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【シリーズ1】ノラ・ジョイの無限の泉 ~みなしごノラの母の教えと盗賊のおかしらイサイアスの知られざる正体~

#5 盗賊かしらイサイアス(2)

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「いいか、できるだけ高く売りつけてやれ。変な情をかけるなよ!」
「へ、へえ……」
「それが済んだら、いつもの街はずれの一本杉に来い。もたもたするな!」
「へ、へえ!」

 馬車が駆け去っていった。
 ノラは手を縛られ、どうすることもできないままそこにいた。
 売られる。
 つまりは奴隷という意味だ。
 ――ああ……お母さん! 
 わたしはどうなってしまうの、こんなとき、どうしたらいいの……!
 絶望に身を固くしたノラだったが、アンディとケスは馬車が見えなくなったのを確認すると、すぐさまノラの縄を解きにかかった。

「……ア、アンディ?……」
「俺たちは、一度あんたに救われてる。逃げるんだ。ケス、あれを」

 ケスが布袋をノラに持たせた。

「ノラ、給料前だからこれしかないけど、馬一頭くらいなら買えるはずだよう」
「ケス……」

 アンディとケスは覚悟の笑みを浮かべた。

「腕の一本や二本は仕方ねぇ。もともとへまをしたのは俺たちだからな」

 アンディは強引にノラの背中を押し出した。
 アンディとケスは各々、逃げる準備をしてきたらしい。
 胴巻きや靴の中から、旅道具を引きずり出した。

「行くんだ、ノラ」
「で、でも……」

 突然ケスがノラの腕をつかんだ。

「プ、プディング、うまかったよぅ。あ、ありがとう」

 そういい残すと、アンディとケスはくるりと背を向け走り出した。
 ノラの礼の言葉さえ聞かないで。

 ふたりの男は死に物狂いで走っていた。

「急げ、ケス、急げよ~っ!」
「ア、アンディ、本当に逃げ切れるかなぁ? 落ち合う場所に来ないのがわかったら、おかしらは絶対血眼になって俺達を探しにくるよう」

 ケスは器用にも走りながら、得意の指揉みをしている。
 彼の精神安定法なのだ。

「だとしても、俺達に他の道があるか? 黙って腕を切られてもいいってんなら、お前をここに置いていくぞ!」
「いや、それは困るよう! あっ……!」

 ケスは行く道の先に人影を見つけて指をかんだ。
 アンディもそれに気づき、すぐさま顔色が変わった。

「お、おかしら……!」
「やっぱり裏切ったか……。俺はいったはずだ。掟を破ることは許さないとな」

 イサイアスのどすの利いた低い声が、不気味に響いた。 

 一本杉の足元に、男がふたり縛られている。

「……だ、第一の掟、おかしらのいうことは、ぜ、絶対である……」
「第ひのおひて、脱しょうのちゅみは……、ひを持ってつぐゅにゃうべし……」

 ふたりは盗賊団の掟を暗唱させられている。
 アンディとケスは一つずつ交互に違う掟を暗唱しているのだが、その顔は一様にボコボコでひどい有様だった。
 盗賊の仲間たちは心を鬼にして、アンディとケスの行く末を見つめていた。
 口をはさむことなどできはしない。
 逆らえば、彼らと同じ運命をたどることになるのだ。

「掟を破りは裏切りだ。俺は裏切り者を許さない。俺への忠誠を果たせないやつはこの盗賊団には必要ない」

 イサイアスは冷たい瞳で、銃を抜いた。

「ひっひいいっ!」

 今ここで、ふたりの人間が死ぬ。
 運命は決定づけられた。
 イサイアスの凍りついたように冷静な声が響く。

「死ぬ前のいい残すことがあるのなら、今聞いてやる」

 アンディとケスは不細工な顔でお互いを見合い、それからケスがぼそぼそといった。

「お、おかしら……あの娘を追うつもりなんで……?」
「当たり前だ。今すぐ見つけられなくても、いずれ殺さなければならない」

 アンディは口の中まで腫れてうまくしゃべれない。

「しょ、しょれを……、どぅうかい逃してやってはもへえないでしょうか……」

 ケスも続いた。
「お、おかしらは……女こどもにはなにがあっても手を出さないお人のはずだよう……」
「ノラは望んで盗賊団の一員になったのだ。一度仲間になったからには、女こどもといえど容赦しない」

