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11.好き
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「餡子、好きですか?」
「わかりません」
「はは、美味しそうに食べていたじゃないですか。それは"好き"って言うんですよ。言ってみてください、はい、せーのっ」
「・・・好、き」
「いいね!好きって気持ちは、その人を構成する大事な部分で、尊重されるべき感情なんだ。是非覚えておいてね」
紅季月が何かにつけて、これは好きか?嫌いか?を聞くので、システムは少しずつではあるが、自分の好き嫌いを答えるようになった。(言わせてる節もあるが)
紅季月としては、機械が少しずつ自分の意思を持つことが興味深かったし、また、まるでクールな野良猫を手懐けていく過程のようで、ある意味"育成ゲーム"の如く楽しんでいる。
物語の世界に入り込んでしまい、ペナルティも付いていてあまりいい状況ではないにも関わらず、与えられた状況の中で楽しもうとするのは"せっかくだから"という思いからだった。紅季月にとっては好奇心は何よりも強い欲求で、時には恐怖をも上回る。なんともまあ肝が座っていると言うべきか、リミッターが壊れたちょっとした変態と言うべきか。
「システム、君の好きな餡子入りのお菓子を買いに出かけましょうか。ちょっと街の様子も見てみたい」
橙凛華のメンタルケアの件から2日、さすがに連日任務は無いようで、特に変わったことは起きていない。少し世界観に馴染んだ紅季月は、現実世界の自分が眠り続けていることは気になるものの、任務が無ければ戻ることも出来ないので、多少の諦めと"せっかくだし"という思いから、小説の世界を味わってみることにした。
紅家は、三大名家と違い霊気を養う必要があまり無いため、山の中に拠点を構えておらず、医療に必要なものがすぐに手に入るという点で、比較的街に近いところにある。そのため荷物が多くならない日は籠などを使わず、散歩がわりに街まで歩くことも少なくない。
紅季月はシステムを連れ立って街を散策してみることにした。紅季月にとって、小説の世界ではあるが古代の街並みに触れる事ができるのはとても興味深かったし、システムが何に興味を示すのか?を調査するにも最適だと思った。
「システム、見てください!すごく賑やかですよ」
街に下りてみると、あらゆる商店が立ち並び、人々は買い物を楽しんだり、井戸端会議をしたり、子供たちが駆け回っていたりして、なんとも活気のある光景が広がっていた。
システムはこんなに人が大勢いるのを見たのは初めてだった。やはり電子モニターとして見ている時は、肉眼で直接見ているのと違い少し距離があるようだった。例えて言うなら、webカメラ越しで見ているような、そんな感じらしい。
「はぐれると大変なので、私の袖を掴んでいてください」
人の多さと、興味深いものがたくさんあるので、システムがそれらに意識を持っていかれてもすぐ気づけるように、紅季月は自分の袖を摘ませた。
(朝晩の通勤ラッシュよりは遥かにマシだな)
現代で駅の混み具合に慣れている紅季月は、人の間をすいすいと歩いていく。その彼の袖を摘みながら、少し後ろについていくシステム。まるで"主人と犬"のような構図だったが、二人はそれに気づいていない。
少し歩くと、紅季月の袖がツンと引っ張られるような感覚があり、振り返るとシステムがある店の前でじっと何かを見つめている。
「あ、月餅ですか。もうすぐ中秋節でも近いんですかね。子供の頃は母が大きい月餅を切り分けてくれて、家族でよく食べたなぁ」
「これが月餅ですか」
「さすがに月餅は知ってました?」
「データでは知っていますが、初めて見ました」
システムがまじまじと月餅を眺めている。初めて見るこの月餅の大きさに驚いているようだった。
月餅は一人分の大きさのものもあるが、”大月餅”と呼ばれる月餅は、大きいものだと直径約60cmほどのものもあり、中秋節にはこれらを切り分けて家族で食べるのが習わしだ。
「もう少し小さくて、君の好きな餡子入りのものもありますよ。お茶していきましょうか」
まだ気温自体はそこまで低くないが、肌を撫でていく風が冷たくて気持ちがいい。見上げた空は青く澄んでいて、秋の気配を感じさせる。こんな日には、外で一息つくのもいいだろう。
店の脇の外に設置されている椅子に並んで座り、二人は店の主人に、王道な小豆餡入りの月餅二つと花茶(茉莉花茶)を頼んで、それらが運ばれてくるのを楽しみに待った。この組み合わせ、間違いなく美味しい!
紅季月はシステムの方に向いて、とある質問を投げかけた。
「システム、月餅は月を模しているので丸いんですけど、丸いことで、何の象徴として親しまれているか知っていますか?」
「データを確認します」
うきうきと問いかける紅季月にシステムが答えようとしたその時、紅季月の背後から小さな物体がふわりと飛んできた!
──パシッ!!
システムはそれに気づくと、すぐに右手で掴み、左手で紅季月の袖を引っ張り自分の胸に隠すような体勢にし、姿勢を低くさせた。一連の流れは目にも止まらぬ速さだった。
「えっ?!」
「どうしました?!」
紅季月はすぐに何かが起きたのだと理解して問いかける。
「玩具の矢です。少し先、弓を持った子供が見えます」
「守ってくれたんですか?ありがとう」
「私の仕事なので」
どうやらこのシステムは、主人公の任務以外での負傷や死亡を回避するため、防衛機能が備わっているらしい。紅季月が雨に濡れたシステムに触ろうとした時、感電のおそれがあると静止し、心配した理由もわかった。
(これで任務以外での身の安全は確保される事がわかったぞ!)
紅季月はとても大きな番犬をゲットしたのだと、内心喜んだ。
「先生」
システムの胸元から上体を起こしながら、彼の呼びかけに応える。
「うん?」
「”delete”しますか?」
紅季月はシステムが何のことを言っているかわからず、思わず聞き返した。
「なにを?」
「子供を」
「!!」
システムのとんでもない発言に紅季月は飛び上がるほど驚いた。
(なんてことを言い出すんだ!主人公を護る"防衛機能"の精度が高すぎる!小さい子供ですら消そうとするなんて!)
