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【シリーズ1】ノラ・ジョイの無限の泉 ~みなしごノラの母の教えと盗賊のおかしらイサイアスの知られざる正体~

#5 盗賊かしらイサイアス(1)

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 日が落ちる前に、ラミアンは馬車を止めて火を焚いた。
 夕方から雲り出したせいで、あいにく星は全く見えなかった。
 パチパチとはぜる火がなければ、きっと暗い気持ちになっていただろう。
 ラミアンとノラは静かな夕食をとった。

「ノラ、あんまり落ち込むな。旦那様の知り合いの家だというんだから、悪いところではないさ」

 真相を知らない彼もまた、突然のことに驚いていた。

「はい、ありがとうございます」
「お前がいないとさみしくなるよ……」

 炎に照らされたラミアンのそばかす顔は、歳のわりに少年ぽさが残っており、小さくできた笑いじわとが相まって彼らしい。
 明日には別れるであろうその笑みをノラは見つめた。

「俺が起きているから、ノラは馬車の中で休んでいいぞ」
「ラミアンさんは?」
「俺は外でいい」

 ノラはお礼とお休みのあいさつをして馬車に戻った。
 ノラが箱馬車に乗るのは初めてだった。
 レノ家の紋章が入っており、内装には赤いベルベットが貼り巡らされている。
 使用人の自分がまさかこんなものに乗れる日が来るとは思ってもみなかった。
 ノラは壁にもたれてうとうととしはじめた。
 今日はいろいろあった。
 明日からどうなるのだろう。……
 夢のはざまに落ちかけたとき、遠いどこかで騒がしい音を聞いた。

「よせっ! うわっ!」

 次の瞬間、馬車が突然走り出した。

「な、なに?」

 ノラは目をこすり、夜闇を高速で走る馬車の行き先を見つめた。

「ラミアンさん? ねえ、ラミアンさん?」

 ノラは馬車の中から外に向かって呼びかけてみるが返事はない。
 代わりに聞こえたのは、気味の悪い笑い声だった。
 ノラの脳裏に嫌な予感が走った。
 馬車はどこへ……? 
 眠れない一夜、馬車は夜通し走り続けた。

      ***

 朝靄が立ち込めたその場所は、小さな廃村だった。

「よし、めぼしいもんがあるかどうか見てみようぜ」

 御者がいった。
 彼らは名高き侯爵家の馬車を盗んで得意だった。
 あんな夜道に堂々と野営していたのだ。
 恐らく手紙か荷物を届けるところだったのだろう。
 間違っても貴族が乗っていればあんな野宿はしないはずだ。
 たとえ荷物がなくても、馬車も馬も良い値段で売れるはずだ。
 物は奪っても人は奪うな。
 それが彼らの流儀だった。

「さあて、なにが入っているかな!」

 箱馬車の扉を開けると、そこには十五歳くらいの少女がいた。
 少女は驚くふうでもなく怯えるふうでもなかったが、見るからに貴族の娘ではなかった。

「あの、わたしはノラといいます。ここはどこなのでしょうか」

 盗賊の一味ケスは、ぽかんと口を開けた。
 盗賊に襲われた娘の第一声が、まさか自己紹介とは……。
 ケスの相方アンディはすかさず「降りろ」と命令し、確かめるようにじっくりノラを観察した。

 扉が開いた瞬間、ノラは馬車ごと盗賊に盗まれたのだと悟った。
 とっさに自己紹介したのは、母の口伝に従ったからだった。
 欲しければ与えなさい。
 立場が圧倒的に違う場合、人はその立場にのっとった行動に陥りがちだ。
 盗賊と被害者。
 その立場に甘んじていたら、ノラの命はないかもしれない。
 自分の身の安全が欲しいのなら、一人の人として接してほしいのなら、まず自分が相手にそう示さなけければならない。
 とはいえ、ノラの内心は恐怖で震えていた。
 ノラの指が小さく震えているのを、中年男のアンディはすぐに気づいた。
 若いケスは久々に見る若い娘ににわかに見とれていたが。