 そのときうっかり口を挟んでしまったのは、ステルスだった。

「でも、ノラはなにも悪いことをしてません。俺たちが勝手にノラの手伝いをして、おかしらにいわれたことを忘れただけで……」

 イサイアスはぎろりと睨みつけた。

「ならば、お前ら全員片腕になりたいか」

 言葉が消え、面々から顔色もが失われた。
 しばし沈黙が続いたとき、遠くから馬の駆けてくる音がした。

「あの女、警備兵を呼びやがったな……。いやでもおかしい。馬は一頭のようだ……」

 銃を向けたイサイアスだったが、馬から降りてきたのは、なんとノラだった。
 ぐったりと木に縛られているアンディとケスを見ると、ノラはわき目もふらずに駆け寄った。

「アンディ! ケス!」
「ノラ……。なんで、もどょってきたんだ……!」
「あ、あんたまで殺されちゃうんだよう!」

 血と涙で汚れたふたりの顔を見て、ノラにはとうてい理解できなかった。
 わからない。
 どうしてこんなことができるのだろう。
 アンディとケスの痛みを感じて、ノラは泣きそうになった。
 盗賊だから、こんなにひどいことができるのだろうか。
 だけど、ふたりは仲間なのに! 
 家族のいない彼らにとって、盗賊団は生きる糧であるとともに、帰る場所なのだ。
 盗賊団が家族なのだ。
 そんな家族にどうしてこんな仕打ちができるのだろう。
 逃げたほうがいいのはわかっていた。
 実際、ノラはケスから受け取ったお金で馬を買った。
 アンディとケスは、イサイアスから逃げ切ることはできるのだろうか? 
 捕まればひどい目にあわされる。
 それでも彼らはノラを逃がしてくれたのだ。
 それを無視して、どうしてひとりだけ逃げることができるだろう。

「ひどいわ……イサイアス……」

 氷のような表情の男を見た。
 その瞳が恐ろしくて、ノラは全身が震えた。

「まさか、ふたりのために戻ってきたのか……」

 イサイアスの顔は冷徹そのものだったが、その内心はひどく驚いていた。
 なぜだ。
 なぜノラは戻ってきた。

「どうしてこんなことができるの? アンディとケスは仲間でしょう……?」
「こいつらは俺を裏切った。死を持って償うのが掟だ」
「待って、イサイアス……!」
「お前も戻ってきたからには覚悟しているのだろうな。パルス、しばり上げろ!」

 ノラは一瞬頭の中が真っ白になりかけた。

 気が遠くなりそうになるのを、ノラは必死でこらえた。

「お願い、待って!」
「なんだ」

 ノラを縛ろうとしたパルスが手を止め、イサイアスは再びノラを見つめた。
 この娘はなにをいう気だ。
 その場にいた全員が、ノラを見つめた。

「あなたはずっと、こうやって生きてくの?」
「なに?」
「自分を裏切ったら罰を与えて、そして殺してしまうの? 今までもずっとそうしてきたの? そんなことをしていたら、あなたの周りには誰もいなくなってしまうわ」
「なんだと?」
「わたしのお母さんはこう教えてくれたわ。欲しければまず与えなさい。人を救うことは、自分を救うことと同じだと。信頼が欲しければ、まず相手を信頼するの。優しくしてほしければ、優しくして。誰かを救えば、自分が救われるわ。人を助けることは自分を助けることと同じなのよ」

 歯の浮くような説教に、イサイアスは大きく顔を歪めた。

「それは詭弁だ! この世の中、信頼すれば裏切られる! 優しくすれば付け込まれる! 人を助けたところで得になることなどない! 一度許せば相手はつけ上がる! 裏切り者は何度でも裏切る! 誰かを救っても、誰かが救ってくれるとは限らない! いや、人は他人を掬わない。それがこの世の中だ!」
「違うわ、イサイアス!」

