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一章

妹を助けても…… 4

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彩華あやかさんのご家族の方ですか?」

 見るからにお医者さんの格好をしたその人は、明らかに残念そうな、悲しそうな顔をしていた。

「はい……」

 俺は嫌な予感がした。このあとの未来が想像できたから。
 俺はもしかしたら、記憶を取り戻すかもしれない、まだそう思ってる。けど、お医者さんの顔は絶望に近い顔色で、まるでもう手の施しようがないかのような様子で……。

「あの、あなたは?」

「主治医です。彩華あやかさんのお兄さんのゆうさんで間違いないですか? 既にお父様にへのお話は済んでおります。できれば彩華あやかさんの容態について、ゆうさんにも知っておいて頂けるとありがたいのですが、お時間大丈夫でしょうか?」

 お医者さんのその言葉にはまるで、覚悟はできてますでしょうか? と聞かれたようで、胸の中のざわめきが止まらない。
 だって、ほとんど明らかだったから。このあと、このお医者さんが何を言うのか。
 俺に覚悟はできているのか? そんなの、わかるわけがない。今の今まで、ずっと後悔し続けてた俺が、何をどうしたら覚悟を持てるのか、そんなのわかるわけがない。
 何を持ってして覚悟ができたと言えるのか、それがわからない。それでも、俺はお医者さんの話を聞かなきゃいけない。それぐらいわかってる。
 けど、怖い。これ以上、彩華あやかから何かを奪わたのだと知るのが。俺は怖い。
 せっかく、俺は今、前向きな気持ちになれたのに。
 それなのに、お医者さんの一言で全てを失うのが、ここまでの彩華あやかの掛けてくれた言葉全てが無駄になるのが怖い。

「あの、ゆうさん? 都合が悪いようでしたら、また別日にでも……」

「あっ、いえ。その……」

 そこで、俺は口籠る。
 そこから先の言葉が声として出てこない。
 頭ではわかってる。『今日で大丈夫です』、『今日聞かせてください』そう言えばいい。
 それぐらい、俺だってわかってる。わかってても、その言葉を声として発することができない。
 けど、そんなときだった。

「お兄ちゃん?」

 彩華あやかからそう告げられたのは。
 大丈夫だと俺は彩華あやかにそう言った。
 俺は大丈夫だって。大丈夫だから彩華あやかは気にしなくていいって、そう言った。
 それなのに、ここで彩華あやかを不安にさせてどうする。ただでさえ、不安を抱えてるだろう彩華あやかの不安の種を増やしてどうする。
 俺は彩華あやかの兄だ。何があろうと、俺は彩華あやかの兄だ。
 それなのに、なんで妹の彩華あやかを不安にさせて平気でいれる。
 兄なら、彩華あやかの感じてる不安を和らげてあげるべきだ。今の俺にはそんなことしかできないんだから。
 それなのに、俺は自分のことばかり考えて、彩華あやかのことを無視して。そんなんだから彩華あやかに嫌われて。
 なんにも反省してない。なんも変わってない。そんな俺じゃ、駄目なのに。
 後悔しても変われないんじゃ、俺は本当にどうしようもないクズだ。
 だから、俺は彩華あやかのためにも変わらなきゃいけない。少しでも、彩華あやかの気持ちを楽にしてあげるために。
 自分のことなんか後回しにしてでも。
 もう、後悔なんてしたくない。
 だから、俺は例えなんと言われようと、しっかりとお医者さんの話を聞き遂げなくちゃならない。俺が犯した罪を償うために。
 少しでも彩華あやかに笑顔でいてもらうために。

「今日……大丈夫……」

 なんとか発したその声はカスカスになってしまった。
 けれども、俺はそう言えた。しっかりと言えたかはわからない。いや、しっかりとなんて言えてない。
 それでも、そう言えた。今、俺が言わなきゃいけない言葉を。

彩華あやか、そういうことだから、ちょっとお医者さんのお話を聞いてくる」

「うん。お兄ちゃん」

 そう言って笑顔を見せてくれる彩華あやかに、俺は元気をもらう。
 そして、俺もそれなりに覚悟が決まる。この先、お医者さんが何を言うのかなんてわからない。
 それでも、お医者さんの発する言葉を全て受け止めるために、今の彩華あやかを知るために。

「わかりました。それでは、付いてきてください」

 お医者さんはそう言って、俺を別の部屋に案内する。
 それから、俺にその部屋の椅子に腰掛けるように言うと、こう言った。

「端的に申し上げますと、退院に関してはすぐにでも可能であると思われます。ただ、記憶の方に障害があるようでして……それに関して、なにか心当たりなんかはございますでしょうか?」

「えっと、あの日のこと、ぐらいしか……」

「そうですか……。一応体の方への問題は一切見つかっておりません。ですので、記憶の方への障害がどこよりきてるものなのか、私共の方ではわかりかねます。ですから、記憶を取り戻すということに関して、こればかりはハッキリと申し上げますと、かなり難しいかと思われます」

 そう、お医者さんに言われて、俺は安堵していた。事態は思ったよりも深刻じゃない。記憶に障害がある、ここだけなんだ。そう思うと、なんとなく良かったと思えた。
 もちろん、記憶に障害があるというのも、問題ではあるのだが、想像してた最悪の事態は回避できたのだと思うと、俺は安心してしまった。

「その、記憶に障害があるとのことですが、本人からは記憶喪失と聞きました。全く覚えてなかった、と考えて間違いないですか?」

「そう、ですね。ほとんどそれで間違っていないのですが、ゆうさん、あなたの名前だけ覚えておりました。この病院についてからずっと、ゆうという名前を連呼しており、私共は少しびっくりしてしまいまして。ゆうさんとは誰かと聞いても、彩華あやかさんは、わからない。けど、大事な人の名前だったはず、とそう教えてくれました」

 お医者さんのその言葉を聞いて、俺は全くわけがわからなくなる。俺の名前が、いや、俺が大事な人? どういうことなんだ?
 俺はあの日、完全に彩華あやかに嫌われた。少なくとも、俺はそう思ってた。
 それなのに、彩華あやかは大事な人だと思ってくれていた。わけがわからない。わけがわかるわけがない。
 それでも、それでも、俺の心は暖かい温もりで覆われ、そして俺の目からは涙が溢れていた。ポロポロと。
 お医者さんは、そんな俺を優しく見守ってくれている。優しい笑顔で見てくれている。
 彩華あやかがあの日、あのとき、何を思っていたのか、そんなことわからない。もう、知りようがない。本人はすでにいないから。この世にはもういないから。
 それでも、それだからこそ、俺はきっと辛くて悲しさで泣いていた。
 けど、それ以上に、俺は嬉しかった。
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