「あなたがたは、なんというお名前ですか?」
「俺はケス……」
「ばかやろう、答えてんじゃねぇ」

 ケスは相棒に小突かれ、アンディは舌打ちした。

「ちっ、面倒なことになったぜ。馬車と馬以外に収穫はなしか」

 ケスはアンディの袖をつまんだ。

「アンディ、この子を連れて帰ろうよ」
「ばかなこというんじゃねえ! おかしらにぶっ殺されるぞ!」

 ケスはアンディの言葉にしょんぼりと肩を落とした。

「じゃあどうするんだよう……。この子を元の場所に戻すのかい?」
「おかしらが起きねぇうちに、なんとかするしかねぇな」

 ノラは少しばかり驚いた。
 どうやら無事に返してもらえそうでだ。
 ほっとしたのと同時に、ラミアンのことが思い起こされた。
  
「あの、馬車の外にいた人はどうなったのですか?」
「ああ? 今それどころじゃねぇんだよ。黙ってな、嬢ちゃん」

 黙ってろといわれても黙っていられない。
 ラミアンの無事を確かめるまでは。
 ノラは強気にアンディに向かった。

「教えてください! あの人はどうなったんですか?」
「うるせぇな! ちょっと痛めつけてやっただけだよ!」
「けがをさせたの……?」

 ノラの不安げな顔に、ケスが答えた。

「いや、あのな、ちょっと蹴飛ばしたり、脅したり、あと、ちょびっとくらいは切りつけたりしたかな。へへへへ……」

 ノラは青くなった。
 ケスはさらに口走った。

「あ……いやえーと……、そんなひどいことはしてないんだよう。俺たちが馬車を奪って逃げるとき、まだ、よせって叫んでたから……。あ、その後にまた俺が殴りつけたんだっけ……」

 ノラは思わず顔を覆った。
 ――ラミアン! 
 なんということだろう!
 彼は傷つけられ、馬車を奪われて、闇夜の中に置き去りにされたのだ。
 けがは大丈夫なのだろうか?
 近くの街か村にひとりで助けを求めに行けただろうか……。

「お、おい……、泣くなよう……」

 慌てたようにケスがおろおろとした。

「おい、おまえら!」

 アンディとケスが、びくりと肩を震わせた。
 みると背の高い男が鬼のような形相で立っていた。

「ひっ、親分!」

 親分というその男は、眼光の鋭い若い男だった。

「人には……、とくに女子どもには手を出すなとあれほどいってきただろうが!」
「こ、こりゃ、フ、フコカリョクってやつでして……」
「黙れ!」

 アンディとケスが鞭打たれたように縮みあがった。

「俺の盗賊団にいたいのなら、掟を絶対だといったはずだ」

 盗賊団の若い統領は剣を抜いた。
 ノラの背筋がきゅっと強ばった。

「掟破りは、腕を切り落とすか足を切り落とすか……。手足は四本しかない。五回掟を破ったら死あるのみ。それが俺たちのルールだ」
「ひいいっ!」

 ノラは息を飲んだ。
 統領はノラより五つか六つ年上に見える若者だ。
 それなのになんという威圧と殺伐とした空気だろう。
 彼は本気だ。
 今までこんな人間に出会ったことがない。
 彼に比べれば、ラミアンを傷つけた非道なケスとアンディでさえ、よほど人間らしく思われた。

「覚悟しろ! 歯をくいしばれ!」

 統領が剣を振り上げた。
 ノラは思わず叫んでいた。

「待ってください! 違うんです!」

 統領は訝しげな眼をノラに向けた。
 ノラは一生を左右するであろう一世一代の嘘をついた。

「わ、わたしが頼んだのです! わたしが、その二人に、わたしを仲間に入れて欲しいと……お、お願いしたのです!」
「なんだと?」

 驚いたのは統領ばかりでない。
 アンディとケスは顔を見合わせ、ノラを見つめた。

「わたしが自分で望んでここへ来たのです! ですからそのふたりは掟を破ってはいません!」

 統領はしばらくノラを見つめると、アンディとケスに向かって尋ねた。

「本当か?」

 ノラは頷くように二人に視線を送った。
 二人は戸惑いながらも、腕が切られなくて済むのだ。

「そ、その通りです! 俺たちだって困ってるんでさぁ! なあっ!」
「あ……ああ……。そ、そうだよう!」

 統領は再びノラに鋭い視線を投げて来た。

「まさか、こいつらを庇おうとしてるわけじゃねぇだろうな……。庇ったところで俺たちは盗賊。見逃してもらえると思ったら間違いだぞ。ここは俺たちのアジト。場所を知られた限りには生きてここから出すわけにはいかない」