本当にこのシステムは、心というものがまだ全然無い。感情が乏しいから、無情な事も簡単に言えてしまうんだろう。システムの"まるで機械のような"整った顔から発せられる言葉は、より冷酷で無慈悲に感じさせる。まぁ彼にとっては"小さい子供"ではなく"小説というデータ内のNPC(ノンプレイヤーキャラクター)"にすぎないのかもしれないが。そう例えば、村人Aみたいなものだ。おそらく彼らが居なく無くなったとしても物語にはなんの影響もない。
(システムの任務としては正しいのかもしれないけれど、いやぁ、例えそうだとしても・・・。糯米糍食べてるときは少し感情があるように見えたのにな~)
「そんなことしなくていいよ。いや、絶対にしないで。これからも餡子がたべたいなら」
紅季月が唯一システムが"好き"だと判明した餡子をつかって脅しをかけてみると心なしかシステムの顔が哀しそうに見えた(気がした)。
「すっげえ!! こいつ、手で矢を掴んだ!!」
興奮した声が聞こえてきた方を二人で見ると、そこには矢を放ったであろう子供が物陰から顔を出し、システムを指差しながらキラキラした目で大声で叫んでいた。
システムはすくっと立ち上がり、スタスタと子供の方に歩いて行く。その姿を見て、紅季月は(まさか本当に"delete"するんじゃないよな?!)とヒヤッとして「ちょっ、待って」と追いかけようと立ち上がったが、システムが片手で子供の首根っこを掴んで戻ってきて、紅季月の前にポイッと放り投げたので目が点になった。
子供はすこし体勢を崩したものの転ぶことはなくうまく着地し、システムに「なにするんだよ!」と喚き声をあげる。
「この人に当たりそうだった」
「別にいいだろ!玩具なんだから当たったところで痛く無いよ!」
たしかに、玩具の矢なので篦の(シャフトの意)部分は柔らかく、矢尻は丸く作られており、何かに刺さるという危険は無さそうだ。まぁ、人に向かって放つものではないのは間違いないが。
「この人に当たりそうだった」
「なんだよ!機械みたいな顔と喋り方しやがって!」
「・・・・・・」
子供から見てもそう感じるのか!と思ったら、紅季月は面白くて吹き出しそうになった。
「ふは。如雨君ありがとう。当たっていないし、大丈夫。君がうまく矢を取ってくれたからね。でも私以外の人に当たったら大変なので、坊や、的を狙ってみたらどうかな?」
「的?的なんて無いじゃないか」
「うん、いま私が描いてあげる」
紅季月は胸元に入れていた半紙を取り出して、くるりと筆を回し円を描いた。三連になった円は、中心に行くほど小さい。
「この的の真ん中に当てるのってすごく難しいんだけど、当たるとすごくかっこいいんだよ、知ってた?」
「知ってるし!」
「おお、流石だね」
店の裏側に移動し、人の通りがないことを確認すると、紅季月は的を描いた半紙を少し離れた場所に生えている木に貼り付けた。
「では思いっきりどうぞ」
「おう!やってやる!よく見ておけよ!」
子供は当然できると鼻をならし、得意げな顔で玩具の弓を思い切りしならせ、矢を放った。
小さい手から放たれた矢は、的を貼った木の横をゆっくり通り過ぎ、そしてパタリと地面に落ちたのだった。
「これは練習!!」
何度も何度も繰り返すが、子供の放つ矢は半紙にあたればいい方で、ほぼバラバラといろんな場所に向かって地面に落ちるばかりだった。
「・・・・・・」
「この弓と矢がおかしい。・・・お前ちょっと、やってみろ」
子供は、ぐいっと紅季月に持っていた玩具の弓矢を押し付けてきた。紅季月は少し困って苦笑いを浮かべやんわり拒否していたが、子供とシステムがじっと見つめてくるので、しぶしぶ受け取り、覚悟を決めて一本矢を放った。
プニャ!
紅季月の放った矢は、異音を放ってヘロヘロと見当違いのところへ飛んで行った。それどころか回転し、彼らの足元まで戻ってきてしまった。
「なんだ!おれより下手じゃないか!」
「あはは、芸術的って言ってほしいな」
ぎゃははと大笑いする子供に、頭をかいて苦笑していると、システムはヒョイと紅季月の上から弓を取り上げ、足元に落ちた矢を拾ってつがえ、目標を定めて勢いよく放った。
──パァン!
するとその矢は、脇目も振らずまっすぐに風を切って進み、的の中心の円のさらに中心に当たったのだ!
