしまった・・・。」



 悠王が補足を入れる。それはまさに、数奇な運命としか言いようの無い事故の実態ーー。

 あの日、運命の日、清也の為にケチャップを買いに行った冷奈は、帰り道で一つの横断歩道を通った。
 事故など起きたことの無い小さな交差点。民家に囲まれた、ごく一般的な交差点だった。
 夕暮れの、人通りも車通りも無い冬の交差点、きっと少女も油断していたのだろう。信号無視の車など、万が一にも有り得ないと。クリスマスが近くて、浮かれていたのかも知れない。

 しかし、冷奈は少女に迫る死の影に気が付いた。そして、幼い命が散らされるのを見過ごせなかったーー。

 吹雪の剣豪より紡がれる英雄の遺伝子。清也にとしての素養があるなら、それは吹雪の血が与えた物だろう。明鏡止水に至った者の遺伝子の発露、それが彼を作っている。
 しかし、勇者とは冷静であればよいという物でも無い。勇気の源は、理性を越えた魂の炸裂が、勇者と呼ばれる者の資格。そしてその遺伝子は、冷奈から受け継がれたものかも知れないーー。

 少なくとも、彼女の自己犠牲の遺志は清也に受け継がれた。その結果が、花と共に死んでしまったあの事故だ。運命の遺伝、それは確かに現在の清也を形作っている。



「俺もついさっき知ったんだ。だけど、この子を責めないでくれ。
 冷奈は、お前の母さんは決して無駄に死んだわけじゃ無い。この子を助けて代わりに死んだ。それはきっと、後悔の無い死だったと思う。」

「う、うん・・・。」

「私が・・・ちゃんと気を付けていれば・・・。」

 重苦しい雰囲気に包まれる少年と少女。しかし悠王は違う。

「少なくとも俺は、冷奈が天国に行けると断言できる。そして彼女が行ったのは、人として正しい事だった。」

 晴れやかな表情。葬式を迎えてもなお、認められなかった妻の死を遂に乗り越えた。
 清也は、そのとき父が見せた表情を生涯で忘れる事は無い。未来を見据えた、希望に満ちた笑顔は子供たちの表情も明るくする。

「天国・・・。」

「そう、天国だ。君を救ったのを彼女が後悔してる筈が無い。そして、今の俺に出来るのは、信じて任された清也を、立派に育てる事だけだ。」

 清也本人を置き去りにして、少女と悠王は話し込む。清也は蚊帳の外ではあったが、少女の頬に少しだけ赤みが戻って来たのを見て、何故かうれしくなった。

「お、おねちゃん!ぼく、ふぶきせいやって言うの!おねえちゃんは、なんていうの?」

 ”初恋”と呼ぶべき物かも知れない。幼き日の清也にとって、茶髪をそよ風に靡かせる桃色の瞳の少女は、あまりにも眩しかったーー。

「あっ、まだ自己紹介して無かった!」

 悠王との会話を終えて、少しだけ気力を取り戻した少女は、改めて征夜の方に向き直った。
 手を前に組み礼儀正しくお辞儀をする。その立ち姿は清也と大差ない齢の少女にしては、あまりに大人びており、気品すらも感じさせる。