 ノラの瞳は一瞬揺らいだ。
 決して戻れない一歩を踏みこんでしまったのは間違いなかった。
 もう後には引けない。

「わ、わたしは……、と、と、と、盗賊に、なりたいのです!」

 ノラの声は震えていた。
 不安げに成り行きを見守るアンディとケス。
 統領はじろりとノラを見つめていたが、ふいに剣を収めた。

「これはレノ家の馬車だ。あそこの侯爵は持たざる者への施しや教会への寄付金も多いと人権派と聞く。だから俺は、五回中三回は見逃すように手下どもにいってある。そういうわけだから、お前が俺たちのことをいわないと誓約書を書き、レノ家が金を用意するというのなら、お前を返してやってもいい」

 アンディがケスにささやいた。

「五回に三回は見逃せってよ。……お前知ってたか?」
「五回じゅう三倍奪えじゃなかった?」

 統領はその手で強く馬車を叩いた。
 ノラはその音にびくっと肩を震わし、アンディとケスも口をつぐんだ。

「……と思っていたが、盗賊になりたいだと? 妙な話があったもんだ。まさかこいつらのことを庇っているわけではあるまいな……?」

 早まったかもしれない。
 黙っていれば、無事にレノ家の庇護のもとへ帰れたかもしれなかった。
 だが、このふたりの手や足は無事だったろうか……? 
 ノラは黙ったまま統領を見つめていた。
 統領がフンと鼻を鳴らした。

「そんなはずないな。俺たちの仲間になりたいというくらいだ。お前も元の世界に戻れないわけがあるんだろう。女の身で盗賊志望なんてなかなか見ものじゃないか。いいだろう。お前を仲間に入れてやる」

 統領は右手を差し出した。

「俺はこの盗賊団の頭。イサイアスだ」
「ノラといいます……」

 ノラはその手を握り返した。
 イサイアスの手は思った以上に大きかった。
 アルロのそれとは大違いだ。
 イサイアスは力のみなぎる瞳で、にっと笑った。

「それじゃあ、すぐにでも仕事に取り掛かってもらおう。まずは、家の掃除それから洗濯。こいつらは年がら年中着のみ着のままなんだ。全部丸裸にして洗ってくれ! それから食事は九時、一時、八時だ。全部で二十人前。いや、お前を入れて二十一人前だ。稼ぎが悪いくせにやたらよく食う奴らばかりで困っているが、飯は多めに作ってくれ!」
「は、はい……!」

 粗末な木造りの家に案内され、中を見渡して目を見張った。
 廃村の朽ちかけた木材を寄せて集めて造られた家、というより小屋というほうがぴったりくる。
 食堂らしいその部屋には、粗末な家具が乱雑に並び、ボロ布で日よけのカーテンがしてあり、欠けた皿やサイズのちぐはぐのカップがごちゃごちゃっと置いてある。
 一応洗ってあるようだが、茶渋や汚れたテーブルを見る限り、そのまま使えるかは極めて怪しかった。
 酒や生活の匂いがこもっていて、食べかけのパンやチーズが転がり、床はワインのシミやなにやらで、べたついていた。
 よくもまあここまで汚せたものだと、ある意味感心すらしてしまう。
 とにかくこれは、やりがいがありそうだ。
 ノラはさっそくほうきを手に取り掛かった。
 すべての塵を掃き出して、隅から隅まで水拭きだ。
 その様子をこっそりと――本人たちはそのつもりで――盗賊の一味たちが覗いている。

「ど、どこの娘だ、ありゃ?」
「なんでも、盗賊になりたくて志願してきたらしいぞ」
「んな、むちゃな!」

 そこからさらに少し離れたところで、アンディとケスが様子を見ていた。

「アンディ……。あの子本当に、盗賊になる気かな……」
「んなわけあるかよ。俺たちを庇ってくれたんだ」

 ケスが自分の両指をやきもきと揉んだ。

「ど、どうするんだよう……。あの子このままじゃ本当に盗賊になっちまうよう……」
「どうもこうするもあるか! 俺達になにができるってんだ!」

 ノラはよく働いた。
 二十一人前の朝食を作り、川に何度も足を運んでは水を汲み、家中をきれいにし、文字通りの山のような洗濯物を洗っては干し、洗っては干した。
 昼にはパンを焼き、麦わら敷きベッドのシーツを洗い整え、一か月以上水浴びもしていない彼らのために湯を沸かし続けた。
 夜には夕食を作り、ひとつ残らずランプを磨いた。
 考える暇などなかった。
 夜更けにはもうぐったりとして、べッドに入るとノラの意識はすぐさま深い眠りに沈んでしまった。
 眠りに向かう思考の中で、明日はどうなるのだろうと考え……ようとする間に、ノラはもう眠っていた。