 ノラは立ち上がった。
 言葉にすると、不思議と勇気が湧いてくる。
 母の言葉が後押ししてくれるのを感じた。

「あなたを裏切り、傷つけた人がいるとすれば、その人はきっとそうしなければならないほどつらかったの。その人も苦しんでいたはずよ」

 盗賊団の統領は、はっ、と笑った。

「苦しんでいただと! 人を裏切って平気でいる奴だぞ! なぜ苦しんだりしるんだ!」
「それはその人にしかわからないわ。だけど、アンディとケスの苦しみならわかるでしょう? 死にたくなかったのよ!」

 イサイアスは思わず黙った。
 ノラには揺らぎない信念が満ちている。
 こんな目をした女性を、イサイアスは知っていた。
 だが、その人は。……
 
「だったら教えてもらおうじゃないか。俺の母は、一族の裏切りによって死んだ。殺されたのだ。母を死なせた奴らは、今ものうのうと暮らしている。奴らは苦しんでいるか? 答えは否だ! 母は優しい人だった。一族を守っていくことに心を砕き、誰よりも献身的だった。その母は救われなかった。お前はどう説明する!」

 氷のようなイサイアスに、ノラは初めて人間らしい部分を見た気がした。

「イサイアス、わたしにあなたのお母さんのことを話してくれてありがとう」

 ノラはイサイアスの前へ進み出た。
 イサイアスは目の前にたった一人で立つ娘を見つめた。

「そのときなにがあったのか、わたしにはわからない。でも、そのことであなたが苦しんでいるとすれば、あなたのお母さんはきっとつらい思いをしているわ。あなたは幸せにならなければいけないのよ」
「俺が幸せに……? 俺が? どうして幸せになれる! 母を失い一族を追われ、盗賊にまでを身をやつした俺が、この先どうやって幸せになるというんだ!」

 ノラは真剣なまなざしを送った。

「人のためになるの。そうすれば、道はおのずと開けるわ」

 イサイアスは不思議な心地でノラを見ていた。
 この娘は、こんな窮地に立っていながら、なぜこんな明るい目をしているのだろう。
 なぜ、こうも母と同じようなきれいごとをいうのだろう。
 ノラはわずかに揺れるイサイアスの瞳を見据えた。

「あなたは幸せになる。わたしはそう信じるわ」

      ***

 眠れない夜だった。
 あんな瞳はもう長い間見たことがない。
 まるでこの世は救いに満ちているとでもいわんばかりの、確信めいた明るい目……!
 やめてくれ。
 最後まであんな瞳をして、母は逝ってしまったではないか。
 アジトの彼の部屋の中、ベッドの上でイサイアスはぎゅっと目をつぶった。
 仲間たちに詳しく話してはいないが、その実、イサイアスは高貴な家の生まれの人間だった。
 盗賊として持ち過ぎている者しか襲わないのは、彼自身が生家に恨みを持っているからだ。
 イサイアスの母は本妻だった。
 イサイアスはその一人息子であり、家は彼が継ぐべきものと決まっていた。
 しかし父親に妾ができ、彼女と彼女を利用して権力と財産を手に入れようとする者たちによって、母とイサイアスは次第に追いやれていった。
 騙され貶められ、裏切られ、母は死んだ。
 殺されたも同然だった。

 妾たちの一派にまるめこまれて、父さえも、最後には本妻とイサイアスを顧みることはなかった。
 イサイアスは許さない。
 父、妾、取り入って権力と金を手にしようとした奴ら、すべてを。
 母は清く、優しい人だった。
 なによりも一族のことを心から案じていた。
 人のために行動することが自分の役目だと心得ていた。
 周りの人々が心地よくあるようふるまう細やかな人だった。
 街の孤児に施しをする母の姿は、今でもよく覚えている。
 なぜ、母が死ななければならなかったのだろう。
 あんなに心優しく、気高く、美しかった母が。
 母を失った後、イサイアスはもはや死んだも同然との扱いを受けて家を追放された。
 九つの身空で孤児となった。
 それまで坊ちゃん暮らししか知らなかった彼にとって、底辺のそのまた底の暮らしはまさに想像を絶するものだった。
 貧困と荒廃、荒んだ者たちの魂によってイサイアスは手ひどい洗礼を受け、その精神は瞬く間に塗り替わった。
 なぜ母が死ななければならなかったを、イサイアスが理解するのに時間はかからなかった。
 弱い者は奪われ、虐げられ、死んでゆく。
 やらねばやられる。
 信じたら裏切られる。
 やられたらやりかえすのではない。
 やられないためにやるのだ。
 母は奪おうとしなかった。
 だから奪われたのだ。
 喉を引き裂かれる前に、相手の喉を引き裂かないったのがいけなかったのだ。
 人のため、なんて馬鹿げている。
 そんな甘いことをいっていたら、すべてを奪われて、ねずみとカビたパンを奪い合い、路露に濡れて眠ることになる。
 気高い精神では腹は膨れない。
 ノラもどうせ、いずれは死ぬことになるのだ。
 母のように。 
 イサイアスは天井を仰ぎながらしばし物思いにふけった。