玩具の矢のため刺さることはないが、中心に当たった痕が紙にしっかりと残った。
「す、すごい!」
「すご!!!お前! まるで本当に"機械"みたいに正確だな! おれにも教えろ!」
紅季月と子供はとても興奮しながら、的とシステムを交互に見た。しかしその浮き立った気持ちも、システムの言葉で一気に地まで落ちる。
「断る」
「なっ!」
「教える理由がない」
「あるよ!!」
「如雨君、少し教えてあげてもいいんじゃ無いかな?」
紅季月は、子供がやいやい言っているのをシステムが無視する構図に苦笑しながら、二人の様子を眺めていると、店の方から小さく女性の声が聞こえてきた。
「阿浩ー!どこいったの?もう、すぐに居なくなるんだから・・・」
ふぅとため息をついたその女性のお腹は大きく、動くのも大変そうだったので、紅季月は自分の方から彼女の元にさっと駆け寄った。きっとあの子供の母親で、彼を呼びに来たのだろう。
子供はシステムに必死に抗議していて、自身を呼ぶその声に気づいていない。
「こんにちは、お坊ちゃんお借りしていました、すみませんご心配をおかけして」
「あら、紅先生?!」
この母親は紅季月を知っているようだ。 紅家に一番近い街なだけあって、紅家の者がよく物資の調達に来ていたり、紅季月をはじめ弟子たちが往診にきたりしているのだろう。
紅季月は母親の手を取り、先ほどまで自分たちが座っていた長椅子にゆっくり座らせると、彼女は安心したのか胸の内を話しはじめた。
「いえいえすみません、きっとうちの子がご迷惑お掛けしてるんだと思います、本当に最近ますますいうことを聞かなくて困ってて・・・私を困らせることばかりするんです。いままで出来ていたことも、私の手伝いがないとやらなくなったり。はぁ、本当、何が気に入らないのか・・・・・・」
女性は大きいお腹をさすりながら、本当に悩んでいるようで、深くため息をつきながら話しを続ける。よく見ると女性の白い顔はより一層目の下のクマが目立ち、ひどく疲れているように見えた。
「もうすぐお子さんお産まれになるんですね、おめでとうございます。お体大事になさってください」
「ありがとうございます。そうなんですよ、もうすぐ産まれます。だからこそ、あの子もお兄ちゃんになるからしっかりしてほしいのに、いつまでも甘えたで・・・・・・。気づけば叱りつけてばかりいますよ」
まったく、と呆れたように肩をすくめる女性に、紅季月は今感じたことを率直に話した。
「もしかしたら彼は"赤ちゃん返り"してるのかもしれないですね」
女性が怪訝そうな顔で聞き返す。
「赤ちゃん返り?」
「はい。赤ちゃん返りは、2人目以降のお子さんが出来て、いままでの環境が変わり始めるときに上のお子さんに現れる現象です。その子によって様々ですが、妊娠中の時から現れる子もいれば、生まれてから現れる子もいます」
「・・・・・・それは、どうして起こるんでしょうか?下の子が生まれるのが嫌だからでしょうか・・・?」
女性が心配そうに紅季月に尋ねたが、彼は胸を張って答えた。
「いいえ。理由は、お母さんが大好きだからですよ」
女性の心配そうだった顔が、一度きょとんとした後に、照れくさいような嬉しそうな母性溢れる表情に変わり、その様子に紅季月も思わず目を細めた。
「ただ、小さいながらに環境が変わり始めていることへの戸惑いを不安がどうしてもあって、弟や妹ができる喜びと同時に、大好きなお母さんを独占できなくなる不安で、そういった行動をとることがあります。
甘えさせることができる場面では、沢山甘えさせてあげてください。その愛されてるという実感は、自信となって、彼が成長していくなかで大きな支えとなりますから」
「確かに、最近はずっと怒ってばかりいたかもしれません。つい心配と焦りでカッとしてしまって」
母親は疲労が見える目元を押さえながら、すこし申し訳なさそうに俯いた。
「もちろん、奥さんの事情もありますし、妊娠中は不安定になりやすいので、無理せずできる範囲で心掛けるだけでも大丈夫ですよ。赤ちゃん返りは永遠に続くわけではないので、あまり気負わずに、肩の力を抜いてくださいね」
「ありがとうございます、なんだか心が軽くなりました。先生はまるで母親になったことがあるんじゃないかしらと思うくらい、よくわかってくれる」
「はは。母親の気持ちについて、考えることが多かっただけですよ」
「阿浩は本来とてもいい子なので、ここ最近の変化に戸惑っていました。このまま我儘に育ったり、下の子を嫌ってしまったらどうしようとずっと心配だったんです。主人はあまり気にしてないみたいで話にならないし」
「大丈夫ですよ、心配しなくても、彼は彼なりに少しずつお兄ちゃんになろうとしているはずです。ほら、年上のお兄さんとも上手にお話しています」
スッと紅季月が女性の視線を誘導した先は、弓を持った子供とシステムの姿だった。彼らは数回会話したのち、子供が大きく頷くと、システムは子供の横にしゃがんで、構えの姿勢を指導し始めた。
紅季月は内容こそ聞き取れなかったが、母親と話しながらも、システムと子供の二人のやりとりを耳に捉えていて、落ち着いたタイミングで母親に二人の姿を見せたのだが、システムが子供に指導していること、子供がシステムの言うことを素直に聞いている姿に彼自身驚いた。
「顎を引いて、胸を張って。軸がブレると視界もブレる、集中しろ。」
「わかった!」
システムの指示どおりに、子供は顎を引いて、胸を張り、脇をしめて足にしっかり重心を乗せて軸がブレないように努めた。
街の喧騒を遠巻きに、弓を引く音が静かに響く。
紅季月と母親はその様子をドキドキしながら眺めている。
「打って」
システムの言葉と同時に、子供の手から矢が放たれる。
その矢はパァン!と円の中心に当たって地面に落ちた。子供の力なので強くはなかったものの、半紙の中心にわずかに凹みをつけた。
「やった・・・!!」
子供の表情がみるみる明るくなる。喜びが今にも全身から溢れ出してきそうだった。
「わ!!」
女性が思わず驚きの声をあげると、その声で子供は母親の存在に気づいて駆け寄ってきた。
「あ!母さん! 見てた?おれ、かっこよかった?! 真ん中に当たったんだよ!」
興奮のあまり真っ赤な顔をして、子供はゼエハアと息をあげながら話す。
「見てたよ! すごいよ! すっごくかっこいい!」
母親が素直にたくさん褒めると、子供は照れくさそうに頭をかきながら、落ち着かない様子で、しかしとても嬉しそうな表情を浮かべた。その様子を見て、母親は自身の胸にグッと込み上げてくるものがあった。
(最近、この子を褒めたり甘やかしたりしたのはいつだったかしら。こんな嬉しそうな顔を見たのは、いつぶりだろう)
──ずっと我慢させていたのではないか?ちゃんと"この子"を見れていただろうか?