      ***

 翌朝、一味が目を覚ました時には、家中にパンの香りが漂っていた。
 鍋にはたっぷりと満ちているスープ。
 きちんと並べられた皿とスプーン。
 茶渋の取れたカップには、曇りのない紅茶が揺れている。
 一味が目を丸くして立ちすくんでいると、川に水を汲みに行っていたノラが戻ってきた。

「おはようございます」
「あ、お……」
「う……」

 盗賊たちはうまく挨拶が返せない。
 おはようなんて、ここ十数年聞いたこともない。
 お互いに照れがあって誰もいい出せなかった。

「おかしらは、まだ見えませんか?」

 噂をすればだ。

「おお、うまそうだな。みんな席につけ」

 おかしらが来れば食事の開始だ。
 まるで嵐のような朝食風景だった。
 ノラは作るのに一時間かけたのに、みなが食べ終わるまでにかかったのはたったの五分だった。

「各自、昨日稼ぎを報告しろ」

 イサイアスがぴりっとした口調でいった。
 どうやらそれぞれグループがあるようだ。
 そのリーダーらしき男たちが次々と昨日の成果を報告していく。

「俺のところは、馬四頭に、麦、豆、それに砂糖だ」
「指輪とネックレス、それに毛皮のコートも頂いたぜ」
「塩にスパイス、それに高そうな陶器のティーセットなんかもあったぜ」

 次々と報告が終わっていく中、アンディとケスは、お前がいえよと押しつけあっている。

「アンディ」

 イサイアスの言葉に、アンディがうっと顔をこわばらせた。

「う、馬と小型の箱馬車……それと……」

 アンディがノラを見ると、全員の視線がノラに集まった。
 そのあとをイサイアスが続けた。

「昨日からイサイアス盗賊団に入ったノラだ。しばらくは盗賊見習いだ。雑用は全部こいつに任せて、お前たちは仕事に専念しろ」
 
 ノラを見る一味の視線は、好奇や疑惑に満ちている。

「ノラです。みなさんよろしくお願いします」

 対する反応はまちまちだ。
 怪しんで睨みつける者もいれば、愛想良く手を振る者もいた。

「それじゃあ、いつも通り当面の食料を残して、それ以外は街へ行って売りさばく。ディビー、コバドーン準備しろ。他の者は、馬と家畜の世話と馬車の塗り替え、雨漏りの修理に、外れたドアを直しておけ。それから各自獲物の手入れをしておけ。次の襲撃は四日後だ」

 イサイアスの掛け声で男たちはばらばらと立ち上がり、部屋にはノラだけが取り残された。
 残りのスープとパンを食べ切終えて、ノラも自分の仕事にとりかかった。
 今日も大忙しだ。
 洗濯物をひと山終えてもうひと山。
 盗賊のアジトは、一階は食堂と倉庫になっており、二階がそれぞれのグループの部屋になっている。
 ノラは部屋の主の居ぬ間にすべての部屋の掃除をして回った。
 男所帯とはひどいと聞いたことがあったが、噂にたがわず本当だった。
 ノラはここまでひどい家を見たことがない。
 とにかくくさいし、汚いし、なんだかよくわからないようなものが大切そうに飾ってあったり、隠してあったりする。
 捨てていいのかどうかを迷っていると、必ず誰かがやってきてそれを取り上げてまた隠していく。
 盗賊の一味たちはノラの動向をいちいちチェックしているかのようだった。
 視線を感じてノラが振り向くと、彼らは一斉に物陰に隠れたり、今までもそれに熱中していたかのように仕事をする素振りをした。
 面と向かってノラになにかいう者はいなかった。

「おい、スタンリーのぼろまで洗ってるぜ。あんなの一生かかったって汚れはとれやしねぇ」
「おっ、あれは前に失くしたと思ってた入れ歯! あんなところに……」

 昼をはさんで、さらに孤軍奮闘すると、盗賊たちの部屋は見違えるほどきれいになった。
 ピカピカのガラス窓。
 塵ひとつない床。
 ふかふかのベッド。
 清潔な洋服は几帳面に畳まれている。