「あいつになにができるか見届けてやろうじゃないか。たかが知れているがな。ふん。あんな小娘にできるなら、とうに俺たちでやっている。どうせ、なにもできずに逃げ出すのがおちに決まっている……」

 それなのに、眠れないのはなぜだろう。
 まだ心のどこかで希望を捨てきれないでいるのかもしれない。
 そうでなければ……。
 イサイアスの部屋から対角に離れたノラの部屋で、ひそひそ声がさざめいている。

「あんたという人は命知らずだな。冷や冷やしたよ!」

 汗を拭く真似をするパルス。
 その肩に手を乗せてステルスは笑った。

「でも、ノラはすごいよ! あのおかしらがノラを許したんだよ! ノラのいうとおりにしてもいいといったんだ。ねえ、どうするつもりなの、ノラ?」

 その少年の頭を殴って、口の前に指を立てたのはケスだ。

「声がでかい。おかしらに聞こえるんだよう」

 盗賊一味たちがノラを取り囲んで、興味津々としている。
 その中には古株のディビーもいた。
 ディビーは数字に強いので実質的な金庫番をしている。

「俺は長いことこの一団にいるがこんなことは初めてだ。一度入っちまったら抜けらんねぇのがイサイアス盗賊団だ。俺は長いこと金庫番をしてお前らの取り分を分けて来たけどよ。俺だって死にたかねぇ。俺だって怖ぇえんだ。俺はよ、親分にいわれてずっと金を管理してきたんだぜ」

 コバドーンが眉をあげた。

「ディビーよう、お前の話は長ったらしいくせに、要点がちっともはっきりしねぇ。早いのは計算だけだ。それでなにがいいたいんだい?」

 コバドーンは人当たりのよさそうな柔和な雰囲気があり、弁の立つ利け者だ。
 その安心感のある容姿と巧みな話術で、盗品をあたかも正規取引品のように高値で売り付けるのが役目だ。
 ディビーは少し早口になった。

「お、俺がいいたいのはだな、つまり、金の管理はこの俺がしてきたということだ。取り分は親分にいわれたとおりに、とにかく俺がきっちり計算してるってことだ。つまり、俺は親分が怖ぇえから、仕方なくそうしてるんだが、とにかく俺が勘定をしてるんだ」
「それはわかったよ。それで?」
「だから、つまりその分配がどうなってるかっていうと、おかしら以外は全員一。平等に一だ。特別いい働きをしたものは二」
「んなこたぁ知ってるよ!」

 痺れを切らす面々。
 ディビーは少しばかり焦った顔になった。
 計算ならぱっと答えが出せるのに、言葉でなにかを説明しようと思うと、いいたいことがうまくまとまらないのだ。

「それで、つまり、俺は今までおかしらが怖くてお前らに秘密にしてきたことがあるんだ。つまりそれがなにかってぇと、俺たちがいただく分け前が一なんだ」
「だから、それは知ってるっつってんだろ!」

 ディビーは顔を赤くした。

「つまりよ、つまりよ! だからよ、おかしらの分け前はというと、俺たちがたったの一なのによ、おかしらは二十なんだ!」
「な、なんだって!」
「に、にじゅうぅ?」

 一同に驚愕の表情が浮かんだ。
 コバドーンはディビーのいいたいことをまとめた。

「つまり、おかしらの取り分は今までずっと二十だった。お前はそれを不服と思っていたが、おかしらが怖くて口にできなかったと、そういうことか?」
「そうだ」

 ディビーが頷く。
 面々に動揺と共に、怒りが走った。

「いくらなんでもそりゃねぇよ! 俺たちだって命を張ってやってんだぜ!」
「確かに、少ねぇとは思ってたけどよ……」
「俺たちがいくら稼いだって、まるまるおかしらの懐へ入るってわけじゃねぇかよ!」