少し俯きながら、申し訳ない思いを巡らせていると、それとは気づいていない子供がはにかんで話し始めた。
「お母さん、おれね・・・強くてかっこいいお兄ちゃんになるから、元気な赤ちゃん、産んでね」
「!うん、うん、元気な赤ちゃん産むよ。ありがとう、かっこいいお兄ちゃん!」
母親は涙を浮かべて子供をぎゅっと抱きしめた。子供は恥ずかしそうに、やめろ!はなせ!と抗ったが、「たまにはいいじゃないの」と離さない。
そんな母親の腕の中で、子供の耳がますます夕焼けの如く赤く染まっていくのを、紅季月とシステムは微笑ましく眺めていた。
※※※
「沢山月餅いただいちゃった」
実は、その母親と子供は月餅を売っていた中華菓子屋の親子だった。子供の面倒を見てくれたお礼にと、どっさり月餅を渡してくれたのだ。子供からは「危ないことして悪かった、お詫びに今度弓矢を教えてやる」というありがたい言葉ももらった。
「あはは・・・私は恥ずかしながら、学生時代は勉強ばかりしてきたせいで運動神経は壊滅的なんだ。しかし君があんなに運動能力が高いとは知らなかったな、良いものを見た! とってもかっこよかった!」
システムに向かってにっこり微笑むと、彼はなんとなく落ち着かない感じで頭をかきながら視線を背けたが、紅季月はその様子も微笑ましく見ていた。
(ふふ。さっきの子供が褒められたときと同じ行動してる)
「そういえば、なんで子供に弓を教えるつもりになったんだ?あんなに拒否してたのに」
紅季月の質問に、システムは記憶を呼び起こして答えた。
「理由を言ったので、教えるに値すると判断しました」
「理由?弓を教えてほしい理由?」
システムは頷く。
「どんな理由だったの?」
「"おれはもうお兄ちゃんだから、強くなって家族をまもりたいんだ"と」
紅季月は目を丸くしたあと、心底安心したように微笑み、そこにはいない子供の母親に向かって呟いた。
「・・・・・・なんだ! 本当に何の心配もいらなかったですよ奥さん! よかった!」
システムが続ける。
「何故家族をまもりたいのかを聞いたら、"好きだから"と。
──好きな気持ちは尊重されるべきだと、先生が仰っていたので、教えました」
その言葉を聞いて、紅季月は胸が熱くなった。
システムは、彼が何気なく教えたことをきちんと覚えていて、さらにそのような配慮する行動まで取ったのだ。感情をすぐに理解することは難しくても、頭のいい彼は『知識』として捉え、データに蓄積し、それに見合った行動をとることができる。
これらのことは、いずれ経験値として彼自身の感情に対する理解に大いに役立つだろう。
紅季月はひどく心が震えたが、その一方で、まるで見た目そのものの真っ白な彼を、自分が垂らした数滴の紅色でじわりと染めていくようで、言いようのない高揚感と背徳感を覚えたのだった。
(うう、子育てってこんな感じ?・・・なんだろう、私にも母性が目覚めたのかな)
「先生は男性なのに母親の気持ちも分かるんですか」
システムの言葉に、紅季月は「うん、目覚めたかもしれない!」と笑い飛ばそうとしたが、彼のこの質問は先ほどの母親とのやりとりについてのことだろうとすぐ察しがついた。
「仕事の単なる経験則だよ。患者の中には母親になったことで出てくる悩みを相談しにくる人も少なくないからね。母親の悩みって、周囲の圧力もあって見過ごされがちなんだ。本人も気力でなんとかしようとしてしまうし。だから相談に来てくれただけでも、私はその勇気を出してくれたことを賞賛したい」
紅季月は高い空を見上げながら言葉を続ける。
「心が壊れてしまう前にちゃんと助けを呼べる勇気、そのSOSに気づける周囲の環境が大事だと思ってる。これは母親に限らず、全ての人に言えることだけど」
「心が壊れる?」
「私の母はね、鬱病で自殺したんだ。首吊りだった。私が10歳の時、母の部屋で最初に私が発見した。ゆらゆら揺れてる母の姿を今も思い出すよ。つまり私は、気づけなかった側なんだよね」
「・・・・・・」
「それから、私は分からなくなって。母は私を育ててくれていた時、本当に幸せだったのか?って。父は多忙だったから、私の子育てはほぼ母がひとりでしてくれてた。私に対してはいつも優しくて強くて完璧な母だったけど、でも、自殺した。それって、本当は俺が」
──俺が殺したようなものではないか?