「ほー……」
「お、お母ちゃん……」

 昔懐かしい景色を思い出したのも無理もない。
 ならず者たちにとっては、まったく久かたぶり人間らしい住まいだった。
 掃除すべき部屋はあと一つ。

「……あれ?」

 最後の寝室にはカギがかかっていた。

「そ、そこは、おかしらの部屋なんだよう……」

 振り向くとそこにいたのはケスだった。
 癖なのだろう。
 両指をでたらめに揉んでいる。

「ここはお掃除しなくてもいいの?」
「お、おかしらの部屋、宝物もあるからいつもカギしまってる……」

 肩透かし食らったような気がした。
 もうひと頑張りと腕をまくったところだったが、ひとまずこれで掃除は一区切りのようだ。
 ノラはほほ笑みながらケスに向きなおった。

「ねえ、みんな食事はなにが好きなのかしら。これから夕食の支度をするんだけど」

 ケスは短く刈りそろえた髪をかきまわした。

「あ、お、俺は……」
「なに?」

 ケスは再び指を揉みながらためらったようにいった。

「俺はプディングが……。その、ラム漬けの干し葡萄ののってるやつ……」

 ノラはにわかに笑った。
 盗賊にしては可愛いリクエストだ。

「わかったわ。今夜のデザートにプディングを作るわね」

 ノラの返事にケスの指揉みは速さを増し、まるで指がダンスしているかのようだった。
 約束通り夕食にケスの好物が出ると、顔をウキウキとさせたのはケスばかりではなかった。

「ひいっ! ぷ、プディング!」

 両手を組んでケスは手を高く掲げた。
 ノラが皿へ取りわけると、ちょうどスプーンひとつ分大皿に残ったので、ノラはケスのお皿に手を伸ばした。

「じゃあ、これはケスに」
「わあ! う、うれしいんだよう!」

 大喜びのケスに、男たちは小さく嫉妬を燃やした。

「あ、あ、ありがとうノラ」

 ノラに向かってうれしがるケスの両隣で、アンディとパルスがそれぞれ横からプディングをスプーンで掬い取った。

「あ、あれっ?」

 ケスが気付いた時には、皿にはちょっぴりのプディングしか残っていない。
 アンディとパルスの口は黙って、もごもごと動いている。

「あああっ! お、俺のプディングがっ!」

 そんなケスにかける言葉を盗賊たちが持ち合わせているはずがなかった。
 もはやケスは泣き顔だ。
 せっかく楽しみにしていたのに、かわいそうに思ってノラは自分の皿を差し出した。

「ケス、わたしの分をあげるから泣かないで」

 それを見た最年少のステルスが、こっそりと自分の分を急いで口に入れて、もぐもぐごっくんと飲みこんだ。
 そして舌なめずりしたあと、しゃあしゃあといった。

「あれっ、俺のプディングもないぞっ!」
「えっ?」

 ノラが振り返ると、ステルスの皿は確かに空だった。

「俺もだ!」
「俺も!」
「お前っ! 俺の分食っただろ!」
「お前だろうが!」
「なにっ!」
「なんだと!」

 もともと気の荒い男たちだ。

「俺のプディング!」
「ああっ、やめろっ! かえせっ!」
「てんめーっ! 吐き出せっ! 吐き出しやがれっ」
「それは俺のだっ!」

 もみ合いへし合い、小さな火種はいつしか火災へ。
 大の男たちがプディングひとつで、ひどい有様だ。
 皿が飛ぶ、ワインが洗ったばかりのシャツにぶちまかれる。
 ついには殴り合いが始まった。
 ケスはといえば、プディングの皿を手にしたままぐすぐすと泣いている。
 アルロの癇癪どころではない。
 ノラはただただ呆然とするほかなかった。
 そうしてようやく、アンディが大声を張り上げた。

「やめねぇか、おめぇら!」

 男たちが一瞬アンディを見た。

「この有様を、いったい誰が片づけると思ってんだ!」

 盗賊たちにようやく少しばかりの冷静さが戻ったらしい。
 気まずそうにあたりを見渡した。
 イサイアスはいつものことといわんばかりに、ひとり口を拭うとさっさと食堂を後にしていった。
 呆然と立ち尽くしているノラに気づいた者から、ひとりまたひとりと部屋を後にしていった。
 なにかいおうにも、彼らはノラになにをいえばいいかわからなかったのだ。
 いつの間にか最後にひとり残されたノラは、あたりを見わたして改めて思った。
 これが当たり前なのだとしたら……。
 いいや、そんなこと考え始めたら、考えただけで疲れてしまう。
 とにかく目の前の仕事を片付けることだけを考よう。

