不変故事ー決して物語を変えるなー

紅野じる

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9.疑問

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凛華リンファ様、精が出ますね」

 紅季月ホン・ジーユエは、裏の森の中でしばらく橙凛華チェン・リンファの剣の自主練習を見て、彼女が一旦休憩に入ったタイミングで声をかけた。橙凛華チェン・リンファはその声に気が付き振り向くと、表情を明るくさせ、手をグッと握ってみせながら話す。

「紅先生!いえ、私なんかはまだまだです。弟弟子たちの方が日々強くなっていますから、負けないようにしないと」

「もう十分剣も術の修行も、日々の業務さえ目を見張るくらいくらい努力なさっているのに、まだまだ上を目指される。本当に金当主は素晴らしい弟子を取られましたね」

「いえ、そんなことは・・・・・・」

 思いもよらず沢山の褒め言葉を貰い、橙凛華チェン・リンファの青白い顔が少し恥ずかしそうに赤くなった。その姿は、花が色づいたようになんとも可愛らしい。

「本当のことですよ。だからこそ、ちょっと確認させていただきたいことがあります。よろしいでしょうか?」

「?はい、なんでしょうか」
不思議そうにしている橙凛華チェン・リンファを見つめながら、紅季月ホン・ジーユエは続ける。


「最近、氷をよく食べたくなりませんか?」

「え?氷?」


紅季月ホン・ジーユエからの奇妙な質問に橙凛華チェン・リンファは目を丸くさせ、“氷”という単語を聞いて、黄沐阳ホワン・ムーヤンは「あ!」という顔をした。

「た、確かに、最近は氷がよく食べたくなります。暑いからですかね。食べると落ち着くというか」

「よくわかりました。凛華リンファ様、ちょっと頑張りすぎかもしれませんね」

「え?」

「血が足りていない症状が出ています。忙しくて食事もあまり摂れてないのではないですか?差し出がましくて恐縮ですが、少し休まれた方がいいと思います。このままでは倒れてしまいますよ」

 無償に氷が食べたくなる、青白い顔、というのは貧血の症状の代表的なものだ。
 多忙やストレスなどで食事がきちんと摂れてないないと、血液を作るための鉄分が不足してしまい、これまた貧血を引きおこしてしまう。20代~40代の約65%の女性が、貧血または貧血の予備軍と言われている調査がある。女性は特に気を付けなくてはならない。

 紅季月ホン・ジーユエは2つの事に気がついていた。

 まず、健康面では橙凛華チェン・リンファの働きっぷりや、顔色、黄沐阳ホワン・ムーヤンの報告から、貧血を疑ったのだ。そしてもう一つは、紅季月ホン・ジーユエの専門分野のものだ。


「ご心配ありがとうございます、でも私は大丈夫ですのでお気になさらないでください。私はどうしても頑張らなきゃいけないので、倒れても何度でも何度でも立ち上がりますよ!」


橙凛華チェン・リンファが冗談っぽく誤魔化したのを聞いて、これは一筋縄ではいかないと思い、紅季月ホン・ジーユエは少し意地悪に質問を続ける。

「どうしてそんなになるまで、頑張らないといけないんでしょうか?」


橙凛華チェン・リンファは少し表情を暗くしながら答えた。

「それは・・・私がまだまだ未熟だからです。みんなそう思っています。だから、人一倍努力しなきゃ。そうしないと・・・・私は・・・」

「そうしないと"自分の存在意義を感じられない"ですか?」


 橙凛華チェン・リンファの顔がピクリと硬直した。

 おそらく図星だ。

 しばしの沈黙のあと、橙凛華チェン・リンファは感情が爆発した。

「・・・・・・・ああもう!男性に何がわかるっていうんですか?!私は大丈夫ですから、放っておいてくださいよ!!」

凛華リンファ様、屋敷に戻りましょう」

「だから!大丈夫ですって!!」


橙凛華チェン・リンファが声を荒げキツく言い放つが、紅季月ホン・ジーユエは全く動じない。
職業柄、患者から怒鳴られることは多くはないが、少なくもない。慣れている。






 拒否されているのに、何度もめげずに話しかける紅季月ホン・ジーユエの姿は、システムには奇妙に映った。彼の行動は、整合性がとれず、全く理論的ではないように見えたのだ。

 急に大声を出したためか、橙凛華チェン・リンファは眩暈がし、ぐらりと大きく身体が揺れた。

 紅季月ホン・ジーユエはすぐに彼女の体を支えたが、橙凛華チェン・リンファは顔が真っ青で意識が朦朧としている。思いの外過剰な反応を示したため、ちょっとやり過ぎたかな、と反省した。

沐阳ムーヤン、すみませんが彼女を屋敷の部屋まで運んでもらえますか。中で引き続き様子を見ます」
「はい」

 黄沐阳ホワン・ムーヤンがすぐ橙凛華チェン・リンファを背負う。長身で鍛えている彼にとっては、橙凛華チェン・リンファは紙のように軽く、なんの負担にもならない。

「部屋に戻りましょう」
 システムに声をかけると、彼は先ほどからの、紅季月ホン・ジーユエの理論的では無い行動に対しての疑問を投げかけてきた。

「先生。橙凛華チェン・リンファはいま"放っておいてほしい"と言ったのに、なぜあなたはそうしないのですか?“放っておく”の意味は、“目をかけず、そのままの状態に置いておく”です。使用例は”仕事を放っておく”などで、”ほっとく”は放っておくが転じたものです。広辞苑より。」


 黄沐阳ホワン・ムーヤンが遠くから振り返り、「はあ?」といった不服そうな表情を浮かべている間、紅季月ホン・ジーユエは、即座に言葉のそのものの意味や使用例まで丁寧に教えられ、まるで電子辞書のようだなと吹き出しそうになった半面、この質問にすこし驚き、同時に納得もした。

 やはりこのシステムは"人間の感情の機微"というものをまだ知らないのだ。それゆえに読者にとって盛り上がる言動がわからず、"淡白"や"冷静"と評されているのでは?と思った。

 それなら、少しずつ人というものを教えていけばいい。さすれば、意思疎通もスムーズになり、任務をやりやすくなっていい事づくめじゃないか!
 何より、機械が人の心を理解していく姿を見られるのは、心の専門家としてとても興味深い。

 紅季月ホン・ジーユエは優しい表情でシステムに答えた。

「教えてくれてありがとう、勉強になった。でもね、人間が言う"放っていてほしい"と言う言葉の裏には、表面だけで捉えてはいけない、たくさんの気持ちが隠れているんだよ。私は元の世界で、その隠れた気持ちを拾う手伝いをしている。
人間の感情は、とても繊細で複雑。難しいし、私もまだ理解が及びませんが、君もきっと少しずつ分かってきます、今あなたは彼女や私と同じ人間なんですから」

 システムは、わからないと言った表情を浮かべている。紅季月ホン・ジーユエは、あははと笑いながら続けた。

「でもそうやって、気になることを質問するのはとてもいいよ!人間の感情の理解に役に立ちます、先生にどんどん質問してください、"白如雨バイ・ルーユー"くん」

「・・・・・・わかりました」

 黄沐阳ホワン・ムーヤンには二人の会話はよく聞こえていなかったが、白如雨バイ・ルーユーのトンチンカンな質問に紅季月ホン・ジーユエが笑って答えて相手を黙らせたのを見て(さすが俺の先生だ・・・!)となぜか誇らしげだった。

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