「先生」
システムの呼びかけに、ハッと顔を上げた。
「あ、ごめん。余計なことをたくさん話してしまった。気にしないで。さぁ今日はもう帰ろう」
「先生が先ほど中華菓子屋で私に、”月餅の丸さが何を象徴しているか”と聞きましたので回答します。家族円満、を表している、とデータ辞典にあります。中秋節は団欒節と呼ばれることもある」
「ああ、その件。本当よく会話を覚えてるね。そうなんです、だから月餅は中秋節に家族で食べて、家族円満、一家団欒、家族の幸福を祈るんです。かなり昔から続いている、温かい風習なんですよね」
「先生は子供の頃、"家族でよく食べた"と仰いました」
「・・・・・・本当に、君はよく覚えてる」
システムの言葉が足りて無いが、紅季月には彼が言わんとしていることがわかる。
中秋節には、月餅を食べて家族の幸福を祈る。
つまり"母親も紅季月の幸福を祈っていたはずだ"と言いたいのだろう。
慰めてくれているのか、事実を述べただけなのか分からなかったが、今の紅季月にとっては別にどちらでも構わなかった。
「そうかもね、そうだといいな」
紅季月の今にも泣き出しそうな、笑い出しそう不思議な笑顔からは、珍しく彼の考えを読み取ることができず、システムはその表情からしばらく目を離すことが出来なくなっていた。
「わかりません」
「はは、美味しそうに食べていたじゃないですか。それは"好き"って言うんですよ。言ってみてください、はい、せーのっ」
「・・・好、き」
「いいね!好きって気持ちは、その人を構成する大事な部分で、尊重されるべき感情なんだ。是非覚えておいてね」
紅季月が何かにつけて、これは好きか?嫌いか?を聞くので、システムは少しずつではあるが、自分の好き嫌いを答えるようになった。(言わせてる節もあるが)
紅季月としては、機械が少しずつ自分の意思を持つことが興味深かったし、また、まるでクールな野良猫を手懐けていく過程のようで、ある意味"育成ゲーム"の如く楽しんでいる。
物語の世界に入り込んでしまい、ペナルティも付いていてあまりいい状況ではないにも関わらず、与えられた状況の中で楽しもうとするのは"せっかくだから"という思いからだった。紅季月にとっては好奇心は何よりも強い欲求で、時には恐怖をも上回る。なんともまあ肝が座っていると言うべきか、リミッターが壊れたちょっとした変態と言うべきか。
「システム、君の好きな餡子入りのお菓子を買いに出かけましょうか。ちょっと街の様子も見てみたい」
橙凛華のメンタルケアの件から2日、さすがに連日任務は無いようで、特に変わったことは起きていない。少し世界観に馴染んだ紅季月は、現実世界の自分が眠り続けていることは気になるものの、任務が無ければ戻ることも出来ないので、多少の諦めと"せっかくだし"という思いから、小説の世界を味わってみることにした。
紅家は、三大名家と違い霊気を養う必要があまり無いため、山の中に拠点を構えておらず、医療に必要なものがすぐに手に入るという点で、比較的街に近いところにある。そのため荷物が多くならない日は籠などを使わず、散歩がわりに街まで歩くことも少なくない。
紅季月はシステムを連れ立って街を散策してみることにした。紅季月にとって、小説の世界ではあるが古代の街並みに触れる事ができるのはとても興味深かったし、システムが何に興味を示すのか?を調査するにも最適だと思った。
「システム、見てください!すごく賑やかですよ」
街に下りてみると、あらゆる商店が立ち並び、人々は買い物を楽しんだり、井戸端会議をしたり、子供たちが駆け回っていたりして、なんとも活気のある光景が広がっていた。
システムはこんなに人が大勢いるのを見たのは初めてだった。やはり電子モニターとして見ている時は、肉眼で直接見ているのと違い少し距離があるようだった。例えて言うなら、webカメラ越しで見ているような、そんな感じらしい。
「はぐれると大変なので、私の袖を掴んでいてください」
人の多さと、興味深いものがたくさんあるので、システムがそれらに意識を持っていかれてもすぐ気づけるように、紅季月は自分の袖を摘ませた。
(朝晩の通勤ラッシュよりは遥かにマシだな)
現代で駅の混み具合に慣れている紅季月は、人の間をすいすいと歩いていく。その彼の袖を摘みながら、少し後ろについていくシステム。まるで"主人と犬"のような構図だったが、二人はそれに気づいていない。
少し歩くと、紅季月の袖がツンと引っ張られるような感覚があり、振り返るとシステムがある店の前でじっと何かを見つめている。
「あ、月餅ですか。もうすぐ中秋節でも近いんですかね。子供の頃は母が大きい月餅を切り分けてくれて、家族でよく食べたなぁ」
「これが月餅ですか」
「さすがに月餅は知ってました?」
「データでは知っていますが、初めて見ました」
システムがまじまじと月餅を眺めている。初めて見るこの月餅の大きさに驚いているようだった。
月餅は一人分の大きさのものもあるが、”大月餅”と呼ばれる月餅は、大きいものだと直径約60cmほどのものもあり、中秋節にはこれらを切り分けて家族で食べるのが習わしだ。
「もう少し小さくて、君の好きな餡子入りのものもありますよ。お茶していきましょうか」
まだ気温自体はそこまで低くないが、肌を撫でていく風が冷たくて気持ちがいい。見上げた空は青く澄んでいて、秋の気配を感じさせる。こんな日には、外で一息つくのもいいだろう。
店の脇の外に設置されている椅子に並んで座り、二人は店の主人に、王道な小豆餡入りの月餅二つと花茶(茉莉花茶)を頼んで、それらが運ばれてくるのを楽しみに待った。この組み合わせ、間違いなく美味しい!
紅季月はシステムの方に向いて、とある質問を投げかけた。
「システム、月餅は月を模しているので丸いんですけど、丸いことで、何の象徴として親しまれているか知っていますか?」
「データを確認します」
うきうきと問いかける紅季月にシステムが答えようとしたその時、紅季月の背後から小さな物体がふわりと飛んできた!
──パシッ!!
システムはそれに気づくと、すぐに右手で掴み、左手で紅季月の袖を引っ張り自分の胸に隠すような体勢にし、姿勢を低くさせた。一連の流れは目にも止まらぬ速さだった。
「えっ?!」
「どうしました?!」
紅季月はすぐに何かが起きたのだと理解して問いかける。
「玩具の矢です。少し先、弓を持った子供が見えます」
「守ってくれたんですか?ありがとう」
「私の仕事なので」
どうやらこのシステムは、主人公の任務以外での負傷や死亡を回避するため、防衛機能が備わっているらしい。紅季月が雨に濡れたシステムに触ろうとした時、感電のおそれがあると静止し、心配した理由もわかった。
(これで任務以外での身の安全は確保される事がわかったぞ!)
紅季月はとても大きな番犬をゲットしたのだと、内心喜んだ。
「先生」
システムの胸元から上体を起こしながら、彼の呼びかけに応える。
「うん?」
「”delete”しますか?」
紅季月はシステムが何のことを言っているかわからず、思わず聞き返した。
「なにを?」
「子供を」
「!!」
システムのとんでもない発言に紅季月は飛び上がるほど驚いた。
(なんてことを言い出すんだ!主人公を護る"防衛機能"の精度が高すぎる!小さい子供ですら消そうとするなんて!)
