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【シリーズ1】ノラ・ジョイの無限の泉 ~みなしごノラの母の教えと盗賊のおかしらイサイアスの知られざる正体~
#8 願ってもない申し出
しおりを挟むイサイアスは久しぶりに馬にまたがり、胸の中の空気を外の新鮮な空気とすっかり入れ替え、気分は揚々としていた。自分にはノラが見つけ出せる、確信にも近い思い込みがあった。あの日手紙とともに残されていた珊瑚の指輪を胸のポケットに忍ばせて、イサイアスは王都中を駆け巡った。日が暮れるまで馬を走らせたが、城下街の民の好奇な目に触れる以外に目新しいことはなにもなかった。
「イサイアス王子、今日のところはもう……」
食事も休憩もなく王子の後をただひたすらについて回ったアルフレッドと新しい従者たちは、心身共にへとへとだった。
「お前たちは先に帰れ。日が落ちれば出てくる顔ぶれも変わる」
「ええっ……」
星が輝く時間になると、イサイアスのそばに残っているのはアルフレッドとアルロの二人だけだった。春とはいえ、まだまだ晩は冷える。汗でぐっしょり濡らした体は次第に冷たくなってきた。
「イサイアス王子、そろそろ帰りましょう。風邪を引いてしまいます……」
「アルフレッド、お前は帰れ。そっちの新顔も帰っていい。灯台下暗しで王都にいると踏んでいたが……。俺はもう少し回ってみる」
「そ、そんな……」
アルフレッドは眉を八の字に下げて、鼻をぐずつかせた。アルロは馬を下りると、イサイアスを見上げた。
「それでは王子、しばしここでお待ちください。いま、近所を回って羽織るものなど借りてまいります」
そういうが否や、アルロは駆け出しそばの民家のドアを叩いている。イサイアスはにわかに目を見開いた。駆け戻ってくると、アルロはイサイアスにマントを差し出した。
「さあ、どうぞ。朝から晩まで街をひとつずつ探していけば、見落としがなく最も確実でよいご判断だと思います。明日はマントや携帯できる食べ物や水を用意いたしまして、次の街を回りましょう」
星の光に照らされたアルロの顔は真剣そのものだった。
「おまえ、名はなんという」
「アルロ・フィ・レノでございます」
「アルロ、そのマントはお前が使え。今日はここまでだ。明日からはお前のいうとおりにするとしよう」
***
コルネットの街を出たノラは、とある街の教会へ身を寄せていた。そこは、かつてアイビスが素晴らしいといっていた絵のある教会だった。いずれは、もう一度フリューゲルの別荘屋敷かジョコラータ邸に行ってみようと思っていたノラだったが、その前に絵を目にしたいと思ったのにはわけがあった。アイビスは聖母の絵を見てこう思ったらしい。
「別に、俺のおふくろに似てるわけじゃあないんだ。それなのに、おふくろに会ったような気がしたのさ」
実際、教会の中央に飾られている聖母メアリーアンヌの等身大絵画は、ノラに母の記憶を思い出させた。母の顔とはまったく違う。だが、全てを受け入れ包み込むような温かさは、母に感じる思いそのものだった。ノラも思った。
お母さん、ここにいたのね……。
さみしさにうちひしがられていたノラは、この絵のそばから離れがたくなってしまった。しかも、描いた画家はエルフェンス・ジョコラータ。もはや、縁を感じないわけがなかった。
「ノラ、またお祈りしていたのですか?}
「シスター・スー、すみません。掃除が終わったので……」
「いいんですよ。それで、お手紙は書けましたか?」
「あっ、はい、ここに」
ノラは、ジョコラータ夫妻にあてた手紙を書いていた。聖母の絵画を見た心の震えがやまぬうちに、その感動をしたためた。そして、もしも心を砕いて下さるならば、新しい仕事を紹介して欲しいとも。新しい仕事が見つかるまでは、教会にいていいとこのシスター・スーが心を配ってくれたのだった。
「いいお返事が来るといいですね」
「はい、シスター・スー」
手紙を受け取ってシスター・スーが出ていくと、ノラは再び絵に向き直り、膝をついて祈りをささげた。
この国に住む人々が幸せでありますように。王宮で暮らすあの人が幸せでありますように、と……。
***
一日一日と過ぎていく中、ノラの足取りは依然つかめず、イサイアスの従者はアルフレッドとアルロだけになっていた。アルロは体も精神もまだまだこどもだったが、気難しい王子にぴったりと付き従っていた。イサイアスも次第にアルロに気を置くようにもなっていた。
「今日はそろそろ終わりにしませんか、アルロも疲れているようですし……」
「いえ、僕はまだ大丈夫です」
イサイアスは振り返ってアルロの眠たそう顔を見ると、すぐさまうなづいた。そのときのアルフレッドのほっとした顔と言ったら。……
王宮へ帰る道々、イサイアスはアルロに話を聞くようになった。寝不足と疲労が重なりうたた寝をして、アルロが落馬しないとも限らないからだ。
「フリューゲルの森はそのように美しいところか」
「特に冬が一番です」
「そうか、それでお前はそんなに辛抱強いのだな」
「はい?」
「お前以外の従者はみなやめていった。アルフレッドだとて楽しくて俺に付き合っているわけではあるまい」
アルフレッドは気まずそうに下を向くだけだった。
「それは……、姉に教わったからです。人のためになりなさい。つらいときこそ、相手を思いやりなさい。欲しければまず与えなさい。姉は僕に辛抱強く接してくれましたから」
