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10.結果
しおりを挟む3人は橙凛華をつれて、先ほどまでの部屋に戻った。
寝具がないため寝かせる事はできず、ひとまず長椅子にもたれ掛けさせた。
頭の位置を少し低くし、足を足置きに置いて、頭より少し高めの体制を取らせる。
「う・・・ん・・・」
しばらくして、橙凛華の意識がはっきりとしてきたのを確認し、紅季月は声をかけた。
「凛華様、気分はどうですか?」
「紅先生・・・すみません。ご迷惑を・・・そして失礼な態度もお詫びさせてください」
橙凛華はひどく落ち込んだ表情を見せた。
「いえ、凛華様は何も悪くありません。私の配慮が足りませんでした、申し訳ございません」
紅季月はやり過ぎたことを素直に謝った。
ああいう場面ではつい、相手の反応が見たいがために試すような聞き方、話し方をしてしまうのが彼の悪い癖だ。
「いえ!謝らないでください!その・・・・・・先生がおっしゃったことは全て事実ですから。先生は身体の事だけでなく心のことまでお分かりになるんですね、驚きました」
暗い表情のまま不思議そうに問うてくる橙凛華を見て、紅季月は焦りつつ柔らかい表情で話す。
「あ、いや、えっと、実は最近、私は人の心についての勉強もしているんです。心と体は密接な関係がありますからね。
なので、よかったら私に話してみませんか?話すのに抵抗があるなら、独り言で大丈夫です。私たちは壁になるのは得意なんですよ。ね、沐阳」
「え!?あ、はい!壁なら誰にも負けません!当然、患者様のお話は他言しません」
突然話を振られた黄沐阳が咄嗟に壁としての誇りを語ったので、紅季月と橙凛華は思わず吹き出した。
(面白いキャラしてるなぁ、黄沐阳。システムは・・・・・・もう壁みたいなものだから問題ないな)
優しい紅季月の表情と、いまのひと笑いですこし心の強張りが緩んだ橙凛華は、ゆっくりと話し始めた。
「──弟弟子の背が、私を越した頃から、どんどん強くなっていきました。
一番強くて、一番師匠に信頼されていたのは私だったのに、どんどん抜かされて、私は・・・私は、このままじゃ駄目だと思って焦りました。醜い考えですよね・・・。
女の私は、どう頑張っても男性の力には勝てない。師匠の一番近くにいて、みんなの姉弟子としてずっとやってきたのに・・・。
自分の力が及ばず、自分の地位が揺らいでいくように感じて。いまの立場を失ったら、私の存在価値が無くなってしまうと思うと、怖くて、怖くて仕方ないんです。強くもない、誰かの役に立っていない私に価値はない。
きっと師匠も"その程度だったか"と落胆して、興醒めしていると思います・・・」
橙凛華チェン・リンファは心の不安を吐露した。その瞳にはうっすら涙が滲んでいる。
金当主から「弟弟子が強くなってから橙凛華が過剰に頑張り始めた」という言葉を聞いた時から立てた、紅季月の予測は当たっていた。
橙凛華は常に不安と焦りを抱えていたのだ。
これは現代社会でもよくあることで、後から入ってきた存在に立場を奪われそうになることで、自分の築きあげてきた立場や存在価値が失われてしまうと感じるものだ。その不安から出る行動は人それぞれであるが、後から入ってきたものを攻撃する者もいれば、自分が駄目だと追い詰めてしまうものもいる。
橙凛華は後者であった。
しかし、金当主は、この橙凛華の様子が普段と違うことに心配をし、わざわざ医者の紅季月を呼んだのだ。金家の弟子ならある程度、心身の回復術は身につけているにも関わらず、だ。橙凛華が言うような「落胆」し「興醒め」したとは到底思えない。
これは過度なストレスと自己肯定感の低さからきている、悲観的に物事を捉えてしまう"認知のゆがみ"だろう。
「凛華様、話しづらい心情を聞かせてくださってありがとうございます。
実は、私たちは金当主から凛華様の様子を見てほしいと頼まれてここに来たんです」
「えっ!私はまた師匠にご迷惑を・・・紅先生達にまで・・・本当にごめんなさい。私がもっと精神的にも強ければ・・・・ごめんなさい」