「私の名前は・・・」





 記憶を辿る夢は、少女が名を告げる直前に崩壊した。

~~~~~~~~~~~~

「うん・・・?」

 薄暗い氷室の中で、清也は目を覚ます。夜明けは未だに訪れておらず、朝焼けを待つ世界だけが齎す静寂が、清也の心に生の実感を与えて来る。

「変な夢・・・あの子の名前・・・だ、誰だっけ・・・?」

 必死に思いだそうとする。しかし十数年前の記憶は、そう簡単に引き出せない。
 考えこめば考え込むほど脳内が熱くなり、それが全身に広がって行く。

「なんか熱いなぁ・・・うん?」

 無意識に防寒着を脱ごうとする。全身から汗があふれ出し、素肌に張り付く湿気が多すぎる。
 しかしそれは、何かが変だ。体内時計だけを指標に考えても、今は午前5時くらいのはず。雪山における夜明け前とは、即ち放射冷却が盛んな時間帯だ。何を間違っても、この時間でという感覚が有る筈が無い。

「あ、熱い!なんだこれ、熱いぞ!」

 パニックになるほどの熱気、それはまさに血液が沸騰する感覚。
 堪らずに清也は服を脱ぎ捨てる。文化人として最低限パンツは残すが、それすらも脱ぎ捨てたい。

「熱いっ!い、いや!熱すぎ!」

 のたうち回って苦しむ。寒さなど一切感じない。全身の震えが止まらず、吐き気すらも感じる。
 吐息は当然のように白く染まっており、それどころか体表からも湯気が立ち込めている。

「そ、そうだ!氷だ!氷を触れば!」

 凍傷など知ったことでは無い。ただ、体を冷やす事だけを目的に、氷室に鎮座する巨大な氷塊に駆け寄っていく。

「あ、あぁ・・・冷たい・・・これで少しは冷え・・・はっ!!??」

 手先に広がるヌルヌルとした感触。それはまさに、氷が解け始めている兆候だった。溶けた氷は水となり、やがて水蒸気となる。氷塊には早くも亀裂が走り、そしてーー砕け散った。

「う、嘘だろ・・・?なんだこれ・・・?」

 清也は異常な感覚に恐怖し、自らの手先を改めて見直す。そして叫び声を上げた。

「うわぁぁぁぁぁっっっっっっ!!!!!!?????」

 両手が、信じられない速度で振動している。それどころか、全身が手と同じように振動し、空間に細かい残像が出来始めた。
 清也が、どうすれば良いのか分からずに右往左往していると、窓から光が差し込め始めた。




 ドカァーーンッッッ!

 突然、轟音を立てて出入り口の扉が蹴り破られる。朝日のもたらす光が、暗闇に包まれた氷室を優しく照らし出す。

「なんと・・・!」

 逆光により表情は見えないが、ひどく動揺した資正の声がする。

「し、師匠ッ!!!熱いんですけど!なんか熱いんですけどッ!!!!」

 パニックになっている清也には、敬語を使う余裕などない。

「あ、あぁ・・・まだ制御できて無いのか・・・少し待ってろ。」

 資正はそう言うと氷室から出て行き、一分と経たずに戻って来た。手には木製の桶を持っている。
 そして、その中身を清也に頭から浴びせた。それは恐らく氷水だったのだろう。オーバーヒートした清也の体を少しずつ冷ましていく。

「ありがとうございます・・・助かりました・・・。」

 冷静さを取り戻した清也は、礼儀正しく感謝の言葉を述べた。
 しかし資正は清也の言葉を無視して、驚いたような声で話し始めた。

「素直に白状しよう・・・某は、お前が生き残るとは微塵も思っていなかった・・・。
 大幅に修行の方向性を変えたのだ。この試練はそもそも、奥義の前に行う物だ。用途を変えれば万階一にも可能性はあるだろうと思い、最初に持って来たのだが・・・。」

「すみません・・・何を言いたいのか分かりません・・・。」

 舌足らずなせいで何も伝わってこない。困惑した清也は、現状に関する更なる説明を求める。

「この修業は、を習得しなければ生き残れないものだ。そしてそれは、氷狼神眼流のを習得するために必要な物。だからこそ、多くの修練を乗り越えた者にのみ授けていた。
 お前が発動している物、某は調気ちょうきの極意と呼んでいる。それを発動すると、体温を自在に変化させられる。今のように体温を上げるのも、逆に下げるのも可能だ。
 極めれば周囲の気温を変化させ、自在に気流を操り、気圧さえも操作できる。」

「す、凄いですね・・・!」

 よく理解できないが、超人的な技である事は伝わって来る。

「あぁ、当然多くの者が習得に挑み、敗れて死んだ・・・。こ、これは、それほどに危険な修練のはずなのだ・・・!」

 驚愕を感じさせる声色に、興奮による震えが混じって来る。彼なりに大きく喜んでいるのだろう。

「・・・ん?奥義習得の直前に覚える物を、先にマスターしたから・・・もしかして僕!奥義を習え・・・嘘です!冗談です!すいません!」

 調子に乗った事を冗談として言おうとしたが、資正の雰囲気に一瞬だけ殺意が混ざったのを感じ取り、すぐに撤回した。

「昔、門下生の一人に聞いたの増進を、もしや出来るのでは無いかと思い試してみたのだ。
 体温が上がるだけでは無く、筋組織の密度も増加させることも出来る。そんな呼吸法なら、修行の効率が良くなると思ってな。」

「な・・・なるほど・・・。」

 道理には叶っている。新陳代謝が上がれば筋組織の発達は速くなり、特殊な呼吸を用いれば、呼吸するだけで自然と筋肉を使う。そして、新陳代謝を上げるには体温を上げるのが定石だ。
 取り込む酸素量を調節し、血液の温度を絶妙に調節する。それに慣れていない結果が、と言う感覚だろう。

「立てるか?出来るなら、剣道の基礎だけでも叩き込みたいが・・・今日は休むか?」

 いつもより、少しだけ優しく感じられる。いや、清也に一目置いているのだろう。何故ならこの試練を乗り越えた者は、数えるほどしかいない。
 多くの修練を乗り越えた猛者を、悉く葬り去って来た試練を、清也はわずか数週間で乗り越えたのだ。

「いえ!体は疲れて無いので大丈夫です!」

 やっと訪れた剣道の修行。畑仕事ではなく、戦闘に直結する鍛錬。自然と気分が高揚する。

「よし、早速道場に戻るぞ。お前のための木刀はもう作ってある。」

「僕のため・・・って、専用ですか!?」

 清也は驚いたように声を出す。てっきり、兄弟子たちのお下がりを使わされると思っていたからだ。

「あぁ、その方が身も入るだろう。」

「ありがとうございます!」

 元気よく挨拶する。その表情は明るく、活力に満ち溢れている。しかし資正は短く忠告する。

「一応言っておく。某の授ける鍛錬は、お前が思っているより過酷だぞ。」

 資正はそう言うと、藁半紙に書き込んだ修行の一覧を示す。

―――――――――――――

1.五時に起床、午前中に素振り3000回
2.技法の基礎を叩き込む
3.正午にその日の成果を見せる。
4.昼食後、雪山に一人で夕食の食材を取りに行く
5.畑仕事
6.基礎の再確認
7.心構えと技法を座学で学ぶ
8.写経
9.九時に就寝

―――――――――――――

「え、えと・・・。」

 想像の何倍も過酷。清也は閉口してしまった。

「五時に起床、午前中に・・・ほれ、言ってみろ。」

「素振り3000回・・・い、今からですか!?」

「当たり前だ。ほれ、急げ!午後に食い込めば1000回追加だぞ!」

 資正は急かすように叫ぶ。早く下山しないと、地獄が待っている。

「ひぃーっ!!!」

 清也は短く叫ぶと、資正に連れられ急いで下山した。
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