同じ地獄で眠りたい

佐藤シオ

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新月の夜

新月の夜 八

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 床に脱ぎ捨てたはずの私の服はベッドの下の方へ置かれていた。のろのろとそれを手に取り、未だに夢に沈みかけている体を通す。

 ここから逃げるには上の階にある自室に戻って金を取って来なければいけない。いつ男が戻ってくるかわからないのに、客や他の娼婦、スタッフを通り抜けて自室で金を回収して、駅まで走らなければ。

 その後は?

 どうせ私が持っている全財産など大した額ではない。列車の相場も知らない。数字は辛うじて読めるが文字はわからない。人に聞いて列車に乗れたとして、どこまで遠くに行けるのだろう。逃げた先で別の娼館に入って……そんな生活をいつまで続ければいい?

 考えれば考えるほど、私の心は部屋の闇に溶けていく。

 死にたいわけじゃない。しかし、日々の苦しみから解放される方法はもうそれしか残っていないのではないかと毎晩ベッドの中で思う。今生き延びたとして、歳をとれば客も減る。頭の悪い私は別の仕事になんて就けない。

 いっそあの男に殺されるのであれば、マックスのような客に殺されるより幾分かマシな気さえした。

「おや、もう着たのか。準備がいいな」

 ぼうっと思考を巡らせるうちに男が戻ってきた。手には一つの鞄を持っていて、それをベッドの上に置くと口を広げてランタンで中を照らす。

「確認しろ。お前の私物はこれで全部か?」
「私物、って……何で……?」

 中には数着の服と粗末な紙が適当にまとめられた安いノート、羽のほとんど抜けたペンにほとんど底が見えているインクの瓶。確かにそれらは私の物だったが、金を入れた袋は見当たらない。

「……私の金だけ、ない」
「コインの数は覚えているか?」
「覚えてる」
「なら、後で俺から同じ金額を渡そう。それを持ってきたのは支配人だからな。そいつがくすねたんだろうよ」

 男はマントを羽織り、鞄からぼろぼろのコートを取り出すと私の肩に掛けた。状況が呑み込めない。どうやら支配人と話したらしいが、何がどうなったら彼が私の荷物を持ってくる結果になるのだろう。

「貴方、何をしたの?」

 彼の指が私の髪を梳く。元通り革手袋に覆われたそれはゆっくり頭を撫で、髪を整え、ペットを可愛がるみたいに触れてくる。

 ずっと上にある顔を見上げるが、緩く持ち上がった口角までしか見えない。しかし、その影はやけに優しく温かい。

「支配人からお前を買ってきた。ちょうど女中を探していたんだ。ここよりよっぽどいい条件で雇ってやる」
「女中? 私が?」
「あんなに可愛い声で鳴かれちゃ拾ってやりたくもなるし、どうせ近くに置くなら好みの女がいい。ほら、早くコートを着ろ」

 言われるままにコートの袖に腕を通すと満足気に微笑まれる。買われた娼婦がどうなるかなんて知らない。何人かいたことにはいたけれど、その後の生活がどうだなんて話は聞かないから。

 でも、ついて行ってみようと思った。

 今の生活が変わるならば何でも良かったのだ。その先で殺されようとここで死ぬよりはきっといい。馬鹿げた博打だが、どうせ失うものなんて小さな鞄一つ分しかない。
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