橙凛華は自分の体を両腕で包み込み、頭を下げて小さく丸くなって震えていた。その姿は、まるで捨てられるのを怯える子猫のようだった。そんな彼女を見て、紅季月は彼女が一人で抱えていたプレッシャーを悟った。誰にも話せず、どんなに苦しかったことだろう。
紅季月は落ち着いた声色で、聞き取りやすく、ゆっくり話し始めた。
「凛華様は、ご自身にとって大切な人が、調子が悪そうにしていたら、迷惑に感じますか?」
この質問に対し、橙凛華はすぐに顔を上げ
「迷惑だなんて、それはありえません!」と全力で否定した。
「そうですよね、そう言うことなんです」
紅季月は優しく微笑む。
「凛華様、人は心に不安や焦りを感じると、物事を悲観的に見てしまうんです。
そのせいで、実際に起こっている正しい現実を認識できず、もしかしたらこうかも知れないと悪い方向へ考えてしまってそれが事実だと歪んだ認識をしてしまいます。まずは、事実と、想像と切り分けて考えてみましょうか」
紅季月は質問を続ける。
「金当主は、凛華様に興醒めしたとか、落胆したと言う言葉、またはそのような態度をとりましたか?」
「・・・いいえ。変わらず優しく時に厳しく接してくださいます。でもそれは、師匠がお優しいから表に出さないだけで・・・」
「凛華様、いまのお言葉の、前半部分が実際に起こっている“事実”、後半部分が凛華様の考える“想像”になっていることに、気が付きますでしょうか?」
「・・・!確かに、そうですね」
「続けますね。周囲の人たちは、凛華様に対して態度が変わったり、指示に従わなかったりしていますか?」
「・・・いいえ。みんな変わらず接してくれて、共に励まし合いながら切磋琢磨できる仲間のままです」
「では凛華様をそこまで追い詰めている存在は、誰なんでしょう?」
橙凛華の瞳が大きく開いた。
「・・・私が、勝手に悪い方に想像していたのかもしれません。自分の中にある心配と現実の区別がついてなかったように思います。先生、なんだか今、少し霧が晴れたような不思議な感覚があります・・・」
「混乱したときは今のように、何が事実で何が想像かを分別すると落ち着くことができます。紙に書き出してもいいですね。書くことで客観的に見ることができます。不安で押しつぶされそうになったときは、心掛けてみてください、ゆっくりで大丈夫です」
「はい、心掛けます」
弱弱しかった橙凛華の声がしっかりしてきたのを聞き、紅季月は安堵した。
「まずはしっかり休息を取るようにしてください。健康な心は健康な身体に宿るといいますから。凛華様が元気じゃないと、金当主がまた心配して私を呼び出すので、私はいずれ金邸に住む必要が出てくるかも」
紅季月が軽く冗談を言うと、ふふ、と笑って橙凛華が答える。
「はい、紅先生ありがとうございます。」
橙凛華の顔に、明るさが戻っていた。
システムはじっとその様子を見つめている。
※※※
「凛華様の件は、長期的に見守る必要はあるけど、一旦は解決したと思うのに、元の世界に戻る気配がない・・・あれは任務じゃなかったのか?」
金当主からの依頼を終えた紅一行は、自身の屋敷に戻ってきた。
黄沐阳が仕事後の、慰労の茶を淹れに行ってくれているタイミングで紅季月がシステムに話しかけると、システムから予想外の返事が返ってくる。
「先生、ただいまペナルティ管理課から通信が届きました。ペナルティ20ポイントです。残980ポイント貯まると死にますので、ご注意ください」
「は?!ペナルティ20ポイント?!なっ?!どこで?!何を変えてしまったんですか私は・・・?!というか通信復活した?!」
紅季月は停滞していた情報が一気に入ってきて混乱した。しかも、何故か知らないうちに物語を変えていたようで、ペナルティがついている!
(橙凛華のメンタルケアをしたことがいけなかった?
いや、そんなはずがない。あのまま放置したところで事態が好転したとも思えない。下手したらその心の闇がきっかけで、魔界に堕ちることだってあり得たはずだ。それこそ大きな改変だろう!別の何かだ。しかし、それはどこで?なにが?)