      ***

 次の日、いつものように朝食の片付けをしたノラは、昨日のプディング戦争の後始末を始めた。
 汚れたクロスやシャツにズボン。
 ノラは洗濯場で洗濯を始めた。

「み、水はここでいいか……」

 顔を上げると、パルスが手に水桶を持って立っていた。
 一番初めにワインボトルを逃げた本人だ。
 驚いたノラだったが、すぐにほほ笑みを返した。

「ありがとう」

 それを少し離れて見ていた一味たちは、それぞれに顔を見合わせた。
 それから一刻。

「みんな、ありがとう」

 洗濯場でノラと一緒に洗濯物を叩くケス。
 水汲みするパルス。
 昼食のじゃがいもの皮をむくアンディ。
 見習いがやるはずの雑用を、本職の面々が手伝っている。
 本末転倒もいいところだ。

「ノラ、お、俺はなにをやればいい?」

 まだ十二のステルスは鼻をこすった。
 ノラはステルスの背丈にアルロを思い出しながら、ほほ笑んだ。

「じゃあ、アンディと一緒に野菜の皮むきをお願いしてもいいかしら。手を切らないように気をつけて」
「おう!」

 男ばかりのむさくるしい場所に咲いた一輪の花。
 ノラの作る食事や暮らし、その笑顔や声、存在そのものが、殺伐とした仕事ですり減った彼らの神経を慰めるのだった。
 一方のノラも、盗賊とはいうものの、普通の人間と同じく家庭的な人生を愛していることに知って、それほど恐ろしい人たちではないのかもしれないと思い始めていた。
 これならなんとかやっていけそうだ。……

 そう思ったのもつかの間だった。
 この事態にイサイアスが大激怒したのはいうまでもない。

「なんで四日もあったのに、馬車の塗り替えも屋根の修理も終わってねぇんだ!ここのドアはどこへ行った!」

 ドアはノラの部屋の壁掛け棚に作り変わっていた。
 そうと知らないのはノラだけだったのだが。

「今日の襲撃の準備は出来てんだろうな!」

 一味の風体はまるで農夫だった。
 腰には鎌、手には鍬。
 ノラがひとりひとり丁寧に髪を整えひげをそったせいで、とても盗賊には見えなかった。
 一味たちは慌てて二階へ駆けあがり、ガンベルトや剣を携えて駆け戻って来た。
 しかし、剣は前回の襲撃のままに刃が錆び、銃にはすすがついたまま。
 あまりの無様さにイサイアスのこめかみはぴくぴくと浮き立った。

「ノラっ!」
「は、はいっ」

 イサイアスは唐突にノラを呼びつけた。
 イサイアスの鋭い目。
 ノラはその目を見るだけで芯が凍りつく。
 イサイアスだけは、なんだか苦手だ……。

「お前はクビだ!」
「え?」
「お前を売り飛ばす!」

 ノラが言葉を失った代わりに、反発の声を上げたのは盗賊たちだった。

「そ、そんな、おかしら! ノラはしっかり仕事をしてまさぁ!」
「そうですよ! 家はピカピカ、寝床はふかふか、服はまっさら! 飯だって、俺たちの好きなもんを作ってくれるんですよぉ!」
「そ、そうですよ、おかしらぁ!」
「おかしら!」

 イサイアスのいらいらとテーブルを打った。

「黙れ、馬車を出せ! アンディ、ケス! ノラを縛れ! お前らが責任もって売り飛ばして来い!」
「そ、そんな、待ってください! おかしら、わたし……!」

 ノラは慌てて訴えたが、イサイアスは苛立たしげに部屋を出ていってしまった。
 アンディとケスがどこからか縄を持って来た。

「す、すまねぇ……」
「アンディ……」

 ノラは必死な瞳でアンディとケスを交互に見た。

「ケス……」

 ケスは頼りなげに瞳を伏せた。

「ごめんよう、ノラ……」

 ノラの未来が、真っ暗になった瞬間だった。

      ***
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