本当にこのシステムは、心というものがまだ全然無い。感情が乏しいから、無情な事も簡単に言えてしまうんだろう。システムの"まるで機械のような"整った顔から発せられる言葉は、より冷酷で無慈悲に感じさせる。まぁ彼にとっては"小さい子供"ではなく"小説というデータ内のNPC(ノンプレイヤーキャラクター)"にすぎないのかもしれないが。そう例えば、村人Aみたいなものだ。おそらく彼らが居なく無くなったとしても物語にはなんの影響もない。
(システムの任務としては正しいのかもしれないけれど、いやぁ、例えそうだとしても・・・。糯米糍食べてるときは少し感情があるように見えたのにな~)
「そんなことしなくていいよ。いや、絶対にしないで。これからも餡子がたべたいなら」
紅季月が唯一システムが"好き"だと判明した餡子をつかって脅しをかけてみると心なしかシステムの顔が哀しそうに見えた(気がした)。
「すっげえ!! こいつ、手で矢を掴んだ!!」
興奮した声が聞こえてきた方を二人で見ると、そこには矢を放ったであろう子供が物陰から顔を出し、システムを指差しながらキラキラした目で大声で叫んでいた。
システムはすくっと立ち上がり、スタスタと子供の方に歩いて行く。その姿を見て、紅季月は(まさか本当に"delete"するんじゃないよな?!)とヒヤッとして「ちょっ、待って」と追いかけようと立ち上がったが、システムが片手で子供の首根っこを掴んで戻ってきて、紅季月の前にポイッと放り投げたので目が点になった。
子供はすこし体勢を崩したものの転ぶことはなくうまく着地し、システムに「なにするんだよ!」と喚き声をあげる。
「この人に当たりそうだった」
「別にいいだろ!玩具なんだから当たったところで痛く無いよ!」
たしかに、玩具の矢なので篦の(シャフトの意)部分は柔らかく、矢尻は丸く作られており、何かに刺さるという危険は無さそうだ。まぁ、人に向かって放つものではないのは間違いないが。
「この人に当たりそうだった」
「なんだよ!機械みたいな顔と喋り方しやがって!」
「・・・・・・」
子供から見てもそう感じるのか!と思ったら、紅季月は面白くて吹き出しそうになった。
「ふは。如雨君ありがとう。当たっていないし、大丈夫。君がうまく矢を取ってくれたからね。でも私以外の人に当たったら大変なので、坊や、的を狙ってみたらどうかな?」
「的?的なんて無いじゃないか」
「うん、いま私が描いてあげる」
紅季月は胸元に入れていた半紙を取り出して、くるりと筆を回し円を描いた。三連になった円は、中心に行くほど小さい。
「この的の真ん中に当てるのってすごく難しいんだけど、当たるとすごくかっこいいんだよ、知ってた?」
「知ってるし!」
「おお、流石だね」
店の裏側に移動し、人の通りがないことを確認すると、紅季月は的を描いた半紙を少し離れた場所に生えている木に貼り付けた。
「では思いっきりどうぞ」
「おう!やってやる!よく見ておけよ!」
子供は当然できると鼻をならし、得意げな顔で玩具の弓を思い切りしならせ、矢を放った。
小さい手から放たれた矢は、的を貼った木の横をゆっくり通り過ぎ、そしてパタリと地面に落ちたのだった。
「これは練習!!」
何度も何度も繰り返すが、子供の放つ矢は半紙にあたればいい方で、ほぼバラバラといろんな場所に向かって地面に落ちるばかりだった。
「・・・・・・」
「この弓と矢がおかしい。・・・お前ちょっと、やってみろ」
子供は、ぐいっと紅季月に持っていた玩具の弓矢を押し付けてきた。紅季月は少し困って苦笑いを浮かべやんわり拒否していたが、子供とシステムがじっと見つめてくるので、しぶしぶ受け取り、覚悟を決めて一本矢を放った。
プニャ!
紅季月の放った矢は、異音を放ってヘロヘロと見当違いのところへ飛んで行った。それどころか回転し、彼らの足元まで戻ってきてしまった。
「なんだ!おれより下手じゃないか!」
「あはは、芸術的って言ってほしいな」
ぎゃははと大笑いする子供に、頭をかいて苦笑していると、システムはヒョイと紅季月の上から弓を取り上げ、足元に落ちた矢を拾ってつがえ、目標を定めて勢いよく放った。
──パァン!
するとその矢は、脇目も振らずまっすぐに風を切って進み、的の中心の円のさらに中心に当たったのだ!