 盗賊たちの憤りは一斉に持ちあがった。
 そこに一人冷静な顔を見せたのはコバドーンだった。

「まあ、待て、お前たち」

 コバドーンは思慮のありそうな顔つきで一味を眺めた。

「おかしらは確かに厳しい掟を敷くうえに、裏切り者には容赦しない。だが、俺たちゃあ、行くところのねぇならず者だ! おかしらは確かに怖ぇえが、おかしら自身が約束を守るし、この一味にいる限りおかしらは仲間を守る。一本筋の通った男だ」
「それはそうだけどよ! こんな形で俺たちをだますなんて許せねぇぞ! 仲間を裏切るなというおかしらが、俺達を裏切っていたんだからよ!」
「俺たちが字も書けねぇからって、馬鹿にしてんだ!」
「く、くそぉっ! なんでぇ!」

 一度火の点いた男たちの勢いは止まらない。
 興奮する男たちに向かって、コバドーンが声を上げた。

「まあ、聞けって。落ち着け。これだからおかしらはお前たちに分け前をたくさん与えられないんだ。お前たちはすぐにかっとなる。後先が見えてやしない」
「なんだと!」

 コバドーンが、まあまあと手を上げた。

「お前たち、この家で暮らしていくための食料や酒や家畜を買う金を、いったい誰が出していると思ってるんだ? おい、ステルス、こないだお前が腹痛を起こしたときの治療代を払ったのは誰だ? お前たちの中で一人でも、分け前を蓄えている奴はいるか? この家に来て、誰か一人でも食うもんにこと欠いたことがあるか?」

 各々が口を閉ざし、互いの顔を見あった。。

「おかしらが厳しい掟を敷くのは、俺たちを守るためだ。盗賊団なんて所詮、烏合の衆。ひとりでも裏切れば、警備隊に追われ散り散りになり、俺たちはまた路頭に迷うことになる」

 熱くなってつい、我が身を省みることもせず、おかしらを非難してしまった男たちだったが、コバドーンの意見には反論する余地はなかった。

「それにお前たちも知ってるだろ? 街に行っちゃあ、おかしらは浮浪児たちにパンを買って与えてやってるんだ。なぜか俺たちに見つからないよう、こっそりとだけどな……。お前らだってここのほかに行く場所のなかった身なら、おかしらの気持ちがわかるだろ?」

 一味はそれぞれにうなずいて見せた。
 コバドーンの視線は男たちを一周して、最後にノラを見やった。

「おかしらはああいっていたけど、おかしらは俺たちに対して決して卑怯なことをする人じゃないんだ。確かに俺たちは盗賊だが、俺たちなりの掟を守って生きているつもりだよ。あんたはおかしらになにをさせたいのかわからないが、おかしらがあんたを許した以上、俺はあんたに協力しようと思う。それで、あんたはなにをしようというんだい?」

 男たちは顔を見合わせ、そして頷いた。

「ああ……、ああ、そうだ!」
「ああ! そこだよ!」
「なあノラ、いったいなにをする気なんだ?」

 ノラは盗賊たちの話に驚きながらも、どこかほっとしていた。
 冷徹な鬼人かに見えたイサイアスだったが、こうして聞いてみれば、なかなか見どころのある男のようだ。
 無法者を束ねるにはそれなりの器というものが必要らしいことが、ノラにも少しわかった気がする。
 そうなると、これから一体どうするのか、それが重要になってくる。
 当のノラには、なにひとつアイデアはなかったけれど、それでも未来は真っ暗ではないという気がした。

      ***

 翌日からノラは、いつもの仕事の合間に男たちの話を聞くことを始めた。
 この盗賊団が、なにか人の役に立つことを探さなければならない。

「えぇ? 大工仕事をどこで覚えたかって? 俺の故郷はトランペット地方の田舎でな、寒いとこなんだがいい針葉樹がたくさんあるんだ。家も家具も古くから男が作るのが習わしよ」

