金曜日の次の日は

なたね由

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1.春の新作

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 冷蔵庫を開けたら、昨日コンビニで買ったはずのカフェオレが見つからない。
 犯人なんて考えるまでもない。今までにだってこんなことは何度もあったし、そのたびに取り立てて文句を言うのも面倒くさくて、あれ飲んだ? と聞くだけに留めていた。それが相手を調子に乗らせていたのだとしたら自己責任ではある。でも、断りもなく勝手に飲んでしまう相手の態度もとがめられるものだろう。
 今日こそは、と決めた。薄く開いたドアの前に立って、大き目のノックを三回。返事がなければ入ってもいい、というのは凌太郎りょうたろうが決めたルールだ。
「ダメなときはちゃんとダメって言うから」
 面倒臭そうに彼はそう言ったが、その決まりごとに慣れるのにもずいぶん時間が掛かった。俺の中の常識では、ドアとはノックの後返事があってから開けるものだ。結構な長い付き合いになるけれど、ここ数年で凌太郎は俺の常識の足元をとことん揺るがしてくる。
「凌」
 ドアを開けると真正面に見えるモニタに、派手な銃撃戦のシーンが流れている。返事がなければ開けてもいい、というのはこのあたりに理由がある。ゲームのプレイ中や映画の鑑賞中についてはヘッドフォンの大音量で聴覚を塞がれてしまうので、ノックの音は当然聞こえないし声を掛けたって無駄なのだ。もちろん、こういう状況で無理に肩でも叩けば後から理不尽な説教を食らうのが関の山なので、とりあえず綺麗に整えられたベッドに腰を下ろした。枕を寝床にしていた猫のひじきが薄目を開いて頭をもたげ、俺に文句をつけてくる。そんなところで寝ていたらどうせ後で部屋の主に強制撤去されるのに。手を伸ばして顎の下を撫でてやると仕方がない、という態度で再び眠りに就いた。
「ちょい待ってて」
「ん」
 さすがに俺の存在くらいには気付いたのだろう。画面から目を離さずに言うから、頷いて本棚から適当に漫画を一冊抜いてページをめくる。そういえば、これも俺が買ったものじゃなかったっけ。どうせすぐには終わらないだろうからとベッドに寝転ぶと、今度は明確に不満を含んだ声でひじきが鳴いた。仕方なく漫画を置いて頭やら腹やら背やらを撫で回すと興奮して顔に蹴りを入れてくるあたり、まだまだ子供だ。
「俺の部屋に寝に来たのかよ」
 うつ伏せになった俺と、その背中に乗り上げ尻尾で俺の後頭部を叩くひじきを見た凌太郎が心底呆れたように言った。どうやら対戦は終わったらしい。顔を上げると凌太郎が飲み物を片手に椅子の上で胡坐をかいている。やっぱり、だ。
「それ、俺の」
「ああ、これ。冷蔵庫に入ってた」
「入れてたけど、勝手に飲むなよ。これもさあ」
 ベッドに置きっぱなしにしていた漫画を掲げて振ると、リビングにあったから借りた、と悪びれもしない。言うだけ無駄なのは分かっているから、いつもは言わないようにしているだけだけれど、ここまで飄々とした態度を崩さないところが本当に腹立たしい。
「楽しみにしてたのに」
「あれ、これもしかして新商品? お前も飲む?」
「なんで俺が買ってきたモンの飲みかけを飲まないといけないんだよ」
「しょうがないじゃん、飲んじゃったんだもん」
「だから勝手に飲むなって言ってんだよ」
 少々荒くなった語尾に反応したか、ひじきの尻尾の動きが激しくなる。いいぞもっとやれ、と凌太郎が笑った。
「なんだよお、もう」
「そんなヘコむなって」
「誰のせいだと思ってるの」
 いくら言ったって暖簾に腕押しなのだ。結局最後には言い負けてしまうのも分かっている。それでも、コンビニで見つけた季節限定の商品を取られてしまったことについては苦言を呈さざるを得ない。結果、こんな風に軽くいなされてしまうとしても。
「ほら、出てけ。俺出掛けるから」
「俺のカフェラテぇ……」
「ほらひじき、お前もあいつの部屋連れてってもらえ」
 俺の背中から引き剝がされたひじきがぶう、と声を上げる。大体ひじきだって俺がもらってきた猫なのに、今じゃすっかり凌太郎に懐いてしまっている。
 ベッドから起こされ、腕の中にひじきを突っ込まれた。抱っこ好きな猫のひじきは、それだけで一瞬にして機嫌を直す。猫の切り替えの早さが羨ましい。俺ときたら、新商品を取られたのが腹立たしいのかまともに取り合ってもらえないのが悔しいのか分からなくなってしまった。こうなると、弁の立つ凌太郎には何を言っても勝てっこない。
「昼飯買ってくる」
「俺も腹減った……」
「知るかよ」
 薄手の上着を羽織った凌太郎が俺を部屋から蹴り出す。俺一人の時より手心を加えられているのは、罪悪感からではなくひじきを抱いているから。
 正直なところ、カフェラテを取られたのはもうそこまで気にしていない。ただ、凌太郎の態度が気に入らない。多少悪びれてくれたら、ひとこと謝ってくれたら、向こう三ヶ月くらいは自分が買ってきたものを取られても怒ったりはしないのに。
 お前が怒ったって全然怖くないもん、と言ったのは幼馴染の喜代春きよはるだ。せめて怒った時くらい怖い人間になりたい。怖いどころか存在感が薄い、と言ったのは凌太郎である。あいつらはとことん俺を馬鹿にしている。
「さくら味でいいの」
 空になった容器を振りながら、凌太郎が言った。ご機嫌になったひじきから顎に頭突きを食らいながら凌太郎を見ると、ミルクたっぷりカフェラテさくら味、の文字。
「それがいい」
「ったく、めんどくせえな」
「誰のせいだと思ってるの」
「お前が名前書いとかなかったせい」
「絶対違う」
 立ったままスニーカーに足を突っ込み、つま先をとんとん、と軽く二回。家を出る儀式みたいないつものしぐさで、凌太郎が颯爽と玄関のドアを開いて出ていく。その背中を見送ってひじきがにゃあ、と鳴いた。いってらっしゃいのつもりなのだろう。
 昼前に出掛けた凌太郎が突然の雨に降られて帰宅したのは、午後一時前になってからだった。近所のコンビニに例のカフェラテは置いていなかったらしい。悪態を吐きながら帰宅した凌太郎にバスタオルを渡しながら天罰だ、と言ってやったら、綺麗な蹴りが俺のふくらはぎにヒットしたので、結果的には二勝一敗といったところだ。
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