「システム、まだ任務については分からないんですか?!」
「まだそちらの回線は修復中です」
「はぁ・・・・・・」
紅季月はがっくりと肩を落とした。しかしペナルティはついたが、メリットもあった。今回の件で"何か変化を起こした条件"があったことが明確になったことだ。
ゆっくり落ち着いて思い出して、考えてみよう。
"変えたこと"は何だったか。それはどのような影響を及ぼしたのかを。
それに、今回の件に関しては、ひとり悩める患者を救ったと思えば、まぁ悪くはない。小説の中の人物とはいえ、目の前の辛い思いをする者がひとりでも、少しでも楽になってくれればそれは医者として本望だった。間違いない。
そう思っていると黄沐阳がお茶と菓子を持って部屋に入ってきた。
「紅先生、お疲れ様でした」
「沐阳、ありがとう。わぁ、美味しそうなお菓子だね!」
「金家からお礼にと帰りにいただいた糯米糍(ノーミーチ)※です。おひとついかがでしょう。中身が黒胡麻と小豆のものがあります」
※餅の中に餡子などが入った餅菓子。表面を乾燥したココナッツや胡麻などをまぶしたものもある。
「しかし先生が、心の方も勉強なさっていたとは!俺はずっと近くに居たのに気づかず不甲斐ないです・・・一体いつ・・・」
黄沐阳は【自分の知らない先生】がいたことがショックだったようで、心底悔しそうな顔で見つめてくる。このままでは質問攻めに合うのではないか、ボロがでるのではないかと恐れた紅季月はあわてて話題をそらせた。
「いやいや!夜な夜なこっそりやっていたんですよ!あ、糯米糍美味しいですね!
さぁさぁ沐阳も好きな方、選んで食べてください。お疲れ様でした、沐阳の働きは素晴らしかったです!淹れてくれたお茶も美味しい!!」
「えっ!本当ですか!!ありがとうございます、ではひとついただきます!!」
黄沐阳は師匠から褒められてパッと表情が明るくなった。実に嬉しそうだ。
(よし、機嫌も直ったみたいだ。彼の扱いがわかってきた!)
無事に話題を変えることに成功した紅季月は、ほっと胸をなでおろすと、無言でやり取りを見ているシステムに対して声をかけた。
「シス・・・如雨君も食べてください。糯米糍は好きですか?」
「わかりません」
システムの回答は、紅季月ホン・ジーユエには初めから分かっていたことだったが、黄沐阳は信じられないというように驚いた。
「お前糯米糍を食べたことないのか?こんなに美味いのに!人生損してるぞ!それとも、食べられないほど貧しかったのか?・・・それならすまない、沢山食っていいぞ」
黄沐阳は話しているうちに心配になって、謝罪して自己完結した。勢いで話すことは多いが、基本的にいいやつなのだ。そんな姿をみて、紅季月もなんだか嬉しくなった。小説内の“紅季月”は彼を本当に大切に育てたのだろう。
(ごめん沐阳、君の大切な師匠の体、任務を終わらせてすぐに返すから。少しだけ辛抱してくれ)
受けた愛情がしっかり身についている黄沐阳を見て、ふと、この淡泊なシステムが愛情を知ったら、どう変化するのだろうと興味が湧いた。
(意外と嫉妬深くなったりして・・・あはは!まさかそんなこと)
脳内の冗談を打ち消し、紅季月はシステムに糯米糍が乗った皿を差し出す。
「では食べてみたらいいです。本当においしいですよ。そして君が糯米糍好きか嫌いか、小豆派か黒胡麻派かも、先生と沐阳に教えてくれたら嬉しいです」
人の心は繊細で、複雑で、美しくもあれば醜くもある。だからこそ愛おしい。せっかく人間になっているのだから、その間だけでも、システムにも純粋に感情を楽しんでもらいたい。(その様子をぜひ研究させてもらいたい!)紅季月はそう思った。
──ピピッ
──ペナルティ5ポイント追加。
第1章 完
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ご覧いただきありがとうございました!
しばらく続きの執筆期間に入りますので、更新はおやすみになります。
今後についての情報はSNSをご確認いただけたら嬉しいです。
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