 というのはアイビス。

「馬はやっぱり栗毛だよ。こういう胸と尻がしっかりしたのがいい。俺たちゃ、普通の商人や旅人が通らないような裏道を使うだろう? 普通の道で行くより早い分、馬に負担が大きいんだ。だから馬の良し悪しを見分けることが重要ってわけだ」
 というのはコルドー。

「ノラ、鶏が卵産んだよぅ。ま、またプディングを作ってくれるかい? 昔住んでたオーボエの街じゃあ、卵の置物が喜ばれるんだ。卵は生命の誕生を表すからよう。俺、ノラに作ってやるから、殻をおくれよ」

 というのはケス。

「なにを蒔いてるかって? これはゴールデンビンズって豆の一種だ。この辺じゃあ手に入らねぇから、自分で育ててみようと思ってな。うまいんだ、これが」

 というのはパルスだ。
 ノラは盗賊団全員に、得意なことやできることを聞いてまわった。
 なにか商売をするにしても、みんなのできることはばらばらだった。

 そのどれもこれもが、対価としてそれなりの金額を頂戴するには、もの足らない腕ばかりだ。
 ケスの卵の置物に至っては、生ゴミと間違えられてイサイアスに捨てられてしまう始末だった。

「なに、卵の置物だと? あれはどうみても腐った卵から死んだヒヨコが出てるようらしか見えなかったぞ」
「お、おかしら、ひどいんだよう……」
「お前の腕が悪いからだ。本当の卵の置物はこういうものだ」

 イサイアスは紙とペンを取り出して、さらさらと美しい装飾の卵の置物の絵を描いた。
 中が開くようになっていて、そこには小さな少年と山羊がいる。

「わあ、イサイアス、絵が上手なのね」

 ノラは、ふとエルフェンスのことを思い出した。
 急な成り行きでフリューゲルの屋敷を出ることになってしまったために、結局手紙も出せていない。
 そろそろ子どもが生まれるはずだが、どんな様子だろうか……。

「わたし、前に絵画師の旦那様の家で働いていたことがあるの。まるで旦那様みたいに上手だわ」
「俺の母は絵を描くのが趣味だったのだ」
「へえ……」

 イサイアスの横顔とその絵を見ていると、イサイアスが不意にノラに視線をやった。

「ところでノラ、あれからもう五日になる。本当ならもう次の仕事に出なきゃならないが、どうする気だ? 金がはいらなければ、俺たちはここで飢えるしかないんだぞ」

 ノラは正直に答えた。

「考えているんだけど、まだどうしたらいいかいい案が思いつかないの。ねえ、イサイアス、相談に乗ってくれる?」
「俺がか?」
「そうよ。今、お茶を淹れるわ。昨日倉庫を掃除していたらきれいなカップが出てきたの」

 ノラは湯を火にかけて、棚から箱を取り出して来た。
 イサイアスが箱を覗いて、その中の一つを取り上げた。

「これはコッポ窯、あとのはルーセン窯のものだ。数と規格が揃わないから売り物にならない。使おう思って置いておいたんだが、すっかり忘れていたな」

 ノラは紅茶の缶を開ける手を止めて、カップを見た。
 イサイアスはどうしてすぐに違う窯のものだとわかったのだろう。
 屋敷勤めしていたノラでさえ、カップの裏も見ずに窯まで言い当てることはできない。

「ノラ、ル―セン窯のを使え。紅茶をいれたときの滑りが違う」

 ……そうか。
 多分イサイアスは元貴族かそれに仕えるような仕事をしていたに違いない。
 だから絵も描けるし、陶磁器の窯のことまで知っているのだ。
 その瞬間、ノラの頭の回路が結びつき、光が灯った。

「イサイアス! いいことを思いついたわ。地図を見たいの!」
「地図だって?」
「そうよ、みんなの意見も聞きたいわ。みんなを呼んでくる!」

 みなを集めた後、地図を広げてノラは指さした。
  
「拠点はここ、コルネットの街」
「ノラ、あんた、字が読めるのか?」

 驚きの声をあげたアンディに、ノラはにっこりほほ笑み、さらりと恐ろしいことをいってのけた。

「これからはみんなにも覚えてもらうわ」

 盗賊たちは、ぎょとしてノラの笑顔を見つめた。

「アイビス、トランペット地方にはいい木がたくさんあって、家具作りが盛んといったわね」
「あ、ああ」
「パルス、ゴールデンビンズはこのあたりでは手にはいらないといったわね。どこへ行けば手に入るの?」
「ゴールデンビンズはピッコロ地方の南の方だ。一部でしか採れないから、都でもなかなかお目にかかれないんだぜ」
「オーボエの街では卵の置物が喜ばれるのよね、ケス?」
「そ、そうだよう」