アルフレッドはわずかに右上を見て、自分の記憶を確かめた。
「ええと……? レノ家は君のほかに子どもがいたかい? ああ、従姉のお姉さんだね?」
「いいえ、腹違いの姉です。今はどこにいるかわかりませんが……」
「へえ! あの愛妻家で知られるレノ候にそんなロマンスがあったとはね! ヴェルハースト候もきっと知らないだろうなぁ」
アルロは小さくちらりと王子の顔色を窺った。イサイアスの横顔にはなにも変化がなかった。イサイアスがノラという名前の少女を探していることを知ったときから、アルロは父フレーデリクセンと相談したうえで、出仕を早め、その機会を待っていたのだった。アルロとフレーデリクセンは思っていた。盗賊に連れ去られ、足跡途絶えてしまったノラが、今度こそ見つかるかもしれないと。
アルロはじっとイサイアスを見つめていたが、反応がないのでもう一度だめ押ししてみようと口を開きかけた。
「アルロ、もう一度言ってくれ」
「え?」
「さっきの、姉の口伝だ」
「あ、はい……。一つ、人のためになりなさい。そうすれば、おのずと道はひらけます。二つ、つらいときこそ、相手を思いやりなさい。三つ、欲しければまず与えなさい。人を救うことは、自分を救うことと同じです。四つ……」
「姉の名はなんという?」
「ノラです……。ノラ・ジョイ」
振り向いたイサイアスの顔には、アルロの求める答えがはっきり写っていた。
***
その翌朝、ヴェルハーストは自分の屋敷に戻るや否や、すぐにファゴットの街に向けて馬車を走らせていた。
「なるほど、なるほど! ノラがまさかあのノラ・ジョイだったとはな! 偶然とはいかなるものか、なんとも面白いことになったものだな……!」
王宮に出仕したばかりアルフレッドは、ヴェルハーストを見つけるや否や、昨日の大発見を自分の成果を振るうがごとくすっかりすべてを報告をしていた。ヴェルハーストは、遠目からイサイアス商会の看板娘を見ているときにはまったく気がつかなかったが、言われてみれば、姿かたちや声までも、以前ジョコラータの屋敷で見たノラとおんなじだっだ。なぜ気がつかなかったのかと自分で自分を疑うくらいだったが、いやはや、面白いことになった。ヴェルハーストは一人にやにやと車窓の流れる景色を眺めた。
ファゴットの街、ジョコラータ邸は突然のヴェルハースト候の来訪に大慌てになった。折りしも、ちょうどノラの手紙が届いた直後だった。
「へえ、それは興味深いな! ぜひわたしにも手紙をみせてもらえないだろうか?」
とまどうエルフェンスとメリーアンをよそに、ヴェルハーストはこの件はわたしに任せてほしいといって、手紙を持ち去ってしまった。前回同様にノラを案じてヒステリーを起こしかけたメリーアンだったが、奇しくもメリーアンのお腹には、もう一人の子どもが宿っていた。
「あなた、あなた! ヴェルハースト様を止めて! 今度こそノラは妾にされてしまうわ!」
「メリーアン、もう遅い! もういってしまった……!」
***
ノラのもとをヴェルハーストが訪ねてきたのは、そのたった二日後のことだった。手紙の返事がまさか侯爵の登場だとは思わず、教会のシスターたちも面食らうしかなかった。
「たまたまジョコラータ邸を訪ねていてね、君の窮地を知ったものだから、改めて私に力になれることはないかと思ったのだよ」
相変わらずの美形にきらめくような笑顔、ひさしぶりに見るヴェルハーストは自信と魅力にあふれていた。いうまでもなく、いつかのヴェルハーストからの申し出がノラの頭をよぎった。
「今でも、わたしは君を養女に迎えてもいいと思っているよ。君さえよければだけどね」
ノラの心は落ちる夕日のように一色に染まりかけていく。以前メリーアン・ジョコラータはこういっていた。ヴェルハーストの養女になれば社交界にデビューできると。それはつまり、またイサイアスと会えるかもしれないということだ。しかも今度は、ただの孤児の街娘としてではなく、立派な後ろ盾のある貴族の娘として。ノラの気持ちは嫌が応にも高まった。もしかしたら、イサイアスと一緒になれるかもしれない……!
願ってもない申し出だった。
心が揺れた。あきらめたはずのイサイアスの手にに、もう一度この手が届くかもしれないと思うと、ノラは平静ではいられなかった。大声で、私はここよ、イサイアス! 叫びだしたい気分になった。
でも待って!
ノラの頭の片隅では、それを静観している意識もあった。メリーアンは、こうも言っていた。ヴェルハースト侯のところへ行ったら、彼の妾になってしまうのよ。それもまた揺るがしがたい事実。エルフェンスはそれはわからないといっていたけれど、前より少し大人になったノラには、メリーアンの話がより現実味を帯びて感じられる。
ノラの想いは激しく揺れて、はっきりとした言葉はなに一つ出てこなかった。
「あの、わたし……」
「すぐに決めなくてもいいのだよ。そうだ、ジョコラータ夫妻が一度屋敷を訪ねるよう伝えてほしいと言っていた。どうだね、わたしと一緒に行く気があるかい?」
それがいい……! きっとジョコラータ夫妻ならまた親身になってくれるに違いない。ノラは即座にうなづいた。
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