玩具の矢のため刺さることはないが、中心に当たった痕が紙にしっかりと残った。
「す、すごい!」
「すご!!!お前! まるで本当に"機械"みたいに正確だな! おれにも教えろ!」
紅季月と子供はとても興奮しながら、的とシステムを交互に見た。しかしその浮き立った気持ちも、システムの言葉で一気に地まで落ちる。
「断る」
「なっ!」
「教える理由がない」
「あるよ!!」
「如雨君、少し教えてあげてもいいんじゃ無いかな?」
紅季月は、子供がやいやい言っているのをシステムが無視する構図に苦笑しながら、二人の様子を眺めていると、店の方から小さく女性の声が聞こえてきた。
「阿浩ー!どこいったの?もう、すぐに居なくなるんだから・・・」
ふぅとため息をついたその女性のお腹は大きく、動くのも大変そうだったので、紅季月は自分の方から彼女の元にさっと駆け寄った。きっとあの子供の母親で、彼を呼びに来たのだろう。
子供はシステムに必死に抗議していて、自身を呼ぶその声に気づいていない。
「こんにちは、お坊ちゃんお借りしていました、すみませんご心配をおかけして」
「あら、紅先生?!」
この母親は紅季月を知っているようだ。 紅家に一番近い街なだけあって、紅家の者がよく物資の調達に来ていたり、紅季月をはじめ弟子たちが往診にきたりしているのだろう。
紅季月は母親の手を取り、先ほどまで自分たちが座っていた長椅子にゆっくり座らせると、彼女は安心したのか胸の内を話しはじめた。
「いえいえすみません、きっとうちの子がご迷惑お掛けしてるんだと思います、本当に最近ますますいうことを聞かなくて困ってて・・・私を困らせることばかりするんです。いままで出来ていたことも、私の手伝いがないとやらなくなったり。はぁ、本当、何が気に入らないのか・・・・・・」
女性は大きいお腹をさすりながら、本当に悩んでいるようで、深くため息をつきながら話しを続ける。よく見ると女性の白い顔はより一層目の下のクマが目立ち、ひどく疲れているように見えた。
「もうすぐお子さんお産まれになるんですね、おめでとうございます。お体大事になさってください」
「ありがとうございます。そうなんですよ、もうすぐ産まれます。だからこそ、あの子もお兄ちゃんになるからしっかりしてほしいのに、いつまでも甘えたで・・・・・・。気づけば叱りつけてばかりいますよ」
まったく、と呆れたように肩をすくめる女性に、紅季月は今感じたことを率直に話した。
「もしかしたら彼は"赤ちゃん返り"してるのかもしれないですね」
女性が怪訝そうな顔で聞き返す。
「赤ちゃん返り?」
「はい。赤ちゃん返りは、2人目以降のお子さんが出来て、いままでの環境が変わり始めるときに上のお子さんに現れる現象です。その子によって様々ですが、妊娠中の時から現れる子もいれば、生まれてから現れる子もいます」
「・・・・・・それは、どうして起こるんでしょうか?下の子が生まれるのが嫌だからでしょうか・・・?」
女性が心配そうに紅季月に尋ねたが、彼は胸を張って答えた。
「いいえ。理由は、お母さんが大好きだからですよ」
女性の心配そうだった顔が、一度きょとんとした後に、照れくさいような嬉しそうな母性溢れる表情に変わり、その様子に紅季月も思わず目を細めた。
「ただ、小さいながらに環境が変わり始めていることへの戸惑いを不安がどうしてもあって、弟や妹ができる喜びと同時に、大好きなお母さんを独占できなくなる不安で、そういった行動をとることがあります。
甘えさせることができる場面では、沢山甘えさせてあげてください。その愛されてるという実感は、自信となって、彼が成長していくなかで大きな支えとなりますから」
「確かに、最近はずっと怒ってばかりいたかもしれません。つい心配と焦りでカッとしてしまって」
母親は疲労が見える目元を押さえながら、すこし申し訳なさそうに俯いた。
「もちろん、奥さんの事情もありますし、妊娠中は不安定になりやすいので、無理せずできる範囲で心掛けるだけでも大丈夫ですよ。赤ちゃん返りは永遠に続くわけではないので、あまり気負わずに、肩の力を抜いてくださいね」
「ありがとうございます、なんだか心が軽くなりました。先生はまるで母親になったことがあるんじゃないかしらと思うくらい、よくわかってくれる」
「はは。母親の気持ちについて、考えることが多かっただけですよ」
「阿浩は本来とてもいい子なので、ここ最近の変化に戸惑っていました。このまま我儘に育ったり、下の子を嫌ってしまったらどうしようとずっと心配だったんです。主人はあまり気にしてないみたいで話にならないし」
「大丈夫ですよ、心配しなくても、彼は彼なりに少しずつお兄ちゃんになろうとしているはずです。ほら、年上のお兄さんとも上手にお話しています」
スッと紅季月が女性の視線を誘導した先は、弓を持った子供とシステムの姿だった。彼らは数回会話したのち、子供が大きく頷くと、システムは子供の横にしゃがんで、構えの姿勢を指導し始めた。
紅季月は内容こそ聞き取れなかったが、母親と話しながらも、システムと子供の二人のやりとりを耳に捉えていて、落ち着いたタイミングで母親に二人の姿を見せたのだが、システムが子供に指導していること、子供がシステムの言うことを素直に聞いている姿に彼自身驚いた。
「顎を引いて、胸を張って。軸がブレると視界もブレる、集中しろ。」
「わかった!」
システムの指示どおりに、子供は顎を引いて、胸を張り、脇をしめて足にしっかり重心を乗せて軸がブレないように努めた。
街の喧騒を遠巻きに、弓を引く音が静かに響く。
紅季月と母親はその様子をドキドキしながら眺めている。
「打って」
システムの言葉と同時に、子供の手から矢が放たれる。
その矢はパァン!と円の中心に当たって地面に落ちた。子供の力なので強くはなかったものの、半紙の中心にわずかに凹みをつけた。
「やった・・・!!」
子供の表情がみるみる明るくなる。喜びが今にも全身から溢れ出してきそうだった。
「わ!!」
女性が思わず驚きの声をあげると、その声で子供は母親の存在に気づいて駆け寄ってきた。
「あ!母さん! 見てた?おれ、かっこよかった?! 真ん中に当たったんだよ!」
興奮のあまり真っ赤な顔をして、子供はゼエハアと息をあげながら話す。
「見てたよ! すごいよ! すっごくかっこいい!」
母親が素直にたくさん褒めると、子供は照れくさそうに頭をかきながら、落ち着かない様子で、しかしとても嬉しそうな表情を浮かべた。その様子を見て、母親は自身の胸にグッと込み上げてくるものがあった。
(最近、この子を褒めたり甘やかしたりしたのはいつだったかしら。こんな嬉しそうな顔を見たのは、いつぶりだろう)
──ずっと我慢させていたのではないか?ちゃんと"この子"を見れていただろうか?