 ケスはいつ間にやら拾って持ち帰って来た、自作の卵の置物を直している。

「みんなは盗賊だもの。普通の商人が使わない裏道を知っていて、彼らよりも素早く移動できるのよね?」
「ああ、そうさ」
「あたりまえだ」

 頷く面々。
 ノラはディビーとコバドーンを見た。

「ディビーとコバドーンは、コルネットの街でも、もう商人としてもうすっかり顔なじみなのよね?」
「ああ、そうだよ」

 コバドーンは返事し、ディビーは余計なことをいわずにただ頷いた。
 最後にノラはイサイアスを見た。

「イサイアスは、一目見ただけでいい品かどうかがわかる目利きだわ」

 イサイアスは眉を上げた。

「それがなんだというんだ。そんなこと昔っから知っている。一体なにがいいたいんだ?」

 ノラは息を吸って胸を張った。

「わたし、みんなの話を聞いて思ったの。みんな、ここへ来るまでにいろんな土地で暮らしていろんなものを見てきているわ。それに、一晩で街と街、村と村を駆け抜けることのできる強い馬と術を知っている。これってすごいことじゃない?」

 普段褒められるようなことなどない男たちは、なんだか無性にむずかゆくなった。
 にやけたり、照れ隠ししたりで、各々が顔がゆがめた。

「だから、わたしたちは、どの街や村に住む人々よりも、いろんな土地についてのいろんな情報を持っているわ」

 ノラは地図を指さした。

「たとえば、ゴールデンビンズをピッコロ地方から仕入れて街や都で売るのよ。ここでは手にはいらない貴重な食材だもの、きっと高く売れるはずよ」
「ああ……」

 パルスは顎を撫でた。

「たとえば、トランペット地方で作られた家具を仕入れて街で売る。あるいは材料としての木材を仕入れて売るのよ」
「ほう……」

 アイビスは顔を上げた。

「オーボエの街では卵の置物が喜ばれるということは、きっと高くていいものを欲しがる人がいるわ。イサイアスの目利きでいいものを仕入れてオーボエの街で売るの」

「そうか、そりゃあいい! きっと売れるんだよう!」

 ケスは卵の置物から顔を上げた。
 ノラはにっこりと笑った。

「ね? わたしたちは二十一人も仲間がいるんだもの。それぞれの故郷や住んでいた村や街ではなにが特産なのか、なにが求められ、どんな品物なら高く売れるかを知っているはずだわ。その情報を出し合えば、わたしたちはきっとそれぞれの土地が求めている需要を満たし合うことができるはずだわ。どうかしら、わたしたちは商会を作るのよ!」

 にわかに、おおっとどよめきが湧いた。
 しかしすぐに、ちっちっと舌打ちしてアンディが首を振った。

「ノラ、そりゃ絵に描いたデニッシュってもんだ。商売をやるには金の計算ができなけりゃあならねぇ。それに、高価なものを取り扱うなら字の読み書きも必要だろ? おかしらとコバドーンとあんたをのぞいて字の読めねぇし、おかしらとディビーを以外はみな数字に弱いんだぜ」

 ノラはきっぱりといった。

「だから、みんなに読み書きと計算を覚えてもらうわ」

 今度はイサイアスがいった。

「こいつからが全員字と数を覚えるまでに、俺たちは全員腹をすかして死んじまうぞ」

 ノラは、待っていましたとばかりにイサイアスを見てにやりとした。

「心配いらないわ! あなたがいるじゃない、イサイアス!」
「俺が?」

 ノラは卵の置物の絵が描かれた紙を取った。

「イサイアスは絵がうまいわ。文字で伝わらないことは絵で表せばいいのよ。絵は誰が見てもその意味を理解することができるわ。教会に飾られている絵もそうよ。字を知らなくても、絵を見れば神様のことがわかるでしょう?」

 イサイアスはその口を開けた。
 開けた口からは言葉は出てこない。
 男たちは顔を見合わせ、次々に口走った。

「おお、俺たちでも商売をやれるぞ!」
「字を教えてもらえるのかー!」
「どこまでできるかわらないが、確かに、俺たちにしかできない商売だな」

 コバドーンは思慮深げにうなづき、隣ではステルスが笑いながらいった。

「盗賊から、商人になるってことかい? ダイジョブかな、俺たち盗賊に襲われない?」

 パルスがどんと胸をたたいた。

「大丈夫に決まってんだろ! 俺たちゃ、元盗賊! 返り討ちにしてやらぁ!」
「やろう!」
「やろうぜ、俺は賛成だ! ノラ!」

 ノラは思った以上の好感触にほほ笑んだ。

「ねえ、イサイアス、どう思う? 名前はイサイアス商会。あなたが会長よ」

 イサイアスはようやくその口を閉じてノラを見た。
 人のためになる。そうすればおのずと道は開かれる。
 イサイアス商会がうまくいくかどうかなどわからない。
 それでも、イサイアスの胸は今までになく騒いだ。
 信頼などしていない。
 今も信じたわけじゃない。
 ノラの奴、しっぽを巻いて逃げ出すと思っていたのに。
 きっと、どうせまた裏切ると思っていたのに。
 けれど……。
 この案を試してみるのは悪くない。

「よし、わかった。やってみよう。しかし、うまくいかなかったら、お前のせいだぞ、ノラ」
「うまくいくようにお互いに努力しましょう。わたしにはあなたの協力が必要なの」

 さいは投げられた。
 戻る場所のない者たちの、行く道は決まった。


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克全
児童書・童話
「第1回きずな児童書大賞」重度の心臓病のため、生まれてからずっと病院のベッドから動けなかった少年が12歳で亡くなりました。両親と両祖父母は毎日のように妾(氏神)に奇跡を願いましたが、叶えてあげられませんでした。神々の定めで、現世では奇跡を起こせなかったのです。ですが、記憶を残したまま転生させる事はできました。ほんの少しだけですが、運動が苦にならない健康な身体と神与スキルをおまけに付けてあげました。(氏神談)

ローズお姉さまのドレス

有沢真尋
児童書・童話
最近のルイーゼは少しおかしい。 いつも丈の合わない、ローズお姉さまのドレスを着ている。 話し方もお姉さまそっくり。 わたしと同じ年なのに、ずいぶん年上のように振舞う。 表紙はかんたん表紙メーカーさまで作成

王女様は美しくわらいました

トネリコ
児童書・童話
   無様であろうと出来る全てはやったと満足を抱き、王女様は美しくわらいました。  それはそれは美しい笑みでした。  「お前程の悪女はおるまいよ」  王子様は最後まで嘲笑う悪女を一刀で断罪しました。  きたいの悪女は処刑されました 解説版

お姫様の願い事

月詠世理
児童書・童話
赤子が生まれた時に母親は亡くなってしまった。赤子は実の父親から嫌われてしまう。そのため、赤子は血の繋がらない女に育てられた。 決められた期限は十年。十歳になった女の子は母親代わりに連れられて城に行くことになった。女の子の実の父親のもとへ——。女の子はさいごに何を願うのだろうか。

パンジーちゃん

こぐまじゅんこ
児童書・童話
おばあちゃんは、寒くて元気がありません。 そんなとき、庭のパンジーの花が……。

生まれたばかりですが、早速赤ちゃんセラピー?始めます!

mabu
児童書・童話
超ラッキーな環境での転生と思っていたのにママさんの体調が危ないんじゃぁないの? ママさんが大好きそうなパパさんを闇落ちさせない様に赤ちゃんセラピーで頑張ります。 力を使って魔力を増やして大きくなったらチートになる! ちょっと赤ちゃん系に挑戦してみたくてチャレンジしてみました。 読みにくいかもしれませんが宜しくお願いします。 誤字や意味がわからない時は皆様の感性で受け捉えてもらえると助かります。 流れでどうなるかは未定なので一応R15にしております。 現在投稿中の作品と共に地道にマイペースで進めていきますので宜しくお願いします🙇 此方でも感想やご指摘等への返答は致しませんので宜しくお願いします。

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