少し俯きながら、申し訳ない思いを巡らせていると、それとは気づいていない子供がはにかんで話し始めた。
「お母さん、おれね・・・強くてかっこいいお兄ちゃんになるから、元気な赤ちゃん、産んでね」
「!うん、うん、元気な赤ちゃん産むよ。ありがとう、かっこいいお兄ちゃん!」
母親は涙を浮かべて子供をぎゅっと抱きしめた。子供は恥ずかしそうに、やめろ!はなせ!と抗ったが、「たまにはいいじゃないの」と離さない。
そんな母親の腕の中で、子供の耳がますます夕焼けの如く赤く染まっていくのを、紅季月とシステムは微笑ましく眺めていた。
※※※
「沢山月餅いただいちゃった」
実は、その母親と子供は月餅を売っていた中華菓子屋の親子だった。子供の面倒を見てくれたお礼にと、どっさり月餅を渡してくれたのだ。子供からは「危ないことして悪かった、お詫びに今度弓矢を教えてやる」というありがたい言葉ももらった。
「あはは・・・私は恥ずかしながら、学生時代は勉強ばかりしてきたせいで運動神経は壊滅的なんだ。しかし君があんなに運動能力が高いとは知らなかったな、良いものを見た! とってもかっこよかった!」
システムに向かってにっこり微笑むと、彼はなんとなく落ち着かない感じで頭をかきながら視線を背けたが、紅季月はその様子も微笑ましく見ていた。
(ふふ。さっきの子供が褒められたときと同じ行動してる)
「そういえば、なんで子供に弓を教えるつもりになったんだ?あんなに拒否してたのに」
紅季月の質問に、システムは記憶を呼び起こして答えた。
「理由を言ったので、教えるに値すると判断しました」
「理由?弓を教えてほしい理由?」
システムは頷く。
「どんな理由だったの?」
「"おれはもうお兄ちゃんだから、強くなって家族をまもりたいんだ"と」
紅季月は目を丸くしたあと、心底安心したように微笑み、そこにはいない子供の母親に向かって呟いた。
「・・・・・・なんだ! 本当に何の心配もいらなかったですよ奥さん! よかった!」
システムが続ける。
「何故家族をまもりたいのかを聞いたら、"好きだから"と。
──好きな気持ちは尊重されるべきだと、先生が仰っていたので、教えました」
その言葉を聞いて、紅季月は胸が熱くなった。
システムは、彼が何気なく教えたことをきちんと覚えていて、さらにそのような配慮する行動まで取ったのだ。感情をすぐに理解することは難しくても、頭のいい彼は『知識』として捉え、データに蓄積し、それに見合った行動をとることができる。
これらのことは、いずれ経験値として彼自身の感情に対する理解に大いに役立つだろう。
紅季月はひどく心が震えたが、その一方で、まるで見た目そのものの真っ白な彼を、自分が垂らした数滴の紅色でじわりと染めていくようで、言いようのない高揚感と背徳感を覚えたのだった。
(うう、子育てってこんな感じ?・・・なんだろう、私にも母性が目覚めたのかな)
「先生は男性なのに母親の気持ちも分かるんですか」
システムの言葉に、紅季月は「うん、目覚めたかもしれない!」と笑い飛ばそうとしたが、彼のこの質問は先ほどの母親とのやりとりについてのことだろうとすぐ察しがついた。
「仕事の単なる経験則だよ。患者の中には母親になったことで出てくる悩みを相談しにくる人も少なくないからね。母親の悩みって、周囲の圧力もあって見過ごされがちなんだ。本人も気力でなんとかしようとしてしまうし。だから相談に来てくれただけでも、私はその勇気を出してくれたことを賞賛したい」
紅季月は高い空を見上げながら言葉を続ける。
「心が壊れてしまう前にちゃんと助けを呼べる勇気、そのSOSに気づける周囲の環境が大事だと思ってる。これは母親に限らず、全ての人に言えることだけど」
「心が壊れる?」
「私の母はね、鬱病で自殺したんだ。首吊りだった。私が10歳の時、母の部屋で最初に私が発見した。ゆらゆら揺れてる母の姿を今も思い出すよ。つまり私は、気づけなかった側なんだよね」
「・・・・・・」
「それから、私は分からなくなって。母は私を育ててくれていた時、本当に幸せだったのか?って。父は多忙だったから、私の子育てはほぼ母がひとりでしてくれてた。私に対してはいつも優しくて強くて完璧な母だったけど、でも、自殺した。それって、本当は俺が」
──俺が殺したようなものではないか?
「先生」
システムの呼びかけに、ハッと顔を上げた。
「あ、ごめん。余計なことをたくさん話してしまった。気にしないで。さぁ今日はもう帰ろう」
「先生が先ほど中華菓子屋で私に、”月餅の丸さが何を象徴しているか”と聞きましたので回答します。家族円満、を表している、とデータ辞典にあります。中秋節は団欒節と呼ばれることもある」
「ああ、その件。本当よく会話を覚えてるね。そうなんです、だから月餅は中秋節に家族で食べて、家族円満、一家団欒、家族の幸福を祈るんです。かなり昔から続いている、温かい風習なんですよね」
「先生は子供の頃、"家族でよく食べた"と仰いました」
「・・・・・・本当に、君はよく覚えてる」
システムの言葉が足りて無いが、紅季月には彼が言わんとしていることがわかる。
中秋節には、月餅を食べて家族の幸福を祈る。
つまり"母親も紅季月の幸福を祈っていたはずだ"と言いたいのだろう。
慰めてくれているのか、事実を述べただけなのか分からなかったが、今の紅季月にとっては別にどちらでも構わなかった。
「そうかもね、そうだといいな」
紅季月の今にも泣き出しそうな、笑い出しそう不思議な笑顔からは、珍しく彼の考えを読み取ることができず、システムはその表情からしばらく目を離すことが出来なくなっていた。
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